preparedness for accept

 昼食を終えて、与えられた部屋で持ち帰った本を読み漁っていると、カデットが何やら神妙な顔をして部屋を訪ねてきた。

「話があるんだが、いいか? ……イオリのこれからのことだ」

 おれがいない間に、何を言われたのか話したのだろう。
 行動や言葉遣い、それらを見ていれば、イオリは頭の回転は良くないのだとすぐにわかった。それが奴隷だったからなのか、それとも他に理由があるのかまではわからなかったが。少なくとも、脳に異常があるとか、そういった類のものではないことは確信している。
 それをイオリ自身が理解した上で、複雑な説明をカデットに任せてきたのだ。あの場ではぐらかしたのは、この為なのだとはっきりわかった。

「あァ、聞く」

 読みかけの本を閉じ、積み上げられた他のものの上に重ねる。カデットはテーブルの向かいのソファに腰を下ろし、かりかりと頭の後ろを掻いた。

「まずは何から話すかな……。おまえがイオリを船に乗せてもいいと言ってくれてるってのは聞いた。それは確かだな?」
「あァ」
「ならいいか。おれの仕事はな、正確に言えばイオリの"記憶を消して"、"信頼できる人間に預ける"ことなんだ」

 昨日事情を聞いた時にはなかった言葉。
 事情をひた隠しにしていたのは、いまひとつ信じがたいことを発言して混乱させないためだろう。

「"信頼できる人間に預ける"。これはローが適任だと思ってる。イオリもそうしたいって言ってるし、あんた医者だろ?」
「! ほう……、言ってないと思うが、よくわかったな」
「気になったのはあんたの観察力かな。あと、イオリの涙が止まらない時に"精神的なものか"って訊いてきただろ。どうにも医学的見地から聞いてきてるようにしか思えなくてな。涙腺が緩んだままになっちまうっていう身体的な異常もないとは言い切れないだろうしな」
「なるほど」
「イオリは仕事柄怪我が多いんだが、能力の影響でそれに疎い。だからちゃんと気づいてやれる人間に任せたかったんだ」
「あの能力なら……護衛がメインか」
「あぁ。あと力仕事な。それについては、別の方法で教える」
「?」

 疑問に思い目を眇めるが、それよりも、と逸らされてしまった。

「話しておきたいのは、"記憶を消す"方についてだ」
「あァ……、どうするつもりだ」
「依頼人の方にそういう能力持ちがいてな。だからそれ自体には問題はない。問題があるのはむしろ、預ける相手。一時的に記憶をなくして足手纏いになるイオリを抱えていけるのかってことだ」

 カデットの説明によると、イオリはここに来る前の記憶も故意に失くしていて、今あるのは六年分ほど。そのうち二年分が元の主人に関わる記憶であり、これを消すのが仕事なんだそうだ。ただ、残しておける四年間の記憶は、行き場を失いただ"生きたい"だけで闇雲に生きていた時のもの。当然二年分の記憶の方が密度が大きく、これを消すと一時的にではあるが引き摺られるようにして他の記憶も忘れてしまうのではないかという危惧があるのだという。

「……だから、記憶が戻るまでただの足手纏いなイオリを連れ歩くことと秤にかけて、よく考えてくれ」
「問題ねェ」

 即答すると、カデットは目を丸くした。

「……おまえ、考えた?」
「考えるまでもねェ。元々、クルーを護るのが船長だ。記憶が戻ればまた戦えるっていうんなら、それでいい。戻ってから役に立ってもらう」
「やっぱり、あんたにして正解だった。……そんじゃ」

 カデットは徐に手を腰のベルトに伸ばし、ホルスターに納まった繊細なデザインの銃を抜いた。
 弾を二つ、シリンダーに込めて銃口をこちらに向ける。その指はまだ、引き金にかかっていない。

「オレとイオリを信頼して、これを受ける覚悟はあるか?」

 こいつが何をしたいのかはわからない。しかし、イオリがカデットに事情の説明を頼み、カデットはそれを引き受けてここにいる。何をするのかもわかっているのであろうイオリは止めにこない。何より、こいつはおれにイオリを預けることを前提に話をしている。……つまり、撃たれたところで命に関わることなどない。

「あァ、いいぜ。何をしたいのかはわからねェが、死ぬようなことじゃないってぐらいはわかる」
「やっぱり頭いいなー、あんた」

 楽しそうに笑ったカデットは、一度銃口を下ろした。

「今からあんたに撃ち込むのは、オレの依頼人の記憶と、イオリの能力についての情報だ。訊いてくれれば意味のわからなかったことはオレが教える。目を瞑って、体を楽にしててくれ」

 言われるがまま、今まで座っていたソファに体を沈め、目を閉じた。太刀に手をかけるのは忘れない。しかしそんな警戒も杞憂に終わり、一切の悪意も殺気もなく、カデットが引き金を引き、予想よりは小さな衝撃を二回、額に受けた。
 頭に流れ込んでくる膨大な量の情報に、頭痛を感じる。しかしすぐにそれは治まり、頭の中に今までなかった記憶が確かに刻み込まれたのを感じた。

「……どうだ?」
「事情は理解した……。お前ら、異世界からきたんだな」
「あぁ」

 一番知りたかった、主人がわざわざイオリを他へ預けようとした経緯。廃墟の一室での男女の会話で、それは一気に明かされた。


 ランプが灯され、薄明るい部屋。瓦礫に腰掛ける黒いファー付のコートを着た、額に刺青があり少し長めの髪を下ろした男が、徐に口を開いた。

「パクノダ。イオリをオレたちから逃がそうと思うんだが」
「奇遇です……、私も同じ事を考えていました」

 この視点は、おそらくパクノダと呼ばれた女のものだろう。団長と呼ばれた男はこちらを見ている。

「もちろんオレに死ぬ気はないが……、イオリがな」
「そうね、あの子はどうしても無理をしてしまう」
「傷は治るし、そもそも体も丈夫だ。だが、最近は手強いのも多くて毎回怪我をしている。いくら傷が治っても、失った血は戻らない。連日の襲撃で、イオリが貧血を起こして倒れたとシャルから連絡が入った」
「……そう」
「このままだと、確実にイオリは死ぬ。死なないための能力なのに、それをオレたちのために使ったばかりに」

 ずきり、と胸の奥が痛む感覚。どうやらこれは記憶だけでなく、感情も伝えてくるらしい。
 無表情のまま言葉を続ける"団長"は、思考の最中に宙に泳がせていた視線をまたこちらに――、パクノダに向けた。

「他人に預けられる銃を作れるか? カデットに依頼をしよう」
「カデットに……!? あの、世界を渡れるという」
「イオリがオレたちのことを忘れて生きていけて、尚且つオレたちとの接触を断つにはそれしかない」
「…………わかりました」

 動揺、混乱、困惑の末、パクノダは搾り出すように承諾した。
 イオリに離れていって欲しくない。けれども手放してしまうのが一番いい。そんな矛盾した感情が伝わってくる。

「一芝居打とう。最後に、イオリの本音が聞きたい」
「……イオリは、あなたのことを恨んでなどいませんよ。記憶を読ませてもらった時、はっきりそうわかりました」
「本人の口からも聞きたい。それに、どうせなら死にかけを演じて"もう別れるしかない"と思わせた方が、あいつも踏ん切りがつくだろう」
「えぇ、……そうですね」

 "団長"はパクノダが納得したとわかると、空を仰ぐように顔を上げた。

「どの世界に行ったとしても、イオリのあの足枷は"奴隷"の証だろうな。文明があって縦に分かれた階級があれば、当然虐げられる立場が生まれる。イオリをそうしたのはオレだ。後悔は……、オレらしくもないが、している」
「それでもイオリには、あなたへの忠誠心の方が強い。時期によってはあれ以上はないのではと思うほど恨んでいたけれど……。今は、あなたのことを、旅団のことを大切に思ってくれています」
「あぁ。別に、次にまた誰かを護る仕事に就くのだってかまわないんだ。無理をするのでなければ」
「えぇ……、それができる人に預けるよう、依頼しましょう」
「金はいくらでも出す。シャルに交渉の場を設けるよう伝えてくれ。アメリアにも連絡しておけ」
「わかりました。イオリはこちらへ?」
「あぁ。シャルが仕事をするならイオリはこっちにいた方がばれにくいだろ」

 いたずらっぽく笑う"団長"に、パクノダはどこか安堵したようだった。
 それから、シャルとやらがカデットと"団長"の交渉の場を設け、聞いただけで法外とわかる金額のやり取りをして。契約をした次の襲撃で、旅団はばらばらになり、意図的に攻撃を受け、もう駄目なのだと思い込ませ、イオリに諦めさせた。そうして、昨日二人はこちらの世界に来たのだ。


 わかったのは、襲撃が多くやたらと強敵につけ狙われて、彼らを護るイオリが無理を続ければ死ぬだろうというところまで来ていたこと。そして、イオリのあの絶望は、つくり出されたものだったということだ。しかしそれもイオリを死なせないため。誰にとって何が一番良かったのかは、第三者であり部外者とも言えるおれにはわからないし、当事者たちもわかっていないだろう。ただ、良かれと思ってこんな大規模なことをしているのだ。
 そして、イオリの能力。感情を表に出さないこと、それに比例して体が強くなる。心の鎧が身体の鎧、といったところか。そして五感を鋭くする力、"ギョウ"とやらで怪我を治す力。"団長"のいう"死なないための能力"とはこのことかと、やっと納得がいった。

「何か訊きたいことはあるか?」
「事情は理解した。……そうだな、知りてェのは能力についてだな。"ギョウ"ってなんだ?」
「あー……、それか。念能力といってな、一部の人間にしか知られていない、生命力(オーラ)を操る力があるんだ。人間は皆それをできる可能性を持ってて、修練の末に身につける。使い方によってはとんでもねぇ代物になるからな、どこかの流派の人間に教えてもらうのが一般的だ。イオリは……、地獄を見て身につけた方だな。イオリの元の主人は"幻影旅団"っつって、そいつらもまぁ、我流で身につけたんだろうな」

 カデットは"纏"、"絶"、"練"、"発"という基礎の四大行、そしてその応用技について解説してくれた。最も、オーラというものが視えないためそれがどのような効果をもたらすのかということぐらいしか理解できなかったが。そして、その念能力とやらを強化するのに必要な制約についても教えられた。

「イオリは三つ、制約によって強化している能力がある。ひとつめは身体能力。これは感情を隠せばその完璧さに比例して丈夫になるし、パワーや敏捷性なんかが格段に上がる。あの細腕でとんでもない腕力出してるのはこれのおかげかな。元々強化系で常にオーラを纏ってるっつーのもあるんだが、特に力が必要な時はあいつも無表情になるんだよ」
 元々感情の起伏があまり表に出ないとは思うが、初めに首を絞められた時に合った視線に寒気がしたのは、そのためだったのだろう。瞳にすら感情を映さず、強化をしていたのだ。想像もできないほどに力が強いのにも、合点がいった。

「ふたつめは五感だ。複雑な思考ができない代わりに、五感を思うままに鋭くできる。人間って、遠くのもの見る時眼を細めたりするだろ。あんな感じで必要なだけオーラを目や耳に集めて、より鋭くしてるんだ。多分、地下を見つけたのも空洞での風の音だ。それから、さっき話した応用技の"円"で調べたんだろうな」
「なるほどな……、明かりもなしにどんどん先へ進んでいったのも、そのためか」
「おう。みっつめは、自発的な治癒能力。痛覚っていう、人間に危険信号を送るための感覚を失う代わりに、傷に"凝"を行えば瞬時に治る。これはさらに条件があって、"イオリ本人が傷があることを認識している"、"傷に異物が入り込んでいない"、この二つを満たさなければ治せない」
「確かに、痛みがわからなければ傷も認識できねェな……。医者って事に目をつけたのはこのためか」
「そういうこと。まぁ、痛みがないから貫通しない銃弾だって無理に抉り出しても治せるし、痛みでショック死、なんてこともない。そもそも丈夫だから怪我は少ないんだが、あいつの感情が揺らぐようなことがあれば一気に弱くなる。それを補うための能力かな」

 以上、と締め括ったカデットに、もう聞きたいことは特にないと告げる。事情はこれだけわかれば十分だし、能力についてもイオリが思い出せるのならその都度訊けばいい話だ。
 カデットはそうか、と言って、立ち上がった。

「そんじゃ、イオリの記憶を消す。一緒に来てくれ」
 カデットに頼んで、おれに事情を説明した。イオリはもうおれの船に乗ることを決めて、そして忘れる覚悟もしたのだろう。

 どの程度記憶が残るのかはわからないし、いつ戻るのかもわからない。不確かなことは多いが、それでもイオリを仲間にするメリットの方が大きい。ついでに心のどこかで損得勘定以外にも思考を回す自分に気づいて、カデットがこちらに背を向けたのをいいことに自嘲気味に口角を上げた。
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