huddle in the bustle

 初日の修行が終わり港に戻ると、コックがカデットの歓迎会だと言ってバーベキューの準備をしていた。
 これから修行も厳しくなるのだし、いい景気づけだろう。
 明日からの修行に響かないようにと釘は打ったが、意味は成さないだろう。カデットもそれはわかっていたのか、明日は正午から修行をする、と言っていた。
 ふと、カデットを囲んで賑やかに話すクルーたちの輪から外れたところにイオリがいるのが目に留まった。木箱を並べてベンチのようにしてあるそこには、イオリしか座っていない。
 イオリは修行の終わり頃に連れてきていた子電伝虫を膝に乗せ、スープを使って作られたらしいリゾットを食べている。子電伝虫はコックから卵の殻でももらったようで、イオリの膝の上に載ったそれを食んでいた。
 グラスを揺らしながら近づくと、イオリは気配ですぐに気がついたらしく顔を上げた。
「ソイツ、連れてきてたのか」
 隣に腰を下ろし、鬼哭を木箱に立てかけたことで空いた手で卵の殻を食む子電伝虫を指差しながら言うと、イオリは困ったように笑んだ。
「手から降ろそうとすると、いやがるので……」
「随分気に入られてるな。先に受話器をつけてやれば良かったか」
 そうしておけば大人しくなるものなのだ。
 しかしイオリは別段困っているというワケでもないらしく、イオリの顔を見上げ物足りないと訴えかける子電伝虫の前にまたひとつ卵の殻の欠片を置いた。
 イオリはどこか上の空に見える。空になった食器を手に持ったまま、ぼんやりとして子電伝虫を見つめていた。
「……戻るか? 疲れてるんじゃねェのか」
「へっ?」
 肩を跳ねさせ、間の抜けた声を上げるイオリ。本当にぼんやりしていたようだ。
「あ、あの、申し訳ございません……。考え事をしてしまって……」
「考え事?」
「で、でも大したことでもないんです……! 確かに気づかないうちに疲れてるのかもしれないですし、もう、戻ります……」
 イオリは慌てた様子で返事をすると、子電伝虫を手の上に載せ、食べかけの卵の殻も移してやり、空になった食器を持ってコックの方へ歩いていった。言葉尻に落ち込んでいるのが感じ取れたのだが、追及されたくないと言いたげな空気だった。
 それ以上は何かを訊くこともせず、きちんと配膳された分を食べたことを褒めるコックにぺこりと頭を下げ船に戻っていくイオリの背を見送る。
 寝るまで待ってやった方がいいだろうと考え、木箱の上に片膝を立て、その上に腕を載せて時折その先の手に持ったグラスを口元へ運びながら、濃紺に小さな光を散りばめた空を映しこむ海を見た。
「おー、ひとり寂しく飲んでるなぁロー」
「茶化しにきたんなら戻ってアイツらに絡まれてろ」
「そう言うなって」
 おれの言葉に気を悪くする様子もないカデットは、遠慮なしに隣の木箱に腰を下ろした。
「おまえのトコのクルー、本当におまえのこと大好きなんだな」
「……まァな」
「ははっ、嫌味に聞こえねぇ」
 クルーたちが船長船長と賑やかなのはいつものことだ。別に悪い気はしないし、慕われているのであればこれ以上のことはない。
「けど、イオリとはちょっと拗れてるみたいだな」
 グラスに入ったウイスキーの中で泳ぎ揺れていた氷が、おれの心の機微を代弁するかのようにパキン、と音を立てて割れた。
 カデットは取引相手としてなら申し分ない人間だが、個人的な感情を交えて付き合うとなるとおれが少々苦手な部類に属する。嫌味は笑って流すし、今のように何の脈絡もなく地雷を踏み抜いてきたりもする。
「そうだなー、イオリに惚れちまったけど、船長っていう立場の手前、どうにもできなくてローが素っ気なくしちまったとかかー?」
 地雷原の中で、的確に、一歩進むごとに地雷を踏んでいくカデット。
 気は遣ってくれているようで、喧騒の中でおれたちの会話を気にしている者はいないようだ。
「……鋭いな」
「まぁな。で、具体的に何したんだよ」
 肘でおれの腕をつついてくるカデットは、明らかに愉しんでいる。イオリのことを気にしているのか、単におれをからかいたいだけなのか。
「……ここ数日、名前を一切呼んでねェ」
 へ、と先程のイオリのように間抜けな声を零したカデットは、数秒かけて言葉を噛み砕くと、大きな溜め息を吐いた。
「それ、イオリにはかなりきついことかもな」
「そう思うか」
「あぁ。名前ってそいつ個人を示すものだし、親はそういう大事なもんだから情を込めてつけるだろ。多分、持ってるものが少ないイオリはそういうのすら大事にしてる」
 グラスを揺らし、氷にカラカラと音を立てさせながら、カデットは流れるように言葉を紡いだ。
 それは、わかっている。わかっているから、呼ばなくなったのだ。
「……だから呼びたくねェんだよ」
「ははーん、名前呼ぶと余計に好きになっちゃうー、ってか?」
「気持ち悪ィ」
 妙に高い声を出すカデットに心からの感想を告げると、手厳しいな、と苦笑いが返された。
「ま、今ならオレがフォローしてやれるからさ。修行終わるまでにはどうにかしろよ」
「……何故そうまでしてアイツにかまう?」
「ん?」
 カデットの仕事は、あの島で、イオリをおれの船に迎え入れた瞬間に終わったハズだ。今おれと結んでいる契約は、"覇気"をできる限り多くこの船の人間に習得させること。カデットがイオリを気にかけ手を回す必要などない。
「金にならねェことでも進んで引き受ける難儀な性質なのか、お前は」
 ぽりぽりと頬を掻き、カデットはやはり苦笑いを浮かべた。
「そうじゃねぇよ。前にも言っただろ、情が湧いたってな。別にオレは人生金ありきで動いてるわけじゃないしな。……なんつーかな、後悔して欲しくねぇんだよ。イオリにも、お前にも」
 言葉の意味はわかるが、何故カデットがそんなことを言うのかはわからなかった。
「――」
「おーい、カデット! 肉焼けたぞー」
 口を開き息を少しだけ吸い込んだ瞬間、クルーがカデットに声をかけた。口を閉じ、そちらを見遣ると串に刺さった肉を掲げて見せる姿が視界に入る。
「お、今行く!」
 カデットはおれの顔を見たが、おれが何も言わずにいるとそれならそれでいいと思ったようで、立ち上がってクルーたちの輪に混ざっていった。
 そろそろイオリも眠った頃だろうか。グラスを傾け、氷がかなり融けて混ざり薄くなった酒を喉の奥に流し込む。空になったグラスをコックに渡し部屋に戻る旨を伝えてから、部屋に戻ってシャワーを浴び、既に静かな寝息を立てて眠っていたイオリを抱き込んで眠りに就いた。


********************


 目が覚めたのは、陽が昇り出した頃だった。昨日は然程遅くまで起きてはいなかったからだろうか。それはイオリも同じだったようで、おれが起き出すと目を覚ました。
 顔を洗い身支度を整えてはみたが、朝食までは時間がある。その間に子電伝虫の使い方を教えてやる事にした。
 ローテーブルに載せられ大人しく眠っていた子電伝虫にサイズの合う受話器を取りつけて大人しくさせ、部屋に置いてある電伝虫にかけて見せる。イオリも見よう見真似でやってみようとしたが、中々に苦戦していた。
「……むずかしい」
「だめか」
 字の読めないイオリには、番号のメモを見ながらダイヤルを回すことは難しいらしい。途中で入力を止めある程度の時間が経つと、電伝虫は正しく念波を飛ばすことができなくなるのだ。
 しょんぼりと落ち込むイオリの旋毛を見ながらどうしたものかと考えあぐねていると、不思議そうな顔をしていた子電伝虫が交信を始めた。プルプルプル、と受信したことを知らせる声をおれの子電伝虫が発する。
 こんな早朝から連絡してくるヤツがいるのか、と思いながら通話状態にする。なんだ、と声をかけると、イオリが拾ってきた子電伝虫がおれの顔を真似て低い声を発した。
「え……?」
 イオリがきょとんとして自分の子電伝虫を見遣る。こちらの子電伝虫がその表情を真似たため、すぐに目の前にいる二匹が交信しているのだとわかった。
 どうやら子電伝虫がイオリがどの電伝虫にかけたいのかを理解して交信したらしいとわかり、通信を切った。
 また交信を始めようとする子電伝虫をつついて止める。
「どうやらこいつは思っていたより賢いらしい」
「?」
「お前がどこの電伝虫にかけたがってるのか理解しているみてェだからな」
「そうなんですか? ……同じ子にかけられる?」
 イオリの言葉に反応を示しぱちぱちと瞬きをした子電伝虫は、もう一度交信を始めた。再び、おれの電伝虫が念波を受け取ったことを知らせる。
「……朝食まで時間がある、船に居るヤツに挨拶させるか」
 おれが使うために居るこの電伝虫の他に、操縦室や測量室にもいるし、島で連絡を取れるように子電伝虫もいる。居る場所は決まっているのだし、顔合わせをさせていればちょうどいい時間だろう。
「! はいっ」
 何が嬉しいのかぱっと顔を輝かせ弾んだ声で返事をするイオリに口角が緩んで上がるのを感じながら、廊下に溜まる澄んだ朝の空気に身を浸した。
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