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 三週間、自分の本来の仕事をしながら慌ただしく過ごした。
 手紙の翻訳をして世界各地で起こりそうな犯罪の情報も手に入った。通訳もしていたことは城主も知っていたので、他人に聞かれたくない話をするのに訪問者との会話にそれぞれが母国語を使いわたしに通訳をさせるという手段を取っていたため、危ない情報も容易く入手できた。そうやって情報を集めて、レコーダーに吹き込んだ。
 裏社会の人間と言えど、大人しくしてさえいれば危害は加えてこない。素知らぬフリを通すことはすっかり身についてしまった。
 日本国内で起こりそうな犯罪については報告したけれど、海外で行われる予定の犯罪についての密会に関しては、録音データを集めるのみで報告はしていない。いざという時の切り札にしようと考えてのことだった。
 黒川さんには食事や休憩の際に、初日に助けてもらったことを理由にして何度か話しかけに行き、噂好きのハウスメイドの休憩と被った時間帯に合わせて、使用人宿舎の庭の隅で"告白"した。蕩けるような微笑みで"私もあなたのことが気になっていたの。両想いだったなんて、嬉しいわ"と言われてしまって、白河さんが楽しんでいることがわかっていてもつい赤面してしまった。
 隠れて見ていたハウスメイドや他の使用人を騙すには、とてもいい反応にはなったと思うけれど。ともあれ、これでお互いの部屋に行き来することが自然な状況が整ったので、連絡を取りやすくなった。
 良くも悪くも注目の集まる新入り二人の恋愛対象が異性でなかったことは、一日は使用人たちを困惑させたようだけれど、嫉妬の対象にもならないと踏まれたようで、値踏みするような視線はほとんどなくなっていた。白河さんは動きやすくなったことを喜んでいた。
 ドクターとの約束に関しては、白河さんに逃亡ルートを調べてもらい、ドクターの食事の合間にそこを見に行って、ドクターに下見の結果の経過報告をするということの繰り返しだった。白河さんはわたしの能力を鑑みて、ドクターに報告する情報とタイミングも指示してくれたので、怪しまれるということはなかった。
 わたしはこれから、ドクターを傷つける。フィンランド語を操れる珍しいメイド。逃亡の協力者。いろいろな理由が重なって、ドクターが心を開いてくれていることはわかっていた。わたしが辛いのは、演技をし続けることでもなく、悪意に晒されることでもなく、最後には彼を裏切ることなのかもしれない。公安で保護するとは言いながら、それは命だけの話であって。多分、ドクターが生きる目的である研究は続けられない。違法なドラッグをつくって売り捌いているのだから犯罪者ではあるけれど、研究のためにそうしただけで、わたしを助けようとしてくれていることからも良心というものは残っているのだろう。彼の人柄の良さは、素直に好感が持てるものだった。
 理由にしてしまうのは、申し訳なかったけれど。ドクターを裏切る理由を"公安がそうするように言ったからだ"と決めてしまえば、いくらか心は楽になった。きっと、零さんはそれを許してくれる。そんな気がした。
 逃亡ルートが固まってきてからは、どうやってドクターを誘導するかを決めてもらった。可能な限りわたしを一般人として通す。それが最も安全だからだ。けれど、何かの拍子にただ迷い込んだだけの一般人ではないと感づかれてしまう可能性も考えられた。そうなったら、すぐに助けを求めて、黒川さんかバーボンが駆けつけるまで時間稼ぎをする。何度も"逢瀬"と夜の定時報告の間に打ち合わせを重ねた。時間稼ぎの手段もわたしができる範囲でたくさん教えてもらって、必要なものも白河さんから支給された。……できれば使いたくない物ばかりだった。
 そうやって過ごして三週間が経ち、イベントの日がやってきていた。
 朝から使用人総出で慌ただしくしており、わたしも招待客の案内に忙しくしていた。一般人の客が立ち入ることのできる"表"のエリアを明確に区分けし、"裏"のエリアに立ち入った一般人がいれば連れ戻す。同様に、一般人の客の目を避けたがっている招待客が"表"のエリアに近づいてしまったら、声をかけて"裏"のエリアの奥の方へ案内する。この城に裏社会の人間が出入りすることを知っている一部の人間がその役目に就いていて、それは初日にわたしを案内してくれた執事も同じだった。
 パーラーメイドにのみ許されているハーフアップの髪型で、耳に突っ込んでいる超小型のワイヤレスイヤホンを隠してバーボンと白河さんに連絡が取れるようにしている。逃亡に必要な品は決めたルートの脇に隠してある。あとは合間を見て、わたしがドクターと合流してこのお城を抜け出すだけ。
 そうは言っても忙しく、休憩時間まではドクターの元に行けそうもない。
 "表"と"裏"の両方のエリアの境目、割り振られたエリアを見回る。女の子のはしゃいだ声が聞こえてきて、迷い込んできたのかとそちらに足を進めた。
 声の主は、少年探偵団の一員である歩美ちゃんだった。その隣に哀ちゃんがいて、こちらに気がつくと少し驚いた様子を見せる。

「千歳さん……?」

 歩美ちゃんは、今回の"中世ヨーロッパの文化を体験する"という趣旨の下、貸し出されたドレスを着ていた。対する哀ちゃんは、楽しむ気分ではないのか普段通りの服装だ。
 口元を緩めて、哀ちゃんに笑顔を向けた。

「あら、哀ちゃん。奇遇ね」
「哀ちゃん、このおねーさんは誰?」

 歩美ちゃんが、哀ちゃんの袖を引いて問いかける。

「この人は……、!!」

 優しく答えようとしていた声が止まり、哀ちゃんは目に見えて体を強張らせた。
 周囲に耳を澄ませると、耳慣れた声が聞こえてくる。

「ジン、ウォッカ。今回は僕一人での任務のはずでしょう。突然来て、一体何があると言うんです」

 ――バーボンだ。このエリアにいることは彼も知っている。敢えて喋り、わたしにジンとウォッカがいることを教えてくれている。
 きっと哀ちゃんは、彼らの気配を感じ取ったのだ。
 哀ちゃんと歩美ちゃんの手を引いて、手近にあった部屋のドアを開け、その中に二人を入れた。
 部屋の電気をつけ、ドアの蝶番側の脇に二人をしゃがませる。

「いい? わたしがここに戻ってくるまで絶対に動いてはだめ、声を出してはだめ。そうしないと、こわぁい貴族に攫われてしまうわ」
「え……?」
「死体になっておうちに帰りたくはないでしょう?」

 立てた人差し指を唇に当てて微笑んで見せると、歩美ちゃんは無言でこくこくと頷いた。
 "いい子ね"と歩美ちゃんの頭を撫でる。素直なこの子のことだ、イベントの一部であるとわかっていても聞いてくれるだろう。

「……っ」

 言うまでもなく静かになり震える哀ちゃんの頭も撫でて、立ち上がった。裾を払い、ドアを開けて電気を消す。
 ドアを閉めたところで、近くの角から姿を見せた黒ずくめの男たちが視界の端に入った。

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