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 コナンくんや哀ちゃん、沖矢さんを信じていないわけではなかった。
 人を助けることをためらわない優しさと、その優しさを仇にしない確かな実力があることは、ちゃんと知っていた。
 助けてくれたことに感謝しているし、それに甘えたことを悪かったとも思わない。
 それでも、自分から"助けて"と縋ることは考えられなかった。
 心から信頼して、あのどうしようもできそうになかった状況をどうにかしてほしいと縋れる相手は、降谷さんたちしか考えられなかった。

「……そうか」
「でも、仕方ないじゃない……降谷さんたちが守っているのはもっと大きなもので、わたしなんて今は利用価値があるだけの些末な存在で……ちゃんと、個人的な付き合いだって言ってくれた風見にも白河さんにも、連絡取れなくて……」

 家族とか恋人とか、友人とか。気兼ねなく何かを相談できるような位置に、降谷さんはいない。
 安室透やバーボンとして活動する時間の方が長い彼に迂闊に連絡を取れないというのもあったけれど、降谷さんがわたしにどの程度まで甘えることを許してくれているのか、ずっと測りかねていた。

「そうか、……僕が頼ってもいいと思えるような距離の取り方をしていなかったんだな」
「……うん」

 否定しても、続く言葉が浮かばない。素直に頷くと、降谷さんは苦笑した。
 指の背で、そうっと涙を拭われる。嫌悪感はなかった。

「素直だな。名前のある関係になれば、ちゃんと頼ってくれるか?」
「友人とか?」
「どうかな。"迷惑かけられるほど仲良くないし"とか言って何も言ってくれなさそうだ」

 反論したいけれど、わたしは既にその信頼を裏切っている。
 ぐっと黙り込むと、指先を握られた。

「そうだな……」

 じゃれ合うような手遊びに、"何がしたいんだこの人は"とじっと見てしまう。
 ふ、と視線が向けられた。

「……恋人、とか」
「どっかで頭ぶつけてきたの?」

 あんまりな爆弾発言に、つい胡乱な視線を向けてしまった。"そんな余裕があなたにあるわけないでしょう"と。
 けれど降谷さんは、首を横に振った。"そんな間抜けなことするわけないだろう"と言いたげな顔だった。

「まさか。いつかは帰さなければならないし、それなら思い出づくりみたいな真似はしない方が穂純さんのためだろうと思っていたんだが……そうやって曖昧な関係でいるから穂純さんが頼れないっていうなら、俺ももう遠慮はしない」

 少しだけ強引に、手を引き寄せられた。そうして指を絡められると、体温の高い彼の手からじわりと手のひらに熱が伝わってくる。
 驚いて顔を向けると、まっすぐな視線に射抜かれた。わたしが一番惹かれる青い瞳だ。逃げることを許さない、けれど追い詰めるものでもない、わたしに向き合ってくれる目だ。
 白河さんは"向き合ってあげて"と言ったけれど、果たして今の降谷さんに向き合っていいものかどうか。
 いずれは捨てなければならないものだ。自覚した恋も、ここで得た人との繋がりも、ここにいることが現実だと教えてくれる、温かい手も。
 苦しむほどの恋が実ったとして、それを手放せるだろうか。

「いつか捨てて苦しむぐらいなら、はじめからない方がマシだと思うのだけれど」
「そんな返事で俺が諦めると思うか? ……かえって期待する」

 僅かに熱の滲む声に、思わず視線を逸らした。
 これだって、演技かもしれない。自分で嘘をつくことができても、見抜くとなるとまた別だ。ましてや彼は潜入捜査官。嘘をつくプロ。背後にある打算を、無視はできない。

「帰れるってわかったら……容赦なく手放すくせに」
「帰り方がわかっても、教えないかもしれない」

 教えてくれるかもしれないし、何も言わずに帰れる電車に乗せてくれるだけかもしれない。警察庁の意向に従うかもしれない。
 勝てるわけがない。不毛な未来の話なら、尚のこと。

「そんな素振り……見せなかったじゃない」
「秘密だと言いながら"暴いてほしい"と訴えて、それでいていずれは別れるからと深く触れようともしないで。そうやって帰るまでの拠り所を求めているだけの穂純さんに、そんなのぶつけられるわけないだろ。困ったときに頼ってくれる、それだけで満足しようと思っていたんだけどな……それすらない」

 彼といい沖矢さんといい、なぜ言い当ててしまうのだろう。
 すべてのことに一喜一憂して見せれば良かったのだろうか。

「……いつから?」
「探っているうちに事情がわかってきて、その強がりを解かせてやれたらどんなにいいだろうと考え始めた。"うちに帰りたい"って泣いているのを見たときは、故郷も家族も全部捨てさせて手に入れたいって、最低なことを一瞬考えた。……穂純さん」

 名前を呼ばれて視線を戻すと、揺らぐ青い瞳を見てしまって悪いことをしたような感覚に襲われる。

「遠い先の未来は信じなくてもいい。……俺の気持ちだけ、信じてくれ」

 なんだろう、何かが引っかかる。降谷さんがわたしを想ってくれていることは信じられる。それが近いか遠いかもわからない未来、どういうかたちで表れるのかがわからないことも嘘ではない。降谷さんは本当のことを言っている、嘘は言っていない、そう信じられるのに、違和感がある。――口にしていない事実がある? わたしもよくやる手だ。
 わたしが触れることのできないところで、わたしに関わる何かがある。きっと、彼の背後にあるものだ。
 降谷さんはそれを口にすることを許されていなくて、安全だというこの部屋ですらそれを破らない。
 確証はないけれど、なんとなくわかった気がした。

「……信じる。降谷さんがこの先どんな行動を取ったとしても……わたしのことを好きになってくれたって、それだけは信じるわ」

 絡めとられた左手を握り返してまっすぐに目を見て伝えると、降谷さんは安堵したように微笑んだ。

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