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 哀ちゃんには、わたしが本当は組織のことを知っていて、ジンとウォッカには知らないフリをして見せたのだと知られてしまった。
 この情報はきっとコナンくんにも、あの子と手を組んでいる赤井さんにも伝わってしまう。そうなれば、疑いの目は間違いなくわたしにも向く。
 けれど、わたしに好意を素直に示してくれて、裏表なく心配してくれた哀ちゃんを危険な目に遭わせたくないのも事実だった。
 どうするべきだろう。これ以上は、"疑われたくない、でも哀ちゃんを守ってあげたい"というわがままは貫き通せない。

「……ばればれね」
「えぇ。……本当に大事なら、何が最善かを考えて、捨てるものを決めてください。大丈夫、千歳が捨てたものは、僕と彼女が拾います」

 どこまでも優しい人だ。
 けれど二人の立場上、わたしがこれから捨てるものを拾うことなんてできない。

「それが聞けただけで十分。目的は最初から変わらないわ。手際よくとまではいかないかもしれないけれど……上手くやってみせる」
「気負わなくても大丈夫です。貴方がこれからすることの結果は、僕が負う」
「……ありがとう。彼女をここに呼んでくれる?」
「わかりました」

 零さんは体を離して、また酷薄な笑みを浮かべた。

「では、手筈どおりにお願いします」
「了解」

 立ち去っていくバーボンの背を見送って、足音も聞こえなくなってから、背後のドアを振り返った。
 ドアを開けて、ちゃんと脇に二人の女の子が蹲っているのを確認する。また電気をつけて、一旦ドアを閉めた。

「さぁ、会場に戻りましょうか。もう大丈夫だから」

 歩美ちゃんに手を差し出したら、哀ちゃんが歩美ちゃんを庇うように腕を伸ばした。

「千歳さん……、どうして……? あなた、どこまで知っているの……?」

 つい先ほどまで組織の人間がすぐ近くにいたせいか、顔色は悪いし声も震えている。
 そして、わたしに対する"信じられない"という思いが、視線から強く覗いていた。

「何のこと? さぁ急ぎましょう、あまりここに長居するものじゃないわ」
「待って、まだここに来た目的を果たしてないの!」

 歩美ちゃんに手を貸すことは諦めてドアを開けると、哀ちゃんの必死な声に引き留められた。

「目的?」
「ここに、フィンランド人の科学者がいるはずよ。千歳さん、何か知らない?」

 フィンランド人の科学者。Dr.アパシーのことだろう。
 彼は地下に籠もっていた気がするけれど、どうやって知ったのか。

「さぁ……どうしてそんな人間がここにいると思ったの?」
「テレビで今日のイベントの宣伝をやっていて、このお城の地下室が映って……開いたドアの隙間から、見えたのよ……Dr.アパシーの姿が……!」

 テレビの取材。そういえば、二週間ぐらい前にあったのだっけ。
 映るとまずいからと、体調を崩したことにして部屋に籠もっていたのだった。
 しかし、まさかその取材中にカメラに映ってしまうとは。取材が来たのは彼の食事の時間帯だったし、わたしの代理をしてくれたメイドが出入りする際に、といったところだろうか。
 もしかしたら、ジンとウォッカが急に来たのもそのせいなのかもしれない。イベントの紹介をするバラエティー番組を見ていたかは定かではないけれど、ヘロインに似ているというあのドラッグを資金源にしたり、彼の本命の研究をAPTX4869の研究に活用したりといったことを考えたとすれば、ドクターを目的としている可能性は高い。

「……どうして会いたいの?」

 部屋から出るように促して、部屋の電気を消して自分も外に出る。
 ドアを後ろ手に閉めて、哀ちゃんの返事を待った。

「彼の研究が、もしかしたら私の研究の参考になるかもしれないから……彼の話を聞きたいの」
「……そう。あなたの見たものは間違いじゃない。Dr.アパシーはこのお城にいるわ。でもごめんなさいね、わたしにもわたしの目的があるの」
「え……?」

 呆然とした顔でわたしの顔を見上げる哀ちゃんを見て、罪悪感が湧いてくる。
 けれど、あえて笑って見せた。

「悪いけど、あなたに手を貸してあげることはできないわ」

 ジンとウォッカがうろつく"裏"のエリアに、哀ちゃんを立ち入らせてなるものか。
 わたしは哀ちゃんからの好意と信頼を捨てて、哀ちゃんの命を守る。
 いま哀ちゃんに協力することを拒めば、バーボンに加担しているのだと思われるだろう。そう振る舞ってもらったから、"彼個人の目的"が公安の任務に関するものだとはわからないはず。

「あの人は……バーボンは、ミステリートレインで、私の命を狙ったの……! 千歳さんだって、いつ用済みだって捨てられるかわかったものじゃないわ……!」

 哀ちゃんやコナンくんは、安室透がバーボンであると知っていて、降谷零であることは知らないのだろう。特に哀ちゃんは、降谷零のことも知らされなかったように思う。
 だから彼に協力するわたしは、組織とは相容れないながらも彼個人に肩入れしている妙な女として、彼らの目に映る。
 捨てるものは、もうひとつ。追及から逃れるすべだ。

「それはあなたを連れていく理由にならないわね。彼がそんなに危険なら、近づこうとしないで大人しくおうちに帰ったら?」
「千歳さん……!」

 意地悪く言うと、哀ちゃんが泣き出しそうな声で名前を呼んでくる。
 あぁ、"泣きたいのはわたしだよ"って、言えたらどんなにいいか。
 震える小さな手が伸ばされて、わたしの手を取った。

「お願い千歳さん。あなたのこと……信じさせて」

 "仕方ないわね"、なんて散々脅かした後で手のひらを反すんだって、哀ちゃんは信じているのだろう。
 わたしに嫌な気配を少しも感じなかったこと。わたしを信じてしまったこと。哀ちゃんは認めたくないのだろう。
 握られた右手からはじんわりと子ども特有の体温が伝わってきて、それが無性に涙腺を刺激する。
 自分を守るためでなく、人を傷つけるための嘘。それを口にすることが、正しいことだとわかっていても苦しい。
 弱々しく握られた手を振り払って、呆然と見上げてくる哀ちゃんの顔を見下ろした。

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