vacant mercenary

 ローさんがなんだか不機嫌そうだ。先程食堂で言ってしまった言葉がいけなかっただろうか。
 シャチさんも周りの皆も、いつもの噛み合わない会話だと思って笑い飛ばしてくれていたけれど、ローさんだけは私の言葉の意味を正しく理解していたようだった。……怒らせてしまったかもしれない。
「ローさん……あの、すみませんでした」
「何を謝ってる」
「食堂で……私の言葉が気に障ってしまったのでしょう?」
 船長室の前まで来ると、ローさんは扉を開けて私を先に入れてくれた。長く余る鎖を部屋に引き入れると、ローさんも後から入ってきて扉を閉める。
「怒ってるワケじゃねェ。……ただ、的を射ていると思っただけだ」
 ローさんは口の端を上げて皮肉めいた笑みを浮かべながら、それだけ言ってソファに腰を下ろした。座るように促されて、隣に腰を落ち着ける。
 ふかふかの帽子を被せられて、視界を覆われた。
「……刺青もつなぎも、お前には強制したくねェ。だが、そうしねェと取り上げられちまうんじゃねェか、ってな……」
 ……誰に? どこか自嘲気味な声調だ。ローさんは、決して顔を見られたくないのだろう。だから自分の顔を隠すより、私の視界を覆うことを選んだ。
 ローさんがクルーに刺青を彫らせたりつなぎを着せたりしているのは、"自分のものだ"と示したいから。つなぎぐらいなら私だって着られるのだけれど、やっぱりローさんも皆もそれを強くは望んでいないみたいだから、今もワンピースを着ている。
 それなら他には、と考えてみるけれど、私から外せないものなんて、足枷ぐらいしかない。けれどこの足枷の主人となれる"権限"はきっと私を逃がそうとしたのだという主人(マスター)が持っているだろうし、ローさんもそれを欲しいだなんて言わないだろう。
 この能力がなければ、ローさんが刻みたいように刻める。でも私はこの能力がなければ役に立てない。
 今までの状況がなければ、皆に気を遣ってもらうことだってなかった。けれどそれならば、私は今も"危険など液晶の向こう側"という、平和な日々を送っていたはずなのだ。
 そうやって、全部捨ててきた。自分の命のために、必要なものも見境なく、全部。私に残ったのは、丈夫なだけのこの体と、人の命令を聞くことしかできない賢いとは言えない頭。そして経験の欠けた精神と、そこに"在る"だけの足枷だけ。
 両手で被せられた帽子のつばを少し引っ張って、顔を隠した。
「……すみません、私には何もないんです。この命と、忠誠しか、あなたに差し上げられるものがないんです」
 ローさんは小さく息を吐くと、帽子を取り上げてぐしゃぐしゃと私の髪を掻き混ぜるようにして撫でた。
「いらねェよ」
「え?」
 満足げに笑いながら、私の言葉を否定する。その言葉の真意を掴み損ねてその顔を見上げると、子どもに言い聞かせるようなゆっくりとした口調で説明がされた。
「クルーの命ってのは預かるモンであって、おれが貰い受けるモンじゃねェ。だから、お前も命はおれに預けるだけにして、自分でしっかり持っておけ。……その気持ちで、十分だ」
 やっぱりこのひとはとてもいい"船長"なのだと、そう思う。
「それと、"何もない"なんて言い方はするな。お前はアイツらを守ってやれるだけの力を持ってる。美味い飯だって作れる。……人の心を、汲んでやれてる。もっと自信を持て」
 こつり、と丸めた指の背で軽く小突かれた。
 自信なんて、すぐに持てるようになれたら何の苦労もない。
「返事は」
「……はい」
 ローさんは自分でぐしゃぐしゃにした私の髪を手で梳くと、最後にぽん、と一度頭に手を置いてその手でテーブルに置かれた本を手に取った。
 いくつか持ち出してきて積まれている中で一番上にある本を手に取り、表紙を撫でる。薬草学の本、だろうか。
「なんだ、興味があるのか?」
 ローさんは私の行動を物珍しげに見て、心底意外だと言いたげな口調で訊いてきた。
 表紙を捲り中に綴じられたページに触れる。古い本らしく、指先に馴染む。
「……本を読むのが、好きだったんです」
 念を強くするために必要なのが、"制約と誓約"。私は好きなものを捨てて、そして日常生活の中にも不便な要素を作ることによって、身体を強化する能力の底上げをした。
 体の丈夫さと心を隠すことの完璧さ、鋭い五感と鈍い思考、自発的な治癒能力と無くした痛覚。三つの強化された能力は、それぞれに釣り合うデメリットがあった。
 けれどこの"字を読めない"というデメリットに釣り合うメリットだけが、今までよくわからなかった。記憶が戻って、さぁ念能力をどうしようかと悩んでいる時の記憶があることを知って。――私には、才能がなかった。
 事故で精孔が開いたのは確かだけれど、ゴンやキルアのようにすぐにオーラを安定させることはできなかったし、強化系だとわかっても、基礎もままならない状態ではその実感がなかった。オーラの質と量を上げる"練"によって少しずつ強くなりはしたけれど、それだけでは、生き延びるには足らなかった。
「でも、命には代えられなかった」
 死にたくない、けれども識字能力も失いたくない。そんな欲張りが通用する場所ではなかった。
 どれだけ本が好きでも読めないということが、悲しくないわけではない。そうでなくても文字の溢れかえった世界では不便で仕方がない。けれど"これ"しか捨てられなかった。
「……ただ、なつかしいな、って、思っただけなんです。後悔はしていないし、この能力を捨ててでも取り戻したいとも思っていません」
「それで困るとしてもか?」
「だからこその"制約と誓約"でしょう? ……それに、困ったとしても、皆さんが助けてくださいます」
「……あァ」
 こんな風に思えるようになっただけでも、私には進歩だ。
「助けてもらう分、私もきっちり働かなければなりませんから。まずは鈍ってしまった分を取り戻すために修行、ですね」
 本を元の場所に戻して、立ち上がった。
「甲板へ行くのか?」
「はい。ここだと読書の邪魔になってしまいますから。……でも、時計がないですね……」
「時計?」
 念能力の基礎は、オーラを体の周りに留め体を丈夫にする"纏"、オーラの出口となる"精孔"を閉じてオーラを発散させないようにする"絶"、オーラを練り通常以上のオーラを生み出す"練"、そしてそれによって精度の上がったオーラを自在に操る"発"から成っている。その基礎を併せて使う応用技もある。
 オーラには系統があり、強化系、変化系、放出系、操作系、具現化系、特質系に分かれている。私はこの中で強化系に当てはまるため、基礎を高めればそれだけで十分に戦える。強化系のオーラは、ものにある力を強化することこそが本分。制約によって強化できるものを増やしてはいるけれど、結局私の能力の強さは日頃どれだけ鍛錬をしているかによる。オーラの質と量を上げるのには、"練"をするのが一番だ。
 記憶がない間は鍛錬を怠ってしまっていたし、もしかしたら"練"の持続時間も短くなっているかもしれない。
 この間戦った時には体の端にオーラを集中させるのに1秒かかった。動きを見切りやすい相手だったからその時間差を考えながら攻撃をすることもできたけれど、この先出会う敵がそれができる程度の相手とも限らない。
「時間を計りたいんです」
「……なら、ちょうどいいモンがある」
 ローさんは"ROOM"と呟いて円(サークル)をつくり出すと、本の傍に置いていた栞とどこかにあるらしい懐中時計とを入れ替えた。
「お前の睡眠時間を調べる時に使ってた。やるから、好きに使え」
 私の手にちょうど収まるぐらいの大きさの、チェーンのついた時計。デザインがどことなく上品で、良いものな気がする。
「でも、これ……」
「敵から奪った物の中にあっただけだ。細々した作業が好きなやつに多少修理はさせたがな」
「……それなら、ありがたく使わせていただきます」
 ローさんにとっては、どんなに高価なものでも実用的であると感じればただの道具と変わらないようだ。もしかしたら船の中で普通に使われているものの中にも、職人が手を施したものがあるのかもしれない。
 とりあえず甲板に出よう、と時計を握ったまま部屋を出ようとすると、背後でローさんが立ち上がったのがわかった。
「……ローさん?」
「何をするのか興味がある」
「別段面白いこともないと思いますが……」
 今は変化系などの道具のいらない、かつ威力も必要のないものしかできないけれど、系統別の修行ですらオーラが見えなえればよくわからないものが多いというのに、"練"を行うだけの修行など見ていたって面白くもなんともない。
「暇になれば読書の続きなり昼寝なりするさ」
 言葉通り、ローさんは本を何冊か手に持っていた。甲板に行くとローさんは耳の良いベポちゃんを呼んで、寝ころばせて昼寝をさせる。大きなお腹に寄りかかってくつろぎ始めたので、待たせるより修行をした方がいいだろう、と考えて、少し離れたところに座り込んだ。本当は立って力を抜いた姿勢でやるのが一番なのだけれど、何故だかこの姿勢が染みついてしまっている。"祈るようだ"と評したのは、誰だっただろうか?
 一度時計を見てから、目を閉じた。オーラの出口である精孔を開いて、噴き出すオーラを練るようにして、それを体の周りに留める。大丈夫、感覚は忘れていない。
 全身をオーラが覆う状態は、五感も何もかもを研ぎ澄ませる。船にいる皆の様子が心を穏やかにしてくれた。
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