熱を分け合う
体がだるい。妙に汗をかく。……熱、出たかな。
仕事の最中、そんな状態に陥ってしまった。急ぎでもない翻訳の仕事だし、後回しにして休もう。
熱を測ろうとして、体温計なんてものを置いていないことを思い出して、チェアの背凭れに寄りかかって天井を見上げた。
そういえば冷蔵庫の中も午後に買い物に行く予定だったからあまり食材がない。薬も、風邪なんてひくことがなかったから買い置きしていない。
寝るなら洗濯物も入れておかないと、……必要なものとやることが多すぎる。
ひとまず洗濯物だけでもと思って翻訳中のデータを保存し、USBメモリを手に取って立ち上がると、頭がずきりと痛んだ。揺れるだけでずきずきとこめかみのあたりを絞めつけるような痛みが襲ってくる。なんとか鍵付きの棚にUSBメモリをしまった。
ワークデスクに置いたカップとスマホを持って、仕事部屋を出る。部屋にも鍵をかけて、痛む頭を押さえながらリビングに移動した。
シンクにカップを置いて、水を入れる。
だめだ、もう動くのも億劫だ。吐いた息も熱くなってきた。
ソファに座って、できるだけ頭を揺らさないように横に倒れる。
電話帳から"安室さん"の番号を探して、電話をかけた。コール音すら頭痛に響く。けれどそれは短時間で、すぐに通話状態になった音がした。
『はい、安室です。どうしました?』
優しい低音の声が聞こえてきた。
その向こうでは、梓さんと、他の複数人の声が聞こえる。ポアロでアルバイト中らしい。
「仕事中にごめんなさい。アルバイト……今日は何時までするの?」
『今日は閉店までですけど……』
閉店まで。まだ午前中だ、あまりにも長すぎる。
ただでさえ何かあると欠勤してしまうことになるのだから、わたしのことで欠勤を増やしてほしくない。
「そう、わかった……」
『千歳さん、もしかして具合が悪いんですか? 声に覇気がありませんが』
どうやら声だけで元気がないとわかってしまったようだ。
隠してもいずれは悟られるだろうと、素直に頷くことにした。
「ん……ちょっと、頭痛がひどくて……」
『それは辛いでしょう、ちょっと待ってください。梓さん、すみません……』
電話の向こうの声が遠くなった。意識を集中させれば聞こえるだろうけれど、食器のぶつかる高い音は頭に響く。
ぼんやりして待っていると、安室さんは"すぐに行きますから"と言って電話を切った。
スマホをテーブルの上に放り出して、体の力を抜く。頭が痛くて意識が戻ってくるけれど、眠たい。どろりとした眠気には抗えず、頭痛に苛まれながら不快な眠りに身を任せた。
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ふっと目を開けると、視界に飛び込んできたのは見慣れた寝室の天井だった。
電話をした後、眠気に負けたことは覚えているけれど、寝室に移動した覚えはない。
きっと、彼が来て運んでくれたのだろう。ベッドの横のチェストの上にはお盆が載せられて、その上にスポーツドリンクとコップが置いてある。脇には冷却シートの箱。
喉の渇きを感じて、頭痛に耐えながらのそのそと身を起こしてペットボトルに手を伸ばした。中身は減っていないのに一度開けられたらしく、力の入っていない手でも開けられた。コップに注いで、覚束ない両手でコップを持ち、中身を飲む。
パジャマに着替えさせられているし、長く伸ばした髪も寝やすいようにヘアゴムで緩くまとめられていた。額には温くなってしまってはいるけれど冷却シートが貼られている。
「千歳、起きたのか?」
物音や気配でわかったのだろう、声をかけながら零さんが寝室に入ってきた。
ポアロからそのまま来たような格好で、急いでくれたのだとわかる。
同時に迷惑をかけてしまったことが申し訳なくなって、けれど目が覚めたらいてくれたという安心感も重なって、じわりと視界が滲んだ。
はらはらと落ちる涙に、零さんがぎょっとしてベッドに早足で近づいてくる。
「どうした、どこか痛いか?」
「んーん……、ごめんなさい、急に呼び出して……」
「体調を崩すのに予定なんてあるわけないだろ。いいから寝ろ、な。大丈夫だから」
優しい声に促されて、また横になった。
「探しても見つからなかったから、体温計買ってきたぞ。とりあえず熱測って、何か食べられそうか? 薬も飲まないと」
「……ゼリー」
「ゼリーだな、わかった。持ってくるから、熱だけちゃんと測れ」
汗ばんだ髪を梳かれて、目を細める。
寝苦しくないように緩められていたパジャマのボタンをもうひとつ開けて、体温計を脇に挟んだ。数十秒待つと、ピピピピ、と検温が終わったことを知らせる音が鳴る。数字を見れば、"38.0度"と表示されていた。こんな高熱久しぶりだ、だるいに決まっている。
枕の横に体温計を置いて待っていると、零さんがゼリーと水の入ったコップを持って戻ってきた。体温計を手に取って見て、顔を顰めると、ケースにしまってベッドに腰を下ろした。チェストの上にコップと一緒に持ってきたらしい薬を置いて、ゼリーとスプーンは手の中にあるままだ。
ぺりりとゼリーのプラスチックカップからフタが剥がされる。
「起きられるか?」
「ん……」
こめかみを押さえながら起き上がると、すかさず布団の足元のあたりの上に置かれていたクッションを背中に挟まれた。リビングにあったものを背凭れ用にと持ち込んでくれたらしい。
覚束ない手を不安に思ったのか、食べやすいように崩されたゼリーが載せられたスプーンを口元に持ってこられて、素直に口を開いた。そうっとスプーンを押し込まれて、ゼリーを置いて抜かれる。味はよくわからない。何度かそれを繰り返して、半分ほど食べたところでそれ以上が億劫になった。
「……もういい」
「ん、半分も食べられたならいい方か。あとは薬だな」
カプセルタイプの市販薬だ。これも覚えがないから、"常備薬がないってどんな家だ"と思われたに違いない。
水で押し込むように薬を飲み込むと、ようやく横になることができた。
頬を撫でられて、いつもは高いと感じる零さんの右手ですら少しひんやりすると感じる程度には、熱が高いのだと思い知る。
温くなった冷却シートも換えてもらって、額のきもちよさに目を細めた。
零さんは手早くごみを片付けて寝室に戻ってきてくれた。椅子もないのでまたベッドに腰を下ろして、顔を見てくる。
「洗濯物は日が暮れる前に入れるし、もうひと眠りすればうどんくらい食べられるかな。何も心配しなくていいから、ゆっくり休め。さびしいなら、ここにいるから」
布団の中で投げ出していた手を握られる。
力の入らない指で握り返すと、その手を持ち上げられて手の甲にすり、と頬を寄せられた。僅かばかり低い体温が、心地よい。
手は布団の中に戻されて、体重をかけないように重ねられた。
「一人暮らしで体調崩すと、家事は面倒だしそういうときに限って冷蔵庫の中に何もないし。人肌恋しくて不安になるんだよな」
潜入捜査続きで体調を崩す暇すらなかっただろうに、零さんはそんなことを言う。
落ち着いた低い声が、ずきずきと頭を打ち鳴らしていた痛みをじんわりと抑えてくれる気さえした。
とろんとした眠気が襲ってきて、これなら心地よく眠れそうだと目を閉じる。
「……おやすみ」
頭痛に響かないように丁寧に髪を梳きながら落とされた言葉に返事をして、ひんやりした手に擦り寄った。
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リクエスト内容:甘め
風邪or生理ネタ、看病/心配されたい、甘々に看病されたい
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