"Herculean girl"

 中将との交戦を終えてしばらくの後、燃料を無駄に使うのは勿体ないと浮上して帆船としての形態をとり進む海の上。
 一晩が経ち、追手の心配はなくなっていた。ふと目が開いて、まだ薄暗い部屋をぼんやりと見回した。イオリは随分と疲れていたようで、ぐっすりと眠っている。
「船長ッ、イオリッ!」
 心地よさそうに眠るイオリの髪を撫で、まだ早いのなら二度寝でも、と思った矢先、バタバタと廊下を駆ける音の後、慌ただしくクルーが部屋の扉を開ける。
 壁にかけられた時計に目を遣った。早朝、新聞の届く時間帯だった。
「なんだ……、騒々しい」
 ベッドの上で身を起こし、寝起きのために低い声を発する。一瞬戸惑いを見せつつも、そのクルーは二枚の重ねられた紙を差し出してきた。それを受け取り見てみると、なるほど確かにクルーが騒ぐほどのことではあった。
「今日の新聞に挟まってたんですよ!」
「ほう……」
「ん……」
 もぞもぞと布団が動いて、騒々しさに寝ていることができなかったのであろうイオリが目を覚まし、身を起こした。
「おはようございます……。何かあったんですか?」
「あァ、これを見ろ」
 寒さからか身を震わせ、毛布を手繰り寄せるイオリに手配書を渡す。
「……?」
 イオリは眠たげな目を擦りながら、紙を受け取りじっと見つめた。
 文字が読めないながらも、これが何を意味するのかはわかっていたと思うが。
「手配書、ですよね」
「あァ」
「……ローさんと、私?」
「そうだ。おれは懸賞金の額が上がった。それで、イオリは今日からフダツキだ」
 名のある賞金稼ぎのグループを潰し、中将の率いる軍艦の艦隊をひとつ不能にし。ここのところ、大分目立つことをしてきた。その時に中心にいたのはおれだし、元気よく暴れ回ってくれたのはイオリだ。
 おそらく、あのとき映像電伝虫にでも映ったのを引き延ばしたのだろう。今の寝起きのぼーっとした姿からは想像できない、凛々しい顔つきで敵を見据えるイオリの姿が綺麗に刷られている。
「"金剛力の乙女"……か。随分な名がついたな。懸賞金は3000万ベリー。初めてかかったにしちゃあ随分な額だしな」
 あの中将にも、イオリに考える能力がないことぐらいわかったはずだ。おそらく、二つの行動の主犯であることに加え、イオリを手懐けていることへの海軍の懸念も含めたおれの懸賞金額の普段より大きな上昇で、当の実力者のイオリにも懸賞金をかけたのだ。
 ひとつ気になるのは、イオリの手配書の名前の上部に記してある文字が"DEAD OR ALIVE"ではなく"ALIVE ONLY"であることだ。
 "ハキ"というのが何なのかまだ詳しくは分からないためはっきりとは言えないが、おそらく念能力が原因だ。悪魔の実と違うことは当然わかりきったことだろうし、あの中将は"ハキ"の使い手だったのだから、念能力がそれとはまた違うものだと理解したはずだ。だからこそ、研究の為に生かして捕まえたいというのだろう。
「普通は生きてたら手配書の金額、死んでたら七割の金額が賞金としてもらえるんだが……。お前の場合は殺しちまったらゼロらしい」
 "ALIVE ONLY"の文字を指して教えてやると、イオリはことりと首を傾げた。
「? 何故でしょうか」
「"念"が原因だろ。"念"の使い手であるお前に"ハキ"がそれとはまた違うものだとわかったように、あの中将にも何か感じるところはあったはずだ。"中将"の階級は伊達じゃねェ」
「あぁ、なるほど……。解剖しても何も出ないと思いますが」
「それがわからねェから生きた状態で捕まえて調べてェんだろ」
 カデットに初めに聞いた説明では、"念"で使うオーラとは生命エネルギーのこと。使い果たせば死ぬし、休んで回復すれば増える。もちろんそんなものは念能力者と、おそらく"ハキ"を使える者にしか見えないため、イオリを解剖したところで何かがわかるわけもない。
「これでウチの船はフダツキが二人になりましたね!」
「あァ」
 イオリはおれの手配書と自分の手配書に書かれた数字を見比べていたが、やはり桁しかわからなかったのか素直に訊いてきた。
「ローさんはいくらになったのですか?」
「今回で1億4000万、ってトコか。イオリのおかげで大分上がった」
「そうなんですか……」
 喜んでいいものなのか、と首を傾げるイオリ。無理もない、イオリのいた世界では人にできるだけ知られていない方が有利に動けるものなのだ。幻影旅団もA級賞金首(ブラックリスト)ではあったが、公開されているのはその組織の名前のみで、顔などヨークシンシティで作戦として旅団が証拠を残すまで、公には一切わかっていなかった。
 イオリはあまり納得していない様子だが、こちらの世界では名を上げれば喜ぶのが自然なことだ。くしゃりとイオリの髪を撫で、不思議そうにおれたちのやりとりを聞いていたクルーに目を向ける。
「今日は派手に飲むか」
 保存の利かない食料を残して、ほとんどの物資は奪ってきた。長期にわたり食料の保存ができないのであれば近くの島へ行って補給する他ない。そして、まだ海域の境を越えていない以上近くの島というのはこの船が先に寄ったディステル島のはずだ。今のところ追手が来たという見張りの声も聴こえない。
 奪った物資の中には酒も大量にあり、少しぐらい羽目を外しても良さそうだと判断してのことだった。
「やったァ! ちょうど補給もできましたもんね」
「夜のことはコックに伝えておけ。朝食までもう少し寝る」
「あ、はい! 起こしてすみませんでしたッ」
 気にするなと手を振り、部屋を出ていくクルーの背を見送った後、舟を漕ぐイオリの肩を軽く押してベッドに寝かせた。イオリはすぐに毛布の中で丸くなり、すやすやと寝息を立て始めた。


********************


「キャプテーン、イオリーッ。ごはんだよー」
 ベポの明るい声に、ふっと意識が浮上した。
 入るね、と確認の声と共にベポが扉を開ける。
 寝起きで気怠い体を起こすと、ベポが"おはよう"と朗らかに言った。
「あァ。……イオリ、起きろ。朝飯だ」
 毛布に包まった小柄な体を揺すると、うぅ、と嫌そうな声が聴こえてきた。
 それでも起きないわけにはいかないと思ったのか、イオリはむくりと身を起こす。
「おはようございます……」
 おれにとっては今日二度目のあいさつ。ベポはそれにも明るく返し、ごはんだよ、と再度イオリを急かした。
「イオリ、まだ毛布使ってたんだね。寒い?」
「はい……」
 ふるりと身を震わせるイオリに、ベポは不思議そうな表情をした。
「んー……。ヘンだな、もうすぐ夏島の海域のはずだよ。皆まだ海域超えてないのに暑いって言ってるし。おれも暑いや」
 確かに、早朝は肌寒かったが、今はイオリの包まる毛布は少し鬱陶しいぐらいだった。しかもイオリはそれだけでは足りないらしく、動きやすさを重視しているワンピースの上に一枚、上着を羽織っている。
 と、ひとつ思い当たることがあった。
「……あァ、貧血かもしれねェな」
 元々怪我が多く貧血気味だったところへ、更に昨日の怪我。手を出させて指先に触れると、やはり体温が低かった。
「イオリ、最近ケガたくさんしちゃったもんね。あったかくしようね」
 ベポは子供を安心させるような手つきでイオリの頭を撫でると、先に食堂に行ってるね、と部屋を出て行った。
 身支度を整え、イオリに膝掛け代わりにと上着を持ってこさせた。
 食堂に行くとベポが待ち構えていて、おれには普通の朝食が、イオリには量や味を調整された朝食がすぐに用意された。
 マグカップの中に入っている蜂蜜色の飲み物に興味を覚えたらしいイオリが、カップを手に持ち顔を近づけて、すん、と鼻を鳴らし匂いを嗅いだ。
「……しょうが?」
「当たり! 体あっためるのにいいんだよ! はちみつ入れて甘くしてあるから、飲みやすいと思う。あとはドライフルーツが鉄分とかたくさん入ってるから、それも小まめに食べようね」
 ベポの言葉通り、小皿にはドライフルーツが盛られていた。保存がきくため買い込んではあるだろうし、コックが良いと言っているので問題はないのだが。
「……鉄剤でも飲ませた方が手っ取り早くねェか?」
「手っ取り早いけど、吐き気があったりとか、お腹の調子悪くなったりするでしょ?」
「それはいやです……」
 副作用について聞いたイオリは、嫌そうに顔を顰めた。
「なら、それでいいが」
 ベポはひとつ頷くと、イオリへ嬉しそうな笑顔を向けた。
「そうそう、イオリ。手配書見たよー! これでイオリも賞金首だね!」 
「いまいち喜べないです……」
「そうなの?」
「イオリは顔を知られると動きにくい、って考え方の人間だからな」
「暗殺するワケじゃあるめェし! もっと名を上げてくれよ!」
「お前は他力本願すぎるわ!!」
 クルーたちがどっと笑い、言葉の掛け合いを始める。
「あ、キャプテン。思ったよりすぐに海域を渡ることになりそう。今日のお昼頃かなァ」
 秋島と夏島の海域の境の付近であるため風が強かった、とベポが言う。
 それなら、とほとんどのクルーがいるこの場で言ってしまおうと視線を集めた。


「聞け、おまえら。今日の昼には夏島の海域に入るらしい。境を越えたら夜は宴だ」


 言葉を聞いたクルーは、わっと盛り上がり始めた。
「お前も飲むか?」
 からかい混じりにイオリに問いかけると、イオリは困ったように眉を下げ悩む素振りを見せた。それから少しして、おずおずと口を開く。
「……迷惑で、なければ」
「あァ、面倒は見てやるから好きなだけ飲め」
「そんなにたくさんは飲みません……!」
 どうやらカトライヤで酒を飲んだ翌日からかったのを根に持っているようだった。その次は確か、無人島でだったか。あの時はからかえるような内容の話をしなかったというだけのことだと思っているらしい。
「心配しなくても、からかって遊ぶのはあれっきりだ」
「……本当に?」
「あァ」
 真意を確かめるようなイオリの視線に応えてやると、イオリはマグカップの中の蜂蜜色の水面に視線を落としながら、小さな要望を言った。
「……できれば白ブドウの、甘いワインがいいです」
「同じものがあるかはわからねェが、選りすぐって奪ったワケでもねェ。お前に飲みやすそうなのも探させておく」
「ありがとうございます」
 イオリは嬉しそうに笑んで、蜂蜜入りの生姜湯に口をつけた。
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