cover up

「船長、イオリ。島が見えましたよ」
 ソファに座り爪先や伸ばした手に視線を遣ってオーラの扱いの練習をしていたらしいイオリは、ノックの音と共に聴こえてきたシャチの声にぱっと顔を上げた。
 声となって漏れそうになる笑いを噛み殺しながら、読んでいた本に栞を挟み閉じた。
「島は見えてもまだ降りられねェぞ」
 記憶が戻り、昼寝をすることも多くあるが通常の生活ができるようになり。時間のできたイオリには、できることが少なかった。
 忘れた記憶を触発するような出来事が起こるとすぐに眠ってしまうため、見張りには向かない。常に戦闘に備えておかなければならないため、オーラを使った訓練をやりすぎてもいけない。
 洗濯や掃除、食事の準備の手伝いぐらいはできるが、それもすぐに終わってしまう。
 ペンギンの手の空いた時間に一般常識を少しずつ教わり、新聞記事になった出来事について新聞を読んだクルーから説明してもらい、とやることを終えれば、もうイオリにできることはない。
 特に手伝えることもなくなり部屋で疲れない程度に訓練をしていたところへの、シャチからの朗報。イオリの表情が明るくなるのも無理はなかった。
「甲板に出てもいいですか?」
「あァ、おれも行く」
 イオリは扉の向こうのシャチに"すぐに行きます"と呼びかけ、鎖を腕にかけて立ち上がった。
 鬼哭を担ぎ立ち上がって、軽快な足取りで入口へ向かうイオリの背を追う。
 甲板へ出て島を見ると満足したらしいイオリは、次は何をしようか、と周りを見た。
「イオリ、暇なら組手しねェ?」
 すぐにシャチがイオリがもう暇であることに飽きてきているのだと察したらしく、そう声をかける。イオリは表情を明るくし、二つ返事で頷いた。
 二人とも軽く体を伸ばして、ある程度距離を空けて向き合う。
「シャチさん、ひとつ目標を持ってみませんか」
「目標?」
「はい。私を跳ばせてみてください」
 イオリの言葉に、シャチは首を傾げた。
「跳ばせる、って」
「やってみましょうか?」
「おう」
 百聞は一見に如かず、と二人とも早速腰を落とし構えた。
 手摺りに肘をかけ、立てかけた太刀を緩く握りながら眺める。
 ほぼ同時に互いが踏み込み、拳を振るった。しかしイオリはすぐにその攻撃を止め、前に流した重心をそのままにシャチの拳を潜り抜ける。
 反応の良いシャチは横をすり抜けようとするイオリの腕を掴むが、イオリはその掴まれた腕を軸に体を捻りシャチの横っ腹に蹴りと叩き込もうと脚を振り上げた。鎖がその動きに引かれて流れ、シャラシャラと音を立てる。
 空中で自由が利かないことは誰もが知っていることで、シャチもそれに漏れずイオリの腕を放し屈んでその蹴りを避けた。
 しかしイオリの追撃は止まない。避けられたと見るやその攻撃をすぐに中断し、足元を狙い拳を振るい、敢えて上へと逃げ道を作る。
 何度かはかわすことのできたシャチだったが、イオリの経験則による先読みは強い。とうとう追い詰められ、後ろへ大きく跳んで避けざるを得なくなった。
 落下速度はどうすることもできず、シャチはつなぎの襟を捕まれてくるりと体を回転させられる。受け身を取る余裕を与えられながら甲板に転がされたシャチは、身を起こすとぐしゃりとキャスケット越しに頭を掻いた。
「跳ばせるってこういうことな……」
「はい。相手の動きの癖を見て、先読みしながら攻撃することが必要になってきますから」
「前に言ってた"読みが甘い"ってのが改善できるワケか」
「そうです。何より飛行能力を持っているのでない限り、空中に留まるのは良策とは言えません。地面に足をついて自由に動けるまでの時間に勝敗が決することだってあります」
 能力者でなく、加えて体術を武器にしているというのなら、確かに思うように身動きのできない状態になるのは利口だとは言えない。
 その動きの無駄を削り、逆にその動きに相手を誘導することを覚えさせ欠点も補う。"生き残れる術を叩き込め"という言葉をきちんと実行してくれているようだ。更には一石二鳥で効率もいいとくれば、任せて良かったと思えるのは自然なことだった。
「しっかしそれがなかなか難しいんだよなァ」
「こればかりは経験ですから。短時間で相手の癖を読む、それから相手の動きを先読みする、その上で相手を誘導する、身につけなければならないことはたくさんありますよ」
「イオリも実戦で身につけたのか?」
 何気ないシャチの問いに、イオリはぴくりと肩を跳ねさせた。
「……はい」
 声のトーンが落ちたことに気がついたシャチが、人差し指でぽりぽりと頬を掻いた。
「っ、あー……わりィ。なんか嫌なこと訊いちまったみてェだな」
 イオリは取り繕うように笑みを浮かべ、ゆるりと首を横に振った。
「いえ……。腕試しができて、お金も稼げる闘技場があったんです。そこでたくさん戦いました」
「そんないいトコがあんのか!」
「いい所かどうかは、人によると思いますが」
 普段の調子を取り戻したようで、イオリは苦笑して返答した。
「なんで? 闘技場だろ? ルールとかあるんじゃねェの」
「ありますが……相手を殺してはいけないというルールはないですから」
「そりゃ確かに人によるな……」
 撃ち込まれた記憶の中に、それについてのものはない。足枷を填められる前のことは然して重要でもないと、外したのだろう。若しくは、イオリが覚えていられることなら敢えておれに知らせることもないと思ったか。
 イオリの瞳が見せた揺らぎに、トラウマでもあるのだろうと予想をつける。
 太刀を掴み肩にかけると、刃と鞘が触れ合い音を立てた。その音に、イオリとシャチは揃ってこちらを向く。
「そろそろ上陸の準備も始めなきゃならねェんじゃねェか」
 イオリは船室に目を向けて少し黙ったが、ついとシャチに視線を向けた。
「シャチさん、バンダナさんが呼んでます。薬品庫のチェックがあるみたいですけど……」
「あァ、んじゃ行ってくる! また今度頼むな!」
 シャチはイオリに手を振り、おれに一度頭を下げると船室へ駆けていった。
 イオリはおれの隣に立ち、手摺りに緩く手をかけ島を見つめた。
「調子はどうなんだ。シャチと組手をしている時は動きにぎこちなさはなかったように見えたが」
 問いかけると、一度こちらに視線を向けたイオリはその視線を掌へと移し、その手を握った。
「動きに合わせてオーラを移動することはできるようになりました。フェイクをかけられるほどではないですが……念能力者と戦うわけでもないですから、ひとまずは戻ったと思っていただいても大丈夫です」
「それで十分に戦えるのか?」
「いいえ、もっと速くしないと……。まだ、遅い」
 拳を見つめるイオリの瞳には、焦れたような熱が浮かんでいた。
「焦るな。念が"技術"なら、乱雑に磨いても光らねェぞ」
 言葉を聞いたイオリは、小さく息を吐き拳を解いた。
「……そう、ですね」
「おれも"ハキ"とやらを身につけられればいいんだがな」
 イオリは"ハキ"を使っていた中将が念能力者と似た気配を持っていたと言っていた。そして、その"ハキ"は誰もが使えるものかもしれないとも。
 性質の些細な違いで気配が似るだけに留まっているのなら、その力は悪魔の実の能力にも対抗できるはずだ。
「仮に"ハキ"を知っている人がいたとして、教えていただけるかどうか……」
「……まァ、急いても仕方がねェ。またあの中将と同じ気配がしたら言えよ」
「はい、心得ています」
 イオリがいつもの落ち着いた笑みを浮かべたことを確認して、小さく息を吐いた。
 仕事の手が空き暇なクルーは、イオリを見つけると手合わせをしてくれと頼みに来る。昼寝をしに出てきたベポの腹を借り、背凭れにして座りながら組手を眺めて過ごした。


 陽が頂点を過ぎ、一番気温の上がる時頃。船はようやく島の傍へ辿り着いた。
 船を着けられる場所がないかと、クルーはきょろきょろと辺りを見回す。
「おォい、そこの海賊さんたち」
 男の声が聴こえ、皆そちらへ視線を向けた。どうやら岩場に出てきている釣り人のようだ。
「何か用か?」
 ペンギンが声を張り上げ、男に問い返した。
「左手に回った先にある浜に船を停めるといい! 今は使われていない元は漁村の港だった場所だから、桟橋もある」
 おれとペンギンがイオリへと視線を向けると、じっと男を見ていたイオリはペンギンを見てこくりと頷いた。嘘を言っている様子も、こちらを嵌めようとしている様子もないということだ。
 ペンギンも一度頷き返すと、再び男へと顔を向けた。
「そうか、感謝する!」
 釣り人は一度大きく手を上げると、魚がかかったらしい竿に意識を向けた。
 言われた通りに島の外周を辿り、話にあった浜を見つける。桟橋がいくつも伸びており船がいくつも停められるようにはなっていたが、しかし船は一隻も停まっていなかった。
「何もいねェな?」
「……少し待ってください」
 言葉の直後、一瞬だけ空気が張りつめた。しかしそれはすぐに解ける。おそらく"円"を使ったのだろう。
「大丈夫です。特に生き物はいません」
 ペンギンは陽の高さを見て、口角を上げた。
「なら、降りても平気そうだな。シャチ! さっきの釣り人にこの島のこと訊いてきてくれ」
 島に着いたと聞いて少し島を見ようと思って出てきていただけらしいシャチは自分の顔を指差し、反対の手に持っているクリップボードを掲げた。
「おれ!? まだ薬品庫のチェック残ってんだけど」
「あァ、なら代わってやる」
 人の良さそうな男だったが、話を聞くならシャチのようにとっつきやすい性格をした者が行った方がいいだろう。
 クリップボードを受け取り、棚のどの範囲のチェックを終えているのか口頭で聞いてから、シャチを見送った。
 イオリを見て、目が合ったのを確認して。
「付き合え、力仕事が多少ある」
「はい、わかりました」
 あとをついてくるのを鎖の音で確認しながら、船室へと足を進める。


 イオリがおれの好意に気がついている可能性に辿り着いてから、名前を呼ばないようにし始めた。名前というものはやはり名づけた人間の情が篭もるのか、口にする度に心中が穏やかになるからだ。
 呼んだ時の声調で本当に気づかれやしないか、そんな風に警戒するならばいっそ呼ばないようにしてしまえばいいのではないか。
 少しずつ呼ぶ回数を減らし、ついには名前を呼ぶことなく会話ができるようになった。イオリは視線に敏感だから、見ればすぐに気がつく。
 ほんの少しだけなら、と自分に甘えた結果がこれだ。やはり欲張るものじゃない。
 切らすことなく背に向けられる視線に、耐え切れず目だけで振り返り口を開いた。
「……なんだ?」
「いいえ、……なんでもございません」
 ゆるりと首を振りながら浮かべられた笑みが寂しげに見えるのを、気のせいだと思いたかった。
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