white reaper in crimson hell

 酒場に戻る途中に襲い掛かってきた、賞金稼ぎと名乗る男たち。イオリも戦ってくれて圧倒はしていたのだけれど、ここ最近多かった眩暈には耐えられなかった……というよりは、いつもよりひどいものが襲い掛かってきたらしくて、ただごとじゃないようすで突然蹲った。"痛い"と苦しそうに発していたけれど、イオリは痛みを感じないはず。となると、イオリは眩暈で頭の中をがんがんと打ち鳴らされているかのような感覚に襲われたのだと思う。ただでさえ動揺していたおれはイオリの突然の変化にいよいよ平常な行動もできなくなって、隙を見せてしまったところで気絶させられた。
 おれがこの暗くて冷たい牢の中で目覚めてから、おれ同様に鎖で動きを縛られて、そのうえ手錠をされたイオリはずっと眠ったままでいる。気絶させられたあの時から、一度も目を覚ましていないのかもしれない。呼吸が落ち着いているからイオリの体調自体にはあまり心配はないけれど、それよりも置かれた状況の方が深刻だった。
 人よりいいおれの耳に入る、賞金稼ぎたちの物騒な会話。どうやらここに皆も捕まっているらしく、キャプテンは海軍に、おれはオークションにと話す声が聴こえる。あとは海軍に引き渡しても甚振って殺してもいいだろう、とか、女の奴隷は存分に遊んでから売ったっていい、とか、そんな会話と共に下品に笑う下っ端の声も。早く抜け出して、キャプテンたちを助けに行かないと。イオリだって、おれだって、このままだと危ない。
「……ベポ、ちゃん……?」
 か細い声がおれの名前を呼ぶのがわかって、傍に横になっているイオリの顔を不自由な体を動かして覗き込んだ。
 寝ぼけているのか、ぼんやりとした表情。
「イオリ、頭殴られたけど大丈夫? ここは牢屋の中なんだけど、どうしてそうなってるかわかる?」
 問いかけられたイオリはおれの言葉をゆっくりと飲み込むと、はい、と小さく呟くように答えた。
「私の記憶も……戻ったようです」
 イオリは体を起こして、悲しそうに笑った。まるで記憶が戻ったことなんて喜ばしくなんともないと言いたげなその表情に、どうしてだろう、と考える。きっと、ここ最近イオリが心配していたことのせいなんだろうけれど。
「本当に? もう眩暈しない?」
「はい。まだ、感覚は完全には戻らないけれど……、少なくとも、この状況をどうにかすることぐらいはできそうです。……埋め合わせを、させてください」
 真摯な態度でそう告げるイオリ。けれどおれはイオリが眩暈を起こしたことはイオリのせいではないのだと知っているし、だからこそ自分が悪いという風には言わないでほしかった。
「そんな、埋め合わせだなんて言い方――」
 イオリは目を閉じて感覚を研ぎ澄ませるみたいに纏う空気を張り詰めさせた。つられるようにして、おれも言いかけたことを飲み込んで口を噤む。
「……ローさんたちは……広間にいるみたいですね。ローさんの手元に刀はないようですが」
「すごーい! そんなことまでわかるの?」
「半径100mくらいまでなら。でも広げれば広げるだけ精度が落ちるので、今は狭くしていますよ」
 イオリはおれに背を向けると、後ろで縛られた手をおれの体に巻きつけられた鎖に触れさせた。
「待って、イオリ。あいつら"最期に一目会わせてやるか"、って、こっちに来てる」
「わかっています。ベポちゃんが力を込めれば切れる程度に傷をつけておきますから、合図をしたら進んでいる道の右側にある部屋の中を探してください。ローさんの刀はそこにあります」
 鎖の一部がぱきん、と小さく甲高い音を立てたのがわかった。
「……うん、わかった」
 少しして部屋にやってきた男たちは、汚い笑みを浮かべながら"最期に大事なキャプテンと仲間に会わせてやるよ"、と言っておれとイオリを連れて牢のある部屋を出た。
 イオリはなんの企みもないといった風に歩いていて、おれもできるだけ平静を装って進む。合図はいつだろうと待ち構えていると、ある枝分かれの通路の前でイオリがこちらに視線を向けた。ひとつこくりと頷くと、イオリは前を歩く男たちに視線を向けた。ぶわ、と嫌な感じが辺りいっぱいに広がって、寒気がした。そして、男たちが突然倒れた。
「!?」
「ベポちゃん、行ってください」
 きっとこれもイオリがやったのだ。イオリが大丈夫だと言うのなら、任せておけばいい。力を込めて鎖を引きちぎった。すぐにその場を離れて、近くにある部屋をひとつひとつ、必死で確かめて回った。
『あの、大丈夫ですか……? 突然、倒れたから』
『よくわからねェが……。オイ、あのクマはどこ行った』
『あなたたちが気絶したのを好機と見たらしくて……』
 イオリは"捕まってどうすることもできない何の害もない少女"を演じている。見捨てられたのか、可哀想になァ、と笑う男たちの声は腹立たしいけれど、今飛び出ていってイオリの企みがばれては元も子もない。珍しいから高くは売れるだろうけれど、キャプテンの懸賞金には及ばないだろう、そう判断したらしく、おれを追おうとする様子はなかった。
 男たちがイオリを連れて通路の分かれ道を離れたところで、やっとキャプテンの刀を見つけた。
 刀を抱えて広間まで走りながら、よく聴こえる耳で広間の会話を拾う。
『トラファルガー、最期に何か言うことはあるか?』
『ククッ……、靄は晴れたらしいな。……お前のやり方でいい』
 下卑た調子で言う男の言葉に、キャプテンも含みのある言葉で"状況を打開しろ"と命じた。
『……はい、キャプテン』
 訝しげな声に重なる穏やかな声を聴くとともに開きっぱなしの扉から部屋に駆け込むと、その瞬間イオリの傍にいた賞金稼ぎが突然気絶して倒れた。
 少ない腕の筋肉に力が篭もって、動きを縛っていた鎖があっさりと千切られる。
 イオリは何食わぬ顔で、手首に填まった手錠の輪の部分も引きちぎった。
「あァ、ベポは刀を持ってきてくれたのか。ご苦労だったな。能力も使えねェんで場所がわからず困っていた」
 キャプテンはこの場にはふさわしくない暢気とも言える声で、おれを労ってくれた。
「おー、イオリなんか雰囲気変わった? すげェ強そう!」
「眩暈も眠気もひどくなさそうだ。記憶が戻ったんだな」
 楽しそうに笑うシャチも、安心したように息をつくペンギンも、皆殴られたり蹴られたりしたのかぼろぼろだった。だけど雰囲気が変わって頼もしいとすら思えるイオリが来たからか、皆その表情は明るい。
「ベポちゃん、あの、ローさんは大丈夫なんですか?」
 キャプテンも手錠をされていて、足を撃たれたのかジーンズに穴が開いてそこが赤黒く滲んでいた。手錠は海楼石なのか、ぐったりと壁に寄りかかっている。イオリはそれを見て、おれに訊いてきた。
 イオリは難しいことを考えることができないから、理由とか根拠じゃなくて、結論が必要。多分、無理難題を言ってもイオリはやり遂げてくれるのだろう。理由がわからなくても、命じられさえすればなんだってできてしまうんだ。
「あれはたぶん海楼石。触ると悪魔の実の能力者は力が抜けちゃうんだ。嫌な感じがするらしいけど、キャプテンの体に害はないよ。でもあれ、鉄よりも硬いから……とりあえずは大丈夫だから、手錠の鍵を取るのが優先! 足もちゃんと手当すればちゃんと治るよ!」
「はい、わかりました」
 おれと呑気に会話をしていたイオリは、背後から襲いかかる相手を視界にも入れずに伸す。
 気絶させた相手の腰に差されていたサーベルを両手に持ち、相手の刃を受け流しながら舞うように戦うイオリは、とてもきれい。
「一秒……」
 イオリは焦れたような口調で呟いて、振りかざされた刃を受け止めた。
「くっそ、なんだよこの女……っ! めちゃくちゃ力が強ェ……!!」
 両手で武器を握り押さえつける敵に対し、イオリは涼しい顔で攻撃を片手で弾き飛ばすというのを難なくやってみせる。
 数人に斬りかかられても、相手の勢いを利用して受け流し、受け流した攻撃を別の方向から襲い掛かってきている敵へとぶつけさせる。同士討ちでやられるヤツもいて、賞金稼ぎたちの間にはひどく動揺が走っていた。
「……っ、させない!」
 イオリが突然大きな声を上げ、サーベルを投げた。
「うああああっ!」
 一瞬遅れて声のした方を見ると、縛られて身動きのとれないクルーを斬ろうとした賞金稼ぎの肩にイオリの投げたらしいサーベルが突き刺さっていた。
 イオリは慌てたようにクルーに駆け寄って、怪我の有無を確かめる。
「大丈夫ですか?」
「あァ……、おまえの投げたサーベルにめちゃくちゃびびったけど。……ッ、イオリ!」
 背後から襲いかかろうとする敵。クルーは驚いて呼ぶけれど、イオリに焦る様子はない。
 寸分の狂いもなく相手の剣を握る手を掴み、捻りあげた。ふっと軽く回すと、容易く敵の体は回転して舞う。
「すげェ……」
 ずだん、と受け身を取らせることもなく床に叩きつけ、敵は呻き声をあげる。イオリはそいつの手がクルーに届かない距離まで蹴り飛ばすと、クルーにできるだけ身を寄せ合うように、と言って他の敵を相手にし始めた。
 本当ならおれだって混ざってイオリを助けたいのだけれど、イオリのじゃまになってしまう気がする。動こうとしたらキャプテンからの強い視線を感じて、制されたのだともわかって。じれったく思いながら、イオリの戦いを見つめている。
「……鍵は、ない」
 ぽそりと呟かれる声に、イオリが戦いながら何をしているのかわかった。
 ひとりひとり伸しながら、さっきも使っていた周りの状況を知るための力で、鍵の場所を探っているのだ。狭ければ狭いほど精度が上がるから、相手をできる数も限られる。そんな状況の中でも、決してクルーに傷は増やさせない。イオリが誰かを守ることを得意としているというのは、聞いていたけれど。こんなにも上手に立ち回れるなんて、今までのイオリを見ていてもそんな風には思えなかった。
 次々とやられる仲間に見兼ねたのか、斧を持った敵のリーダーがイオリに襲い掛かった。また探りを入れていたらしいイオリの表情が、ぱぁっと明るくなる。
 しかし、相手の振るった斧を腕で受け止めた瞬間、苦虫を噛み潰したような表情をした。それと同時に斧の刃がイオリの腕に食い込んで、嫌な音をさせた。
 心の鎧が、体の鎧。イオリはずっと無表情だったのに、鍵を見つけた安堵で、それを緩めてしまったのだ。
「イオリ!!」
「……大丈夫です」
 イオリはおれに背を向けているから表情は分からないけれど、声色からおれを安心させようとしてくれているのがわかった。
 相手はにやりと笑ってイオリの腕から斧を引き抜く。堰き止めるものがなくなってぱっくりと割れたのが見える傷口からは赤い血が湧き出るように溢れて、ぽたぽたとイオリの指先から地面に落ちていった。心拍に合わせてとく、とく、と血の量が増える。力なくぶらさがったイオリの腕は、すぐにゆっくりと塞がることを始めた。
 イオリと対峙していた賞金稼ぎの何人かが情けなく悲鳴を上げる。
「あいつ……! 傷がどんどん治ってく!!」
 骨まで見えてしまうんじゃないかという傷は端からくっついていって、たった数秒で塞がってしまった。裸足で外を歩いたためについた小さな切り傷、敵の投げた大岩から身を守るために盾にした腕についた擦り傷。それらの傷がすぐに治る事には、あまり驚きを覚えなかったけれど。確かに、普通の人間なら治るのにどれぐらいかかるのかという傷が数秒で治ったのには、驚いた。クルーの皆も、目の前で起こった光景を信じられないと言わんばかりに、イオリの腕を凝視していた。
「ひぃぃッ! 化け物だ、あの女ッ!!」
 賞金稼ぎの一人が尻餅をついて、情けない声を上げながら手に持つ銃の引き金を引いた。鼓膜を叩くような銃声が聴こえて、一瞬のちにイオリの頬に赤い線が走る。イオリは流れ出した頬の血を手の甲で拭って、一歩足を進めた。カシャン、足枷の鎖の音が部屋に響き渡る。銃弾が掠めたはずのその場所に、傷はない。
「ベポちゃん」
 無表情に、無機質に。イオリはおれの名前を呼んで、斬りかかってきた男のサーベルの刃を素手で握って止めた。その拳に力が込められて、サーベルの刃が砕ける。
 斬りかかった男は腰を抜かして、さきほどの男と同じように尻餅をつきながら後ずさった。
 イオリはそんな男には目もくれず、おれを振り返って柔らかく笑う。血の垂れたワンピースや腕は真っ赤に染まって、イオリの後ろには痛みにのた打ち回ったり、イオリに恐怖心でいっぱいの視線を向ける男たち。イオリの日焼けしていない白い肌と、穏やかなようすがこの場ではすごく浮いていて、思わずそれに見とれてしまう。
「……ベポちゃんより、私の方がもっとずっと……、ばけもの、です」
 穏やかなのに、泣きそうな声。笑っているのに、涙が流れていると錯覚してしまう悲しい笑顔。イオリが"どんな自分を見ても態度を変えないでいて欲しい"と言った意味が、ようやく理解できた気がした。
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