unnatural is coated in natural

「えー……、そんじゃァ、船長の懸賞金アップとイオリのフダツキを祝して!」
「乾杯ッ!!」


 ジョッキやグラスがぶつかり合う音、賑やかな話し声。
 宴だと盛り上がるクルーたちの姿を見るのは嫌いじゃない。
 船室の壁に触れさせるように置かれた樽に腰を下ろし、壁に背を預けながらグラスを傾ける。
「ローさん、食事を持ってきました」
「あァ、悪ィな」
 主役がいないまま始まった宴だが、然して気にした様子もなく船室から出てきたイオリが持つトレーには握り飯に魚料理、パンやサラダ、フルーツがふんだんに使われたタルトが載っている。賑やかな場の中に置いておけば皆が好き放題食べ、挙句には給仕が追い付かなければ取り合いにもなるので、コックがわざわざ取り分けてイオリに持たせたのだろう。
 おれが手を伸ばしたものにまで掴みかかるようなヤツはいない。しかし、あまり食べなさそうなイオリのためだけに、というのもイオリにとってはこれもまた遠慮したい話だろうと考えおれの分も取り分けたのだと簡単に予想がつく。
 イオリはトレーをおれが座る樽の横に並べられたもう一つの上に乗せると、その樽を背に腰を下ろし座り込んだ。
「これはお前のグラスか?」
「え? あ、はい」
 トレーの上に載せられたグラスを手に取り見せながら問うと、振り返ったイオリはこくりと頷く。
 取り置いていた酒の瓶を開け、中身をグラスに注いでイオリに手渡しかけた、が。
「……あァ待て、先に何か腹に入れろ。その方が酔いが回りにくい」
 イオリはすぐに納得し、イオリの為に取り分けられた料理を口にした。
 顔を綻ばせおいしい、と呟くイオリに良かったなと返し、今度こそグラスを手渡した。
 イオリはすん、と鼻を鳴らし匂いを嗅いでから、ゆっくりとグラスを傾けた。こくりと喉が鳴り、イオリの顔が綻ぶ。
「それなら飲めそうか?」
「はいっ。おいしいです……!」
 どうやら上機嫌らしく、酒を飲んでもにこにこと笑顔を浮かべてクルーたちの話に相槌を打つだけだ。
 甘える様子がないことに少し残念だと感じながら、アルコールが喉を焼く感覚を楽しむ。
 コックが食器を下げに来て、イオリの手元にタルトの載った皿とフォークだけを残し船室に戻っていった。
「座るか?」
 空いた樽を掌で叩き問いかけると、イオリがきょとんとして窺うように見上げてきた。
「下に座り込まれると話しにくい。今更位置なんか気にしねェから、座れ」
 懸念を溶かしてやると、イオリは素直に立ち上がって樽に腰を落ち着けた。シャラシャラと鎖が鳴り、イオリの足首につけられた枷から吊るされる。
「"ROOM"」
 虫の羽音に近い鈍い音がして青い半透明の円(サークル)が現れると、クルーたちが一斉に振り返った。
 適当な木箱に狙いを定め、シャンブルズで床に置いていた空き瓶と入れ替える。
「足、載せとけ。この方が楽だろ」
 太刀の鞘で木箱を引き寄せてやりながら言うと、イオリはすぐに意味を理解し鎖を一度巻き取り木箱の上へと散らした。
「ありがとうございます」
 枷と肌の間には僅かだが隙間がある。筒状の枷と、曲線を持つ人間の体とではどうしたって噛み合わないところがあるためだ。
 カトライヤでイオリを攫った地主がつけた枷の痕を診るついでにその周囲を観察したが、その隙間を利用して覗いた足枷に隠された肌には、擦れた痕が痛々しく刻まれていた。
 イオリ本人が"絶"をすれば、その気配断ちの技術を妨げないようにと枷も存在感をなくす。しかし常日頃からその状態でいることもできないため、枷は実体化しているのだ。イオリの能力が傷を治す前に、枷が擦れて絶え間なく傷がつく。
 当人が気がつかないままに痛めつけられている足首を、僅かでも労ってやれるならいい。
 敵が来たわけではないとわかったのか、クルーたちはまた騒ぎ始めた。次第に歌い出す者が出始め、周囲がそれに便乗していく。
「この歌……前も歌っていた気がします」
 イオリはタルトを崩して食べながら、その歌に首を傾げた。
 確かに、酒盛りをする度に誰かが歌い出す。地域によっても海賊が歌う定番のものは異なってくるが、この歌は有名だ。誰でも歌えるし覚えやすいから、と決まってこの歌を歌うようになった。
「昔から海賊に好まれてる古い歌だ。大海賊時代に便乗して暴れるだけのヤツでなきゃ、大抵は歌えるんじゃねェか」
「そうなんですね……」
 繰り返される同じ歌詞。目を閉じて聴き入っていたイオリは、憶えたのか小さな声で口ずさみ始めた。
 うろ覚えか、はたまた単に集団で歌っているため聞き取れなかったのか。時折途切れるが、しかし静かな声は聴いていて心地がいい。
 バカ騒ぎの最中で聴く歌声も賑やかで悪くないが、イオリの静かな歌声もまた耳によく馴染む。
 グラスを傾けながら聴き入っていると、またイオリの声が途切れた。
「"おくびょう風に吹かれりゃ最後"だ」
「……中々覚えられませんね」
 旋律に置いていかれたイオリは苦笑しながら、グラスを傾けて中身を飲み干した。新しく注いでやると、イオリは礼を言いまた一口飲む。
「何度も聴くことになる。そのうち覚えるだろ」
 空になったグラスの口をイオリに向けると、イオリはすぐに意味に気づき酒を注いだ。
「そのタルト、お前のリクエストか?」
「はい。……どうしてわかったんですか?」
「ベポはもっと大量に作れる焼き菓子を選ぶし、野郎共は甘い菓子になんか興味はねェ。大方コックがデザートに何を作るか迷って、お前のリクエストを聞き入れた、ってトコだろ」
「正解です」
 フルーツも見栄えよく盛りつけられていたし、ここまで手の込んだものを作るのは女であるイオリの為だからという理由だろう。
 一切れだけ載せられていたタルトを綺麗に食べ終えたイオリは、皿を脇に置いて腹に掌を当てた。
「今日はなんだかたくさん食べちゃいました」
 嬉しさの混じった苦笑を浮かべる様子から、無理をして食べたのではないことが窺える。
「いい傾向だな。もう少し肉や魚も食えるようになればいいんだがな」
 今日食べていたのもパンとサラダ、フルーツがふんだんに使われたタルトのみ。胃が慣れないのかあっさりしたスープに入った少しの鶏肉程度しか食べられていないようだが、もう少し食べて欲しいところだ。
「おいしそうだとは思うのですが、あまり食べたいと思えなくて……」
「無理して食えとは言わねェから安心しろ。ただ、食べたいと思った時は素直に言えよ」
「……はい」
 満腹感があるために眠くなってきたのだろう、イオリが小さく欠伸を零した。
「……眠いならおれも戻るが」
 声をかけると、イオリは大袈裟に肩を跳ねさせた。
「! いえ、大丈夫です。ローさんを付き合わせるわけにはいきませんし、私一人で戻ります」
「言い方が悪かったな。……おれは十分楽しんだ、お前が満足したなら部屋に戻って休むぞ」
「……それなら」
 最早この宴に主役も何もあるまい。
 おれが早くに上がるのもよくあることだが、先に寝てしまえばイオリは後からベッドに入ってくることを遠慮するだろう。
 いつもより食が進んでいることがわかっていたのもあり、イオリが満足するまでは付き合ってやろうと残っていたのだ。
 太刀を掴み腰を上げると、近くにいたペンギンが"休むんですか"と声をかけてきた。
「あァ。あとは任せていいか」
「えぇ、もちろん。イオリも休むのか?」
 ペンギンは鎖の音を立てながら木箱から降りるイオリにも帽子の影から視線を向け、そう問う。
「お腹いっぱいになったら、眠くなってきてしまって……」
 イオリが浮かべた苦笑から、苦しくなるまで食べたのが理由ではないと理解できたらしい。ペンギンは嬉しそうに口角を上げた。
「そうか。悪いことじゃないさ、ゆっくり休むといい」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ。船長も、何かあったら呼ぶかもしれませんがゆっくり休んでください」
「あァ」
 ペンギンへ向けて軽く手を上げて見せ、先に船室の扉を開けて待っているイオリに礼を言い潜り抜けた。
 背後で扉の閉まる音がした後、イオリが小走りについてきているために鎖の音が部屋に響いた。しかしすぐに、その音が止む。
 どうしたのかと振り返ったが、すぐ傍にいるはずのイオリを認識するのに僅かばかり時間がかかった。
「……何かしたか?」
「"絶"を。疲れているのに、こうも鎖の音が響いては耳障りでしょう?」
「いや、平気だ。それよりその気配断ちをやめろ」
「?」
 イオリはきょとんとして、首を傾げた。船室に取りつけられたランプの火が、陰影をくっきりと浮かび上がらせた。
「傍に居るのに気配がない方が、ストレスになる」
「……それもそうですね。申し訳ございません」
 ふわ、とイオリの存在感が明確になって、僅かな身動ぎに鎖が音を立てた。
「お前にとっちゃ、ずっとそうしていた方が楽か?」
 鎖の音は、周囲にイオリの居場所を伝えてしまう。ある時は主の生活の邪魔にならないように、ある時は敵に見つからないように、気配断ちをしなければならない理由は常にあったはずだ。存在感を薄くして、人目を避けるためにも有効だったのだから。
「皆さんにとって耳障りでないのなら、このままがいいです」
「なら、そうしていろ」
 おれの船にクルーとして乗っているなら、息苦しさを覚えたまま過ごして欲しくない。記憶が戻る前でも、夜中に喉が渇いたからと出歩く時はイオリも鎖を持ち上げて音をさせないようにと気を遣っていたし、不満はすぐに言ってみろと言い渡してあるがその音を気にしているクルーがいるという報告は誰からも来ない。ベポも船内の音のほとんどを耳で拾えるが、嫌そうに顔を顰めることもなかった。
「夜中は気を遣ってるんだろ。それでいい」
「……ありがとうございます」
 革靴が床を踏みしめる音、ぺたぺたと裸足が床を叩く音。機関室から低い重低音、鎖の甲高い音。外から聴こえる、宴の喧騒。たかだか鎖の音ひとつで、何を不快に思うことがあるというのか。その音ひとつを削ったところで、この船が静まり返ることはない。
 部屋に入ると、イオリが屈んで鎖を手繰り寄せた。長い鎖は、こういう時に手間がいる。
 イオリが部屋の中に鎖のすべてを入れたのを確認して扉を閉め、電気をつけるほどでもないと判断しランプに火を灯した。
 昼間にやりかけだった洗濯物の片づけを終えるのを見計らい、腹も落ち着いただろうと声をかける。
「イオリ、先にシャワー浴びてこい」
「わかりました」
 イオリは元は倉庫であった隣の部屋に着替えを取りに行き、戻ってくるとおれを待たせないためだろう、すぐにシャワールームへ入っていった。
 帽子を脱いでローテーブルに放り、ソファに深く腰を下ろして片手で両目を覆う。
「……ハァ」
 やっと、一人になれた。昼食はイオリと共に取り、その後はクルーの相談に少し乗ってやってから、部屋でイオリを傍に置いて本を読んでいた。それから先程までいた宴。
 イオリといるのが嫌だったワケではない、ただ昼間に見せられたイオリの行動の意味を、落ち着いて考えたかった。
 部屋を出る間際、弄った毛先。まずその行動が、不自然なのだ。昼寝から起きた後に髪を手櫛で整えることも、暇な時に手頃な物を指先で弄ぶことも何も不自然ではない。しかし、おれが部屋を出るのを待つ時に、というのが妙だった。そんなおれを急かすような行動をイオリがするワケがない。
 そして、問いかけた後の瞬き、一瞬の探るような視線。
 何ら不自然のない微笑みと、嘘か本当か確かめようもない"髪が絡まっていた"という言葉。
 記憶を辿って行けば、不自然さを欠落させたその一連の動作が、とてつもなく不自然なものに思えた。そして、一つの結論に行き着いてしまう。


 イオリは夢うつつであってもおれのあの行動を覚えていて、その髪に触れてみせることでおれの反応を見たのだと。
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