bogus amulet reassures the girl

「ねぇ、このままいてもいいかしら?」
 欲求の処理を終えて一息ついていると、布団の中で女が気怠そうに見上げてきていた。
「好きにしろ。おれは帰る」
 懸賞金が億を超えた頃から、買った女と共に部屋で朝まで過ごすことはなくなった。億という数字に目が眩んだヤツが、寝首を掻かないとも限らない。船や宿に戻るのが面倒で、女も居ついた時は碌に休めもしない。実際のところ殺してしまえば政府は三割を削るのだが、それでも一般人には大金だろう。クリップで留めた紙幣をテーブルの上に置き、太刀を担いで部屋を出た。
 外に出ると秋の風が吹き、首や手首を冷やしていく。薄着で来るんじゃなかったなと思いながら、通り道にあった店で島の名物だという菓子を買い、船に足を向けた。
「あれ、船長、今日は帰って来ないって聞いてたんですけど」
 見張りをしていたクルーがおれを見つけると驚いたように声を上げた。
「気が変わった。イオリは?」
「ベポが言うには、もう寝てるみたいですよ。船長室の明かりも点いてませんしねェ」
 起きていたとしても、碌に動けない。イオリも早々に寝てしまおうと考えたのだろう。
 部屋に戻る途中、ベポと会った。手にはベポの巨体に合った大きなマグカップを持っており、どことなく甘い匂いを湯気と共に漂わせている。
「あ、キャプテンおかえりー。帰ってきたの?」
「あァ、気が変わってな」
「そっか。イオリはもう寝てるよ」
「見張りからも聞いた。土産だ」
 ベポの手に、二つ買ってきた菓子の袋の一つを押しつける。それが何なのかをすぐに理解したベポは、顔を輝かせて礼を言ってきた。
「あ、キャプテン。今イオリの様子見てきたんだけど、あんまり夢見が良くないみたい。うなされてたら起こしてあげて」
 思い出したように言うベポ。イオリを大事にしているベポが些細だと判断したということは、目に見えて夢見が良くなさそうだというわけでもないのだろう。
「……わかった」
「じゃあ、おやすみキャプテン!」
 ベポはにこにこと笑いながら、巨体とはあまり結びつかない軽快な足取りで自室へと戻って行った。
 船長室に入って真っ先に目を向けたのはベッド。白い饅頭ができあがり、呼吸に合わせて上下に動いていた。
 この海域の夜は、イオリには少し寒いようだ。薄い毛布を出してやったのはつい最近だが、暖かそうに包まって眠っている。無意味に剥いで冷気を入れることもないと、イオリが嫌う香水の匂いを落とすために太刀をソファに立てかけ、テーブルの上の読みかけのまま栞を挟んで置いてある本の傍に帽子、そしてイオリへの土産を置いてシャワールームへ入った。
 さっぱりとして部屋に戻り、おれも寝てしまおうと明かりを落とし布団を捲る。イオリは普段通り丸まって寝ていたが、違和感を覚えて窓から差し込む月明かりを頼りに目を凝らすと、シーツが少し濡れているようだった。髪をきちんと乾かしてから寝るという習慣は身に着けさせたし、そもそもベポがいるのだからきちんと見ているはずだ。
「……泣いたのか?」
 目元を撫でると、濡れた跡があるのがわかった。
 ベッドに乗り上げ、定位置に収まってイオリを包まった毛布ごと抱き寄せる。イオリは少しの間腕の中でもぞもぞと動いていたが、落ち着く位置を見つけたのだろう、すぐにすやすやと寝息を立て直した。少しの間うなされてはいないかと様子を窺うつもりでいたが、いつの間にか眠ってしまっていた。
 起きたのは、早朝のまだ日も昇らない時間帯。薄暗い部屋の中で目を開け、起きる気にもなれず腕の中のイオリの背を撫でた。いつの間にか縋るように抱きついてきており、布団の中はぬくぬくと温かかった。
「ん……」
 イオリがぼんやりと目を開け、おれの顔を見上げた。数秒の間ぱちぱちと瞬きをしていたが、突然驚いたような顔をする。
「ろ、ローさん……?」
「あァ」
「えっと、おはようございます……」
 まずは挨拶からという律儀なイオリの髪を撫で、体を起こす。イオリもおれの動きを追って身を起こし、早朝の気温の低さにふるりと身を震わせた。普段はキャミソールタイプのワンピースを着ているのだが、やはり寒さには耐えられなかったらしくカトライヤで買ってやった薄い長袖の上着を羽織っていた。
「いつ帰られたのですか……?」
 イオリはまだ起きなければならない時間でもないとわかりきっているからか、毛布の端と端を体の前で合わせ、小さく体を丸めて包まった。
「日が変わる前だな。気が変わって戻ってきた」
「そう、ですか……」
 どこか安堵したような表情を浮かべ、視線を落とされる。
「昨日、何か嫌なことでもあったか?」
「え?」
「泣いただろう」
 ただただきょとんとした顔を返されるばかりで、本人に覚えが全くないのは明白だった。覚えていないのなら、それでいいが。
 イオリはゆるりと首を振り、目を伏せて笑んだ。
「……なんでもありません」
「?」
 やんわりと見なくていいものを伏せるような物言いをするイオリの様子が、少しだけ気になった。泣いたことについて身に覚えがない、そのうえその原因も思い当たらない。それならばイオリは、ただ不思議そうに首を傾げるだけのはずなのだ。だというのに、今朝のイオリは、そんな言い方をした。泣いたことは覚えていないが、自分が泣いていたとしても不思議ではないと言いたげな、原因に心当たりのあるような言い回し。
「……何かあったんだな」
 おれがその些細な言葉の違いに気がつかないとでも思っていたのだろうか。
「いいえ、本当に何もありませんでした」
 イオリは普段と特に変わらない表情できっぱりと言い切ると、毛布から抜け出し床に足をつけた。重力に従った鎖が音を立て、床に落ちる。床の冷たさに眉を寄せながら顔を洗うべく洗面所に向かったイオリの背を見送り、小さく溜め息を吐いた。
 顔を洗いさっぱりした様子で戻ってきたイオリは、ぐっと体を伸ばしてからソファに腰を下ろす。入れ替わるようにして洗面所へ行き、眠気でぼんやりする頭を冷水ではっきりさせた。
 部屋に戻りイオリの顔を見ると、やはりどこか寂しげな表情を浮かべている。
「……その顔で"何もなかった"なんて言っても、信用できねェぞ」
 溜め息を吐き出しながら声をかけると、イオリははっとして洗面所と部屋との間に立つおれの顔を見上げた。
「あ……えっと……」
 イオリは困り果てたような顔をして、瞳を潤ませた。おれを見る目には、どこか申し訳ないと言いたげな雰囲気がある。単なる心配からこうして問い詰めているのだと、理解しているようだった。それに答えたくないと思う自分がいることが、遣る瀬無いのだろう。
 眩暈や睡眠の最中に思い出した記憶の中に会いたいヤツでもいたのか、何か嫌なことを思い出したのか。イオリはその問いのどれにも首を横に振った。
「……なら、なんだ?」
 イオリの隣に腰を下ろし、目を合わせたままでは言いづらいだろうとどことはなしに向かいの壁を見つめたまま尋ねる。聞かずにおいて欲しいというのなら、はっきりそう言えばいい。"何かがあった"のだと認めたうえで、それを聞かないで欲しいというのなら何も無理に聞こうとは思わない。こちらは引き受けた以上しっかりと精神面のケアもしてやらなければと思っているだけに、嘘をついて誤魔化されるのは癪だった。
「詳細を言いたくねェならそれは聞かねェ。だから、嘘だけはつくな」
「……、ごめんなさい……」
 イオリは素直に反省し、おれの服の袖を引いてへにゃりと眉を下げた。それから、おずおずと口を開く。
「き……昨日」
「あァ」
 静かに相槌を打ち、話を聞いているという事だけは伝えて続きを待つ。
「その、ですね……、さびしくて……」
 至極言いにくそうに、そして羞恥からか顔を赤らめて落とされた言葉に、自分が目を見開いたのがわかった。
「……寂しかったのか、一人で寝るのが」
 イオリは俯いて、こくりと頷いた。イオリのことだ、おそらく"一人で眠れる"と言った手前ベポを頼ることができなかったのだろう。
 しかし、イオリは複雑な思考をする力もなく、記憶も四年分にすら満たない。知識はあっても、経験がイオリの中には残っていない。暗い世界で過ごしてきてはいるが、イオリは子どもと言っても差し支えないような精神状態なのだ。考えてみれば、眠ってばかりいた頃はともかく、起きられるようになってからは、イオリを一人で寝かせたことはなかった。
「なら、素直にベポを頼れば良かったじゃねェか。"寒い"って言いさえすりゃ、ベポは一緒に寝てくれただろ」
「あ……」
 どうやらそこまで考えは及ばなかったらしい。そうしていれば、何か訊かれても、ベポが率先して"イオリが寒いって言うから一緒に寝たんだ"と答えていただろうし、それならイオリも満更の嘘をついたと心を痛めることもない。毛布を引っ張り出してくるほど寒がっていたのだ。体を毛に覆われたベポと寝ようとしたところでクルーたちが不思議に思うわけもない。
「それに、お前が寂しいから一緒に寝てくれと言ったところで、ベポは嫌がりなんかしねェよ。むしろ喜ぶだろう。昨夜はおれがからかったのが悪かったか」
「い、いえ、そんなことは……」
 しどろもどろになりながら否定をされても説得力はない。
 テーブルに目を遣ると、昨日菓子の包みを置きっぱなしにしたことを思い出した。それを手に取り膝の上で握られた手をその包みでつつく。イオリは不思議そうな表情で、掌を上に向けその包みを受け取った。
「土産だ。食事に影響が出ないように気をつけて食えよ」
「は、はいっ。ありがとうございます」
 頬を嬉しそうに緩ませる様子を見て喉の奥で笑いながら本を手に取ると、暇になると察したイオリは包みをテーブルに置き直してうつらうつらと舟を漕ぎだした。
「朝食の時間になったら起こしてやる。それまで寝とけ」
「ありがとうございます……」
 肘かけに手を置き、その上に頬を載せ眠り始めたイオリ。本は開かずに一度ソファから立ち上がり、ベッドからまだ温かさの残る毛布を取り、イオリの体に掛けた。どうやら今の体勢が気に入ったようなので、手と頬の間に毛布を入れて跡がつかないようにしておく。
 部屋の明かりを点ける気にもならず、ランタンに火を灯して手元を照らしながら本を開いた。
 すやすやと規則正しく繰り返されるイオリの寝息を耳に入れながら、文字を読み進める。明かりが無意味に思えるほどには部屋の中へ光が差し込むようになると、部屋の外からはクルーたちが活動しだす音が聴こえてきた。
 ランプを消し、僅かに凝った体を伸びをして解す。
 何かしらの確認をしに部屋を訪れるクルーたちに応えながら時間を潰していると、ベポが二人分の朝食を持って部屋にやってきた。
「キャプテン、おはよう! ごはんだよ」
 にこにこと笑うベポがテーブルにトレイを置き、ソファに落ち着く。
「イオリ、起きろ」
「ん……」
 すっかり寝入っていたらしいイオリの体を揺すると、小さな声と共にぱちりと目が開いた。
「イオリ、おはよう。ごはんだから起きようね。今日はイオリが寒そうだからってコックがリゾット作ったんだよ。あったかいうちに食べて!」
「おはようございます、ベポちゃん……」
 イオリは眠たげに目を擦りながら身を起こし、毛布を折り畳んで脇に置いた。眩暈がしたのか一度米神を押さえて俯くが、湯気を立ち昇らせるリゾットの匂いに顔を綻ばせる。万一の為にとベポに見守られながら、イオリはコックが日々量を調整して出している食事をきちんと平らげた。
「良かった、ちゃんと食べられたね」
 ベポは我が事のように嬉しそうに笑い、腕を伸ばしてイオリの頭を撫でた。イオリも嬉しそうに笑い、頷く。
 二人ともが食事を終えると、ベポは再びトレイを持って部屋を出ていく。昨日はむくれていたようだったが、機嫌も幾分か上向いたらしかった。
「ローさん」
「なんだ」
「滞在、どれぐらいになるのでしょうか……」
「甲板は全部張り替えだからな。少なくとも、カトライヤよりは長ェぞ。記録(ログ)はそれまでに貯まるがな」
「ベポちゃん、どこかでお出かけできるといいのですが」
 イオリ自身も暇だろうに、心配の対象はベポときた。いや、イオリは暇になれば眠ればいいのだから、今はそんな手軽な時間潰しの手段がある自分より、日頃元気よく動き回るベポを気にしているのだろう。
 昨日街を出歩いてわかったが、確かに昼と夜とで活動している人間の層が随分違うようだった。昼はクルーから聞いた話でしかないが、この島に昔から住んでいる高齢な人間が主に活動し、夜は海賊や、海賊を商売の糧とした労働者が酒場や娼館に入り浸り日頃の鬱憤を晴らしていく。
 酒場では、この島に着いたことに対し"幸運だったな"と、皮肉でも何でもない、純粋な感想だけを向けられた。海域の境界で見舞われた高波。あれが、耐性のないほとんどの船を飲み込んでしまうらしい。その人を寄せつけない海を越えてきた者は、やはり粒揃いで羽振りがいいのだと。おかげで頭数は少なくとも客単価が高くて助かっている、と。そんな放談も聞いた。そんな人間嫌いなこの島は、"ディステル島"というらしい。そしてその島の性質が人にもうつってしまったかのように、ディステル島に元々住んでいる人間は海から来る人間に対し排他的。夜の街が賑わい出す前に少し歩いたが、確かにベポは出歩かせるべきではないと感じた。
「一度は見張り番だけ残してまとまって飲みに行くつもりだ。その時には連れて行ってやれる」
「そうですか、良かったです」
「……お前も連れて行くからな」
「えっ」
 心底意外だと言いたげに、イオリは目を瞬かせた。
 島に着けば最低限の見張りは残して酒場で宴をするというのは、前にも話した覚えがあるのだが。
「……あの、でも、邪魔になるのでは……」
「お前ひとり寝こけたぐれェで、どうにかなるおれたちだと思ってんのか?」
「い……いいえ、とんでもない!」
「なら、それでいいだろ」
 髪を掻き混ぜるように撫でながら言うと、イオリはきょとんとした顔を暫しした後、眉をなだらかに下げて困ったように笑んだ。嬉しさ半分、申し訳なさ半分と言ったところか。しかしはっきりと"はい"とは答えたので、納得もしたのだろう。
「当然、お前を傷つけさせるつもりもねェよ」
 こんな傲慢な言葉を吐けるのは、イオリが記憶を取り戻すまでだとわかりきってもいる。
 しかしそんなおれの思考など察することができなかったのだろう、何の訝りも見せず、イオリはただ嬉しそうに頷いた。
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