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盗聴される可能性を最小限に。哀ちゃんもわたしも、財布とスマホだけを持って、スマホの電源は切って地下駐車場にやってきた。
車に不審なものがないかチェックして、大丈夫そうだと踏む。
哀ちゃんを助手席に乗せて、ゆっくりと駐車場を出た。視界の端にちらつく赤い車に、やっぱり先ほどの電話を聞いていたかと溜め息をつく。適当に空いていそうな高速に乗った。
「少し飛ばすわよ」
「えぇ、どうぞ。つけられてるんでしょ」
無茶な運転はできないけれど、百二十キロほどのスピードを出して追い越し車線を走り抜ける。それで十分、古い軽自動車は引き離せた。三十分ほど走ったあと、また適当なところで降りる。道に迷わないよう国道を走りながら、口を開いた。
「博士やコナンくん、随分あなたのことを心配しているみたいね」
沖矢さんのことは伏せて話すと、哀ちゃんは肩を竦めた。
大手のデパートを見つけて、四階から上が立体駐車場になっているそこへ入る。適当なスペースに車を停めると、哀ちゃんはこちらに顔を向けた。
「……話をしてもいいかしら」
「どうぞ」
「聞きたいことはわかっているわよね。どういうつもりなの、あんな物を送って寄越して」
「どういうつもりって、欲しがってたでしょう? Dr.アパシーの研究資料。チャンスがあったからもらっておいたの」
敢えてけろりとした調子で返すと、哀ちゃんは膝の上に置いていたわたしの左手を掴んできた。
「あんなの、ジンやバーボンにバレたらどうなるか……!」
組織はドクターの研究を目的にしていた。それをわたしが得て、剰え第三者に横流ししているとなれば、さすがにジンも黙っていてはくれないだろう。
零さんも然り。言ってしまえば捜査資料の横流し、知られたら信用を失うことになる。
「考えたくないわね。ちゃんと破棄してくれた?」
「えぇ、危険性がわからないわけじゃないもの。全部目を通して、私の研究にはうまく使えないことがわかって……博士にも知られないように、処分しておいたわ」
「それならいいわ。結構危ない橋を渡ったから、哀ちゃんには誰にも言わないようにお願いしておかないとと思っていたの」
「えぇ、わかってる。誰にも言わないわ。でも、どうして……私に力は貸せないって、言ったのに」
哀ちゃんが一番聞きたいのは、そのことだろう。
ひどい言葉をぶつけておきながら、どうして手助けをするのか。
「……ジンやウォッカ、バーボンがいるところに哀ちゃんを連れて行けるわけないでしょう?」
「あのときは、私が目的だなんてことはなかったわ。……いいえ、あなたが私がシェリーであることを知っているはずもないの。――初めて会った時からおかしかった。バーボンと繋がっているなら、江戸川君が訊いた……"人攫いじゃなくて、もっと怖いもの"を……バーボンの存在を、あなたは知っていたことになる。それなら辻褄が合うのよ。光莉ちゃんは明らかに母親と一緒にいたのに周辺を警戒していたことも、怯える私に何も聞かずにいてくれたことも」
聞かなすぎるのも良くなかったのかもしれない。疑われないように振る舞うのは相変わらずわたしには難しいことだと思いながら、耳を傾ける。
哀ちゃんは考えてくれたのだろう。
わたしの思惑、わたしの立場。敵か、味方か。
じっとこちらを見る視線に堪えかねて、口を開くことにした。
「……そうね、あなたがシェリーだってことは、ずっと前から知っていたわ。組織に狙われていることも」
「でも、私に危害を加えるつもりはないのよね」
「本当にそう思う?」
「えぇ。だって、私のことをどうでもいいと思っているような本当の悪党なら、あのお城で私と吉田さんを隠す必要はなかったし、研究データを横流しするような危険だって冒さないはずよ。……だから、あなたに会いに来たの」
まっすぐに見てくる視線からは、わたしへの恐怖や疑念は感じられない。
意図して上げていた口角を緩めて、小さな溜め息をついた。ドアのアームレストに肘を置いて、頬杖をつく。窓の外の整列された車を眺めた。
「……苦手なのよね、そういうまっすぐな信頼。嘘がつけなくなる」
「根っからの善人って感じがするものね、あなた」
哀ちゃんのからかうような口調に、こちらも頬が緩む。
「皆そう言うのよ。不思議よね」
「そうかしら。私は千歳さんのこと、結構好きよ」
「……そう」
そろそろ、哀ちゃんも核心に触れたいだろう。
姿勢を正して、哀ちゃんに顔を向けた。それを察した哀ちゃんも、表情を引き締めてわたしの些細な反応すら逃すまいとじっと見てくる。
「……あなたはどこまで知ってるの?」
「どこまで知っているかは話せるけど、そうなるとどうして知っているのかまで話さなくちゃいけないわね……」
さて、どうしようか。哀ちゃんに話すことは別に嫌ではないけれど、この子はわたしの非科学的な体験を信じてくれるだろうか。
わたしが知り得ないはずのことを口にすれば、零さんと同様に信じてくれるかもしれないとは思う。
……信じてもらえなくても、別にいいかな。
それよりも、協力をしてもらわなければならない。いま話してしまうより、協力を対価に教えてあげる方がメリットが大きい気がする。
「そうね、少し協力してくれる? 誰にも内緒でそれを完遂してくれたら、全部話してあげる。きっと哀ちゃんにとっては信じ難い話よ」
「既におかしいことだらけだもの、何がきても驚かないわよ。……約束できるのね?」
「嘘つきのわたしが約束したとして、信用できるの?」
哀ちゃんは少し考えて、首を横に振った。
「違うわ、これは取引。あなたは信用商売をしているから、取引で嘘はつかない。私はあなたに協力する、あなたは私に情報を渡す。これで等価交換」
これが正解だと、自信を持っている声だ。
組織と繋がっているわたしを信じて、直接会いに来てくれた。それはおそらく、コナンくんや赤井さんに言わせれば"迂闊"なのかもしれないけれど。結果としてそれは正解で、わたしは哀ちゃんに絆された。
哀ちゃんの茶髪に手を伸ばし、梳くように撫でる。
「賢い子で助かるわ。……いいわ、交渉成立」
緊張で強張っていた哀ちゃんの表情が、ようやく緩んだ。
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