realize the death

「"死の外科医"はどこへ……!」
 能力で甲板から姿を消したローさん。その瞬間を見て僅かに動揺する中将の声を耳に入れながら目を閉じる。息をひとつ吸って、吐いて。余裕を持ってなんていられない。以前のように、心を殺して。目を開くと、さっきよりずっと視界が冴えたように思えた。
 心配することなんて何もない。潜水艦に来た敵は片付いたと言っていたし、私が今目の前にいる中将を引きつけてさえいれば、何も心配は要らない。暗示のように頭の中で唱え、まっすぐと相手を見据える。
「……なんだ?」
 私の雰囲気が変わったと、そう思ったのだろう。考えさせる間なんて与えない。
 一歩強く踏み込んで、一気に距離を詰め相手の懐に潜り込む。
「なっ――ぐぅッ……!!」
 大きな体のお腹に拳を叩き込んで、苦しげに咳き込み体を折り曲げたところに頭部を狙って脚を振るう。しかし、こちらの分が悪い。相手は頭部を黒くさせ、衝撃を防いでいた。
「……っ」
 ヒビ程度で済んだようだけれど、それでもバランスがとりにくい。攻撃をかわしながら、"凝"で自分の攻撃の反動で折れてしまった足を治す。
 今の私の攻撃では、相手に傷を負わせることなんてできない。それどころか、こちらの足が折れるだけ。こんなことを繰り返していても体力を浪費するだけ。けれども逃げるだけでは、彼の意識を軍艦の中や船にいるクルーに向けさせてしまう。
 今の私の頭では、解決策なんて浮かばない。
 歯噛みして、治しながらでも攻撃を仕掛け続けるしかないと判断する。ローさんが出てくるまで、それまで耐えてさえいればいいのだから。
 潜水艦の方から"ゴミが物資に変わった"という声が聴こえて、ローさんは軍艦の中で物資の保管場所に辿り着けたのだと安堵する。けれどもその声はオーラで体を包んだ状態の私にしか聴こえていなかったようで、中将が気にする様子はない。ローさんも鉢合わせた海兵は能力でバラバラにして報告ができないようにしているだろうから、潜水艦の中の様子が気取られることはない。
 幾度も攻撃を仕掛け、そのたびに骨を折り。ひどい折れ方をしたらしい場所は、砕けた骨が"異物"となってしまったようで、治らなくなってしまった。
「どうやら治すのにも限界がきたようだな」
 内出血を見れば治せていないことは一目瞭然。中将にもそれがわかってしまったらしく、勝ち誇ったように笑われた。
 相手は私の素早さに慣れてしまったらしく、余裕すら感じられる様子で距離を詰め拳を打ち込んできた。
「っ……!!」
 私が咄嗟に防御に使ったのは、治らない左腕。ぐしゃり、と背中に虫が走ったような気持ち悪さを覚える音がして、折れた箇所から先がぶらりと垂れ下がった。完全に力が入らなくなってしまった。
 動かない腕に気を取られる合間にも、中将からの追撃は止まない。心臓めがけて迫ってくる黒い拳を、手のひらにオーラを集中させて防いだ。けれども私は手のひらにばかりオーラを集中させてしまい、踏ん張るための足への力の供給が不十分。ついでと言わんばかりに脚を蹴って折られ、殴られた衝撃に吹き飛ばされ、軍艦の壁に叩きつけられることを覚悟した。今の私には、背中にオーラを集められるほどの技量がない。せめて頭だけでも守らなければ、と腕で庇った。


「"ROOM"」


 耳慣れた声が聴こえて、一瞬遅れて青い円(サークル)が甲板を覆った。
「タクト」
 ぐい、と体が引き寄せられる感覚。ローさんの能力だと理解しているから、安心して身を委ねられた。
 軍艦の船室の出入り口から悠然と姿を現したローさんに右手を掴まれて、甲板に無事な足をつける。
「物資はできる限り奪った」
「何……!?」
 私への説明に、驚愕の声を上げたのは中将だった。
「嘘だと思うのなら確認すればいい」
 口の端だけを上げて笑むローさん。
 その余裕に疑う余地はないと判断したのか、中将は近くで倒れていた海兵の一人を起こすと中の様子を見て来い、と命じた。
「キャプテン、イオリ! 戻ってきて! すぐに潜れるよッ」
 潜水艦の方から、ベポちゃんの声が聴こえてきた。
「ローさん、ベポちゃんが……」
「あァ、すぐに行く」
 潜水艦に戻ろうとローさんが踵を返して歩き出すと、さすがに今のベポちゃんの声は聴こえたのか、中将が黒く変色させた拳を私たちの足元めがけて打ち込んできた。
「行かせるかァ!」
 ローさんに助けられてから"凝"をしていて、気がついた。足も治らなくなってしまっている。回避が間に合わない。
 私の右腕を掴み直したローさんが、跳べ、と短く言って甲板を蹴った。ローさんが回避する方に合わせて跳ぶと、腕を引かれて中将と十分な距離を取ることができた。
 ばたばたと慌ただしい足音がして、軍艦の中から先程ローさんの言葉の真偽を確かめるよう命じられた海兵が出てきた。


「中将、報告します! 金品、燃料、医療品、長期保存の可能な食料、すべてがゴミに変わっていました……!」


 顔を青褪めさせた海兵の言葉に、中将は瞠目して、一瞬のちにこちらを睨みつけた。
「だから言っただろう、物資はできる限り奪ったと」
 中将はぎりぎりと歯を噛みしめ、射殺さんばかりの強い視線を向けてきた。
「ならば奪い返すまでだ!」
「イオリ、大人しくしてろよ」
 ローさんは私を片腕で抱き上げると、太刀を肩に担ぎ身を翻した。完全に逃げの態勢だ。
 甲板の端ぎりぎりに引きつけ、攻撃をかわすと同時に潜水艦へ跳ぶ。
 太刀を私の右手に押しつけたローさんは、青い円(サークル)を生み出すために空けた手のひらを下へ向けた。
「"ROOM"――シャンブルズ」
 言葉と同時に、視界が切り替わった。どこに移ったのかと思って周囲を見渡せば、眼下にあった潜水艦の船室の中だった。
 状況を理解する間もなく扉が閉められる。ベポちゃんが"潜水開始!"と伝声管に呼びかける。すぐに潜水艦が傾いて、小さな窓の外が一気に暗くなった。
 ローさんは潜水艦の傾きがなくなると、私を床に下ろして太刀を自分の手に握った。
 安全な場所であることを理解すると、一気に先ほどまでの戦闘の記憶が押し寄せてくる。
「……、ぁ……っ」
 私はこのたった一度の戦闘の中で、何度も死にかけた。考えないようにはしていたけれど、最初に足が折れてバランスを崩した瞬間から、何度も。あのままローさんが現れずに軍艦に叩きつけられていたら。もしかしたら体を打ちつけた瞬間に死んでいたかもしれない。そうでなくとも、すぐに身動きはできなかったのだからあの中将の追撃を受け死んでいたはずだ。
 使えるはずだったものが、上手く使えなくなってしまった。強くなる過程の中でオーラを上手く扱えないのならまだしも、身に着けた後でそれが鈍ってしまったことの落差は大きい。
 相手が熟練のハンターほど抜け目なく、隙がなく、徹底する主義であったなら……私は、生きてはいなかった。
 そう理解した瞬間、お腹の底に冷たい空気が溜まるような感覚がした。
 鎖の音を響かせながらその場にへたり込むと、周囲にいたひとたちから名前を呼ばれる。ベポちゃんも慌てて駆け寄ってきて、どうしたの、と焦ったような声を出した。
「すみま、せん……。今になって、怖くなってしまって……」
 あんなにも偉そうに物を言っておいて、すべて終わった後にこんな醜態を晒してしまった。なんて滑稽なのだろう。
 情けなくて、恥ずかしくて、じわりと視界が滲んだ。
「イオリ……さっきはありがとな」
「……!」
 先ほど私が助けたクルーが、私の正面に屈みこんで、そう言った。
「大丈夫だ、イオリのこと情けねェとか、格好悪いとか思わない。おれは中将の姿も見てねェのに怖くてしょうがなかった。けど、イオリは直接戦ってきたんだろ? そんで、ちゃんと生きて帰ってきた。……イオリは、すげェよ」
「なんっだよイオリ、あんな説教かましといて情けねェとかって泣いてんのか?」
 シャチさんも苦笑しながら私の傍に来て、ぐしゃりと頭を撫でてきた。
「さっきのイオリの言葉は正しいし、自分でちゃんとやり遂げただろ。おれらの手に負えねェような将校はひとりもこっちの船に来なかった。それでいいじゃん。ここは絶対に安全なんだから、弱音吐いたって大丈夫だって!」
 私はちゃんと、役に立てたのだろうか。記憶が戻れば役に立つというローさんの言葉を、嘘にしてしまっていないだろうか。
 随分と高い位置にあるように感じられるローさんの顔を見上げる。ローさんはただ目を細めて、穏やかに口角を上げていた。
 周りを見回すと、苦笑する皆の顔が視界に映る。
「……ありがとう、ございます」
「おう! ったくよォ、イオリは女なんだからあんなでかくてゴリラみてェなおっさん怖くて当たり前だっての! おれなら目の前に立たれたらちびるわ!」
「シャチ、それは威張って言うことじゃないよ……」
 シャチさんの明るい冗談とベポちゃんの呆れた声に、皆がどっと笑いだした。
「イオリ。ここにいるのはね、仲間なんだよ。だから怖かったら"怖い"って言っていいんだ。誰も怒らないよ」
「……はい」
 皆を不安にさせてはいけないのだと、そう思っていた。戦った後も、何ともなかったのだと、そういう態度でいなければならないのだと。
 けれどもそれは少し違ったようだ。やるべきことをしっかりやって、それでもどうにもならないことへの弱音は吐いてしまっても受け入れてくれる。なんだか、またひとつ新しいことを覚えたような気分だった。
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