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 お互いが先のことを保障できない立場にあることは、よくわかっているつもりだ。
 明日ミスをして殺されるかもしれない。気がついたら帰っているかもしれない。
 だから、恋人なんてつくる気はなかった。関わるものすべて、いつかは捨てるものだから。そう、思っていたのに。

「わたしはね……降谷さんのことが好きだなって自覚したの、本当に……ついさっきなの」

 降谷さんの肩に寄りかかって窓の向こうの空を見つめながら、ぽつぽつと語る。

「なんとなくそんな気はしていた」
「そういう風に意識しないようにって、ずっと歯止めをかけていたけど……。あんなことがあって、自分が誰に助けてほしかったのか、向き合わなくちゃいけなくなって……。"後悔するなら俺も一緒だ"って一緒に苦しむことを選んでくれた降谷さんだから、わたしも一番に頼りたかったんだって思ったの」
「……そうか」

 降谷さんの声に喜色が窺える。
 あえて感情を隠さずにいてくれるのが、信じてほしい気持ちの表れなのなろうか。

「でもわたしは、まだそれを選べない。痛いのも苦しいのも怖い。……死にたく、ない」
「……帰るなら、それらは全部避けるべきだからな」
「わたしがこうだから、きっと降谷さんは何も言えないんでしょう。いつか……帰り方がわからないまま、降谷さんと一緒に苦しむことを選べたら。そうしたら、教えてくれる?」
「そうできたらいいな」

 嘘はつかないでいてくれる。だけど、明確な返事もしない。
 推測だけは許されている状況だから、まだいいのだろう。
 きっと、これ以上は降谷さんを困らせてしまうだけ。体を起こすと、降谷さんも話の終わりを察したのか小さく息をついていた。

「そうだ。近々、米花町に活動拠点を移すつもりなんだ。情報の受け渡しも増えると思う。……どうする?」

 赤井さんの死を疑って、バーボンは米花町で活動を始める。そういう時期か。
 わたしが米花町に住んでいるから、その周辺でうろうろする降谷さんと情報の受け渡しをした方が早い。
 どうする、か。
 コナンくんとは組織のことに触れた話なんて当然しないから、今どんな状況なのかわからない。まだ、コナンくんはバーボンの存在も顔も、その正体も知らない。
 いつか彼が組織のバーボンであることを知って、その認識で安室さんとわたしに親交があるとわかれば、コナンくんのわたしへの疑いは深まるだろう。ただでさえ組織に触れるか触れないかの質問をのらりくらりとかわしている状況だ。
 コナンくんが今後バーボンのことを知ったとしても、赤井さんは"死んでいるからコナンくんにそのことに関する情報を共有できない"。わたしを疑って、赤井さんが生きていることを知られてはならないと思えば、不用意な質問はしないだろう。
 でもできれば、そういうリスクも削りたい。

「しばらく知らない人のフリでもいい? ちょっと……知り合いだって知られるとまずい相手がいて」
「わかった。対応を変えるときにまた教えてくれ」
「うん。……あの」
「ん?」
「警護って……夜は白河さんに代わるの?」
「そのつもりだが、希望があるなら聞く。……何かあるのか?」

 勢いのまま聞いてみたはいいけれど、改めて要望を言おうと思うとなんだか恥ずかしい。
 ずっと抱いたままのクッションで顔を隠した。

「その、ちょっと、降谷さんに話し相手をしてほしくて……」
「それだけか?」

 話し相手を望むだけなのにクッションで顔を隠す必要はない。望んでいることがそれだけに留まらないなんて、すぐにわかってしまう。
 あぁもう、言ってしまえ。ちょっと自棄になった。

「……添い寝してほしいって言ったら、怒る?」
「まさか。でも無理しなくていいんだぞ」

 この部屋に来てから、わたしがどれだけ傷を負っているのか確かめるように、降谷さんは少しずつわたしに触れていた。そのどれもが、安心できるものだった。
 そもそも、盗撮が続いている間も藤波さんに位置情報をリアルタイムで知られていることを不快には思わなかったのだ。宇都宮さんに支えられたときも、沖矢さんに背中をさすってもらったときも、わたしを害することはないとわかっていたのもあって別段"怖い"とは思わなかった。

「あの犯人と協力者が怖いだけで、宇都宮さんに支えてもらったときも、全然怖くなかったし。それに、降谷さんなら……一番安心できる、というか」
「話したいのは、今回の件のことか?」
「……うん。自分の中で、整理したい、かな……」

 いろいろなことを考えないまま、コナンくんたちに任せきりにして解決した。
 それはそれで良かったのだろうけれど、いずれは聴取にも応じなければならないし、これからどう対応していくかも考えなければならない。降谷さんたちの側で何が起こっていたのかも知りたい。
 少し考える余裕ができると途端にぐるぐると渦巻いてしまうそれらを、少し整理したかった。
 きっと考えれば考えるほど辛くなる。だから、他人事みたいに考えようとしていた。きちんと自分の感情と向き合えば、もしかしたら怒りも覚えるかもしれない。

「わかった。とりあえずは夕食だな。あと、少し買い物に付き合ってくれ」
「買い物?」
「着替えがなくてな。白河さんと交代するつもりだったから」
「あぁ、えっと……取りに帰らなくていいの?」
「買った方が早い。あれば着るんだから、無駄な買い物ってわけでもないしな。……部屋の外に出たら、一緒にいるのは安室だと思ってくれ」

 もちろん、それは忘れていない。
 返事とともに深く頷いて、ソファから立ち上がりクッションを置いた。

「化粧してきていい?」
「あぁ、ゆっくりどうぞ」

 "嘘つき"になるための時間をもらって、キャリーバッグの上に載せられたハンドバッグからポーチを取り出す。
 洗面所に行って鏡を見ると、随分とマシになった顔が映った。外に出るときのための化粧をして、鏡に向かって笑いかける。
 大丈夫だ、前よりちゃんと笑えている。きっとまだ完璧ではないけれど、少しずつ正常に戻っていることがうれしかった。

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