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 ベポが部屋を出ていって、室内が途端に静かになる。
 イオリの細い腕に刺さる点滴の針を抜き、小さな針の痕を治させた。
 清楚なワンピースに、それでは寒いだろうと着せたおれのラフなパーカー。着ているものがミスマッチな気もするが、病み上がりのこいつが着ているとなれば違和感もない。
 別にわざわざ着替えさせなくてもいいかと、絡まった髪を手櫛で解いて寝癖を直してやり、手を取ってゆっくりと立たせた。
 下ろした足に引き摺られ、足枷を繋ぐ鎖が床に落ちて音を立てる。イオリは申し訳なさそうにこちらを見るが、気にすることはないと頭を撫でた。
「ふらつくか?」
「いえ、大丈夫です」
 そうは言いつつも貧血のせいか覚束ない足取りのイオリを支え、ソファに座らせた。
 扉がノックされて、入室を許可すると湯気の立つ皿が載ったトレーを持ったベポとが顔を覗かせた。
「キャプテン、シャチに手伝ってもらってきたんだけど、入っても平気?」
 ちらとイオリの様子を窺ってみるが、別段動揺している風でもない。大丈夫だろうと判断して、シャチにも入室の許可を出す。
 "失礼します"と言いながら入ってきたシャチはソファに座るイオリの前にトレーを置き、雑炊を鍋から小さな椀へ取り分ける。
「熱いから火傷しないようにな。あと、無理して食わなくていいからな」
 おれの横に座るイオリの正面に腰を下ろし、甲斐甲斐しく世話を焼くシャチ。おれの正面に座ったベポはそれをにこにこと嬉しそうに笑いながら眺めていて、イオリはそんなシャチとベポを不思議そうに見つめた。シャチはその視線に気づき、ぽりぽりと頬を掻く。
「……その、さ。今回はイオリにすっげー助けられたし、でもイオリがその能力で敬遠されて悩んでるっつーのもわかった。でもおれはイオリのこと化け物だなんて思わねェし、ましてや仲間じゃないなんて言わねェ。……イオリは、まだ不安に思ってるか?」
 その言葉に少し考えて、イオリは笑顔を浮かべた。
「私の能力……、特に刃物でも傷つかないとか、傷が治るとか。そういうのは、どうしても気持ち悪く感じると思うし、それが普通だと思います。でも、そうであっても、シャチさんにそう言っていただけてうれしいです。だから、不安になんて思ってません。……ありがとうございます、心配してくれて」
「……おうっ」
 イオリの言葉に、シャチは照れ臭そうに笑った。
 おれたちが身動きできなかったがために、イオリもベポも己の判断で動くしかなかった。
 ベポはイオリがあの夜取った行動、そして抱えている悩みをクルーに話して聞かせた。クルーはおそらくあの場で言葉を聞いただけでは掴み兼ねただろうイオリの本心を知り、疎ましく思うこともなく、イオリが眠っている間、頻繁に部屋の前をうろうろしては帰っていく、というのを繰り返していた。おれに追い返されることがわかりきっていて諦めて帰っていったらしいが。
「……んー、でもさ、一応聞いときたいんだけど」
「? はい」
「それ、ちゃんと力加減できるんだよな? おれはごめんだぜ、話しかけるのに肩叩かれて吹っ飛んで粉砕骨折とか」
「シャチ!」
 ベポが咎めるように名前を呼ぶが、イオリは苦笑してそのベポを宥める。
「大丈夫ですよ。普通の人が重いものを持ち上げるときにそれだけ力を入れるのと同じで、必要な時に必要なだけ、力を出すことができます」
「あー、なるほど。じゃあ安心だな!」
「……あの時のは、脚力とは少し違うんですが……」
「でも大丈夫なんだろ? イオリしか使えないんだし、知らなくて困るってこともないなら、面倒な説明はしなくていいさ」
「はい、そう言っていただけると助かります」
 イオリが言っているのは、"念"のオーラの力のことだろう。エネルギーを一カ所にまとめて当てるだけで、相当の威力が出るものだ。シャチがクルーたちの疑問を代弁するかのようにイオリに質問をし、イオリもそれに答えていた。"未知"が仲間に恐怖心を与えるようでは、守る意味がない、と。
 二人ともが食事を終えると、シャチが食器の載ったトレーを持ってソファから立ち上がる。部屋を出ようとしたところで、思い立ったようにイオリの名前を呼んだ。
「おれら皆、イオリのこと怖ェとか思ってねェから。元気になったら、また食堂で一緒に飯食おうな」
「! ……はいっ」
 イオリが嬉しそうに頷いたのを確認すると、シャチは満足げに笑いおれに頭を下げてから部屋を出て扉を閉めた。



 それから数日して、おれの足が完治する頃にはイオリも元気になっていたようだった。そろそろ頃合いだと考え今日は食堂で食べるかと提案すると、意を決したように頷かれる。不安そうな顔のイオリを連れて食堂に入ると、おれの足の完治より先にイオリが元気になったことにクルーが大喜びした。
 クルーたちと時折会話しながらのんびりと食事を終え、食堂を後にしようとしたところでイオリがくい、とおれのパーカーの裾を引っ張った。
「……ローさん」
「なんだ?」
 振り返ると、イオリは少し考える様子を見せた後、記憶を消す前にやったのと同じように、すとんと腰を落として片膝をつき頭を垂れた。首を差し出すかのような、忠誠を示す動作。
 食堂が少しだけ時間をかけて静まり返り、クルーの視線が集まる。
「私は……、思い出すべきことは思い出しました。約束のとおりに、私は今後あなただけに忠誠を誓います」
 顔を伏せていてもわかる。今のイオリは、声色通りの穏やかな表情をしているだろう。
「あァ、もうおまえはこのハートの海賊団のクルーだ。初めに言っておいたな、おまえの力は仲間を護るために使えと。ここにいるやつらを護るのが、おまえの仕事だ。……できるな?」
 右手を差し出すと、手が重ねられる。あの時と同じように立ち上がらせると、イオリは力強く頷いて見せた。
「……はいっ! よろしくお願いしますっ」
 嬉しそうに笑い、ぺこりと頭を下げたイオリ。周りで聞いていたクルーはそれを見て、各々イオリに声をかける。
「よろしくな、嬢ちゃん!」
「イオリが守ってくれんなら安心できるな!」
 悪魔の実の能力者でもないが、傷が尋常でないスピードで治る人間を目にしたら。確かに畏怖の対象でしかない。一般人が能力者を怖がるように、自分にないものを持っている相手を怖がるというだけの話。
 だが、もうクルーはそんなことは気にしない。
「良かったね、イオリ。イオリの皆を守るっていう意志、ちゃんと伝わったんだよ」
 毎日おれの部屋に来てはイオリの話し相手になっていたベポが、にこにこしながら言葉をかけた。動物的なところが少しあるイオリも、他の動物より人間らしいベポも、互いに親近感を感じているらしく今回の件を経て前より仲良くなったように見える。
「はい……、良かったです。ベポちゃんも、ありがとう」
 その証拠に、ベポに対するイオリの言葉遣いは少しだけ柔らかくなった。
「うん、どういたしまして!」
 こうしてイオリは、正式にハートの海賊団のクルーとして迎え入れられたのだった。


********************


「コックー! おかわりくれ!!」
「あいよ! 皿持ってこい」
 いつも通りの、賑やかな夕食時の食堂。定位置となったテーブルでイオリと向かい合って座り、料理を口に運ぶ。
 今日のイオリのメニューはといえば、ロールパンに他のクルーのメニューとなっているサラダやハムを挟んだものらしい。それから、カップに注がれたスープも傍にある。小皿に盛りつけられた果物の量が他のクルーより多いのは、イオリが喜んで食べることを知っているコックの計らいだろう。
 一生懸命に口に運ぶ姿が小動物のようで思わず笑うと、当のイオリが不思議そうに見上げてきた。
「うまいか?」
 イオリは齧った一口をよく噛んで飲み込み、こくりと頷く。
「あの、でも食べきれそうにないです……」
 しょんぼりと俯くイオリだが、コックがイオリの食事にロールパンなどを使うのは残しても他の誰かが食べやすいようにしているからだ。以前まで男所帯だったために食べかけだろうとクルーたちは気にしないのだが、イオリは手をつけた以上食べなければ、という性質だ。
「なら、それ食ったら果物だけしっかり食べとけ」
 再び頷いたイオリは、手に持っていたものを食べきると、果物に手を伸ばした。
「あ……これ、とてもおいしいです」
 顔を綻ばせるイオリを目にしたクルーが小さく笑うのが視界の端に映った。
 シャチが果物の載った皿を持ってテーブルに近づいてくる。
「イオリ、隣ちょっといいか?」
「あ、はい」
 断りを入れたシャチはイオリの隣の席につくと、果物をひょいとイオリの皿へ移した。
「え、あの……?」
「気に入ったんだろ? おれはこっちもらうから、交換な」
 言いながら、イオリが除けていた皿の上のパンを手にし齧りつく。
「……ありがとうございます」
 気遣いがわからないほど子どもでもない。イオリは礼を言うに留めて、嬉しそうにまた果物を口に運んだ。
「そういや、イオリには刺青彫らせないんですか?」
「刺青?」
 きょとんとシャチを見上げるイオリに、視線を向けられた当人は捲っている袖を更に肘の上まで上げて腕に彫られた刺青の全体像を見せた。
「この辺は船長と似てるんだけどさ、クルーは全員刺青入れてんの。……んー、でもイオリに刺青は似合わないか。痛々しいな」
 シャチは苦笑して、上げていた袖を戻した。
 イオリはじっとおれの顔を見る。
「なんだ?」
「いえ……。ローさんは……、刻むのがお好きなのですね」
「!」
 言葉がいやに鮮明に耳に入り、喉の奥をつつかれたような小さな息苦しさを感じた。
「今更だな!」
 シャチはけらけらと笑っている。今のイオリの言葉の意味を正しく理解できた者が、聞いていた中にどれだけいただろうか。
 声が聴こえるはずの距離にいるクルーを見回しても、皆笑っているだけ。イオリの言葉の真意は、おれにだけしっかり伝わったようだった。
「でも刺青は能力の邪魔になるので、入れることはできないんです」
「へ、そうなのか?」
「はい。傷口に異物があると自分で治せないし、能力の代償か治ることもなくなってしまって……。なので、刺青を彫ってそこに怪我をしてしまったら、どうしようもなくなってしまうんです。刺青を丸ごと抉り取ればいいのでしょうが、治ってからまた刺青を彫らなければなりませんし……。そのままにしておいたらしておいたで、腐り落ちるのが関の山でしょうし」
 困りました、と言いたげに頬に手を当てて言うイオリだが、話を聞いていたクルーは食事の手を止め顔色を悪くしていた。
「イオリ、ちょっとその話はエグいからストップ」
「え、あ、すみません……!」
 慌てて口を噤んだイオリだが、少し遅かった。
 皿に載せられていた果物のひとつを手に取り口へ運びながら、残ったひとつをしょんぼりと俯くイオリの口元へ押しつける。驚いて開いた口に押し込むと、イオリは困ったようにおれを見てきた。
「やる」
 果物を口に押し込まれた意味を理解したイオリは慌てて頷き、果物を咀嚼した。
「そういうワケだ、イオリに刺青は彫らせねェ。シャチの言う通り、あまり似合わねェしな」
 イオリは体の線が細く肌も白いという、刺青がどうにも似合わない容姿だ。小さなデザインならいいのかもしれないが、そこに傷を負った時のことを考えるとやはり彫らせるべきではないと思う。
「まァ、お揃いならつなぎがあるしな! ディステル島じゃどこも請け負ってくれなくて予備作れてねェけど、次は絶対予備手に入れてやるから! 時々はあれも着てやってくれな」
「はいっ」
 シャチの言葉に嬉しそうに返事をするイオリに、腹も膨れただろうとトレーに載った空の食器を片づけさせ、食堂を後にする。
 "刻むのがお好きなのですね"
 なんてことのないように言われた言葉。イオリ自身、この言葉にそう意味は持たせていなかっただろう。ふと思ったことを言ってみただけのはずだ。クルーたちは"切り刻む"ことを言っているのだと思ったらしいが、あの会話の流れの中では不自然。元々ぼんやりとしていて突発的に物を言うイオリだから、クルーたちもその不自然さはイオリの精神的な不安定さが生んだものだと誤解した。しかし、イオリの言葉は確かに意味を持っていて、"刻みつける"ことを言っているのだとすぐにわかった。
 クルーたちには刺青を彫らせ、つなぎを着せている。
 イオリには能力の邪魔になるため刺青は彫らせることができない、人としての幸せも得て欲しいと思う以上常につなぎを着ることを強制するということもしたくない。……それならば、どうすればイオリを"おれのもの"なのだと明証できる?
 隣を歩くイオリの顔を見下ろすと、視線に気づいたイオリのぼんやりとした眼と視線が絡み合った。
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