uncontrollable love

 なぜおれは、こんなにもイオリを手放したくないと思うのだろう。
 今まで散々世話をしてやったからか?
 脅威になり得るからか?
 ――浮かぶ答えのどれもが、しっくりこない。



 後になって中将への恐怖が湧き出てきたらしいイオリの心が落ち着いたのを見計らって、声をかけた。
「イオリ、その怪我どうにかするぞ。歩けるか?」
 思い出したように足を見下ろしたイオリは、こちらを見上げ困ったように眉を下げた。
「すみません……足が無事なら、良かったのですが」
 歩けないことを責めるつもりもない。ベポにイオリを運ぶように言い、他のクルーには入れ替えた物資を整理するようにと命じて、医務室へと向かった。
 医務室のベッドに下ろされたイオリは、内出血のひどい腕を触り顔を顰めた。
 ベポがあまり見たがらないであろう光景になることを予想して、医務室から追い出す。
「どうすればいい」
「……骨が中で砕けて、"異物"になってしまっているみたいなんです。それを取り除けば治せるのですが……」
 腕を切って骨の欠片をいちいち取り除くより、スキャンを使った方が早そうだ。
「足も同じか?」
「はい。……あと、内出血がひどいので……もしかしたらそれもいけないのかもしれません」
「なら、とりあえず骨を抜く。それでだめなら、傷をつけて血を抜く」
 イオリがこくりと頷いたので、傍にトレーを用意して、円(サークル)を展開させた。
 刀を抜き、柄を握らない手を刃に添える。
「何も怖いことはねェ、大人しくしていろよ。――スキャン」
 緊張した面持ちのイオリにこの技は危害を加えないのだと言い聞かせ、イオリの体内にある"異物となってしまった骨の欠片"を読み取った。空気を握るように手を動かすと、トレーの上に白い割れた石のようなものがいくつも現れた。
 それを気にする様子もなくぶらんと力なく垂れる腕へと意識を集中させたイオリは、数秒待つと小さく息を吐いた。
「……だめですね」
「そうか……」
 普通のメスを用意し、ありえない場所で曲がる腕に清潔な布を添え、傷をつけた。どうやら血の逃げ場を与えてやれば良かったようで、通常より多い出血を伴いながら、傷はものの一秒で治り、内出血もなくなり白い肌に戻った。
「……あまり良い気はしねェな」
 傷を治すために、傷をつけるなど。
 イオリの腕についた血を拭いながら呟く。
「でも、私にはこれが一番いいんです。痛くないですから、大丈夫です」
 イオリはにこりと笑んで、足への処置を急かしてきた。
 腕と同じように足に傷をつけ、血の逃げ場をつくってやる。やはりこちらも少し多い出血をしながらも元通りにくっついた。
「貧血気味だと言われたのに……怪我をしてしまいました」
「あァ、別に怒るつもりはねェよ」
 おれがあの中将をどうにかする程度の力を持っていれば、イオリがこんな怪我を負うこともなかったのだ。
 カトライヤを発ってからも、ディステル島でも随分とイオリを頼った。どうにもここ最近イオリを頼ってばかりだと思う。まだ能力を上手く使いこなせないというのに、だ。
「ローさん?」
「? あァ、いや……なんでもねェ」
「……難しい顔をしていますよ」
 そういえばイオリに嘘は通じないんだったか。
 使った道具を片しながら、静かに耳を傾けるイオリに聞こえるような声量で、しかし独り言のような調子で言葉を零した。
「最近、力不足を痛感していてな……。この間も今日も、お前への負担が極端に大きかった」
 ちらとイオリを見遣ると、きょとんとして目を瞬かせていた。
「イオリ?」
「……少し驚きました」
「フフ、だろうな」
 おれがこんなことを言うなど、他のクルーたちは想像もしていないだろう。
 当然だ、おれはクルーの前で弱音など決して吐かないのだから。
「……伸び悩む時期は誰しもあると思いますよ。でも、乗り越えれば強くなれる、そういう壁です」
 イオリにもそういう時期があったのだろうか。経験者のような貫録を持って言うイオリに、どことなく頼もしさを感じた。
「あ……っ、えっと、すみません、偉そうに」
「いや」
 血を乾いた布で拭いただけでは嫌だろうと、布を濡らし、手渡してやる。
 イオリは腕と足を手早く拭い、さっぱりした様子で自分で布を濯いだ。
「そういや、お前は弱音は吐いちゃならねェもんだと思っていたようだが……」
「……はい」
 タオルを絞り、少し戸惑ったような声で返事をするイオリ。先程はベポの言葉に驚いていたようだった。
「そういうクルーを不安にさせないための立ち回りは、船長であるおれの仕事だ」
 だから本来ならば先程イオリへ零した言葉も、自分の心の内に留めておくべきだった。
 どうにも今は気が弱っているらしい。
「あぁ、だから私も少し驚いたんですね。ローさんがあんな風に言うのは、珍しいんです」
「そういうことだ。悪ィな、忘れてくれ」
「……ローさんがそう言うのなら」
 引くべきところで引いてくれるイオリの心遣いが、ひどく心地よかった。
「……ところで」
 きゅ、と音を立てて水道の水を止め、こちらを振り返ったイオリが空気を変えるように少し明るい調子で言葉を発した。
「ローさんは、"ハキ"というものをご存知ですか?」
「……いや」
 タオルを干す場所を指差してやると、イオリはそこへ行きタオルをかけて伸ばしながら、その質問の意図を話し始める。
「先ほど戦った中将、何度か体の一部を黒く変化させていて……。とても硬かったんです。何かの能力者かと思ったのですが、どうやら先の海ではよく知られている技術みたいなんです。それが、"ハキ"という名前らしくて」
「あいつの言葉の様子から、誰でも使えるものかもしれないと思ったんだな?」
「はい」
 力不足だと愚痴を零したところへの、この言葉。慰めはほどほどに、切欠をくれようとしているのだろう。
「念のように修練で使えるようになるものかもしれませんし、ふとした時に何かがきっかけとなって使えるようになるものなのかもしれません。この先それを知っているひとに巡り合えれば良いのですが、そうでなくとも頭の片隅に置いておくぐらいはしておいて損はしないのではないかと思って」
「あァ……。確かにな」
 イオリはベッドへきて腰を落ち着けると、眉を下げて寂しげに笑んだ。
「……あのひとの気配を感じ取った時、似たような感覚がしたんです。念能力者と」
 交戦する前にイオリがしきりに軍艦の上を気にしていたのは、そのせいだったのだろう。
「……変ですよね。この世界には、カデットさんと私以外、念能力を使えるひとなんていないのに」
 イオリは力なく笑い、自嘲気味な声調でそう零した。
 たったひとり、この世界に放り込まれたことを実感しているのだろう。それは前の世界でも同じだったようだが、その時のイオリにはそれを憂う余裕がなかった。しかし今は、落ち着いてものを考えることができる。まだイオリにとって不安は山積みで、自分と同じ境遇の者がいるのではないかと期待もしてしまったのだろう。
「あァ。そのカデットも、今は向こうに戻っているしな」
「……力も、全然戻っていなくて……」
 おれだけでなく、イオリも随分と弱気になってしまっているようだ。
 おれが"記憶が戻れば使えるようになる"と言ってしまった手前、大方の見当が外れてショックを受けているのだろう。
「時間はどれだけかかろうが構わねェと言っただろう。この世界にお前と同じ力を使えるヤツが居ない以上、おれには比較のしようがねェ。お前にできるだけのことをして、力を取り戻していけ」
「……はい」
 イオリはおそらく、捨てられてしまうのではないかという危惧を未だに心の片隅に抱いている。だから強がり、ブランクによる鈍りをひどく嘆いているのだ。
 しかし念能力者が他に身近にいないのだ、イオリがオーラの扱いに関して感覚を取り戻すまでの時間がどれだけかかるのか、参考にする者もいないということになる。イオリが手を抜くわけもなし、無理はせずに感覚を取り戻せばいい。
「心配しなくても、今更お前を手放したりしねェよ」
 今までイオリにかけてやった手間と苦労が台無しになるからだとか、もうそういう理由ではない。
 イオリはこちらに心を許し、この海賊団もイオリを受け入れた。ここまでくれば、中々戦いの感覚を取り戻せないからと捨てることの方がおかしな話だというものだ。力が戻っていない状態でも、大きく貢献してくれているというのに。
「……はい、ありがとうございます」
 早いところ、この謙遜しすぎる癖も治してほしいものだ。
 しかし欲している言葉を汲み取り投げかけてやると見られる、この安堵したような笑顔もまだ見ていたい。
 くしゃりと髪を掻き混ぜてやると、イオリは嬉しそうに笑んで目を伏せた。この祈るような表情に、おれは少し弱いらしい。
 "昼食ができた"と呼びに来たベポの声が聴こえ、一気に日常に引き戻された感覚がした。
「……行きましょうか。お話、聞いてくださってありがとうございました」
「あァ、少しは気が楽になったか」
「はい」
 イオリは穏やかに笑い、腰掛けていたベッドから立ち上がった。カシャン、と鎖が鳴る。耳慣れたその音を心地よく思いながら、医務室の外で待つベポに声をかけるイオリを気づかれぬようにじっと見た。
 手を引いてやらなければすぐに転んでしまうような不安定さを持ちながら、回転の遅いその頭で考えゆったりと紡ぎだされる言葉は、どこまでもまっすぐで心にすとんと落ちる。
 今更手離せるわけがない、何が何でも繋ぎとめておきたい。


 なぜおれは、こんなにもイオリを手放したくないと思うのだろう。
 今まで散々世話をしてやったからか? 手放せばイオリが脅威となることは間違いがないからか? ……いや、そんなものは建前だ。答えは単純明快だ、おれが"イオリのすべてが欲しい"と思っているから。
 この感情に名前さえつけなければ、おれはまだ隠していける。核心だけを避けるようにして暴いた自身の心の内は、最後の砦というべき堰に止められて苦しんでいるような気さえした。
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