peaceful time

「――……っ」
 ふつり、と糸が切れたように"練"が持たなくなった。霧散してしまうオーラの量を精孔を閉じることで抑え、"纏"の状態に戻す。
 手元に置いていた時計を見ると、6時間が経っていた。陽も沈んで、空は暗くなっていた。
 動かずにいる"練"の状態で6時間、実際の戦闘なら長く見積もって1時間。ひとまず、すぐにオーラが尽きて役立たずになる、ということはなさそうだ。
 じっとしていたせいで少しだけ凝った体を伸ばして息を吐いた。
「終わりか? 随分長いことやっていたが」
 ローさんが帽子を手で弄びながら口を開いた。
「はい……。まだいくつか問題は残っていますが、ひとまず戦闘になっても1時間は持ちます」
「十分だ。しかし……、珍しいな、お前が汗掻いてるってのは」
「……限界までやりましたから」
 雇い主を四六時中警護していなければならなかったから、"練"を持続させられる時間は長くて損をすることはなかった。けれど今は夜に休んでいても怒られないし、慌てて伸ばす必要もない。こちらの世界に来てから起こった戦闘で1時間もかかるものはなかったから、ひとまずは"流"をスムーズに行えるようになるのが先決だろう。
「お夕飯の前にシャワーを浴びてきます」
「あァ。おれも本を戻しに行く。お前がシャワーを浴び終えたら食いに行くか」
「……はい」
 あまり一人にはなりたくない、という思いを、ローさんは汲み取ってさり気なく自分の行動を私のそれに合わせてくれる。皆恐怖心は表に出さないし、オーラにだって動揺による揺らぎもない。だから大丈夫なのだとわかってはいても、心から安心することはできなかった。
 ベポちゃんも、私が時々一人でいるところを見つけるとすぐに駆け寄ってきて話をしてくれる。私から近づかなければならないのに、そうでなければ皆は気を遣うばかりなのに。
 視線を落とすと、ぽん、と頭に軽く手を置かれた。
「ほら、さっさとシャワー浴びてこい。細けェことをうじうじと気にするな」
 やっぱりローさんには私の考えなんてお見通しみたいだ。
「……はい」
 シャワーを浴び終えて、ローさんと連れ立って食堂へ。コックさんから二人分の夕食を受け取って、定位置となったテーブルについた。
 今日は野菜のたっぷり入ったスープだ。鶏肉も少しだけ入っている。それでも皆には足りないのだろう、主菜として別に用意してあるようだった。
「そういや、お前も健康診断ぐらいしとかねェとな」
 何を見てそう思ったのか、突然ローさんがそんなことを言いだした。
 近くの席にいたシャチさんが振り返って、そうですね、と相槌を打つ。
「特に血液型だ。お前、自分のが何かわかるか?」
「……A型と言って、通じますか?」
「通じねェ。要検査だな」
 やっぱり違うみたい。言い方が違うだけで、同じだといいのだけれど……。
 いくら私の怪我がすぐ治せるとはいえ、オーラが使い過ぎで少なくなってしまった時だとか、気を失ってしまった時だとかに大量の出血を伴うような怪我をすれば処置は必要になる。ローさんもそれを危惧して、必要なら血液のストックを持っておくべきだと考えたのだろう。
「まァ、やるとすれば身長体重、……お前は貧血検査もしておいた方がいいか……そんなモンだろう」
「体重も、ですか……」
 少しだけ沈んだ調子になった声に、シャチさんがけらけらと笑った。
「なんだよ、イオリも体重気にすんのか?」
「……結構重いんです。筋肉もそんなにないのに……」
 傍で話を聞いていたベポちゃんはそんなことないよ、と言ってくれるけれど、それはベポちゃんが普通のひとより力が強いからであって。食事をまともに摂らなかったせいで不健康そうに見えるのは自覚しているから、数値として見れば重いな、と感じるのだ。
「どう考えても足枷のせいだろ」
 食事を口に運びながらなんてことのないように言ったローさん。
「……あ」
 自分で重みだって感じているというのに、すっかり忘れていた。
「とはいえ、その金属が何かもわからねェからな……。とりあえずそれも含めて測って、そこからまた考える」
「……すみません」
「気にするな」
 ローさんはくつりと笑いながら、最後の一口を口へ運んだ。


********************


 翌日。初めに血液検査のために血液を採取してもらってから、ベポちゃんに手伝われて身長や体重を測った。最後に測った時に比べて、身長はあまり変わらず、体重は少し増えたかな、という程度の変化。
 けれどもベポちゃんが記入してくれた用紙に目を通したローさんは、眉間に深くしわを刻んだ。イオリ、と不機嫌そうな低い声で私の名前を呼ぶ。
「足枷含めて適正体重以下とはどういうことだ? 何が"結構重い"だ、足りてねェじゃねェか……」
 心の底から呆れたように言葉を吐きだすローさんに、思わず肩を跳ねさせた。
「キャプテン、イオリが怖がってるよ」
 仕事は特にないらしく傍にいるベポちゃんが、私の肩に手を置いて庇うようにそう言った。
「……あァ。ここからどう差し引けばお前の体重になるのかは、追々調べていく」
 ローさんは取り繕うように私の頭を撫でた。
「こ、これでも最後に測った時よりは増えています……」
「……いつかは知らねェが。まァ、お前の記憶の範疇なら一番ひでェ生活をしてた時のことだろう」
 そう、確か医療関係のとても大切な研究資料を守って欲しい、とかで。そういう施設にも立ち入るために、念入りに健康状態の検査をされた。多分、その時だ。あの時私を雇った研究施設の所長は、契約は契約と割り切って、淡々と言葉を交わしてくれた。
 ぼんやりと過去に思考を馳せていると、ローさんが私の意識を引き戻すかのようにこつりと手の甲で私の額を小突いた。
 呼び声に応えるかのように視線を上げると、診断の結果が書かれているらしい紙を留めたクリップボードに真剣な視線を落とす姿が目に映る。
「血液は何の変哲もねェX型。ウチにも何人かいるから、輸血の心配はねェな。お前の体調に関しては、貧血気味だ。しばらく怪我はしねェように気をつけろ」
「わかりました」
 余程厄介な敵の襲撃がない限り、その辺りは心配ないはずだ。
「あとは無理にとは言わねェが、食う量を増やすことだな。体重も少しは増えたっていうんなら、少しずつ改善はしてきているようだ。このまま頑張れよ」
「はい」
 彼の不機嫌そうな声が自分に向けられることは少し苦手だけれど、否、カトライヤで聞いた彼の怒気の篭もった声にも少なからず怯えはしたけれど。今まで聞いたその苦手な声のどれも、私を心配してくれているからこそのものだった。
「どうした?」
 頬が緩んでいることに気がついたのだろう、ローさんは穏やかな調子で尋ねてきた。
「……心配してもらえるのが、うれしいんです」
 シャチさんは、迷惑と心配は別物だ、と言ってくれた。仲間に迷惑をかけられたって少しもいやだとは思わないけれど、自分一人で何とかして抱え込まれると心配になるからやめてほしい、と。けれども私は周囲に迷惑をかけないように生きることで精いっぱいで、もしも迷惑をかけようものならほんの少しの例外を除けば、ただゴミのように見下された。そんな中で心配など、されるわけがない。
 だからこそ、彼らにとってあまりうれしくはないことでも、今まで向けられなかった優しさの含められた感情に、少なからずうれしく思ってしまう。
「イオリのこと心配する人は、この船にたくさんいるよ! もちろんおれだってそうだよ!」
 ベポちゃんは後ろから私に抱きついて、ぎゅーっと腕に力を込めてきた。
「ベポ、程々にしろよ」
「大丈夫ですよ」
 記憶が戻るまではゆらゆらと揺らめいていたオーラも、今は"纏"を保つことで体を多少丈夫にしてくれている。
 ベポちゃんは普通のひとより力は強いけれど、めいっぱい力を込めて抱きつかれたところで、特に苦しいと思うこともなかった。
「まァ、今は喜んでおけ」
 ローさんはやっぱり穏やかに笑って、"やるべきことも済んだし甲板で昼寝でもするか"と、私とベポちゃんを誘った。
 私たちが頷くと、ローさんは私の名前らしい文字の書かれたファイルに健康診断や血液検査の結果を挟み込み、鍵のかかる棚にしまう。健康状態に関してだってひとの悩みはさまざま、ローさんはそれを誰もが迂闊に知ることのできる状態にはしていないらしい。ダイヤル錠を捻りしっかりと鍵をかけたことを確認すると、ローさんはベポちゃんに太刀を持って来いと視線で示して、先を歩きだした。
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