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「なんというか……降谷君、……やるねぇ」

 一通り話を聞いた白河さんは、苦笑混じりに溜め息をついてそんな感想をこぼした。同感だ。
 話し終えて落ち着いたので、紙皿とプラスチックのフォークに手を伸ばしてショートケーキに手をつける。
 なめらかで舌触りが良く、上品な甘さがとろけるクリーム。ほのかに卵の味を感じさせ、それでいて主張の強くないふわふわのスポンジ。歯を立てるとじゅわりと零れる苺の甘酸っぱい果汁。

「おいしい……」

 噛みしめるように感想を口にすると、白河さんは破顔した。

「良かった。普通にご飯食べられるみたいだし、美味しいものがいいかなって思って買ってきた甲斐があったよ」
「ありがとうございます。……ところで」
「うん?」

 つい先ほどのできごとを思い返してみて、とても大事なことを言い忘れている気がした。

「……降谷さんって、その……経験ない相手とか、めんどくさがるタイプだったりします……?」

 おずおずと訊くと、白河さんが"へ?"となんとも言えない声を零しつつモンブランケーキを崩す手を止めた。
 白河さんはひくりと口の端を引き攣らせて、わたしをまじまじと見る。

「え、穂純ちゃん、嘘でしょ……? その顔で? あの趣味で?」
「この顔とどの趣味のどこが悪くて経験豊富に見えるんです!?」

 半ば悲鳴のような声だった。
 まさか、年齢に関してサバを読んでいるというだけでなくそんな誤解まであったなんて。本当の自分を隠し通せていたことを喜ぶべきところなのか、よくわからなくなってきた。
 白河さんはケーキを一口食べて、苦笑いで溜め息をついた。

「いや、穂純ちゃんさ、なんていうか……顔だけじゃなくて、自分磨きに余念がないでしょ? それで、おしゃれして女一人でバーで飲むのが趣味だったわけだ。で、穂純ちゃんに声をかけるタイミングを探すにあたっての張り込み前、"この子すっごいワンナイトラブをエンジョイしてそう。降谷お前行ってこいよ"っていう空気になったんだよね」
「その場合は"安室さん"として来て、わたしは全力で断ってましたね……」

 潜入捜査をしていないらしい風見だったからこそ、わたしも話を聞く気になったのだ。
 白河さんもそれは理解していて、けらけらと笑った。

「そうなんだよねぇ! 風見君が正解だったんだよ!」
「どうやって風見まで話を持っていったんですか?」
「トラウトを捕まえるための協力者として、まず穂純ちゃんが浮かんできたんだ。パーティーの主催であるクラウセヴィッツ氏が、娘のように大事に思っている通訳者。そして、警視庁に保管されている調書に書かれた、宇都宮光莉さんを危険を冒してまで助けたという善性。協力を願い出るのに不足はないって話になってね。で、わたしはちょっと別件で忙しくて、降谷君も目立っちゃうから昼日中から張り込むわけにもいかなくて、結局警視庁公安部に指示を出して風見君が日中の穂純ちゃんの様子を張り込んで、私や降谷君は夜にバーで気づかれない程度に観察してたの。で、ナンパされてるところに遭遇して。どうするのかなって思って見てたら、すげなく断っちゃうし。しつこい相手は仲の良いバーテンダーに上手く対処してもらってるし。……これはナンパされるの好きじゃないなってなったわけ。その段階では、まだ"でも安室透が行けばなんとかなるんじゃね?"って空気だった」

 班内で、見目が良くて相手に取り入るのもうまい降谷さんか、同性ですぐに仲良くなれるだろうと思われた白河さんか、草食系男子の見た目をした藤波さんを外に蹴り出すか、だいぶ議論されたらしい。
 何せ失敗の許されないファーストコンタクト。うっかり人選ミスをして信用を得損ねようものなら、トラウト逮捕への最短距離を封じてしまうことになる。
 そんな中、風見がわたしの日中の行動について報告を上げ、一気に見方が変わったらしい。

「報告聞いた限りだと真面目な感じだったし、下手に取り入ろうとしないで"お仕事全開で行った方が効果的なのでは?"っていう意見になったんだよね。直球で聞きに行くのも不安な感じはあったんだけど、"駄目ならせめて危害を加えないことぐらいは信じさせてこい"っていう言葉とともに送り出した風見君が、見事的中。後日穂純ちゃんの本当の話を聞いて、穂純ちゃんが知っている風見君が、身分を偽らずに直球に仕事に関わることだって伝えられたから上手くいった、ってわかってほっとしたよ」

 そんなことがあったなんて知らなかった。
 ……あれ、でも、ここまで聞いたところで何も解決していない。
 白河さんは未だに未経験ではないと思っていた。

「あの、今の話だと、わたしは別に遊び人ではないと思うんですけど……」
「いや、本当の話を聞いてから評価が戻ったよね。穂純ちゃんにとっての別世界でそれはリスクにしかならないから、帰れるまで封印してるだけかなって」
「あぁ……、なるほど……」

 とりあえず白河さんが抱いていた誤解は解けた。やむを得ない誤解のされ方だった。

「いいんだね?」
「……はい」

 真剣な声色での問いかけに、こちらも同じように頷く。
 いつか離れてしまうのなら、今だけでもできることをしておきたい。それは本心だ。

「……いつもは降谷君の都合だけど、少ししたら穂純ちゃんの方が会えなくなる。ちゃんと話しなよ? 大丈夫だよ、彼が優しいのは知ってるでしょ?」
「う、はい……」

 頷くと、白河さんはもう一度"大丈夫だよ"と優しい声で言ってくれた。


********************


 夕方ホテルにやってきた警察は、聴取を部屋で済ませてくれた。午前中のうちに、藤波さんから情報共有をしてもらった白河さんが代わりにマンションで詳細な状況を話してくれていたらしい。それが合っているか、情報の不足がないかの確認だけで、あっさり聴取は終わったのだった。
 夜になって白河さんが帰った後、ご飯を食べてからゆっくりお風呂に入った。入念に体の手入れをして、湯船に浸かって心を落ち着けて。
 縁に腕を載せて、その上に顎を載せる。
 興味がないわけじゃなかったけれど、学生時代は縁がなかったし、就職してからは仕事が楽しくて恋人が欲しいなんて思いもしなかった。
 降谷さんが優しいことは知っているけれど、心のうちで面倒だと思われやしないかと、不安にもなる。
 のぼせてもいけない。思考に耽る頭を振って、お風呂から上がることにした。
 お気に入りのバニラの香りを纏って、スキンケアをして。化粧は崩れるのが怖いし、すっぴんも知られているからいいだろうとやめた。お風呂上がりで乾燥する唇にだけ、色つきのリップクリームを塗っておいた。
 ベッドルームを抜けてリビングルームに戻ると、ソファに降谷さんが座っていた。

「無事終わった」

 ひらりと見せられた紙を受け取り、確認する。示談書に、昼間お願いした条件をしっかり満たした内容が書いてあった。

「二枚ともにサインと捺印をして、一枚を相手に返せば成立だ。よく読んでそれで良ければ、済ませておいてくれ」
「わかった」

 立ち上がった降谷さんは、わたしの肩に手を置いて耳元で口を開いた。

「終わったら、ベッドにいてくれ」
「……!」

 一瞬遅れて反応する間に、降谷さんはするりと体を離してベッドルームの方へ歩いていた。
 絶対笑われている。断言できる。
 ベッドルームの向こうに消えた背を見送って、水を飲んで一旦頭を冷静にさせてから、示談書を読んでサインと捺印をした。
 クリアファイルに入れて、置かれた鞄の中に入れさせてもらう。
 言われたとおりにベッドルームに行って、暗い中ベッドの端に腰を下ろし、自分が何を待っているかを自覚して、両手で顔を覆った。先ほど水を入れたコップで冷やした手が、火照る頬に心地よく当たる。
 ドアが開く音がして降谷さんがシャワーを浴び終えたとわかっても、顔を上げることができなかった。

「千歳」

 頭の上から声が降ってきて、手首をそっと掴まれ顔から離される。サイドチェストの上のランプだけがついていて、薄暗い。
 降谷さんの顔を見ることができず、仄かに照らされる絨毯の刺繍に視線を逃がした。

「……いいか?」

 顔が赤い、とか、緊張し過ぎだ、とか、からかってくれればいいのに。
 ゆっくりと上げた視線の先には、こちらの様子を余すことなく窺うような真剣な表情があって。"やっぱり無理"なんて、言えない。
 降谷さんに暴かれることに対して、不安に思う以上に期待してしまっているのも確かだ。

「……はい」

 おずおずと返事をすると、降谷さんは眉を下げて安堵混じりに嬉しそうに微笑んだ。


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