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 山奥の古城。コナンくんが何かの用事で来ようものなら、間違いなく殺人事件が起こりそうなシチュエーション。
 中世ヨーロッパを思わせる佇まいの城を見上げ、ほうと溜め息をついた。
 米花駅前まで迎えが出たのはありがたいけれど、同時に帰る手段も取り上げられている点は惜しい。

「ミス・穂純、ここが今日からあなたの職場となります」

 迎えてくれた執事に声をかけられ、視線を前に戻して頷く。

「はい」
「まずはあなたの部屋に案内しましょう。そちらで制服に着替えて、仕事を始めます」

 荷物を肩にかけ直して、キャリーバッグを転がしながらあとを追いかける。
 入り口の脇に、軍服に似たガードマンの制服に身を包んだ黒川さんが立っているのが見えた。あちらもわたしのことを認識しているのかぱちりと目が合う。会釈をするに留めて、横を通り抜けた。
 内部にも石畳が残り、足元には気をつけなければならなそうだ。
 エントランスを抜けて廊下を通り、裏口から中庭に出て、使用人用の宿舎へ。ここには食堂、大浴場、シャワールーム、洗面所にトイレとあらゆる設備が整っているらしい。
 部屋に案内されて、荷物の整理と着替えを済ませるようにと言われた。二時間後にまた迎えに来るという言葉に頷いて、ドアを閉める。
 綺麗に掃除されていて埃ひとつない部屋だ。使用人宿舎はお城と違い新しさがあって、日本らしく入り口で靴を脱いで上がる仕様になっている。床はフローリングで、壁はシンプルで落ち着きのある白に限りなく近いベージュ色だ。シングルベッドと机と椅子、それからクローゼットが置かれていて、机の上には使用人宿舎のルールが書かれた冊子が置いてあった。ドアの横には姿見が貼りつけられている。
 何はともあれ、室内のチェックだ。持ち込んだスマホのライトを灯しながら、机に備えつけられた引き出しや、クローゼットの中と裏、ベッドの布団の隙間や下を探っていく。零さんのアドバイスに従って気にしてみたけれど特に変わった物はなく、盗聴や盗撮の心配はなさそうだと息を吐いた。
 クローゼットは下に二段の引き出しがあり、上はハンガーをかけて服を収納するスペースとなっている。その上のスペースに、ハンガーにかけられた制服が収まっていた。
 臙脂色のロングワンピース、ワンピースの生地と同じ色の刺繍が襟に施されたブラウス。白いフリルエプロン。部屋の入り口に置いてあるのは、おそらくはごつごつした石畳から足を保護できるようにと気遣いがされた編み上げブーツ。ホワイトブリムもある。これから毎日着ることになる制服を眺めて、溜め息が漏れた。

「なるほどねぇ……」

 エントランスには、確かに臙脂色のメイド服を着た女性がいた。使用人宿舎では紺色のメイド服を着ていた人とすれ違ったから、おそらく来客応対に特化しているパーラーメイドと、その他のメイドとで色を分けているのだろう。
 キャリーバッグの中にはUSBメモリを入れるための鍵つきの小箱があるから、タオルや下着類はその中に残して、小箱を隠すように置いておく。その他の服はクローゼットに仕舞って、鏡と警察庁から支給されたノートパソコンは机の上に置いた。パソコンにロックはかかっているし、そもそもデータも入れないようにすることになっている。ネットにも繋いでいないので、心配する必要はないだろう。
 荷物の整理も終わったので、支給された制服に着替え、髪をまとめた。化粧については、吊目ラインは最低限必要なものとして、あとは控えめだ。グロスはやめて口紅にしている。
 ブーツの紐も調節すれば、準備完了だ。
 部屋のチェックという慣れないこともしていたため、迎えの時間はすぐそこに迫っていた。
 姿見で全身をチェックして、ひとまずは見られたものだろうと判断した。
 そうこうしているうちにドアがノックされ、執事が迎えに来たのだとわかった。

「ミス・穂純、準備は整いましたか」
「はい」

 ドア越しにかけられた声に返事をしながらブーツを履いて、ブラウスの胸ポケットに挿しているペン型のレコーダーの電源を入れ、ドアを開ける。
 執事はわたしの頭のてっぺんから爪先までを眺め、深く頷いた。どうやら合格らしい。
 パーラーメイドとしての仕事については教育係がつくとのことで、先に別の仕事について教えたいと言われた。
 エントランス脇の事務室には挨拶にだけ行き、サラさんというわたしより二つ三つ歳が上らしい女性の教育係と顔を合わせた。
 お城では基本的に日本語が使われているらしいけれど、雇われている人間は国籍も様々なようだ。
 午後から仕事を教えるようにとの執事の指示に頷いて、サラさんは"また後でね"と手を振ってくれた。
 現場でどうにもできないことがあったら相談しに来る執事の部屋だとか、賓客をもてなすための料理を作る厨房だとか、寄り道をしながら、お城の奥の方へと連れていかれた。
 お城の四隅にある円形の大きな塔に近づき、一体何なのだろうと首を傾げる。
 石造りの壁にはめられた木製のドアが開けられ、螺旋になっている階段が目に飛び込んできた。
 先導する執事に続いて、その螺旋階段を降りていく。雰囲気を損なわないためか、背の高い執事の頭より少し高い位置に転々と取り付けられているライトはカンテラのようなかたちをしているけれど、電気で灯されているようだった。

「貴方にはこれから向かう部屋にいる人物の世話をお願いしたいのです」
「お世話を?」
「とはいっても、食事を運び、夕食の後には入浴をするように声をかけてもらえば結構。食事を運ぶのは貴方の休憩の後でかまいませんし、入浴も声をかけてさえもらえれば本人が自分でやります。ただ時計の役割を果たしてほしいのです」
「なるほど」

 時計の役割ぐらいなら、わたしにも務められるだろう。
 しかし、わざわざそんな役割の人間を割り当てるほどとは、どういうことなのだろう。

「……その人物がどのような方か、お伺いしても?」
「旦那様が召し抱えていらっしゃる、フィンランド人の科学者です」

 執事は淡々と答えた。なんでもないことのように、淡々と。
 しかしわたしの、ひいては公安の目的のひとつはそのフィンランド人の科学者だ。そう何人も召し抱えているはずがなし、当たりの可能性が高い。

「面接であちらの言語も少しは操れると言っていたと聞きました。話ができるといいですね」
「……はい」

 そうとは気づかれないように気を引き締めながら、激励なのかわからない言葉に返事をした。

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