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「穂純ちゃん、おひさー!」

 かけられた声の方向を見てにこにこと笑う白河さんを見つけ、小走りで駆け寄った。

「久しぶり。待たせちゃった?」
「んーん、今来たとこ。……付き合いたてのカップルかよ」
「ふふ、本当ね」

 今日は個室の喫茶店でこれからのことを相談させてもらう予定になっている。
 午前中は警察病院でカウンセリングを受けてきて、ランチタイムからそこに居座ろうということになっていた。
 事情を知る元警察官だという店主が営む喫茶店だし、白河さんとは女友達二人で行くという設定になっていて、先にいる零さんとは時間差で出入りする手筈だ。
 一緒にいればフォローしてもらえるから、今日の外出は気が楽だった。
 自宅にコナンくんや沖矢さんが来たときは、ひとまず居留守を使ってやり過ごしている。ストーカーの一件もあったので沖矢さんは控えてくれているようだから、まだ良いのだけれど。
 引っ越しは面倒だなぁなんて思いながら、白河さんが開けてくれたドアを潜った。
 待ち合わせの相手が安室さんであることを伝えると、すぐに部屋に案内された。
 席についてスマホをチェックしていた零さんは顔を上げて、表情を少しだけ緩める。服装の差し色にピンクを入れているところからすると、今日は安室さんとして活動しているのだろう。
 ドアがしっかり閉まったのを確認してから、零さんが口を開いた。

「白河さん、お疲れ様です。すみませんでした、千歳の迎えを頼んでしまって」
「いいよいいよ。どのみち私も情報共有しとかなきゃいけなかったし。さ、穂純ちゃん座って座って。ランチセットあるけど、どうする?」

 見せられたメニューを眺めて、少し考える。

「クラブハウスサンド……Cセットがいいな」
「了解。私はBにしようかな。降谷君は?」
「Aセットで」
「はいはい。注文しちゃうね」

 内線電話で白河さんが注文する声を聞きながら、お冷を少し飲んだ。

「午前中はカウンセリングだったか。調子はどうだ?」
「カウンセリング自体がちょっと嫌になってる。ドクターのことももう気にしてないのに……」

 米花町に戻ってきてすぐは、落ち着いてものを考えるとドクターに対する罪悪感が膨れ上がることもあった。
 あれからドクターがどうなったのか、今後どうなるのかは知らない。きっと教えてもらえることもない。
 無責任に科学者としての命を絶ってしまったことに負い目は感じるけれど、それが正しいことなのだとも思う。
 時間が経てば理性的に考えることができるようになって、ドクターの人柄は個人的に気に入っていたけれど、ヘロインに似た麻薬を作って売り捌いていたのは悪いこと、だから逮捕されることもまた当然のことなのだと割り切れるようになった。
 そういうわけで、もうドクターに対する強い感情もないのでそれに関して訊かれるのは面倒だった。
 潜入捜査という特殊な環境下にいることによるストレスも見ていかないといけないとは言われたけれど、元々無戸籍で経歴を調べる取っ掛かりになるような発言をしないように気をつけているから、ずっと身分を偽って過ごしているようなものだ。
 口座に入っていた示談金から引越し費用を宇都宮さんに返して、少し溜め込んでしまった仕事を片付けたり、お城で得た情報の入ったUSBメモリの中の音声データを文字に起こして訳したりと忙しくもあるので、病院で一時間も待たされるのが億劫だというのもあった。
 零さんは苦笑いを浮かべて、"確かにな"と呟いた。

「千歳が割り切れるなら、警察に頼まれたからでもなんでも、好きに理由をつけた方がいい。無理な頼みをしたのは百も承知だ、それでどうと思うこともない。カウンセリングはもう少し続くと思うが、あくまで様子見だからそのうち終わる。大丈夫だ」

 零さんが言うのなら、そうなのだろう。
 延々と受けなければならないものではないとわかって、少し安心した。

「うん、ありがとう」

 注文を終えた白河さんがわたしの隣に座り、頬杖をついた。

「まずは組織の方の穂純ちゃんに関する動きについてだね。土壇場で穂純ちゃんへの情報共有が全然できてなかったからさ」
「そうですね。……最初の接触は港。あの時は顔は見られなかったが、声と"穂純"という姓だけは俺の背後にいた人間にも伝わってしまっていた。その中に、声と姓を頼りに千歳が通訳者だということを突き止めた人間がいて……ジンあたりと取引したんだろうな、奴は俺のことが気にくわないようだから。ジンから呼び出しを受けて、千歳についていろいろ質問された」

 零さんはわたしが彼を安室透という探偵だと信じ切って情報提供をしてくれる存在で、都合がいいので放し飼いにしている飼い猫のようなものだ、と言ったらしい。なるほど、それで"バーボンの飼い猫さんよ"という発言に繋がるわけだ。そして牙も碌にない弱い存在だから、子猫に例えて"キティ"と呼んできたと。別にカクテルは関係ないらしいので安心した。

「千歳を善良な一般市民で通すなら当然のことだが、警察にも接触することがあるというのは知られている。千歳がうっかり安室に対して警察関連の情報を漏らしてくれるならいいが、逆は組織にとってはあって欲しくない事態だ。"理不尽に始末されないように慈悲をかけてやれ"と厭味ったらしく言われて、機会を窺うより先に千歳があの城でジンと接触してしまった……こんなところだ」

 言葉の端々にジンに対する厄介だという認識が覗いている。

「なるほど……」
「警察と繋がりがあるところを、今回内通者として引き込んだ……そういう扱いにしてあるから、生活はこれまで通りで構わない」
「元々大っぴらに警察として会うこともないしねぇ。米花町内で済む話なら、安室透とやりとりした方がいいかもってぐらい?」
「じゃあ、情報のやりとりに関しては前と変わらないのね」
「そういうことになるな」

 コナンくんたちより、組織の人間の方がずっと危険だ。それに、毛利探偵事務所のそばを通ってコナンくんに捕まるようなら、ポアロに行けばいい。
 結局安室さんのそばをうろうろしている方が安全そうだな、と結論づけた。

「……元々バーボン一人で来る予定だったのに、急遽変更されたっていうのは……理由を聞いてもいいの?」

 教えてもらえなくても仕方がない。そんな気持ちで訊くと、意外にも頷きが返ってきた。

「あぁ、もちろん。元々あの城にフィンランド人の科学者がいることは確実だったんだが、ハンネス・レフラ本人かどうかは確証がなかった。だから当日、僕がバーボンとして確認に行き――……確認を取る前に、何者かの手引きでその科学者が逃亡して分からずじまいだった、という筋書きで行くつもりだったんだ」
「それなのに一般人向けの宣伝のために受けた取材で、たまたまドクターがカメラに映ってしまった……」
「キャンティが面白がって見ていた番組だったんだ。そのせいで僕が確認に行くまでもなく、レフラがいることがわかってしまった。それなら探り屋の出番はなく、ジンが城主と交渉してレフラを組織に引き込むだけでいい。手段は問わずにな。それで突然参加してきたんだ」
「……なるほどね」

 つまり、哀ちゃんと同じくたまたまドクターが映った瞬間を見て、あの場所へ行ったというわけだ。
 シェリーが狙いでなかったのなら、ひとまずは安心できる。

「聞きたいことは聞けたか?」
「うん、ありがとう」

 これ以上は、あまり聞いてほしくないのだろう。
 一般人であるわたしに情報をあまり漏らすのも得策でないし、組織の狙いがシェリーには一切向いていなかったということさえわかればいい。
 食事が運ばれてきたのもあって、真面目な話は中断した。

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