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 目を覚ますと、視界に飛び込んできたのはホテルのベッドルームの天井。
 ぼーっとそれを見つめていると、横からくすりと笑う声が聞こえた。

「おはよう」

 子守でもするかのように頬杖をついて寝転がっていた零さんは、寝ぼけるわたしの頭を撫でて体を起こした。

「起きられるか?」
「んー……」

 なんだかまだ寝ていたいような、でも零さんに起きるように言われているのだから起きなくちゃいけないような。
 ぐずぐずする思考のまま寝返りをうって体を起こすと、腰に鈍痛が走った。

「……っ!?」

 思わず腰を押さえ、蹲る。
 待ってこれは予想してなかった。正直あのときより痛い。
 というかこれ、脚も筋肉痛みたいになっている気が。

「零さん……、どうしようすっごい筋肉痛」

 零さんは苦く笑って、体を起こすのを手伝ってくれた。

「……普段使わないところに力が入るからな」

 そういえば、汗みずくになったはずの体がさっぱりしている。シーツもきれいだし、まさか。

「全部、やってくれた……?」
「あぁ、起きなさそうだったからシャワーも浴びさせた。これも予想がついたしな」

 腰をさすられて、少しだけ痛みが和らぐ。
 日頃の運動量の少なさがこんなところでマイナスに出るのかと恨めしい。
 この痛みを抱えながらシャワーを浴びなくていいことは、本当にありがたかった。

「ありがとう……」
「どういたしまして」

 少しだけぐだぐだとくつろいだ後、眠気を飛ばすために洗顔をした。眠気も覚めて、ブラウスとロングスカートに着替える。
 ふらふらとリビングルームに向かうと、ルームサービスの朝食が届いていた。スマートすぎて何も言えない。
 零さんと一緒に朝食をとって歯を磨き、すっかり頭も体も目が覚めた。
 ソファでくつろぎながら紅茶を楽しんでいると、部屋の外に食器を出してきてくれた零さんもコーヒーを片手に隣に座った。

「示談書は今日、相手の親のところへ持って行く」
「わかった。あれで大丈夫」
「そうか、満足いく結果になったなら良かった」

 ひとまず、これでストーカーに関しては怯えなくても良さそうだ。
 マンションの工事が終わる頃には、世間の注目も遠ざかって記者も取材をしなくなるだろう。
 出かけるまでは時間があるそうなので、これから手伝わせてもらう仕事のスケジュールを確認した。
 二週間後に面接があって、その一週間後に雇用契約がスタートする。それから三週間の教育期間があって、それが終わったら目的としている来客がある。
 それがパーティーなのか会合なのかはまだわかっていないそうだけれど、それは中にいれば自ずとわかってくる。
 わたしがやることは、仕事の調節ぐらいらしい。面接のための経歴については降谷さんたちが考えてくれる。
 あとは引っ越しと、コナンくんをはじめとして助けてくれた人たちにお礼を言って回ることぐらいだろうか。

「……しばらく会えなくなるな」
「あら、そんな風に言ってくれるの?」
「頻繁に会える白河さんや風見を羨ましいと思っていたのは前からだ。言える関係になったから口にしただけだよ」
「知らない人のふりはするけれど、会うくらいはできるでしょう? 情報の受け渡しもあるんだし」

 それでも、知らない人のふりをしたり、安室透として接さなければならないのは不満なようだ。
 場所が限られているとしても、思ったことを素直に顔に出してくれるのはうれしい。

「……家に行ってもいいか?」
「ふふ、いつでもどうぞ」

 元々家にいたりいなかったりと自由なライフスタイルにできる仕事だ。
 コナンくんたちの目さえ避けられれば、会うのは何も問題ないし、わたしだってうれしい。
 まだしばらくはホテルに滞在しなければならないので、降谷さんは警護は白河さんに交代をするけれどまた会いに来ると言ってくれた。
 どうやら降谷さんの方も少し忙しくなるらしい。米花町に拠点を移すための準備だろうか。訊いても教えてもらえないことはわかりきっているので、あえて訊くこともしないけれど。
 出かける降谷さんを見送って、備えつけの簡易キッチンで二人分のカップを洗った。
 今後の日程も決まったし、そうと決まればエドにフィンチ・ハイランド・ウイスキーをお願いしなければならない。ダースで送りつけようか迷ったけれど、どうせならと"おすすめのウイスキーの詰め合わせを送ってほしい"とメールをしておいた。新しい管理人さんはもういるらしく、昨日引越し費用の見積もりと一緒に連絡先も教わっていたので荷物の受け取りをお願いするメールも送っておく。
 あとは引っ越しの後、百貨店に行って哀ちゃんへのお礼を購入して。コナンくんとは一緒に本を買いに行くと約束したので、予定を合わせなければならない。
 スケジュールをしっかり考えて落ち着くと、昨夜のことが思い出された。
 ――これから先どうなっても、零さんのことが好きであることは変わらない。それを信じてほしい。
 拙い言葉で伝えた内容に、零さんが泣きそうな顔をしたように見えたことは記憶している。
 今後の行動については曖昧に濁すのに、気持ちだけは素直に表現してくるから、悩んでしまう。
 これからどうなるのだろう。わたしの知らないところで、どんな思惑が動いているのだろう。
 それは零さんをはじめとして警備企画課の人が教えてくれることはないし、今の段階では誰かに相談することもできない。もしかしたら風見は、わたしの事情は知っていても、処遇のことにはあまり詳しくないかもしれない。
 ずっと先の、コナンくんと赤井さんがバーボンの正体を暴くまで、そして、赤井さんがわたしに生きていることを明かしてくれるまでは。
 バーボンの正体を暴くことは、確実だろう。イレギュラーなわたしに関する事件を難なく解決して見せたのだから、彼らの実力が本物だということははっきりわかっている。
 けれど、赤井さんがわたしに生きていることを教えてくれるときが来るには、いくつも壁がある。零さんにとってのアドバンテージを残しておくために、可能な限りわたしのことは伏せておくこと。わたしが赤井さんを信頼できると思っていても、これまで嘘をつき、ごまかしてきたわたしのことを赤井さんやコナンくんは信じないだろうということ。だから、きっと生きていることを教えてはくれない。
 警備企画課の外から物事を見られる立場の人に何かを相談するとしたら、その相手として選べるのは赤井さんしかいないのだとわかっている。頼りにできて、おそらくは親身になってくれて、そして何より、優しいから。
 それでも零さんに一番に利益をもたらせるようにと考えるなら、彼らの追及はかわし続けるしかない。
 もしかしたら永遠に、誰かに相談できるときなんてものは来ないのかもしれない。そうだとしても、わからないなりに考えて、自分の答えを出そうと決めた。いつか帰るのならば幸せだったと言える結末を、ここに留まるのならば零さんと一緒に苦しむだけの覚悟を。
 あの零さんの泣き出しそうな顔が、脳裏に焼きついて離れない。

 嘘をつこう。この恋を楽しんでいるのだと。
 隠し通そう。この恋を楽しんでいないことは。

 部屋のドアをノックされて、かけられた白河さんの声に返事をしてからひとつ深い呼吸をする。真っ暗なスマホの画面に笑いかけて、そこに映る自分がこれまで通りに笑えていることを確認し、顔を上げて開けられたドアを振り返った。

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