wipe the regret

 "覇気"の修行をする皆と別れ、強化系の修行をする場所へと向かう。
 着いて見れば、そこには拳ぐらいの大きさの石が山のように積まれていた。
 数時間で準備することはできないだろうし、カデットさんはこの島を活動の拠点にしていると言っていた。彼自身が使っている修行場所なのだろうか。
 強化系の修行は、自分の持った石にオーラを集めて強化し、地面に置いた石をそのひとつの石でできる限りたくさん砕けるようにすることだ。
 やってみると、以前より数は少なかったけれど、思っていたよりは砕くことができた。
 系統別の修行はこれ以上やっても逆効果だと教わったから区切りをつけて、先程の赤いリボンの結ばれた木の場所まで行く。
 今度はわかっているから大丈夫。"円"は範囲を反射で避けられるぎりぎりの距離まで狭めればいい。目は赤いリボンだけを追えばいい。
 自分に言い聞かせながら、腕時計の秒針が頂点を指すのを待つ。5秒前に、"円"を展開。深呼吸をして、長針が進む音と同時に地面を蹴った。
「……っ」
 生きているかのように急所を狙ってくる植物の蔓をかわし、もう一歩足を進める。別の植物のテリトリーに入ってしまったのか、襲い掛かってくる蔓の数が増えた。
 "円"を使い余裕を持ってかわしながら、リボンへ向けて一歩一歩慎重に歩を進める。
 不思議と、感覚は研ぎ澄まされていた。
 森の入り口から遠ざかるほど、集中力が上がる半面恐怖心も湧き起こる。
 今ここで捕まったら、誰にも気づかれることなく食べられてしまうのではないか。食べられるだけならまだいい、締め上げられて苦しいまま死ぬのではないか。そんなことを考えてしまう。
 心の片隅に僅かばかりの不安を抱きながら、とにかく足を進めた。恐怖で立ち竦むより、体を動かした方が生き延びられる確率が高いから。
 山は天辺にも木が生い茂っているらしく、相変わらず空は葉の隙間から僅かしか見えない。しかし赤いリボンがただの蝶結びでなく花の形を取っていたので、そこが天辺なのだとすぐにわかった。
 カデットさんは器用なひとなのだと思いながら、リボンでつくられた花を横目に通り過ぎる。振り返ってさっと視線を走らせると、すぐに別の赤いリボンを見つけた。
 引き返すために一度足を止めたことで一斉に襲い掛かってくる蔦をかわし、また歩を進める。往路で慣れたために、下山の道のりはそれほど険しくはないように思え、周囲を見る余裕もできた。

「あ……!」

 ふと、小さな生き物が視界に入った。森の中では目を引く明るい色。森の外で育ったものではないだろうか。
 植物はどうやら生き物という生き物すべてに反応するらしく、鞭のようにしなる蔓がその生き物めがけて勢いよく振り下ろされる。動きの鈍いその生き物は、驚いて身を強張らせてしまう。
 そんな場面を見てしまえば、なんだか見捨てるというのも酷な気がしてくる。どうせ通り道なのだし、と地面を強く蹴ってその生き物のところまで移動し、手のひらでその体を掬い上げて振り下ろされる蔓をかわした。
「……やっぱり」
 次々に襲い掛かってくる植物の攻撃をかわしながら、手のひらの中で縮こまる生き物を見る。カトライヤ島までの航海の途中で、ローさんやペンギンさんがこの世界で当たり前に知られていることを教えてくれて、その話の中にこの生き物のこともあったのだ。間近で見ればよくわかる、小さな生き物は電伝虫だった。手に乗るサイズからして、この子は子電伝虫だろう。
 このまま放り出してもまた植物に襲われるだけだろうし、小さいのだから運ぶのに不便はない。
 殻の中に入ってくれれば楽なのだけれど、すぐには恐怖から抜け出せないらしくそれは少し難しそうだ。落とさないように手で優しく包み込んで、次の目印を見つけそちらへと地面を蹴った。


********************


 電伝虫を連れて下山して、まだ陽があったので時間を確認してそのままもう一度挑んだ。電伝虫は相変わらず殻に閉じこもらなかったため、心配で連れて行った。
 二往復目が終わり麓に着いて、皆が修行をする場所へ戻る。
「ただいま戻りました」
 皆の様子を見ているカデットさんの傍へ行き声をかけると、カデットさんはこちらを向き明るく笑った。
「お、イオリお帰り! どうだった?」
「赤の目印を、一回目は3時間、二回目は2時間半で辿りました」
「んー、順調なら次ぐらいには2時間切りそうだな。ま、タイム縮めるのは難しくなるかもしれねぇけど、頑張れよ」
「はいっ」
 と、カデットさんが私が手に物を持っていることに気がつき"どうした?"と尋ねてきた。
「帰り道でこの子を見つけて……」
 手を開いて見せると、子電伝虫は私の手のひらの上で殻の中に閉じこもっていた。どうやら戻ってくる間に放心状態から元に戻って、殻で身を守ることができたようだった。
「あぁ、電伝虫か。こいつは携帯に便利な小さい方のやつだな」
 山から少し離れたところだから、ここはもう安全だ。多分このあたりで生活していたのに、森に迷い込んでしまったのだと思う。下山ルートの三分の二ほどを進んだところだったから、そこまで迷い込めるほどこの子の運が良かったことに驚いている。
 しゃがみこんで電伝虫を載せた手を地面につけて、動かずに待ってみる。
 少しすると電伝虫は殻の中から顔を出して、安全だとわかると体も殻から出した。手から降りるのかと思いきや、その様子もなく、それどころかゆっくりと方向転換をして手首の方へ登ってこようとする。
「え、あれ……?」
 どうしたものかとゆっくりゆっくりと登ってくる電伝虫を見つめていると、ふっと上から影が差した。
「ローさん」
 太陽の光を遮ったのは何かと見上げると、それは私の手元を見下ろすローさんで。
「子電伝虫か。拾ったのか?」
「はい……。帰り道で植物に襲われていたので、ついでにと」
「で、野生に帰そうとしてるのに降りてくれねェ、と」
「……はい」
 ローさんはそういえば説明していなかったな、とぼやくように言った。
「電伝虫は役目を果たしていれば人間に守ってもらえる。野生のコイツらはおそらく他の電伝虫と交信してそういう情報を得ているんだろうが……、それを知ってるから、人間に捕まっても逃げようとはしねェんだ」
 おまけに助けられたんなら、懐くのも無理はない、と。ローさんはそう締め括って、降りてくれないならと立ち上がった私の手のひらに乗る電伝虫を見下ろした。
「飼うか」
「え?」
「あとで受話器をつけてやる。かけ方も教えてやるから、連れ歩いて連絡手段にしろ。子電伝虫は島の中程度の距離しか念波が通じねェが、十分だろ。野生の電伝虫は気まぐれでもねェし、寿命も市場で出回ってる人工繁殖させたのに比べると長い。いい拾い物をしたじゃねェか」
「いいんですか?」
 野生の方が質が良く、手に入るのが珍しいのなら、船の皆が使えるようにした方がいいのではないだろうか。
 首を傾げながら尋ねると、ローさんはくつりと喉を震わせて笑った。
「構わねェよ。ソイツはお前が見つけたんだ、お前が使ってやればいい。それにソイツならお前が連絡してェ時にいつでも念派を飛ばしてくれる。いざ不安な時に連絡が取れねェんじゃ、お前も困るだろ」
「……っ、はい……」
 確かに、元居た世界で言う携帯電話がなくて、少し不安だった。
 前の世界では字が読めなくても扱えるようタッチパネル式の携帯電話を持っていたし、文字を使わざるを得ない電話帳の登録名は、例えばヒソカならトランプのマークを入れておくなど、その人の特徴からわかるようにしていた。困ったことがあってもヒソカに連絡すればすぐに相談に乗ってくれたから、私も仕事をすることができたのだ。
 携帯できる連絡手段があるというのは嬉しい。しかも電伝虫は、電話会社が提供する電波を必要としない。圏外という概念がないのなら、携帯電話を持っている時より安心感が大きかった。
「ロー、そろそろ切り上げるか?」
 私の頭を撫でるローさんに、カデットさんが尋ねた。
「そうだな……。そろそろアイツらも腹が減ってるだろうしな、船に戻るか」
「わかった。オレはこのまま船で世話になっていいのか?」
「そういう契約だろ。船より宿の方が良ければ、それでもいいが」
「いんや、宿代も食事代も浮くし、医者のお前がいる船なら確実に清潔だろ。十分な環境だよ」
 仕事によっては吹きさらしの場所で休むしかないこともある。仕事の報酬であるとはいえ、無償で食事と雨風を防がれた寝床が与えられ、そこが衛生管理をしっかりしているとなれば絶好の環境だと思う。
 ほとんど同じ職業だったといっていい私が頷くと、ローさんは目を伏せて口角を上げた。
「そりゃァ良かった」
 カデットさんが今日の修行は終わりだと呼びかけると、クルー皆が一斉に脱力した声を上げた。
「……今日は何をしたんですか?」
 ローさんがクルーに彼らしい労いの言葉をかけながら船に戻るよう促すのを眺めながら、横にいるカデットさんに問いかけた。
「"武装色の覇気"の練習をな。感覚としては"硬"と同じだ。組手をしながらその感覚を掴ませてるんだが……まぁなかなかうまくいくもんじゃねぇよな」
「なるほど……。それで慣れないやり方に疲れているんですね」
「そういうことだ。しっかしイオリ、お前も"円"の持続時間長いよなー。途中で休憩挟んだとはいえ、合計で五時間半だろ?」
「もともと危機回避のために必要だったので得意でしたし、余裕を持って反応できるぎりぎりの狭さまで小さくしていましたから」
 今もそれほど疲れてはいない。"絶"も使いつつ普段通り眠れば、明日も万全の調子で挑めるだろう。
「そっか、そりゃ良かった。……楽しいか?」
 突然の問いに、多少面食らいながらカデットさんの顔を見上げた。その表情は真剣で、瞳は心配そうで。
「……それは、"航海が"ですか、"修行が"ですか」
「どっちも」
 これまでの生活を思い起こして、自然と自分の顔に浮かぶのは笑みだ。


「楽しいですよ、とても。皆は良くしてくれますし、この環境を守るために戦うのも苦ではありません。確実に皆を守れるように、ローさんの夢を叶えられるように強くなるのも、いやだとは思わない。この船に乗ったことを後悔したことは、ただの一度もございません」


 カデットさんの眼をまっすぐに見て言い切ると、カデットさんは安心したように笑った。
「そりゃ良かった。海賊の船に預けちまって良かったのかって不安がちょっとだけあったんだよ。ま、お前の元のご主人様も納得してたから大丈夫だろうとは思ってたんだけどさ」
「……多分、他のどこへ行っても今以上の待遇は受けられないと思います」
 クルー一人ひとりのことを考えて、過ごしやすいように配慮して。そういうことを当たり前にできる組織の長の下につくことができるのは、幸運なことだと思う。
 今私の手の中にいる子電伝虫だって、本当なら緊急用に皆がいつでも使えるようにしておいた方がいいのに、単純に私が見つけたからという理由で私物にする許可がもらえた。
 私の人に虐げられることに慣れた気質も、彼らは取り除いてくれようとしているのだ。一人の人間として、自己主張をきちんとしながら生きていけるようにと。
「……そっか。お前がそこまで満足してるなら、もう言わねぇよ」
 にかりと歯を見せて笑ったカデットさんは、港でバーベキューの準備をしているコックさんの姿を見つけ駆け寄っていき、私はそれを微笑ましく思いながら眺め、後を歩いて追いかけた。
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