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 丸眼鏡の奥から覗く鋭い視線に、自然と背筋が伸びた。
 何を言われるのかという緊張が走る。

≪でも君のその語学力はいけないな、身の振り方に気をつけないと、口封じに殺されるよ≫
≪え?≫

 ドクターの口から飛び出てきたのは、わたしへの警告だった。飛び込んできた物騒な言葉に、目を瞠る。
 顔をじっと見ると、ドクターは困ったように笑んだ。

≪……君はどうしてこの城に?≫

 穏やかな口調と表情でありながら、こちらを見る視線だけがいやに鋭い。
 膝の上で揃えていた手を胸の前で緩く握り、視線を逸らす。ただならぬ雰囲気だけは感じ取っている、という演出のために。

≪条件のいいアルバイトを探していて……それが、ここで≫
≪まったく、それだけの語学力があるなら普通に通訳でもしていれば良かったのに≫

 良かった、ドクターの目にはわたしはただの一般人としてしか映っていないらしい。
 さて、まるでわたしの命に先はないと言いたげな雰囲気だ。
 視線を床に落として"どうすれば"、と零すと、ドクターは小さく溜め息をついた。

≪……三週間後に人を招くのは知っているかい≫
≪! えぇ、そのためにたくさん人を雇ったのだと伺っています≫
≪その通り。裏社会の人間が来るんだけれどね、その中には広い表の顔を持つ人間もいる。そのカムフラージュのために、一般人も大勢招待されるのさ。城は大忙しになる。僕はその隙をついて逃げようと思っていてね。どうだろう、僕の頼みを聞いてくれるなら、一緒に連れて行ってあげるよ≫

 コナンくんが来そうなイベントである。ちょっと勘弁してほしい。
 組織の人間も来るのだし、そうなると殺人事件よりは組織について探りを入れてくる方だろうか。
 いやいや、安室透が毛利探偵の弟子になったばかりだというのなら、まだバーボンの存在すら掴めていないはず。
 ミステリートレインまでは大きな組織絡みの事件はなかったと記憶している。そうはいっても、わたしがコナンくんとは事件の容疑者、被害者として接してしまっているから、原作にあったかどうかは当てにすべきではないか。
 ……零さんに最近車を壊さなかったか訊いてみるべきだろう。それが目安だ。
 それはさておき、彼が逃げる算段を立てているのは好都合だった。わたしが聞ける頼みなら聞いて、一緒に逃げて公安に保護してもらえば手っ取り早い。

≪……その、頼みとは≫
≪この城、ヨーロッパからそのまま移築してきてるんだ。王族が侵入した敵から逃げるために用意されていた地下通路まで、そっくりそのままね。書庫にその見取り図があるはずだから、外までの最短距離を割り出して下見をしてほしい≫
≪下見?≫
≪あぁ、ところどころ埋もれているはずだからね≫

 これはわたしがやるのは危険そうだ。
 白河さんにお願いすることになるだろうか。

≪……わかりました、やります。だから……助けて、ください≫

 助けを求める言葉は、少し震えた。
 まさか、零さんより先にこの言葉を言う相手ができるだなんて。
 もちろん嘘ではあるけれど、割り切れないのはわたしが未熟だからだろうか。

≪あぁ、君一人ぐらいならなんとかできるだろうさ。さて、そろそろ昼食の時間のはずだ。君は休憩をとって、それからまた食事を持っておいで≫
≪はい、……それではまた後で≫

 椅子から立ち上がり、会釈をして部屋を後にした。
 静かな廊下に足音が反響するのを聞きながら歩き、来た時にも通った円形の塔に差し掛かる。念のためレコーダーの電源を入れ直して、階段を上った。
 事務室に戻るとサラさんが出迎えてくれて、昼食休憩にしましょう、と誘われた。
 彼女はわたしの仕事の内容を把握しているらしく、ドクターの食事が終わったら仕事を教える、と言ってくれた。本心でどう思っているかは知らないけれど、仕事を円滑に進めてくれるのなら良かった。
 使用人用の宿舎に戻り、食堂に向かう。

「チトセには午後から手紙の翻訳をお願いしようと思うの。電話や来客応対については、また声をかけるから」
「わかりました」
「後輩なんてできるのは初めてよ! 嬉しいわ」
「わたしもずっと個人でやっていたから……うれしいです」

 屈託なく笑うサラさんは、きっと良い人だ。
 食堂に着いて、両開きの扉の片方を開け中に入る。昼食休憩の時間だからか、随分と混んでいた。
 三人ずつ向かい合って座る六人がけのテーブルが、広いホールに等間隔に並んでいる。
 がやがやと騒がしい人たちの間を通っていく合間に、黒川さんの姿を見つけた。
 ハウスメイドが噂する声も、耳に飛び込んでくる。その声に反応した周囲の使用人から、視線が集まるのがわかる。
 奥のカウンターで食事を受け取っている途中で、隣に立ったサラさんがこそりと耳打ちをしてきた。

「あの〜……、チトセ? あんまり気にしないでね、新入りなんてエリ以来で久しぶりだから皆珍しく思ってるのよ」
「ありがとう、平気です」

 笑って見せると、サラさんはほっとしたように息をついた。
 食事を終えた黒川さんが、席を立って空の食器が載ったトレーを手に返却口の近いこちらへ歩いてくる。
 ちょうどその辺りの席が空き始めたし、そちらに向かうのがいいだろう。中間に、噂話の発端となったハウスメイドもいる。
 サラさんに"入り口の方が空きましたよ"と声をかけて、歩き出した。

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