leading intention

 島に着き、船で雑事をこなしている最中。扉をノックする音に、帳簿に向けていた顔を上げた。
「誰だ?」
「イオリです」
「あァ、ちょっと待っててくれ」
 散らかした紙を軽くまとめて、机の端に寄せる。
 イオリが来てからは、大部屋のいかがわしい雑誌なども隠されている。時々隠し場所がなかったのか測量室に放り込まれていることがあるので、チェックは怠れない。部屋の中を見渡して、イオリに見せるとまずいものがないことを確認し、扉を開けた。
「どうかしたのか?」
 少し困ったような顔を覗かせたイオリは逡巡した後、おずおずと口を開いた。
「あの……、買いたいものがあるので、お金を工面していただけないかと思って……」
「あァ、もちろん。そういえばイオリには降りる時小遣い渡してなかったな」
 いつも船長やベポと出かけるので困ることもないだろうと渡さずにいて、金額だけメモしていたのだ。船長もベポも無駄遣いをしないのでイオリに物を買ってやる余裕もある。ベポはおやつを買って少しイオリに分けてやっているだけだし、船長も何においても遠慮がちなイオリの為には金を惜しまない。そのため精算も求められず、島に着くたび金額が増える一方だった。
 イオリを室内に招き入れて椅子に座らせた。
「何を買うんだ?」
「昨日ベポちゃんとケーキ屋さんめぐりをしていて、ローさんが食べてくれそうなプリンがあったので、一緒に食べたいなと思って……。あと、ひとりでお買い物をしてみたかったんです」
 照れながらの言葉に、かわいいなァ、と内心ほっこりしながら金庫から紙幣を取り出す。
 船長のことを言う時の照れた表情は、完全に"恋する乙女"のそれだ。おれは少なからず船長のイオリへの想いも応援しているので、いい傾向だな、と思う。
 イオリの私物の中には財布はなかったなと考え、首から提げられるタイプの小さな財布に取り出した紙幣を収めた。
「イオリ、金額の大小はわかるか?」
「はい」
「この財布の中に1000ベリーの紙幣を3枚入れておく。おやつを買うぐらいならこれで十分足りるハズだ」
 財布を首から提げさせると、イオリは財布に大切そうに手を添えた。
 イオリの瞳からは、緊張と不安、そして好奇心が窺える。生まれて初めてお使いに行かされる小さな子供のようだと思う。
「帰ってきたら、残ったお金はおれに預けてくれればいい。責任持って管理するからな」
「はい、わかりました」
 イオリはぺこりと頭を下げて、軽快な足取りで鎖の音をさせながら歩いていった。
 さァ仕事を続けるか、と机に向き直るが、どうにも集中できない。
「……散歩だ、散歩」
 気分転換に、たまたまイオリがこれから行くであろう道を散歩のルートにするだけ。断じてイオリが心配でついていくワケじゃない。
 自分に言い聞かせながら、金庫がしっかり閉まっていることを確認して測量室を出た。


 人混みに紛れ、イオリを追い。厄介な人間に絡まれることもなく、至って順調に店に辿り着いたのを確認した。
 ガラス張りの店内を覗き、様子を窺う。
 イオリは戸惑ったように注文していたが、女の店員はにこにこと笑って応対し、買い終わる頃にはイオリの緊張も解けたようで穏やかに笑み会釈をしていた。
「……大丈夫だったみたいだな」
 道に迷っていた様子もない、船までちゃんと帰ってこれるだろう。一足先に船に戻り、測量室で作業の続きをしながらイオリを待った。
 戻ってきたイオリは真っ先に測量室へ来て、これも一緒に買ったから、と財布と一緒にクッキーを寄越した。ケーキ屋のクッキーって美味いんだよなァ。
「船長が帰ってきたら食べるのか?」
「はいっ。冷蔵庫に入れておきます。ローさん、喜んでくださるでしょうか……」
「大丈夫さ」
 イオリは礼を言って扉を閉める。鎖の音が遠ざかっていくのがわかった。


********************


「おーい、シャチ、バンダナ。冷蔵庫におやつ入れといたから、食っていいぞ」
「お、マジで!? バンダナ、休憩しようぜ!」
 コックの言葉に、組手をし通しで疲れていたおれは一気に集中を削がれる。バンダナは頭を掻いて、しょうがねェな、と笑った。
 汗を拭いて食堂に行き、共用の冷蔵庫を覗く。
 手前に置いてあったプリンを取り、舌鼓を打ちながら食べた。
 休憩して、バンダナとまた組手をして。そんなことをしていると、コックがまたやってきて"おやつまだ食ってねェのか"と言った。
「? 食ったけど」
「いや、お前ら二人の分しか残ってなかったからさっき声かけたんだよ。フルーツロール、奥の方にあっただろ」
「え……!?」
 おれたちが食ったのはプリンだった。
 コックと認識している事実の食い違いを確認したところ、本来のおやつが減ったところに誰かが入れたのを、おれたちが間違えて食べたのだろうということだった。まァ共用の冷蔵庫に入ってたのが災いしたというか、なんというか。
 とりあえずそのプリンを入れたクルーを探すことになった。勝手に食っちまったワケだし、島で買ってきたものなら買い直さなきゃなと思うのは当然だ。
 測量室に行ってペンギンに事情を話し、何か知っていないかと問うと、ペンギンは顔を引き攣らせた。
「お前ら……よりにもよってあれを」
 もしかしてもう手に入らないものだったのかと焦って訊いたが、そういうワケでもないらしい。
 じゃあ何なんだと焦燥に駆られて半ば問い詰めるようにして訊くと、ペンギンは困ったような声調で事情を説明してくれた。
「あれはイオリが"船長と一緒に食べたい"って言って一人で買いに行ってきたものなんだ。まァ間違って食べちまうのは時々あることだし、仕方がないとしか言いようがないが……物が悪かったな」
 店で買ってきたものだが、ガラス製の器に入っていてコックが作る時と同じ見た目をしていたから、特に気にもせず食べてしまった。
「ウソだろ……」
 他のヤツなら、買い直して謝れば良くあることだし、と笑って許してくれる。いや、イオリも仕方がないと言ってくれるのだろうが、多分悲しそうな顔をするのだろう。
 普通に買ってきたのならまだしも、一人での外出を嫌うイオリが頑張って買ってきたものだ。同じものを渡してハイ解決、とはならない気がする。特におれとバンダナの心情が。
 こうなったらバレる前に買い直そうか、と考えたのだが、測量室の向こうから聴こえてきた鎖の音に、おれとバンダナ、そしてペンギンが身を固くした。
「ペンギンさん、根を詰めているようなのでコーヒーを持ってきたのですが……」
「あ、あァ。ありがとうな。入っていいぞ」
「失礼します」
 イオリは部屋に入ってくるなりおれとバンダナを見て、ペンギンの使っているデスクにカップを置きながら何かあったのか、と尋ねてきた。
 心配そうな表情に、ごまかすなんて到底無理だ、とバンダナと目を合わせた。
「イオリ、あの、ほんっとにごめんな! おれら冷蔵庫に入ってたプリン食っちまって……!」
「今ペンギンから買い直してもどうにもならないって聞いて……、悪かった!」
 トレイを抱きしめ突然頭を下げたおれたちに慌てた様子だったイオリは、おれたちの言葉でようやく何のことを言われているのか理解したらしく、ますます慌てて首を横に振った。
「いえっ、あの……コックさんからもおやつが何なのか教えてなかった自分も悪い、って先程謝られてしまいましたし……。時折あることなのでしょう? 私は気にしていませんから、頭を上げてください……っ」
 恐る恐る顔を上げたが、イオリは本当に気にしていない様子で苦笑していた。けれどその表情がかえっておれの罪悪感を刺激する。
「私も名前を書いておけば良かったと思いますし……、今日はひとつ冒険ができたので、それでいいんです」
 イオリは念を押すように気にしないで欲しいと言って部屋を出ていったが、空気は重苦しくなるばかりだった。
 いっそ怒ってくれた方が良かったというか、笑って許されるのがこんなに心苦しいものだとは思わなかった。イオリは本当に気にしていないし、おれやバンダナを気遣って言ってくれたのだろうが、おれたちは落ち込むばかりだった。
「……船長に電話するか」
 ペンギンが思い立ったようにそう言って、船長の持つ子電伝虫に電話をかけ始めた。
 すぐに出た船長は、どうした、と言う。
「今から言う店で、プリンを買ってきてくれませんか。ベポに言えばわかると思います」
『はァ? 突然何を言ってやがる』
「シャチ、お前の口から説明しろ」
 受話器を押しつけられ、不機嫌そうな顔の電伝虫と向き合う。なぜそんな頼み事をすることになったのかの経緯を話すと、船長は呆れたように溜め息を吐いたが了承してくれた。
 その場で確認したところ、ベポは確かにイオリが"これはローさんが好きそう"と言っていたものがあると言う。
「それじゃ、頼みます……」
『くくっ、その様子じゃ笑って流されてヘコんでるな』
 電伝虫が意地悪く笑った。
「そりゃそうですよ……。なんていうか、イオリにはただ食べたいから買ってきたっていう以上の意味があったんでしょうし……」
『それがわかってると思ったからアイツも気にしてねェんだろ。気が治まらねェなら菓子でもたくさん買ってやれ』
「……わかりました」
 これ以上はおれたちの自己満足。それでも何もしないよりはマシかと思い、バンダナと一緒に出掛けることにした。


********************


「キャプテン、あのお店だよ」
 女の人のお客が多いお店だけれど、キャプテンは気にしないで入るのかな。
 不機嫌にならなければいいけど、と思いながら指差すと予想通りにキャプテンはひとつ舌打ちをした。
「おれ一人で買ってこようか……?」
「いや、いい。おれも行く」
 チョコレートをイメージしているのか、茶色やベージュを基調にして綺麗に飾られているお店。きっとスーツを着た優しそうな男の人が入るのなら似合うのだろうけど、キャプテンは海賊だ。おまけに、かなり悪そうな顔をしている。
 お店に入ると、中に居た人たちはキャプテンを見て驚いていた。怯える人もいるけど、うっとりと見つめている人もいる。
 キャプテンはそんな人たちには目もくれず、ガラスケースの前に立った。
「ベポ、どれだ」
「えっとね、これだと思う。イオリ、そこのオープンテラスで食べてすぐ、キャプテンが好きそうって言ってたから」
「……そうか」
 キャプテンは目を細めて相槌を打つと、ぐるりとお店の中を見回した。
 このお店は甘いだけのものじゃなくて、砂糖が少なかったり、コーヒーを使ったりと甘さを控えめにしたお菓子もたくさん置いている。キャプテンは甘さの少なそうなものを選んで、ぽんぽんとおれの手の上に載せていった。
 途中で落としちゃうんじゃないかと心配になってカゴに入れたけれど、キャプテンは気にせず選んでいく。
「ベポ、お前はどれが食いてェんだ」
「え?」
「付き合わせた礼だ、好きなもん買ってやる」
 おれはクッキーの詰め合わせを選んだ。
 最後に店員さんにプリンを二つ頼んで、キャプテンは会計を終えた。プリンのカラメルソースは敢えて焦がしたのか苦くて、おれはあまり好きになれなかった。
 たくさんのお菓子が入った紙袋を抱えて、機嫌良さげに歩くキャプテンの後を追う。
 おれの手が塞がったから太刀はキャプテンが持っていて、それとは別の手にはプリンの入った紙箱をぶら提げていた。
 途中で賞金稼ぎの集団に会ったけれど、キャプテンが鼻歌でも歌い出すんじゃないかと思うほどにご機嫌な顔――きっとあいつらには悪魔の笑顔にしか見えなかったに違いない――で能力を使いあっという間にバラバラにしてしまった。


 船に戻ると、甲板に出ていたクルーが出迎えてくれた。
「イオリは?」
「え? あァ、いやおれは……。おーい、誰かイオリ見てねェか?」
 キャプテンに訊かれたクルーはイオリの姿を見ていないらしい。他の皆も帰ってきたばかりだったりして、出かける前に会ったきりだと、口々に言った。
 だけど居る場所も限られていることだし、とキャプテンが船室に足を進めかけると、船室の扉が開いた。
「あ、お帰りなさい。ローさん、ベポちゃん」
 イオリは落ち込んでいる様子もなく、にこにこと笑った。
 キャプテンは紙箱を開けて、イオリに中を見せた。
「これ……、どうしたのですか?」
 プリンとキャプテンの顔とを交互に見るイオリ。キャプテンは影の落とす帽子の下であまり見せない優しい笑みを見せた。
「お前と食いたくて買ってきた。今から時間あるか?」
「え、あ……っ、はいっ!」
 イオリは驚きと喜びの混じったような返事をして、スプーンをもらってきます、と言って踵を返した。
「キャプテン、もしかして機嫌いい?」
「さァな。お前の分、確か一番下に入れられたよな。それ取り出したら、残りはおれの部屋に持ってこいよ」
「アイアイ、キャプテン!」
 キャプテンは部屋に戻ったので、とりあえずはと食堂に向かうイオリの後を追った。
「イオリ、待って」
「ベポちゃん」
「うれしそうだね」
 足取りが軽いことは、その動作からも、鎖の音からも伝わってきた。
 追いついて隣を歩きながらその機嫌のよさを伝えると、イオリはにこにこと笑って、はい、と頷いた。
「今日は初めてひとりで買い物をしたから」
「そっか!」
 おれも小さい頃はひとりで買い物なんてできなかったっけ。
「でも、イオリはひとりで何でもできるようにならなくていいよ」
「? どうしてですか?」
「うーん、あのね、いいことだと思うんだけど……。ひとりで生きていけるようになったら、イオリがいなくなっちゃうんじゃないか、って思うんだ」
 それは本当に、根拠もない、不安を固めて無理矢理形にしたようなただの想像だった。だけど、イオリは自分ひとりでは何もできないからここにいるんじゃないかって、時々不安になる。
「おれね、イオリのこと大好きだよ。だからずっとここにいてほしい」
「……なんだか告白みたいですね」
 おれの顔を見上げてくるイオリは、困ったように笑んでいた。
 確かにおれ、本当ならメスの熊に言わなきゃいけないようなことを言ったような、気が……する。
「!! え、ちが、そういう意味じゃ……! からかってるの!?」
 慌てるおれを見て、きょとんとしていたイオリはくすくすと笑った。
「ありがとう、ベポちゃん。私もベポちゃんのこと、だいすきですよ。それだけが理由というわけではないですけれど、ここから居なくなったりしませんから」
 立ち止まったおれを置いて歩くイオリは、振り返って笑いながら言った。からかうような、楽しそうな笑顔だったけれど、眼が泣きそうに揺れているのを、おれはしっかり見てしまった。
 足を止めていたのは、ちょうど他のクルーの居住区に繋がる廊下の前。そんなトコで何してんだ、という通りがかったクルーの声にはっとして、慌てて部屋へ戻るために足を進めた。


********************


 ベポが大量の菓子が入った紙袋をおれの部屋に置いて出ていってから、数分。今度はイオリが別の店の紙袋を抱えて戻ってきた。腕で抱え、手には当初の目的だったスプーンがしっかり握られていた。
「どうした?」
「えっと、シャチさんとバンダナさんが、お詫びにと……」
 イオリは戸惑った表情をしながら答えた。きっと冷蔵庫に入っていたものを間違って食べたくらいで、と思っているのだろう。
「アイツらの自己満足だ。謝意は素直に受け取っておけ」
「はい……」
 腑に落ちないような顔をして返事をしたイオリは、ソファの上に置いてあるベポが持ってきた紙袋の横にそれを並べると、二つあったうちの一つから、透明なフィルムに包まれた飴の詰められたビンを取り出し、ローテーブルの上に置いた。インテリアのつもりだろうか。殺風景と言っていい家具と本だらけのこの部屋には、落ち着いた色をした小さな宝石もどきの集まりは、ちょうどいい飾りだった。それもそのうち、イオリやおれが食べてなくなるのだろうが。
「これは?」
 イオリは既に置いてあった紙袋を指差して、そう問うてきた。
「おれが買ってきた。好きな時に食っていいぞ」
「こんなに……」
「それより、こっちを食うぞ。温くなっちまう」
 紙箱の中に入っていた保冷剤は、あまり意味を成さなくなってきていた。
 イオリは楽しみだという感情を隠すこともなく笑みを浮かべながら隣に座ると、スプーンをひとつおれに手渡してきた。箱からひとつ出して手渡してやる。
「いただきますっ」
 ふわふわと花が飛んでいる錯覚が見えてきそうなほどの嬉しそうな表情だ。
 それを横目に、自分の分を一口掬って食べた。確かに、甘ったるくはない。底に沈んでいたカラメルソースは、焦がしてあるのかほろ苦い。
「……随分嬉しそうだな」
「はいっ。今日はひとりでお買い物に行ってみましたし……、ローさんと一緒に食べたかったものを、食べられましたから。ローさんと同じことを考えていたのも、うれしいです」
 他意はないのだろう。聞けば勘違いしてしまいそうな言葉だが、きっとイオリが発した言葉の意味は額面通りのもの。
 しかし、自分が良いと感じたものを共有したいと思った相手がおれだったというのは事実。そして、同じことを考えたということも。
 上がりそうになる口角を誤魔化すように、またプリンを口に運んだ。
「ローさん、甘すぎましたか……?」
「?」
「顔が、険しいから……」
 どうやら緩みそうな顔を見られたくないばかりに、険しい顔をしていたらしい。
 確かにイオリの前で取り繕うだけ無駄かと思い、いつものように口角を上げて見せる。
「まァ、確かに甘いが……嫌いな甘さじゃねェな。うめェと思ってるから、心配するな」
「それなら良かったです」
 イオリも大層喜んだようだし、おれも気分は悪くない。"偶にはシャチの間抜けも役に立つな"と、菓子に囲まれたイオリの笑顔を眺めながら考えた。


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リクエスト内容:ほのぼの
夢主の無意識での言動に照れたり慌てたりなどするローとクルー

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