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 廊下の角から姿を見せた黒ずくめの男たちのうちの一人――長い銀髪を揺らすジンは、わたしを目に留めると迷いなく近づいてきた。

「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか。旦那様に招待された方であれば、奥までご案内いたします」

 笑みを浮かべて問いかけながら近づこうとしたら、顔の右横を通ってドアに手を突かれた。
 その手から逃れようと体をずらそうとしたものの、左手で顎を掴まれて遮られる。
 まったく嬉しくない壁ドンと顎クイである。できるなら零さんにやってもらいたかった。

「よぉ、キティ」

 現実逃避をしていたら、意地の悪そうな笑みを浮かべたジンから爆弾が投下された。
 やめてほしい。背後のドアの向こうには、哀ちゃんがいるのだ。
 キティって何のことだろう。子猫? この人もわたしを子猫呼ばわり? いや、カクテルに何かあったような……赤ワインとジンジャーエールを混ぜて作る、名前に反して艶っぽい赤色をしたものだ。いやいや、コードネーム持ちになんかなった覚えはない。そもそも、組織に入った覚えもない。

「……それはわたしのことでしょうか?」

 そう呼ばれる心当たりがまったくない。
 素直に困惑した顔を見せて尋ねると、ジンは笑みを深めた。

「なんだ、知らねェのか。バーボンの飼い猫さんよ」
「……バーボン? 飼い猫? 一体何のお話を……」

 ジンは自分が出てきた角、おろおろと見守っているウォッカのその向こうへと声をかけた。

「出てこいよ、バーボン。こんなところまで出しゃばってくるような生意気な子猫だ。いつまでも隠しておくのは得策か?」
「…………」

 目に冷たい光を宿したバーボンが、静かに廊下の角から出てきた。上品な装い、黒色。作業の痕跡を残さないためか、白手袋をはめている。
 考えろ、何が得策か。彼にとっても、わたしにとっても。
 組織の人間と接触したのは、FBIに捜査協力をした時だ。港で顔を見られないようにバーボンと会話をして、バーボンはわたしを情報源として扱っていると釘を刺してくれていた。けれどそれはわたしの耳が良くなければ聞き取れなかった話で、彼らにとっては、わたしは何も知らずに安室透という探偵の男に情報を流している間抜けな女。
 ……それなら。

「安室さん……?」

 ぽつりと声を零すと、ジンがわたしを捕らえていた手を離した。

「ここに、当然のようにいるってことは……そんな、ただの探偵じゃなかったの……?」

 バーボンがコツ、と足音を立てて一歩近づいてくる。
 その顔が浮かべる笑みには酷薄さが滲んでいて、演技だとわかっていても体が強張った。

「そうですよ。貴方には感謝しなければなりませんね。会うたび色々な情報をくれたんですから……」

 ジンがゆっくりとわたしから離れ、代わりに近づいたバーボンがわたしの左手首を掴んだ。

「このことはどうかご内密に。貴方が家族同然に大事に思っている人たちを、死なせたくはないでしょう? ――尤も、知らず知らずのうちに犯罪者に加担していた貴方が誰かに相談できるわけもないと思いますが」
「……っ」

 少し強く手首を握られて、覚えた小さな痛みに顔を顰める。
 ジンはふんと鼻を鳴らすと、踵を返して煙草に火を点けた。

「バーボン、俺とウォッカは先に行く。その飼い猫によく言い聞かせておけ」
「わかってますよ。そちらこそ、僕が着く前に交渉決裂なんて洒落にならないことはしないでくださいよ」
「ハッ、そんな間抜けな女に時間をかける気か?」
「貴方が交渉に失敗する方が早そうだと言っているんですよ」

 嫌味のぶつけ合いである。
 焦ったように"アニキ"、"バーボン"と窘めるウォッカに少しだけ同情しそうになった。
 ジンとウォッカは連れ立って歩いていき、やがて足音が聞こえないところまで遠ざかった。

「……もういいと思うわ」

 それでも、バーボンとして振る舞ってもらわなければならない。
 人差し指を立てて自分の唇に当てると、安室さんは意図を察してくれたようで頷いた。

「えぇ、気配も遠くなりました。すみません、手荒な真似をしました。急遽あの二人が来ることになってしまって」
「いいのよ、わたしじゃ上手く演技できなかったもの」

 零さんがわたしの手首を強く握ったのは、わたしに辛そうな顔をさせるためだ。演技で上手くできる自信はなかったから、正直助かっていた。

「それにしても、飛び入り参加なんて。それで二人分の準備が増えたのね。厨房が慌しかったわ」
「そういうことです。どうやら港で聞いた穂純さんの声を覚えていた人物がいたようで。中途半端な認識でうろつかれるぐらいなら、いっそ引き込んで管理しろと……そんな折にジンとウォッカと一緒に遭遇してしまったものですから。……本当に申し訳ない」

 口調は安室さんのままであるものの、しゅんとした様子は零さんのものだ。

「心配ないわ、ちゃんと脅されておくから」

 いずれにせよ、あの二人に顔は見られてしまった。
 もしもバーボンが何かミスをしたり、スパイだと見抜かれたりして殺されれば、バーボンを通して組織に関わったわたしも消されるだろう。
 けれど彼がミスをすることなんてないだろうし、スパイだと判断される可能性もまだ低い。わたしが大人しく脅されておけば、まだ好き放題動いて情報を集めているのだと言い張ることができる。

「そうしてください。"僕個人の目的"のためにも、貴方に死なれるわけにはいきません。……"荷物"の運搬は?」
「予定どおりにできそうよ。次の休憩で動くつもり」
「何かあればすぐに連絡を。……それと」

 安室さんはわたしの肩に手を置いて、イヤホンを入れていない方の耳に唇を寄せた。

「何かを庇ってますね。……この部屋の中に隠して」

 わたしにしか聞こえないように話したことからも、"何か"が人であることは見抜かれているのだろう。
 やっぱりこの人には隠しきれない。
 次の問題は、背後に隠した哀ちゃんだった。

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