memory is twines

「ごちそうさまでした」
 ドライフルーツや、はちみつの入ったしょうが湯。果物の効能は自覚できるものではないからともかくとして、しょうが湯のおかげで体はぽかぽかと温かかった。
 トレーを返しつつカウンター越しに食器を洗うコックさんに声をかけると、手は止めないながらも振り返って笑顔を向けてくれた。
「あいよ! お粗末さま。体はあったかくしとくんだぞ。あとで飲み物作ってやるからな」
「はい、楽しみにしてます」



 ベポちゃんは甲板でお昼寝、ローさんはその傍で読書。午前中は何をするのかと訊けば、そう返された。
 お昼寝したい気分だけれど、外だと体を冷やすかもしれない。お部屋に戻って寝ていようかなと思っていると、ベポちゃんが冷やさないようにすれば大丈夫だから、と言ってブランケットを持ってきてくれた。
 ローさんも特に反対はしないから、大丈夫なのだろう。
 ベポちゃんのお腹を借りてローさんの横で少し眠り、すっきりとして目が覚めた。
 甲板ではクルーが組手をしていて、ずいぶんと賑やかだ。どうやら暇なひとは皆出てきているようだった。
「あァ、起きたか」
 ローさんが私が起きたことに気がついて、声をかけてくれた。
「おはようございます。皆さん、元気ですね……」
「力不足で悩んでるのはおれたちだけじゃねェってことだ」
 そういうことか。ローさんの一言で納得して、組手をする皆の様子を観察した。
 と、シャチさんがペンギンさんに背負い投げをしかけられてひっくり返る。
「ってェ……! あーちくしょう、勝てねェッ!」
「お前は攻撃が粗すぎるんだ」
 ペンギンさんが呆れたように言い、掴んでいたシャチさんの腕から手を離した。
 シャチさんは身を起こすとこちらを向き、私が起きていることに気がついてへらりと笑った。
「お、イオリ起きたのか! 騒がしくしちまってごめんな」
「いえ、大丈夫です」
「そうだイオリ、お前も組手やろうぜ!」
 組手……。まだ"流"の感覚も取り戻せていないし、防御だけにオーラを使えば皆に怪我をさせることもない。体は動くのだからオーラの移動に失敗したとしても、すぐに攻撃は止められる。
 横で話を聞いていたローさんの顔を仰ぐと、すぐに了承の言葉が返ってきた。
 上着を脱ぎ、ぐっと体を伸ばす。相変わらず一瞬で移動させることはできないオーラの調子だけ確かめて、相手をしたいと名乗り出たペンギンさんの前に立った。
「こっちからしかけていいのか?」
「いつでもどうぞ」
 少しばかり緊張した面持ちで尋ねてきたペンギンさんはひとつ頷くと、大きく踏み込んでお腹めがけて拳を振るってきた。
 半身を捻って避け、突き出された拳を掴んで勢いを殺させないようにしながら逸らす。前のめりになったために向けられた背中に掌底を打ち込むと、すぐさま反応したペンギンさんは体を捻って腕で防御した。
 それはいくつかあった予想のうち。防御に使われた腕をすぐさま掴み、不安定になったため流れる重心の移動の力を借りて、くるりとペンギンさんの体を回転させた。
 受け身を取りすぐに起き上がろうとされるけれど、それを許すほど鈍っているわけでもない。
 体重をかけているらしい足を払い、尻餅をついて慌てて立ち上がろうとしたペンギンさんの首に指先を突きつけた。


「――勝負あり、です」


 ペンギンさんはひとつ息を呑み、両手を上げた。
「……参った」
 その言葉を聞き、首元に当てた指を離して距離を置く。
 見ていたクルーから歓声が上がる中、ペンギンさんは帽子越しに頭を掻き大きな溜め息を吐いた。
「イオリ、やっぱりお前は強いな」
「そうでなければ困ります」
 記憶が戻るまでの間、ローさんにもクルーの皆にもたくさん迷惑をかけた。そしてきっと、迷惑が少しだけ小さくなるだけでこれからもそれは変わらない。だからこそ、私は自分にできるたったひとつのことだけは、他に劣ってはならない。
「はは、あまり気負っても仕方がないぞ」
「……そうですね」
 ペンギンさんは一息ついて立ち上がると、交代、と言って周囲のクルーを見回した。
「イオリ、次おれな!」
「シャチお前……、ペンギンが勝てなかったんだから尚更お前が勝てるワケねェだろ」
 バンダナさんの呆れた声に、周囲からも同意の声が上がる。
「何事も経験ですから。シャチさん、やりましょうか」
 心理状態、体調などのその時の状況で、勝負はいくらでも変わるものだ。
「よっしゃ! んじゃ、いくぜ」
 頷くと、ペンギンさんが今しがた居た位置に嬉々として立ったシャチさんは真剣な顔つきになって構えた。僅かに私の気が緩んだ隙を狙い、踏み込んでくる。
 受け流すよりはこちらからも仕掛けた方が実戦により近いだろう、と振るわれる拳を腕で受け止めながら足払いをかけた。
 シャチさんは咄嗟にかわし、私から距離を置こうと床を蹴って飛び退る。それを追って距離を詰め、胸倉を掴もうと手を伸ばすと手刀で弾かれ、それと同時に脇が緩んだ隙をついて逆の手の拳が飛んできた。重心をずらして最低限の動きでそれをかわし、痺れの消えた手で今度こそ服を掴み、足をかけながら後ろへと押し倒す。
「うわっ、やっべ……!」
 受け身を取ることは許さず、甲板に倒れ込む寸前にシャチさんの体を反転させて俯せにした。両の手首を掴み、首に触れるとシャチさんは"降参"と力なく言った。
 拘束をなくし、首からも手を離す。シャチさんは身を起こすと、がしがしと後頭部を掻いた。
「勝てねェな、ホント……!」
 周囲で見ていたクルーはそりゃそうさ、と笑った。
「けど、ペンギンより長く持ったんじゃねェか?」
「ペンギンは正確さが売りだからな。シャチはそっちにゃ長けてねェが、咄嗟の機転が利くからなァ!」
「そうですね……。初めの足払いへの反応も良かったですし、手を弾く、というのも妙案でした」
 かわされれば次の手も打てたし、掴むことができればそれでよし。ただ、弾かれると一瞬でもこちらの意志で手を動かすことはできなくなるから、その隙をつかれたらもっと劣勢に立たされていたかもしれなかった。"流"ができない今の私には、"くる"とわかっていてもオーラで固めて攻撃を無効化することができないのだから。
「やった! イオリに褒められた!」
 私に褒められても何も喜ばしいことはないと思うのだけれど……。
 本人が嬉しそうならいいかと、何も言わないことにする。
「なァイオリ、他にはなんかあるか?」
「他……?」
「おう! 船長はほら、能力とか剣とかがメインだろ。イオリは体術がメインだし、参考になるからさ!」
「……そう言われましても、私は誰かに師事されたことはありませんから」
 シャチさんの言葉は尤もだと思うのだけれど、私は真っ当な流派の師に教えを乞うたわけでもなければ、誰かに技術を教えた経験もない。下手なことを言って、それがかえって本人を弱体化させるようでは困るのだ。
「いいじゃねェか、気になったことは言ってやれ」
 静観していたローさんが、愉しそうに口の端を上げながら言った。
「この中で体術において一番強ェのは、間違いなくお前だ。経験も十分に積んだプロの傭兵なら、師匠とするに不足はねェだろ。流派だの型だのは気にするな、どうせ命懸けになればそんなもん関係ねェ。お前はこいつらが生き残れる技術を叩き込んでくれりゃァいい」
「……ローさんがそう仰るのなら」
 彼はお世辞は言わない。力不足ならそうはっきり言ってくれるし、その上で導いてくれる。
 その彼が任せると言ってくれているのなら、これ以上断るのもおかしな話。
「よっしゃ! んじゃァ頼むぜイオリ師匠!」
 そんな風に呼ばれるほどではないとやんわりと断りを入れて、先程の組手ですが、と前置きをする。シャチさんを始め、見物に回っていたクルーも私の言葉に耳を傾ける。それに若干の緊張を覚えながら、口を開いた。
「……シャチさんは、読みが甘いです」
「いきなり辛辣!?」
「……私の手を、弾いた後。次の手は良かったですが、その対処に対する手を何も考えていないように見えました」
「あァ……いける、と思ってた」
「それが敗因です」
 何も先の先まで読み切れなくとも良い。次に起こることを出来うる限り予測して、焦らずに対処をすることが大切。予測することには確かに経験が必要だけれど、だからといって自分の打った手に満足して勝てる、当たる、と思い込むことは隙を作ることに繋がってしまうため良くない。
「私がペンギンさんと組手をした時、あえて掌底を使った理由はわかりますか?」
「え? あァそういや……拳の方が威力あるのになァ」
 首を傾げるクルーたちを横目に、ローさんがひらりと私の上着を見せてきたのでそれを受け取りにベポちゃんの傍に戻る。
 上着を羽織り、さぁ答えは出ただろうかと皆の表情を窺うと、ちらほらと曖昧な答えが返ってきた。
 ローさんが喉の奥で笑い、頭の後ろで腕を組んで枕にし、ベポちゃんに寄りかかる。
「ペンギンはあの時体勢を立て直しやすい状態だった。当たれば幸運、腕で庇われればその腕を掴める、かわされれば振りかぶる必要のなかったあの攻撃ならすぐに止めて別の手を打てる。そんな理由からだろう」
 問いかけるように視線を向けられ、首を縦に振った。
「正解です」
 おぉ、とクルーたちからローさんへの感嘆の声が上がった。
「!」
 突然嬲るような強風が吹き、甲板にいたクルーは帽子を押さえた。ローさんもそれに漏れず、斑模様の帽子を手のひらで押さえつける。
「……そろそろだな」
「?」
「おい、ベポ。風が強くなってきた。指示を出せ」
 ローさんは刀を担ぎ身を起こすと、ベポちゃんの体を揺すった。
 ベポちゃんはすぐに起きて、頭上で注意をし合うカモメの声に耳を傾ける。
「……?」
 風が強くて、鳥も警戒するように鳴いている。嵐、だろうか。
「イオリ、少し前に教えただろう? 島を取り巻く海域の境目は、狭い範囲で気候が大きく違ってくるから天候が荒れやすい。この間は高波だったが、今回は嵐だな」
 予想は立てられてもいまいち飲み込めずにベポちゃんの指示の声を聞いて動き出す皆を見ながら戸惑っていると、ペンギンさんがぽんと肩を叩いて諭すように教えてくれた。
「潜ることになるから、デッキに物が落ちていないか確認してくれ」
「は、はい」
 ローさんが船室に入っていくのを見送り、体の周りにオーラを留める"纏"と、オーラの量を爆発的に増やす"練"を合わせた応用技の"円"を使ってオーラですっぽりと潜水艦を覆った。散り散りになったクルーが物を拾い終えていて、気づかれずに落ちている物はない。指示の声が届かず甲板に留まったままになりそうなひともいない。それだけ把握してしまえば、それ以上"円"を展開しておくのも疲れるだけというもので、すぐにオーラを通常の状態に戻した。
「大丈夫です、物も落ちていないし、指示が届いていないひともいません」
「じゃあ、大丈夫だ。おれたちも中に入ろう。あとは好きに過ごしていていいからな」
 ペンギンさんは殊更優しく言って、中に入ろうと私の背を押した。
 最後の確認をした私たちが船室に入るのも一番遅かったらしく、しっかりと扉を閉めると誰かが伝声管で操縦室にいるひとに潜ってもいい、と呼びかける。
「イオリのその能力、便利だな。潜水前のチェックは今後イオリに任せるとするか」
「は、はいっ」
 戦うこと以外にも、船でできることがある。ペンギンさんがそう思わせてくれたような気がして弾んだ声で返事をすると、頭を撫でられた。
 初めはあんなにも私のことを警戒していたのに、今は人一倍私を安心させようと優しく接してくれる。一緒に過ごす中でちゃんと認めてくれた、そう思う感覚が、なんだか久しぶりのような気がした。


 ――"久しぶり"? ヒソカはそんな風ではなかった。ゴンとキルアは、出会ってすぐに私に対等に接してほしいと言ってくれた。レオリオ様には怯えられてしまっているし、クラピカ様にも嫌われたままのはず。それなら、他には? 警戒されて、共に過ごすうちに打ち解けた、そんなひとが他に、どこに……。


 ずきずきと疼くような感覚のする頭を押さえ蹲ると、周りのひとに名前を呼ばれるのが遠くに聴こえた。
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