feeling of despair

 ディステル島に着いて、数日が経った。ベポちゃんは人の立ち入らない廃墟をクルーと探索してきたようで、街には出かけられないながらも楽しめたようだった。記録(ログ)は貯まっているけれど、船の修理はやっと終わったという状態で、最終的なメンテナンスが残っている。
 今日あたり飲みに行くか、というローさんの思いつきのような発言により、ハートの海賊団は揃って酒場にお酒を飲みに行くことになった。帳簿を手に出てきていたペンギンさんも、来るまでに予想より他の船との交戦が多かったため資金に余裕もある、と笑っていた。私はといえば今日は昼間はたっぷり寝て過ごしたので、眩暈があまりひどくない。出かけるのが今日だというのは、少し都合が良かった。
「船番はどうするんですか?」
「明日には出られるように船の整備してるからよ。ベポもイオリも楽しんで来いよ」
 誰が残るのだろうかと気になり訊いてみると、船大工さんがひらひらと手を振り、快く引き受けてくれた。
 クルーが探してきた、町の中でも大きめの酒場に行くと、中では既に別の海賊が宴をしていた。とはいえ、その海賊団もハートの海賊団も、少数精鋭の集団のようで酒場を占領するということはない。ローさんも宴を前に喧嘩を売るつもりはないらしく、一瞥しただけでベポちゃんに刀を預けてテーブルの低いソファの席に座った。
 しかし、お酒の入った相手は違ったようだ。船長と幹部らしき人間がどかどかとこちらに歩いてくる。ローさんの落ち着きぶりに、クルーたちも様子を窺いつつテーブルに散り散りになった。
「おォ、こりゃあ最近億越えの賞金首になったルーキーじゃねェか! 海の先輩を前にシカトたァいい度胸じゃねェか? え? 期待のルーキー様よォ」
 ローさんは淡々と店主に注文を言いつけ、揉め事を起こす気はないと念を押す。店主は頷くと、慌ただしく店の奥に引っ込んだ。
 その態度に相手も怒りをはっきりと露にする。ベポちゃんはローさんがいつでも刀を取れる位置に立っているけれど、ローさんには何とかする気はなさそうだ。……むしろ、私の方がいいのかも。ちらとローさんを窺うと、視線で頷かれる。
「ここはおれ様の海賊団が使ってんだ! 礼儀も知らねェ若輩者には退散してもらおうか!!」
 ローさんに掴みかかろうと伸ばされる手。屈強な男のそれではあるけれど、別に止めるのに苦労はしない。手のひらを差し入れて、男の拳を止めた。そのまま手首を蹴り上げて、身体の前ががら空きになったところへ手を伸ばし、首を掴む。
「がっ……!」
 死なない程度、気絶しない程度。相手の様子を見ながら、手に力を込める。両手を私の手首にしがみつかせて必死に引き剥がそうとするけれど、無駄なことだ。
「私の主人(マスター)を愚弄するのはやめていただけますか?」
 こういう時に、足枷が演技に一役買ってくれる。表情もわからないようにしているから、今の私は何も知らない人から見れば、主人に盲目的に付き従うただの"奴隷"なのだ。
「イオリ、やめねェか」
 視線を向けずに、呆れたように言われる言葉。けれども彼は別に、声色そのままのことなど思ってはいない。
「……でも」
「言っただろ、揉め事を起こす気はねェと。そっちのあんたも引いてくれ。悪いがこれ以上はおれもコイツを止められねェぞ」
「……っぐ! ……か、った、わかった、から……!」
「イオリ、離せ」
「……はい」
 不満たらたらな素振りを見せて、男の首から手を離す。首に指の痕が残っているのが見えて、あぁ、やりすぎた、と少し反省。
 必死に酸素を取り込みながら蹲る男。最後に一睨みすれば相手はひっ、と息を呑んだ。
「争う気はないそうなので、そちらが手を出さなければ私も何もしません。くだらないことは考えないでくださいね」
 密かに向けられた銃口に視線を向け、手を伸ばせば十分に掴める距離だと分かり、素早く一歩踏み込んで銃身を掴み、力を込める。銃は簡単に捻じ曲がり弾を撃ち出せないただの鉄の塊になった。
 もう敵意は感じられない。これで大丈夫だとローさんに視線を向けると、ふ、と口元に笑みが浮かぶのが見えた。
 喧嘩を売ってきた海賊団は、やはり居辛いと思ったのかすごすごと酒場を出て行く。あとで逆恨みされても大丈夫なように、島を出るまでは警戒しないといけない、とぼんやりと考えた。
 そのまま皆はお酒や料理を待ちながら談笑し始める。けれど、今回私は"奴隷"として振る舞ってしまったのだ、同じ席に着くのはまずい。慣れたことだし、と記憶にないのに思うのを不思議に思ってそれを掻き消し、ローさんの座るテーブルの傍に立った。
「イオリ、悪ィな」
「いえ」
 囁くような声に、私もローさんの耳にぎりぎり届く声量で答える。少しすると、店主が料理とお酒をたくさん運んできてくれた。それから、その後ろに感じる複数の気配。そちらを見ると、女の人が数人、扉の向こうにいた。……きっと、店主が気を回したのだ。
 船に居た方が良かったかもしれない、と思いながら、ペンギンさんが手招いてくれたので起きた眩暈にふらつくのを堪えながらそちらに近づく。皆と騒ぐのが大好きなシャチさんは他の若いクルーと同じテーブルで、もう盛り上がり始めている。ローさんやペンギンさん、それから比較的年長の人たちは、落ち着いて飲むのが好きみたいでローさんの近くに集まっている。ペンギンさんはフルーツジュースを注いでくれて、その傍らに膝をついて座り、素直に受け取ってグラスを傾けた。
「……おいしい」
「気に入ったんなら良かった。船長が頼んでくれたんだぞ」
「お前でも飲めるようなモンを出してくれと言ったら、店主に勧められた。島の特産物らしい」
 ベポちゃんも料理を夢中になって食べ始めていて、今回の滞在は船で留守番をすることの方が多くこうしたものは食べなかったから、珍しいのだろうと思う。海賊が相手ならそれほど驚かれないけれど、やっぱり熊が歩いてしゃべっていると、普通の人は驚くのだ。だから店の奥から感じる気配が、少しだけ嬉しくなかった。
「こんばんは! お兄さんたち、楽しんでるかしら?」
 先程見た女の人たちが、店の奥から出てくる。あぁやっぱり。そう思いながら、中身を飲み干したグラスをテーブルに置いて立ち上がる。どうかしたのかとペンギンさんが尋ねてくるけれど、無言で首を横に振ると、察してくれたのかすぐに他のクルーと話をし始めてくれた。
 深呼吸をして、表情を消す。私は今この場では、あくまで奴隷として振る舞わなければ。確かに足首に感じる枷の重みと改まった心構えに、どことなく懐かしい感じがした。
 接待の為に呼ばれたらしい、露出の多い派手な服装をした女の人たちは、私を見て、足元を見て、軽蔑の視線を投げかけるとすぐにそれを消してローさんに近づく。隣に座り妖艶に腕を絡めて、グラスにお酒を注ぎ始めた。
「やっぱり強い海賊ってお金持ちなのね。奴隷を連れてるなんて珍しいじゃない!」
「……あァ」
 ローさんは曖昧に笑って、すっと視線をこちらに寄越す。"大丈夫"という意味を込めて頷くと、グラスを煽って積極的ではないにしろ応え始めた。今ここでローさんが彼女たちの言葉に乗らなければ、空気も悪くなって他のひとたちが娼婦を買いにくくなる。彼らの楽しみのひとつでもあるし、我慢すると体にも悪いらしいから、それを奪いたくはなかった。自由行動の間に出掛けられなくて、今日を楽しみにしていたひともいるはずだ。
 ちらちらと向けられるのは、やっぱり軽蔑、冷笑、軽侮。後ろで組んだ手に力が入って、手のひらに爪が食い込むのがわかった。
 機嫌のいいシャチさんが私の名前を呼ぶのが聴こえて、はっとして手のひらの傷を治し返事をする。
「イオリー! お前も飲め!」
 けらけらと笑うシャチさん。けれどもいつも気を遣って弱いものを勧めてくれるというのに、今日はそんなこともないらしく。
「……シャチさん、かなり酔ってませんか?」
「おう! 今日はすっげぇ酒の回り早ェ気がする!」
 気分がとても盛り上がっているらしいシャチさんに、苦笑を漏らすしかない。
「ほどほどにしてくださいね……」
 断れなくなる前にと席を離れ、ひとり黙々と食事を口に運ぶベポちゃんの傍に行ってみた。
「あ、イオリ」
 喧騒の中に紛れてしまう、囁くような声。一瞬聞き逃しそうになったけれど、慌てて聴覚を強化したからしっかりとその声は聞き取れた。
「おいしいですか?」
 傍に立って楽しむ皆を眺めながら、同じように囁き声を返す。
「うん。これとね、あのお肉もすっごくおいしかったよ」
「それは良かった」
「イオリは何か食べた?」
「いえ……。奴隷として振る舞ってしまいましたから」
 ふと、通りでケーキやアイス、それから軽食を扱うお店がまだ開いていたのを思い出す。このままここに居ても立ち通しなわけだし、出ている料理は私には濃いものばかり。普段から"まずは量を食べられるように"とコックさんが作ってくれる薄味のものしか食べていないし、まだまだ果物は並べられそうにない。私もだけれど、ベポちゃんも居心地が悪くなる前に出たいと思っているはず。
「ベポちゃん、それを食べたら二人で抜けてデザートを食べに行きませんか?」
「デザート?」
「通りにまだ開いているお店があったんです。ケーキもアイスもありますし……、それに、船大工さんにも何かお土産を持ち帰りたいです」
「! うんっ、行きたい!」
 甘いものと聞いて喜んだベポちゃんが、つい声をあげてしまった。途端に顔を引き攣らせる、接待に出てきたひとたち。
「やだ、クマが喋ったわ!」
「気持ち悪い……! ちょっと、襲わないわよね……!?」
「あ……っ」
 ベポちゃんがしまった、という顔をするけれど、もう遅かった。人とコミュニケーションを取れる時点で、よほどの暴言を吐かなければ襲われたりはしないと考えるのが普通なのだけれど……。やっぱり珍しくて、それが恐ろしい、気持ち悪いものだと認識してしまうのだろう。
 食事を取りながらも大事にベポちゃんの腕に抱えられていた太刀を持って、ローさんの傍に行く。
「ベポちゃんと一緒に船に戻りますね」
 太刀を差し出しながら言うと、ローさんはそれを受け取りながら頷く。
「あァ、何か買って帰るか?」
「いいですか?」
「今日は特別だ、甘いもんでも買って帰れ」
 私が何も食べていないことをしっかりとわかっているようだった。この会話も事情を知らないひとが聞けば気分のいい船長がたまたま奴隷を甘やかしているだけ、と思うはず。
 ローさんはポケットから薄い財布を出すと、それを私の手に押しつけた。
「大金は入ってねェ、帰ったらテーブルに置いとけ」
「わかりました」
 財布をしっかりと握って、しょんぼりと俯くベポちゃんの傍に戻る。
「ベポちゃん、帰りましょう?」
「うん……」
 ぷにぷにした肉球に手を包まれて心地よく思いながら酒場を出る。
「あいつは意味もなく人を襲ったりしねェよ。だがもう帰らせた、仕事はきっちりしろ」
 きっとローさんはベポちゃんを悪く言われたことに気分を悪くして、眉間にしわを寄せながら言ったのだろう。その様子が滲む口調からなんとなくその表情の想像がついて、ベポちゃんも大切にされているんだなぁ、と改めて思う。
「ベポちゃん、あまり落ち込まないでくださいね」
「うん、大丈夫。キャプテンはおれのこと気持ち悪いって言わないもんね」
「はいっ」
 酒場の熱気で火照った体を夜風で冷ましながら、来る時に見たお店を探す。明かりの灯ったお店は少なくて、ぽつりぽつりとあるだけだ。その一軒一軒を確認していると、覚えのあるお店が目についた。
「ベポちゃん、あそこです」
 指差して教えると、ベポちゃんはぱぁっと顔を輝かせすんすんと鼻を動かす。
「いいにおい!」
 通りから伸びる少し細い道に面しているドアを開けるとぶら下がったベルが小さく音を立てて、店員である若い男性がお店の奥から出てきた。私たちを見て驚いたような顔をしたけれど、私たちが店内のお菓子を見て回り始めると安堵したように息を吐く。
「イオリ、おれこれが食べたいな」
「ふふ、おいしそうです。船大工さんには……サンドイッチでしょうか」
「うん!」
 店員の男性にいくつか日持ちのするお菓子も教えてもらって、他のひととも一緒に食べられるように多めに買い込んだ。
 ベポちゃんが荷物を持ってくれて、静かな船に戻り船大工さんの姿を探した。甲板には居なかったので、食堂の戸棚にお菓子をしまって、お部屋にローさんの財布を置いてから、機関室、操縦室と、整備にも関わる彼が居そうな場所に行ってみた。けれど、どこにもいない。
「いませんね……」
「うん……。トイレにもお風呂にもいないし」
 ベポちゃんが伝声管を使って船内に呼びかけても見たけれど、どこからも返答はない。
 耳を澄ませても、人の寝息すら聴こえない。
「……ベポちゃん。おそらく船には、私たち以外誰も居ません……」
 聴こえるはずの生活音が、まったく聴こえない。そうなれば、この船には誰もいないのだと、そう結論づけるしかない。
「でも……、でもっ、船大工は船番放り出して出かけちゃうやつじゃないよ!」
 現実を否定するかのようなベポちゃんの焦ったような言葉に、ゆっくりと首を振り答える。
「それは私もわかっています。……だから、何かあったのではないかと思うんです。船を離れざるを得ない状況になってしまったか、無理矢理船から引き離されてしまったか」
「そんな……」
「とにかく船の施錠をしっかりして、ローさんたちに伝えに行きましょう」
「うん……」
 もしも船大工さんが何者かに襲われてしまったのだとしたら、私たちでどうにかできるなどとは思えない。私という足手まといを抱えていては、ベポちゃんも思うようには動けないだろうから。
 施錠を終えて、鍵は万が一のことを考えてこちらの世界に来た時に太腿に巻いていたベルトの内側に括りつけた。これなら、余程厳重な体制を敷いているところでなければ、ポケットや袖など仕込みができそうな場所を調べられても見つかりはしない。
 そわそわと落ち着きのないベポちゃんを宥めながら、来た道を足早に引き返した。
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