01

「なにしてるの? このテーブルで賭け事なんて、"身ぐるみ剥いでください"ってお願いしているようなものよ?」

 冷えたグラスをテーブルに置いた手が、そのまま頬に触れてきた。細い指はひんやりとしていて、テーブルを包む熱気に対して心地がいい。
 "いるな"とは思っていたが、まさか声をかけてくるとは。
 今日は沖矢昴として来るわけにも行かず、いつもは後ろに撫でつけている髪を下ろし、サングラスをかけてワイシャツの代わりに着ているパーカーのフードを深く被って顔を隠すという手段に出ていたのだが。……いや、耳のいい彼女のことだ、声を聞いて俺であると判断し、格好を見て確信したのだろう。名前を呼ばずにいてくれるのもありがたい。
 蠱惑的な笑みを浮かべて頬をなぞる姿に、テーブルを囲んでいた男たちからどよめきが上がる。
 負け続きのゲームから周囲の意識を逸らしてくれたことはありがたく受け取り、ウイスキーの入ったグラスに手を伸ばした。

「……そのようだな。君はここで何を?」
「アルバイト兼情報収集。ときどき手伝いにきてるの」

 すとんと右隣に腰を下ろし、腕に抱きついてくる。
 スリットの入ったドレスで脚を組むと際どいところまで白い肌が見え、今度は男たちが生唾を飲む音がそこかしこから聞こえてきた。

「自由だな」

 通訳や翻訳以外にも外国人が多く集まるバーでのアルバイトをしていたこと、鋭い耳で情報収集をしていること、俺の隣につく勤務態度、俺が隣にいるからと挑発的な仕草。
 すべてに対してそう評価すると、カードゲームで負け続ける情けない男に絡んできた物珍しい女――千歳――はくすりと笑った。

「個人事業主の特権よね。なにか手伝う? ちょうど十時を回ったし、アルバイトは終わりなの」

 だからここに落ち着いたのか。
 とはいえ助かったのも事実だ。日本で違法となるレベルにまで及んでしまった賭博を繰り返すのも止めにしたい。

「……どうすれば勝てるかわかるか?」

 尋ねると、千歳はきょとんとして目を瞬かせた。

「ギャンブルにムキになるなんてらしくない。何を賭けたの」
「情報だ。ここでこの男から情報を得てこいとジョディに蹴り出された。カードゲームで勝つ以外に情報が得られないことはわかったが、ルールがわからん。何度かやっても掴めない」

 やっているのはポーカーのはずだが、ローカルルールらしきものが多すぎてよくわからない。ベットできるときとできないときがあり、ここからベースをジャックオアベッターとしているのだろうということはわかった。しかしベットするタイミング、回数、チェンジを許される枚数がわからない。
 ルール違反を止められはするが、誰も言葉で教えてはこない。
 結果、ルールを理解しきれずに負けが続いている状況だった。一度のベットでこちらが賭ける金は少額、相手が賭けるものは情報ひとつ。痛手ではないが、いい加減この状況にもストレスが溜まってきていた。囃し立てるギャラリーの声も耳障りだ。
 吸い切った煙草を灰皿に押しつけ新たに火をつけると、千歳は苦笑した。

「ここのバー特有のルールがあるもの。彼はそのルールに最も精通していて、ポルトガル語しか話したがらない。彼に挑めばルールがよくわからないまま負かされる。ちゃんと説明はしているのだけれどね、ポルトガル語で。新参者が浴びる洗礼よ」
「……ふむ」
「Ei senhor! Posso ensinar-lhe a regra?」

 何やら千歳が俺を指差しながら相手と話し始めた。

「Você fala português!? Sim, sim, isso seria legal! Estou tão entediado.」

 対してこれまでつまらなそうに俺の相手をしていた男は喜色満面に受け答えし、手振りで"どうぞ"と伝えてくる。

「"彼にルールを教えてもいいかしら"って訊いたの。そうしたら、"ポルトガル語を話せるのか? いいな、ぜひそうしてくれ。退屈していたんだ"ですって。自分も英語を話せるのに、面白い人ね」
「……面白くはないんだが」
「ふふ。情報を得たら、ついでに取り戻しましょう。わたしとの一夜を賭けるなんてのはどう?」
「自分の金で十分だ。勘弁してくれ」
「あら? 背水の陣が敷けていい案だと思ったのに」

 ころころとよく笑う姿は、この店の常連である客たちには珍しいようだ。
 自分の女に周囲の人間が見惚れるのは気分がいいと思わなくはないが、不躾に脚を眺める視線は気になる。

「千歳、脚を組むのはやめてくれ。視線が気になって仕方がない」
「もういいかしらね」

 本当に視線を自分に集めるためだけにやっていたことらしい。
 千歳が組んだ脚をあっさりと解いて行儀よく座り直すと、そう指示したことを理解できたらしい人間からブーイングが飛んだ。

「マスター! アレキサンダーをお願い」
「はいはい。その人は彼氏さん?」
「そうなの。いい男でしょう?」

 抱きついている腕にご機嫌に頬をすり寄せてくるのはいいのだが、マイペースさに周囲がついていけていない。
 カウンターの中から受け答えをするマスターは、酔って一人街の中を歩くことはないということを確認したうえでカクテルの準備を始め、苦笑した。

「さっきから負け続きだけどね」
「これから勝つからいいのよ」

 千歳がディーラー役を務める男に目配せをすると、カードが配られた。

「基本はエイトオアベッターのルールね。8のワンペア以上の役がないとベットできない。基本的にディーラーの左手側からベットを始めるから、今回はずっと相手の側から。どちらもベットできなければ、強制的に配り直し。ベットは手役に制限のあるこの一回と、枚数制限のない一度目のチェンジのあとにできるわ。三枚までしかできない二度目のチェンジのあと、勝負になる」
「……普通のルールだな」

 賭けるものが違うので、レイズがない点は異なるが。

「そうよ、一般的なルールの組み合わせなの。だからこそ厄介よね。――勝負に集中してちょうだい、彼の相手はわたしがするわ」

 最後の囁き声に頷いて、手元のカードに視線を落とした。
 ルールさえわかれば手っ取り早い。相手が陽気に千歳と会話を弾ませるのを横目に、ゲームをこなしていく。
 不意に、千歳が俺の胸ポケットに手を伸ばしてきた。煙草の箱を取るついでに仕込んでいたレコーダーのスイッチを押されたのがわかる。一本だけ取り出すと箱を戻してきて、そのまま咥えて周囲の男に火をねだった。
 ……何か千歳が気にしている情報が手に入りそうなのか。
 気にせずゲームを続け、五本勝負でようやく三回勝ったところで、ひとつ息を吐いた。

≪長かったなぁ。俺は長引けば長引くほど得をしたから嬉しいがな!≫

 大口を開けて豪快に笑う男に、つい苦い顔をしてしまう。どうやら英語で話をしてくれるようだ。

≪しかし、バイトの姉ちゃんはなんでポルトガル語を話せるって教えてくれなかったんだ?≫
≪知り合うとタダで通訳してくれとか言ってくる人も一定数いるのよ。そういうのを避けるため。本職は通訳や翻訳なの≫
≪なるほどなぁ。さて、そんな姉ちゃんが心底惚れているらしい色男の兄さんは何が知りたいんだ≫
≪"クイーン"について≫

 目の前の男と、こちらから見て右奥のテーブルにいた四人の男の纏う雰囲気が変わった。
 千歳もそれを感じ取ったのか、吸いさしの煙草を消して絡めてきた腕を解く。

≪……何のことかわかって聞いてんのかい≫
≪もちろん。ある女を指す言葉だろう? ここで言ってもいいなら言うが、どうする≫

 "クイーン"は武器に麻薬にと、金儲けのためにあらゆる商売に手を出している女を指す。アメリカで各地のギャングに売って回り、日本に渡ってきて都内を中心に反社会的組織にそれらを流し始めた。手を出せばその地域一帯を支配する、女王として君臨する。そういう意味で、"クイーン"という言葉で呼ばれている。いずれは組織にも接触を図るのではないかと危惧して、日本に滞在するジェイムズに探るように本国から命令が来た。
 一度はキャメルを送り込んだが、初めの俺のように負けてしまったらしい。何の対策も講じずに"行け"と言われて困り果てていたのだが、キャメルは一方的に千歳の顔を知っている、ということになっている。アルバイトをしていることに気がついて俺なら助け舟を出してくれると踏んだのだろう。
 このテーブルはターゲットの定位置、しかも毎晩いるらしい。ジョディが日時を指定してきたのは、千歳のアルバイトの時間と合わせるためだ。

≪良くねぇな、あぁ、良くねぇ。だが教えないのはルールに反する。俺はルール違反は嫌いなんだ。姉ちゃんに話してもいいかい?≫
≪あぁ≫

 案の定、千歳の力が必要になった。
 不味くなった煙草を灰皿に捨て、新しい煙草を出すついでにレコーダーのスイッチを入れ直した。
 話を千歳に任せ、周囲を警戒する。あの四人以外には、不審な様子は見受けられない。
 こそこそ話す声は聞こえてくるが、内容まではわからない。千歳の耳は拾えているだろうに、顔色一つ変えないため判断ができない。
 つくづく諜報能力に長けた女だ、と思う。会話を聞かれていることを相手に気づかせず、仕掛けてくれば万全の対策を施しておけるように、常にこっそり手を回している。ここは彼女の番犬に徹した方が良さそうだ。
 吐き出した紫煙を眺めながら、耳慣れない言葉で情報を聞き取っていく千歳の声に耳を傾けた。

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