beast girl's sorrowful wail

「おい、小娘! 大事な船長がどうなってもいいのか!?」
 冷や汗を流しながら叫ぶ賞金稼ぎのリーダー。イオリはおれに向けていた笑顔を消して振り返って冷たい目で見る。
 海楼石の手錠を填められて身動きの取れないキャプテンは、首元に刃を突きつけられていた。それでも動じずに、ただイオリがすることを見守っている。"イオリが失敗することはない"――そう確信しているみたいだった。
 イオリはおれにだけ聞こえる小声で"耳を塞いでいてくださいね"と言うと、すぅ、と大きく息を吸った。言われた通りにする。その直後、イオリの口から人のものとは思えない音と衝撃が発せられた。
 それは獣の咆哮のようで、けれども見えないのに物理的な力をもって近くにいる人間を吹き飛ばす。
「あ……、あぁ……!」
 その声と気迫に怯んだのか、リーダーが情けない声を出して尻餅をつく。床についた手に武器は握られていなくて、もう相手に戦意がないのがわかる。
 イオリはゆったりとした動作で歩いて近づくけれど、その所作が落ち着きを感じさせて、逆に敵の恐怖心を煽っていた。そうしてイオリは自分の攻撃が届く距離まで近づくと、右足を振り上げて、男の顔の寸前で止める。
「化け物が……!!」
「……その化け物に喧嘩を売ったのは、あなたです。ローさんの手錠の鍵を出してください」
「誰が! ――ぐああぁぁぁッ!!」
 口答えをした男の肩に、イオリの足が触れる。軽く触れるような動作だったのに、男は壁まで吹き飛び、ばきぼきと音がして、男の肩の骨が砕けたのがわかった。
「鍵を出してください」
 壁に強かに背中を打ちつけ、弱々しく起き上がるリーダー。それを意にも介さず近づき、イオリはリーダーの折れていない方の肩から伸びる手を取って親指を握りしめる。すぐに骨を粉々に砕く嫌な音がして、広間に耳を裂くような絶叫が響き渡った。
「次はどの指がいいですか?」
 慈しむみたいに優しく手を取って指の一本を選び手のひらに包み込み、感情を声に乗せずに言うイオリ。その穏やかさとやろうとしていることの残酷さに、相手も妥協の余地もないと理解できたらしい。覚束ない手つきで懐から鍵を出すと、イオリの足下に投げた。
 イオリは鍵を拾ってキャプテンのところに行き、填められた海楼石の手錠を外す。
「他のクルーの手錠は引きちぎってやれ。鍵を探すのも面倒くせェ……」
 キャプテンは"いい子だ"と言わんばかりにイオリの髪を優しく撫でて、痛むはずの足を意にも介さず立ち上がった。
「わかりました」
 無防備にすら思えるイオリの背中に、賞金稼ぎの一人が刃を振りかざす。
「"ROOM"」
「あ、キャプテン、刀!」
 キャプテンの支配する空間が広がって、手に刀を抱えたままだったと思い出し、慌てて"得物を早く取って"と伝える。
「シャンブルズ」
 キャプテンが言うのと同時に、おれの手から刀が消えて、代わりにイオリが現れる。キャプテンはイオリと入れ替えた刀を掴むと、そのまま抜き放って襲い掛かる敵を斬った。
「ベポちゃん、まだ自由に動けないひとを守ってくれますか?」
「うん、わかった!」
 イオリは他の敵をおれに任せて、自分はできるだけ他の皆を自由にしようと行動し始めた。クルーの傍に屈んで、動きを縛る鎖や手錠を掴み、片方ずつ強引に開いていく。鉄の輪がまるで針金のようにぐにゃりと曲げられ、引きちぎられる。
「おぉ、すっげェ。イオリ、さんきゅ!」
「自由になった奴も戦え!」
 シャチが感心したように笑ってお礼を言い、ペンギンもイオリの頭をぽんと軽く撫でてすぐに他のクルーに指示を飛ばす。
 イオリは少しの間呆けたような顔をして黙りこんでいて、それから俯いてしまった。
 まだ元気だった敵を倒すと蹴った懐から鍵の束が落ちたので、それを拾ってシャチに手渡す。イオリは相変わらず無防備なままで、そこへ振りかぶられる武器を間に割り込んで蹴り飛ばした。
 ペンギンを見ると黙ってうなずいてくれたので、身の回りを任せることにしてイオリの正面に屈みこむ。座り込んだイオリの顔を覗き込むことはできないけれど、いつかのように俯いた頭の天辺を見つめることしかできないけれど、それでもイオリの気持ちはわかるのだ。
「イオリは、化け物なんかじゃないよ。……イオリは、キャプテンやおれや、ほかの皆のこと、好き?」
「はい……」
 最初にイオリがおれにしてくれた、質問そのままを言葉にする。
 俯いたまま、だけどイオリははっきりと答える。
「キャプテンやおれや皆は、イオリのこと化け物だって言う?」
「いいえ……。皆さんは、私のことを仲間だと言って、笑いかけてくださいます……っ」
 ふるふると振られる首、泣きそうに震える声。
「じゃあ、それでいいんだよ。イオリの大好きな人たちは、イオリが傷つくことを言わないんでしょ? 確かにイオリはびっくりするぐらい強いけど、自分や大切な人を守れる力があるのはすごくいいことだと思う!」
 イオリが初めて会った時にくれた言葉は、一字一句余さず覚えてる。キャプテンもシャチもペンギンも、皆はっきり言わないけれどおれを受け入れてくれた。だけどイオリは、それを言葉にしてくれたのだ。それにどれだけ勇気づけられたか、きっとイオリは知らない。知らないだろうから、同じ言葉を使って教えてあげるんだ。
「おんなじことを訊くけど、イオリはクマと人間の間の中途半端なおれが、気持ち悪くない?」
「そんなことは、ありません……っ。ベポちゃんは、意思疎通のできる、とても素敵な熊さんです……っ」
「じゃあ、それと同じだよ」
 言葉に混じっていた嗚咽が、はっきりとしたものになった。ぽたりぽたりと落ちる滴は、きっとイオリの涙。
 なんとなく、背を丸めて泣きじゃくるイオリが、迷子の子供みたいに思えた。きっとそれは間違っていなくて、記憶もほとんど失くして行き場を失っていたイオリが、やっと自分を表に出せただけのことなのだ。
 小さなイオリをぎゅーっと抱き締めると、イオリも細い腕を目いっぱい伸ばして、おれに抱き着いてきてくれた。
「ありがとう、ベポちゃん」
「うん! でも、イオリがくれた言葉そのままだから、イオリが思うのと同じことを、おれや皆が思ってるっていうのをわかってね」
「……はいっ」
 おれのつなぎにくっつけたままだった顔を上げて、イオリは笑った。泣き笑いで、とても完璧な笑みとは言えなかったけれど、それでも。今まで見たイオリのどんな笑顔より、見ていて心地よくなる笑顔だった。
「おまえら、全員船まで走れ! 出航するぞ!」
「アイアイ、キャプテン!」
 キャプテンの言葉に、皆が口を揃えて返事をした。
「イオリ、おつかれさま。傷は治るけど、出ちゃった血は戻らないでしょ? おれが連れてくから、休んでてね」
「……はい」
 イオリの顔はよく見ると蒼白だった。傷はすぐ治るけど、体の仕組みは普通の人間と同じ。熱中症にだってなるし、怪我をして血を流せば貧血にだってなってしまう。
 くったりとして身を預けてきたイオリを抱えると、イオリは思い出したように呟いた。
「あ……鍵」
「鍵?」
 復唱するキャプテンの言葉に頷いて、イオリは船に施錠をしたあと鍵をしまったふともものベルトに手を伸ばす。
 隠していた鍵を取り出してキャプテンに手渡すと、すぐに気を失うように眠ってしまった。
「船に戻ったら、体を洗ってやってから医務室に寝かせておけ」
 キャプテンは渡された鍵をしっかりと握り、おれにイオリを優先していいという許可をくれた。
 後ろからやってくるかもしれない残党に警戒しながら広間を出ると、おれの腕の中にいるイオリを見たシャチが焦ったように声を上げた。
「ベポ、イオリはどうしたんだ!?」
「落ち着いて、シャチ。貧血だよ」
「あー、びびった」
 シャチがほっとしたように深い息を吐いていると、後ろからイオリが気を失っていることに気がついて士気を取り戻した賞金稼ぎが襲い掛かってきた。
「チッ……、おれは今日はもう戦わねェ。かかってくるヤツはお前らで何とかしろよ」
「アイアイ、キャプテン!」
 キャプテンは足も撃たれて面倒くさそうだけど、他の皆は打撲で済んでいるのか獰猛な笑みを浮かべて興奮気味に返事をする。身動きできないところを好き放題されて、イライラしているはずだ。
 追ってくる敵を難なく撃退するクルーたちに守られながら、無事賞金稼ぎのアジトを抜け出すことができた。


********************


 とにかく島を離れることが先決だ、と船を空けている間に大事なものが盗まれていないかだけ確認して、慌ただしく出航した。潜水艦が丈夫だというのもあるし、イオリの機転で施錠をしていたこともある。特に盗まれたものというのはなかった。キャプテンは自分の足を優先して、他の皆はお互いに手当をしてと忙しい。おれは怪我はほとんどしていなかったけど、イオリの体を洗ったり、丁寧に水気をとって服を着せて寝かせたり、とやっぱり忙しかった。
 二日が経って、キャプテンは自分のベッドに栄養剤の点滴をした状態のイオリを寝かせて、夜は一緒に寝て起きている間はソファで安静にしている。イオリの体を拭いたりするのは、おれの役目だ。
「キャプテン、入ってもいい?」
「ベポか。……あァ、入れ」
 船長室に行って扉越しに声をかけてみると、本を読んでいたらしいキャプテンはゆったりとした間を空けて入っていいと許可をくれた。
「イオリ、まだ起きないの?」
 尋ねると、キャプテンは本から目を上げてちらりとイオリに視線を向ける。
「あァ……。貧血だしな、できれば起きて物を食ってもらいてェが……それよりも、目を覚ましたくねェんだろう」
 賞金稼ぎたちは、イオリが傷を治すのを見てイオリのことを"化け物だ"と言った。イオリが一番こわがっているのは、それをこのハートの海賊団のクルーに言われることだ。でも、皆イオリのことをそんな風には思っていなくて、"早く起きねェかなァ"とか、"組手もしてもらいてェな"とか、イオリが起きるのを心待ちにしているのだ。
「誰もイオリのこと悪く思ってないのになぁ」
「おれに負けず劣らず惨いこともしてたからな」
 キャプテンは楽しそうに笑って、イオリの寝顔に視線を向けた。すぐ隣が医務室だというのに自分の部屋に寝かせているのは、目覚めた時にすぐに気がつけるように、だそうだ。おれだけが部屋の出入りを許可されているのは、イオリが怖がられるかもしれないと不安にならない相手だから。
 キャプテンも足の怪我がまだ治っていなくてあまり動けないから、というのもあるのだろうけど、イオリが目覚めた時に気を動転させないようにという配慮があるのはおれにもわかった。
 ベッドの横に膝をついて、すやすやと眠るイオリの手を握る。
「ん……」
 しばらく寝顔を眺めていたら、イオリが小さく呻くような声を出した。
「イオリ?」
「……、ベポちゃん……?」
 閉じられていた目がゆっくりと開いて、真っ先に映ったのであろうおれの名前をぼんやりと呼ばれた。
「キャプテン、イオリが起きた!」
 慌ててソファに座るキャプテンを振り返る。キャプテンは一瞬驚いたように目を見開いたけど、すぐにベッドにやってきてその縁に腰かけた。
 イオリはゆっくりと身を起こして、重たそうに頭を押さえる。
「どこか具合の悪いところはあるか?」
 キャプテンの問いに、首を横に振ったイオリはふわりと笑った。
「ずっと寝ていたので、頭が重い、というぐらいでしょうか……。それ以外は、大丈夫です」
 くぅー。突然可愛らしい腹の虫が鳴る音がして、はっとしたイオリがお腹を押さえて顔を赤らめた。
 キャプテンは苦笑して、点滴の針の刺さったイオリの腕をとる。
「もう二日半は飯を食ってねェからな。お前も普通に腹が空くようになってきたじゃねェか。ベポ、イオリに雑炊か何か持ってこい」
「アイアイ! キャプテンのも持ってくる?」
「あァ、頼む」
 医務室を出る間際にイオリを振り返ると、小さな照れ笑いを浮かべて手を振ってくれた。
「コック! イオリが起きたから雑炊作ってあげて! あとキャプテンのごはんもちょうだい!」
 食堂に駆け込んでカウンター越しにコックにそう言うと、周りの皆も表情を明るくした。
「おぉ! イオリちゃん目が覚めたのか! そりゃ腕によりをかけて作らなきゃな!」
 コックも怪我はしていたけど、仕事はいつも通り。イオリの目が覚めたことをすごく喜んで、さっそく作り始めていた。
「元気そうか?」
「うん、お腹空いたって言ってた」
「ははっ! やっと腹が減るようになったのか! コックの飯は美味いからな、たくさん食わねェともったいねェよな!」
 少しだけ沈んでいた皆の表情が、イオリが目覚めたことで明るくなった。イオリは確かに、ずっと暗い場所で生きてきたんだろうとは思う。だけどイオリがどんなに残酷なことをしたって、それが誰にでも降りかかるわけじゃないことをみんな知っている。だからイオリが不安がる必要なんてないのだ。おれと同じで、この船の皆を大切に思ってくれればそれでいい、そう思ってるから。
 イオリも早く本当の意味で船に馴染んでくれるといいなぁ。そう思いながら、良い匂いのする料理が載った二つのトレーを、手伝いを申し出てくれたシャチと手分けして持って早足で船長室に戻った。
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