man who breaks girl is I

「チッ……」
 舌打ちが、静かな石造りの部屋の中に反響した。
 いつの間にか深い眠りに落ちており、目覚めてみれば海楼石の手錠で後ろ手に縛られ身動きの取れない状態。目の前には、麻縄を体にしつこく巻きつけられたクルーたちが転がされていた。部屋は広く、壁に等間隔にささやかな装飾の施されたアルコールランプがつけられ、ぼんやりと室内を照らしている。
「船長……、すまねェ」
 眠りこけるクルーたちの中から歯噛みしながら謝るのは、船の番を任せた船大工だ。おれたちよりも先にこの部屋に放り込まれていたらしく、重症というには至らないがそこそこ大きな傷をいくつもこさえていた。
「いや。何があった?」
「船の整備を終えて休憩してたら、賞金稼ぎだってヤツらに襲われちまって……。あんまりな大人数だったもんで、そう長くは持ちませんでしたよ」
「そうか……」
 船大工は元々護身ができる程度の戦闘技術しか持ち合わせていない。責める気など少しもなかった。
「イオリとベポは帰ってねェのか?」
「え? 先に帰したんですか」
「あァ。船に無事戻ってれば、異変には気がついているかもな……」
 果たしてあの一人と一匹にここがわかるだろうか。ディステル島にいくつもある廃墟のうちの一つだとは思うが、おそらくこの手慣れた様子からいって、敵は痕跡を残さずに来ているだろう。
 どうしたものかと思案に耽っていると部屋の木造の扉が蝶番を軋ませながら開いた。
「よう、お目覚めのようだな。"死の外科医"トラファルガー・ロー」
「……テメェが主犯か」
「おいおい! 悪者呼ばわりは勘弁してくれ。こちとら政府が公開してる手配書の首を狙う賞金稼ぎ、人に感謝されこそすれ悪者呼ばわりされる謂れはねェなァ!」
 言っていることは確かにご尤もなのだが、その風貌、言葉遣いから、野蛮な部類に入る同業者にしか見えなかった。酒場で絡んできたヤツらかとも思ったが、どうも違うらしい。
「まったく、海賊ってのは酒場のヤツらに警戒がねェ! 便利なもんだ。しかも面の皮だけ厚い雑魚じゃなく、これだけの大物が釣れるたァなァ!」
「……なるほどな」
 おそらくは酒場がグル。そして、おれもイオリも気がつかなかったということは、バレることへの恐れもなく、そして平静を装って睡眠薬入りの酒を出せる程度には手慣れているということだ。
「さて、お前らが連れてる白クマと奴隷の女だが。お前らをとっ捕まえた時、船にも酒場にもいなかったな。どこにいる?」
 イオリとベポが見つからずにいるということは、動き回っている可能性も高い。どうやら薬は酒だけに入れられていたようだ。
「知らねェよ。居心地が悪ィと言うんで先に帰した。行き違ったんじゃねェのか」
「ハァ……。億越えの首、戦って人語を操るクマ……良い金蔓が一度に手に入ったもんだと思ったが……」
 イオリのことを気にする割に、"金蔓"の中には含められていない。どこの野郎も同じようなことを考えるんだな、と遠くで思った。
 懐からフリントロック式の拳銃を出した男は、おれの脚に向けて躊躇いなく引き金を引いた。銃声の直後、弾の当たった箇所に熱と痛みが走る。
「……っ」
「言え。クマと女はどこにいる?」
 銃声で目が覚めたのか、クルーたちが次々と起き上がり、困惑の声を上げた。
「おい……、どういうことだこりゃァ!」
「船長! 怪我してんじゃないですか!」
 ざわつくクルーたちに、賞金稼ぎの男は額に青筋を浮かべた。
「うるせェ!!」
 天井へ向けて、引き金が引かれる。流れ弾など気にもかけていないようだ。
 状況の把握が満足にできず、戸惑うばかりのクルーたち。ひとまずは落ち着かせておくべきだろう。煩わしさが敵の神経を逆撫でするのでは、この状況から脱するのにも支障が出る。
「騒ぐな……! 騒いで状況が好転するなら苦労はねェ」
 海楼石のせいで、ろくに声も張れない。しかしクルーはおれの一言で口を噤み、室内は水を打ったように静まり返った。
 リーダーと思しき男は満足げににたりと笑い、状況の把握の為に周囲に視線を走らせるクルーたちを見回した。
「さて……この中に白クマと奴隷の女の所在を知っているヤツはいるか? 海軍に引き渡す前に、情報は引き出しちまいてェんだよ……」
 クルーたちは顔を見合わせ、次いでおれへと視線を向ける。
 しかし答えを知りもしない質問に対して返事などできるわけもない。男はその反応に示し合わせ隠しているのだと感じたのか、部屋の壁際に散っている仲間に視線を遣った。それぞれがクルーたちの体を掴み、一撃ずつ攻撃をする。
「……!」
 何をする気なのか、すぐにわかった。そしてこれは、その目的を相手に示さなければ効果を持たない。
「居場所を吐いたヤツは生きたまま解放してやるよ。"死の外科医"以外はなァ!」
 クルーたちは、きつく歯を食いしばり繰り返される打撃に耐えていた。
 おれに危害を加えないのは、傷ついていくクルーたちを見て船長という立場にある者が平気ではいられないと知っているからこそだろう。
「ハッ……、答えを得られもしねェのに、よくやるもんだ。ついさっきも言っただろう、あいつらは先に船に帰したと。見つからねェなら、お前らの張った網がザルだったというだけだ」
 相手の腸を煮えくり返らせる言葉を選び、挑発的な笑みと共にぶつける。額に青筋を浮かび上がらせた男は、一切の遠慮もなく腹に拳を打ち込んできた。
「船長ッ」
「海楼石をつけられたんじゃァ、転がってるテメェのクルーよりも無能な能力者が……図に乗るなよ。なんなら手でも切り落としてやろうか? 医者だろうがなんだろうが、どうせ海軍に引き渡される身だ。生きてりゃァなんでもいい」
 腰に差していたサーベルを抜き放ち、男が振り上げる。
 動揺を面に出すことなく睨みつけていると、部屋の隅に設置された丸テーブルの上に置かれた電伝虫が着信を知らせる声を発した。
「……なんだ、いいトコだったのによォ」
 興が削がれたとでも言いたげな様子で、男はその大柄な体をのしのしと揺らしながらテーブルへ歩み寄る。受話器を手に取り、なんだ、と不機嫌そうに呼びかけた。
 クルーたちはおれの腕が切り落とされなかったことに対してだろう、安堵の息を吐いた。
「船長、余計な挑発しないでくださいよ……」
 近くに転がっているペンギンが呆れたように言った。
「うるせェ。おれに命令するな」
「命令じゃなくてですね……。おれたちはこれぐらい何でもないですから」
 それよりも今は電伝虫だ、とペンギンを視線で黙らせ視線をそちらへ遣る。
『リーダー! 見つけましたよ、クマと奴隷! 中々に手こずりましたが、奴隷の女が自分からとんでもねェへまをやらかしてくれたもんで!』
「! そりゃァご苦労! 連れて帰ってこい!」
 喜色満面に答えたリーダーは、派手な音を立てて受話器を置くとこちらを振り返りにたりと笑った。
「見つかったようだぞ。良かったじゃねェか、最期に一目ぐらい会わせてやらァ」
「……できるもんならな」
 ある意味、ベポとイオリが捕まってここへ連れてこられるというのは好都合な話だ。探させる手間が省けるというものだ。
 イオリがへまをしたというのは、おそらく眩暈が原因。どうせ先程電伝虫で連絡を取ってきた男は自分の功績をリーダーである男に話して聞かせるのだろうから、そこから判断すればいい。
 暫くすると、ベポたちを捕まえたものと思しき男が部屋に入ってきた。
「ご苦労だったな!」
「いやァ、クマも女もかなりのやり手でしたよ! ただ、女が急に頭を押さえて"痛い"っつって苦しみだしたんで、クマも驚いてそっちに気が行っちまったようで。そっからは簡単でした」
「ほう……、まァ、女の体は後での楽しみに取っておくか」
 どうやらイオリを襲ったのは眩暈程度のものではなかったらしい。"痛い"というのは、痛覚のないイオリからしても異常な事態だ。しかし明確に痛みを感じたわけではなく、頭の内側をがんがんと打ち鳴らされるような感覚をそう表現しただけのように思う。何にせよ、イオリが念を使い出した経緯を思い出せれば、たとえ鎖で拘束したとしてもそれは糸同然の代物にしかならない。海楼石の拘束具などという高価な物は、海軍でもないただの賞金稼ぎがそういくつも有しているはずもない。そもそも海楼石も、イオリを拘束できるものであるかどうか怪しいところだ。
「どんな具合なんだ、あの女は」
 下卑た笑みを浮かべながら、どこまでも下世話な話をする男。あの白く細い体にこの男の手が触れると考えるだけでも腹立たしい。
「テメェなんざと一緒にしてもらっちゃ困る」
 吐き捨てるように言うと、男は顎を指で撫でながらまた汚く笑んだ。
「なんだァ、生娘か? いや、それもまたいい」
 話を自己完結させやがって。時間稼ぎにもならない。
 舌打ちをし、クルーたちの容体を確認する。コックが辛そうではあるが、他のやつらは早々潰れるタマでもないらしい。
 各々反抗的な視線を向け、また殴られていた。
「まァ、お前を海軍に引き渡した後でたっぷり遊ばせてもらおうじゃねェか」
 この時ばかりは、能力でも剣術でも体術でもなく、視線だけで人を射殺せやしないだろうかと、そう考えた。女というだけで、イオリには"そういう"危険が付き纏う。そういったことからもまだ、イオリが記憶を取り戻したと確認ができるまでは守ってやらなければと思うのに、イオリがそうされることにではなく、自分以外の誰かにそれをされることを腹立たしく思っている自分がいるということに対しても腹立たしく思う。
 あいつが助けを求めたいと思った時に真っ先に思い浮かぶのがおれの顔であればいい。そしてイオリが壊されるのならば、それをするのは他の誰でもないおれであって欲しい。重症だな、と心の内だけで自嘲する。
「おい、お前ら。あのクマと女を連れてきてやれ」
 賞金稼ぎたちの会話を聞き流しながら、"大丈夫だ"とどこかで確信した。イオリに起こった異常な頭痛。それがイオリの頭にかかった靄を吹き飛ばしてくれるのだと、そう確信していた。そうでないのなら、少しして扉の向こうから聴こえてきた軽快な鎖の鳴る音は何だ。
 これでおれはイオリには勝てなくなる――しかしイオリが寝首を掻くような真似をするはずがない。
 記憶が戻ったイオリの立ち回りを見たクルーの態度はどうなるかわからない、それにイオリは耐えられるだろうか――いや、耐えられなくとも手放すわけにはいかない、守ってやればいいだけの話。
 いくつも懸念が浮かんでは、解決策が浮かんでいく。イオリにとって一番大事なものがおれであると、仮定した上での不確かな考え。しかし、間違ってもいないはずだ。
 扉が開かれ、ベポの姿が見当たらないがイオリが落ち着いた様子で部屋に入ってきた。手を後ろで拘束され、鎖で腕の動きも封じられているため動きにくそうではあるが、然したる問題でもないと言いたげだ。
 クルーたちが口々にイオリの名を呼び"心配した"と安堵したような言葉を投げかける。
 纏う雰囲気が変わったことを感じながらその顔を見上げると、澄んだ瞳から放たれる視線とおれの視線が合わさった。イオリは目を細め、唇の動きのみで"お待たせしました"と言った。"遅ェよ"とこちらも口の動きだけで返すと、イオリは困ったように笑った。
「トラファルガー、最期に何か言うことはあるか?」
 "最期"? 笑わせるな。絶望を見ることになるのはお前たちだというのに、よくも暢気にしていられるものだ。
 そんな嘲りを、吐息に混ぜた笑いに含ませた。言葉にも遠回しな意味を持たせ、しかし表現だけは直接的に。イオリはゆっくりと深呼吸をすると、その顔、瞳から感情というものを消した。刷り込みのようにして与えた深呼吸というヒントは、役に立ってくれたらしい。
「……はい、キャプテン」
 お前のその返事は、"主人(マスター)"という単語が"キャプテン"という単語に置き換わっただけではないかと。少しの呆れを覚えながら、イオリがこれから演じるであろう大立ち回りに期待をする。口の端が、自然と上がるのがわかった。
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