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 空いている席と、足元に視線を向ける。
 こちらを悪意のある目で見るハウスメイドが、通路に足を伸ばしていた。
 黒川さんもそれを見て、ふっと口元に笑みを浮かべる。何をしたいのかはわかってくれたらしい。

≪おいで≫

 その確信を後押しするように囁かれたフランス語に、意を決した。
 気づかないフリをして歩き、そのハウスメイドのそばで黒川さんと手を伸ばせば届く程度の距離を取る。
 わたしを転ばせようと通路に伸ばされた足に、自分の左足を引っかけた。

「きゃ……っ」

 上手に転ぶフリなんてできないから、これだけは本当だけれど。
 黒川さんはすかさず自分のトレーを脇のテーブルに置き、わたしが持っていた方を手のひらで掬い取るようにして持ち上げ、剰えわたしの体まで受け止めてくれた。
 下手な転び方をしたというのに、受け止めても体幹がぶれないなんて。流石だ。
 ゆっくりと体を離され、顔を覗き込まれる。

「驚いた……大丈夫?」
「あ……はい、ごめんなさい、お怪我は……?」
「私はガードマンだから、転びかけたあなたを受け止めたぐらいでどうってことないわ。気をつけてね? ここには長い脚を持て余した方がとっても多いから」

 黒川さんは挑発的に笑って、わたしの足を引っかけたメイドの顔を見下ろした。

「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」

 お礼の言葉に黒川さんはにこりと笑い、トレーをわたしの手に返すと自分の分を回収して颯爽と歩いていく。
 後から追ってきたサラさんがわたしを心配する声を受けながら、黒川さんの背を見つめた。

「チトセ、大丈夫だった?」
「えぇ、今の方が助けてくださいましたから。……素敵な人ですね。サラさん、彼女のこと知ってますか?」
「え? あぁ、彼女がさっき話したエリよ」

 近くの空席に促され、席につく。
 食事の合間に、サラさんは黒川さんのことを教えてくれた。

「ガードマンの中で唯一の女性よ。一番の新入りだけど、強さは並大抵じゃないって噂を聞いたわ。ガードマンは仕事の中に訓練も含まれているから、そういうのがわかるの。でも意外ね、エリって結構冷たい人だと思っていたから、チトセを助けてくれるなんて思わなかったわ」
「……冷たい? 彼女が?」

 サラさんは苦笑した。

「他のメイドが嫉妬しているのはわかるでしょう? エリは強くて美人だし、気も利くの。メイドとしてもやっていけそうなのにわざわざガードマンを選ぶなんて、男漁りが目的なんじゃないの? ってね」

 強ち間違いでもない気がする。彼女はこの城にやってくる犯罪者を漁りに来ているのだ。
 ともあれ、いい話運びができた。

「……じゃあ、彼女には恋人はいないんですね?」
「えぇ、聞いた限りでは……って、チトセ? あなた、まさか……」
「あら、変ですか?」

 困惑を隠さなかったサラさんが、また苦笑いを浮かべて首を横に振った。

「いいえ、少し驚いただけよ。男の人に魅力を感じないの? ここにはいい男揃いだと思うけど」
「かっこいい、って感覚はわかりますが。……恋愛対象としては、あまり」

 ストーカー被害に遭ったことを思い出しながら、視線を逸らす。
 それで何かを感じ取ったのか、サラさんは話を切り上げて別の楽しい話をしてくれた。
 食事を終えてサラさんと別れ、ドクターに食事を運んだ。
 彼が食べている間はそばで待機することになっているので、午前中も座った丸椅子に腰を下ろした。
 改めて棚を眺めてみても、何が何やらさっぱりわからない。

≪僕の研究内容が気になるかい?≫

 声をかけられ、これは好都合だと頷いた。
 裏社会の人間がどんなドラッグに強い関心を持っているのか探る、いい機会だ。

≪えぇ、まぁ……興味本位ですが≫
≪そういう興味がのめり込むきっかけになりやすいんだ。恥ずべきことじゃないさ。……僕がしている研究は二つ。一つは本命、一つは資金集めの手段≫
≪資金集め……≫
≪今はこの城の主が面倒見てくれるからいいけどね、研究資金もバカにならないんだ≫
≪……なるほど≫
≪で、資金集めの手段になってるのがそのビンの中身の錠剤≫

 部屋に入って左側の机を指差された。その上には言ったとおりガラスのビンが置いてあって、小さな白い錠剤がぎっしりと詰まっていた。
 一見すれば普通の薬だけれど、その効能はわからない。

≪……医療用ですか?≫
≪まさか。薬で金を集めるなら、依存性の強い物の虜にしてやるのが一番だろう? 君がイメージしやすいものと言ったらヘロインかな。快感、精神的依存、身体依存、どれも高評価のドラッグだよ。試してみるかい?≫
≪いいえ、結構です!≫

 慌てて拒否すると、ドクターは声を立てて笑った。

≪はは、それが賢明だよ。僕も試したことなんかない≫
≪……それで、もう一つの本命の研究というのは?≫

 こほんと咳ばらいをして問いかけると、ドクターはぱっと顔を輝かせた。

≪人体の活性化に関する研究だよ! 怪我が治るのに時間がかかるのをもどかしく思ったことはないかい?≫
≪え、えぇ……≫
≪部分的に活性化させて、怪我をすぐに治すことはできないかと思ってね≫

 もしもそれを全身に、それも怪我などしていない状態で使うことができたら。
 再生を通り越して、成長に至るのではないだろうか。
 APTX4869は若返りや不老不死に関する薬なのではないかという考察を見たことがあるし、ドクターもその研究を応用したくて組織に引き入れられたのかもしれない。尤も、彼の研究は人体の時を"進める"方にはたらくようだから、真逆ではあるようだけれど。

≪怪我が即座に治る……ですか。それは魅力的ですね≫
≪そう思うだろう?≫

 ドクターは嬉しそうに笑って、料理のなくなった皿をトレーの上で重ねた。
 半日で、重要そうな情報はかなり取れたと言っていい。
 空になった食器を載せたトレーを回収し、ドクターの研究室を出た。

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