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 わたしが注文したのは、ローストビーフが入った珍しいタイプのサンドイッチと、スープとサラダのセットだ。具沢山だけれど、小さく切り分けてプラスチックのカラフルな串で留めてあるので食べやすい。
 おいしい、と素直に零すと、白河さんがにこにこと笑った。

「でしょでしょー! 私もここのランチセット大好きなんだ!」
「仕事でもよく使いますよね」
「降谷君だって依頼人と会うときここ使うでしょ」
「個室の喫茶店なんてそう多くないですからね。そのうえ安全です」

 どうやら相当に信頼のおけるお店らしい。
 食事を終えて空になった食器をコーヒーや紅茶と入れ替えてもらうと、話ができる状態になった。

「それで、相談したいことというのは……千歳のことを探っている人間についてか?」
「ご名答。わたしは相手を黙らせる切り札を持っているけれど……それを使える状況にするために、話をする必要がある」

 ミステリートレインの件がつい最近だというのなら、彼らはまだバーボンがスパイであることを知らない。
 それなら、わたしが"赤井さんが沖矢昴として生きていることを知っている"と確信させ、"バーボンにも黙っているから詮索するな"と暗に伝えればいい。
 赤井さんもさすがに自分の命にかかわるとなれば、深入りすることはできないだろう。そのことをコナンくんに伝えてくれれば、芋蔓式にコナンくんを遠ざけることもできる。
 そのためには、今は避け続けているコナンくんと沖矢さんと接触し、話をしなければならない。

「その会話の機会に備えたい……ということか」
「普通にお話するには手強すぎるもの」

 ただでさえ適当なことを言ってはぐらかして、どうにかやり過ごしているような相手だ。
 こちらの思い通りに話を進めるのは至難の業だろう。
 零さんは机に両肘をついて、組んだ手で口元を隠した。伏し目がちになって、思考を巡らせているようだ。

「……千歳は嘘をつける。隠し事もできる。それなら、あとは相手の正常な判断力を奪うしかない」
「お酒はどう?」
「多分強いからわたしの方が潰されちゃうわ」

 おまけにもう一人は未成年。飲ませられるわけがない。
 いや、この際コナンくんは置いておこう。今回重要なのは赤井さんの方だ。

「薬でも盛るか?」
「……悟られると思うわ」
「降谷君突然過激じゃん」
「いや、なんとなく。それぐらい過激にならないとどうにもできない相手なんじゃないかと思って」

 鋭すぎる。苦笑いを浮かべると、零さんは"やはりな"と言って得意げに笑った。
 でも、わたしが言わなければ相手については聞いてこないだろう。

「相手が男なら、ベッドに連れ込めばいいんじゃない?」
「却下」
「冗談だよ」

 白河さんの冗談は零さんの冷たい声で一蹴された。
 できれば取りたくない方法なのでそれでいいのだけれど。
 実行したが最後、なんとなくのイメージだけれど彼の手練手管でこちらが言いたくもないことを言わされて終わる気がする。
 挙げる案を尽く却下してしまって申し訳ない。
 少しだけ落ち込むと、それを察した零さんが微笑んだ。

「できるかどうかは千歳次第だが、案を出すのはこちらの仕事だよ。千歳は出してもいいと思える情報だけくれればいい」
「そうそう。私らのせいで哀ちゃんと仲違いさせちゃったのも、責任感じてないわけじゃないからさ」

 白河さんもにこりと笑って、アイスコーヒーをストローでくるりとかき混ぜた。

「あとは、そうだな……空腹、睡眠不足、疲労、ストレス……」

 判断力の低下を招くものとして羅列された単語に、はたと思い当たることがあった。

「……あ」

 無意識に漏れた声に、零さんと白河さんの視線がこちらに向く。

「ん?」
「どしたの、穂純ちゃん」
「それよ、方法があったわ」

 睡眠不足、疲労、ストレス。この辺りなら溜めさせることができる。
 赤井さんは哀ちゃんの警護を最優先としている。ただでさえ寝不足気味な様子で、車の中で少し待つ間に居眠りをしてしまうほどだったのだ。
 哀ちゃんとわたしが接触すれば、それを気にせざるを得なくなる。

「……その方法もまた、難しいけれど」

 捨てたものを、哀ちゃんからの信頼を、取り戻さなければならないからだ。

「酒や薬やハニートラップよりは?」
「簡単」

 本人に何か仕掛けるよりずっと簡単であることは確かだ。
 哀ちゃんに渡すべきものもある。少し先延ばしにしようと思っていたけれど、こちらを最優先すべきなのかもしれない。

「……捨てたものは、白河さんや僕で拾えそうか?」

 気遣わしげな表情とともに投げかけられた問いに、首を横に振った。
 これは、零さんにはできない。哀ちゃんは近づくことすら嫌がるだろうから。

「ううん、自分で拾う」
「! ……できるのか」
「難しいけれど、それをやらなくちゃわたしを探ってくる相手に手を引かせることもできないわ」

 知っているのは零さんたちだけでいい。
 わたしを知ることを諦めないでいてくれた。聞いても気が触れたとしか思えない事実を、受け止めてくれた。
 コナンくんたちも好奇心や義務感でわたしのことを知ろうとしてはいるだろうけれど、わたしの話を信じるかどうかはわからない。
 精神病院の受診を勧められるぐらいなら、余計に疑われるぐらいなら、そうやって傷つくぐらいなら。――いっそ何もかも隠したまま、距離を置きたいと思ってしまう。

「千歳の素性に深入りされることはこちらとしても本意じゃない。力添えが要るときに言ってくれ」
「うん、ありがとう」

 こうして時間を割いて相談に乗ってもらえただけで十分だ。
 やるべきことは順序立てられた、その準備はわたし一人でもできる。
 幾分か気分は晴れて、それが顔にも出ていたのか零さんと白河さんは安心したように笑んだ。

「また教えてもらいたいことができるかもしれないから、その時はお願いね」
「あぁ」

 ランチ代を出そうとしたけれど断られて、白河さんと一緒に席にお店を出た。
 買い物の用事もできたので、駅前で別れる。
 百貨店あたりが良さそうだと踏んで、タクシーを捕まえた。

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