savior be protected

 無人島で一晩過ごしてから十数日が経ち、一度鉢合わせた商船と交渉して食料や燃料を手に入れた以外には、特に変わったこともない航海が続いていた。カトライヤの海域特有だという嵐にも遭うことはなく、ベポが言うにはもう少しで次の島の海域に入るらしい。
 おれが新聞を読む横で、イオリは新聞と一緒に挟まれていた手配書を一枚一枚眺めていた。文字が読めないため、賞金首の顔と懸賞金の桁を見るぐらいしかできないらしいが、暇つぶしにはなるようだ。何よりどこかで鉢合わせた時にすぐに危険人物だと判断がつけられるので覚えていて損をすることはない。そうやって時間を潰していたのだが、ふと何かに気づいた様子で顔を上げた。
「……?」
「イオリ、どうした?」
「いえ、甲板が……、!!」
 船に何かがぶつかったのか、腹の底を震わせるような轟音がして、船が大きく揺れた。テーブルに置いていたコーヒーのマグが倒れ、床に落ちて割れる。中に入っていたコーヒーもぶちまけられ、床に黒い水溜りが出来上がった。イオリは咄嗟にソファの上に足を上げていたようで、手配書の束を抱きしめその水溜りを呆然と見つめていた。
「……怪我はなさそうだな」
 念のためイオリの足を診て怪我がないことを確認していると、イオリが誰かの来訪に気がついたのか扉へ目を向けた。
「キャプテン! 敵襲だよーッ!」
 バタバタ、と慌ただしい足音がおれの耳にも届くほど船長室に近づいてきた。聴こえてくる声からして、足音の主はベポだろう。
 "敵襲"という単語を聞き、太刀を掴んだところでイオリをどうすべきかと考えた。
「あ、あのっ。私も出ます」
 カトライヤの街中での賞金稼ぎと、出航してからの海軍と。二度に渡ってイオリと共に戦ったペンギンは、もう戦わせても問題ないだろうと言っていた。身のこなしも判断力も、足手まといになるようなレベルではない、と。
「……わかった。お前はベポと一緒に立ち回れ」
 イオリが頷いたのを確認して、立ち上がって部屋を出る。イオリが追ってくるのを鎖の音で確認しながら歩いていると、途中でベポと鉢合わせた。
「キャプテン、イオリ! 能力者が少なくとも一人! 怪我人が三人出てて、シャチが手当てしてる。遠くからすっごく大きな物が飛んできたんだ、それやったのが多分能力者!」
「なら、能力者はおれが引き受ける」
「うん!」
 一緒に来ていたイオリを見て、ベポが首を傾げた。
「イオリ、戦えるの?」
「大丈夫です、足手まといにはなりません」
「そっか! 一緒に戦うの、初めてだね」
 確かにそうだ。イオリが戦う時にベポは一度も居合わせたことがなかった。何の偶然か、毎回一緒だったのはペンギンとコックだ。
 開けっ放しにされた扉から出ようとすると、巨大な岩がこちらへ向かい飛んできた。甲板と船室を結ぶ扉を塞がんばかりの大きさだ。
「……ッ!!」
「えっえっ!?」
 動揺を露わにするベポを背に庇い円(サークル)を生み出そうと左手を床に翳したが、それより早くイオリが動いていた。
 おれたちの前に立ち、飛んできた大岩を掌を前に突き出して受け止め、細い指先をその岩にめり込ませて持ち上げる。
「……?」
 イオリは不思議そうに自身が持ち上げた大岩を見上げ、首を傾げた。
 これが敵の能力だろうか。それはともかくとして、船が海上に浮いていられる積載量にも限度がある。
「イオリ、それは海へ捨てろ!」
「わ、わかりましたっ」
 慌てて返事をしたイオリは、大岩を持ち上げているとは思えない軽快な足取りでデッキの隅まで走り、見えている敵船の着水しているところへ向けて投げた。まだ人が乗り込める距離ではないというのに、軽々と。しかし投げられた大岩は敵船に激突することも盛大な水飛沫を上げることもなく、突然小さな石ころに変わりぽちゃん、と間抜けな音を立てて海に落ちた。
 イオリは敵からの狙撃をかわし、おれの傍まで戻ってきた。
「ローさん、見えましたか?」
 狙撃手へ向けて先程握っていた岩の欠片を投げながら尋ねられる。少し遅れて、狙撃手の呻き声が耳に届いた。
「あァ。どうやら敵は物体の大きさを変える能力を持ってるらしいな」
 とすれば、先程飛んできたのは元は小石だったもの。それを巨大化させ、あれほどの威力にしたのだろう。おれの技の一つであるタクトのように物体を自由に操れるのなら、跳ね返せば良かった。それをわざわざ石ころに戻したのだ、能力がそれだけだと言っているようなものである。跳ね返されたとしても、イオリならば対処できた。その自信があったからこそ、本人もわざわざ敵船へ向けて投げたのだろう。そして、敵の能力も調べてみせた。ペンギンが言っていた通り、判断力は申し分ない。
 甲板を見回せば、ところどころにへこみが見える。敵船まで距離がある中怪我人が出たのも、甲板がへこんだのも今の攻撃のせいだろう。おそらく先程の轟音と揺れもこれが原因。あれでは潜水は無理だ。潜水して海域を安全に渡るつもりだったというのに、厄介なタイミングで嫌な攻撃をされたものだ。
「このまま進めば直に海域の境で海が荒れる。船に大穴空けられたら堪らねェな……。イオリ、おれができるだけ処理するが、取りこぼしを頼む」
「わかりました」
「ベポ! お前はイオリのフォローに回れ」
「アイアイ、キャプテン!」
 イオリは普段通りの落ち着いた、どこかぼけっとしているとも取れる表情で頷き、ベポは気合十分に返事をした。
「――"ROOM"」
 円(サークル)を展開し、岩が飛んできても対処できる範囲まで広げる。敵の能力者は目視できないが、一向に船を沈められないとなれば様子を見に来るはずだ。それこそ、互いに姿を認識できる距離まで。
「しかし、岩だけで済めばいいがな」
「砲弾の大きさを変えてくる可能性もありますね」
「あァ。……言ってる間にきたな」
 撃ち出された砲弾が、一瞬にして先程の岩に匹敵する大きさになった。触れる必要がないということは、おれのように一定の範囲内でならば使える能力なのだろう。そして、あちこちに見えるへこみの中心に小石が転がっているところからして、巨大化できる数にも限度がある。
 円(サークル)の効果範囲まで届いたところで、太刀を振るい不可視の太刀筋で砲弾を細切れにする。
「タクト」
 人差し指を立て、潜水艦にぶつかって炸裂する前に砲弾の破片を船の外へ落とした。細切れにしたとはいっても元は巨大な弾だ、海に落ちると盛大に水飛沫を上げた。次第に敵船は距離を縮めてきて、高揚した船員たちの雄叫びも聴こえた。闘志はきっちり燃やしてきているようだ。
「イオリ。余裕があるなら敵が同時に巨大化できる物の数の限度も調べてくれ」
「数? ……えぇと」
 乗り込んできた敵船のクルーをベポに任せ、イオリは取りこぼしの攻撃を受け流しながら敵から送り込まれる巨大化された石や砲弾に目を向ける。
「7……? ちがう、大きさを戻した……」
 僅かな時間の差で数をごまかしてくる敵の能力を見るべく集中してしまったイオリに襲い掛かる敵の眉間を鞘で突き、気絶させる。降ってきた大岩をバラして海に捨てると、イオリが名前を呼んできた。
「……5、だと思います。敵がそうしているのだと思いますが、初めに巨大化したものから戻っていってます」
「なるほどな……。こっちに届いてから次のが来るのは限度をごまかすためだな?」
「おそらく。ただ、敵はもうこの能力を使えないかと。味方が乗り込んでいる敵船を沈めたら、士気にも関わりますし」
「……となれば、次は銃弾を大きくして威力を上げてくるか……自分が使う武器の大きさを変えるか、だな。なら、おれの方が有利だ」
 円(サークル)を展開できる範囲内に敵が来さえすれば、後はおれの能力でどうとでもできる。
「敵の狙撃手は私が倒した以外に……二人。潰しますか?」
 イオリは気絶させた敵の腰に巻かれたベルトからナイフを抜き取ると、曲芸の肩慣らしでもするかのようにそれを宙に投げ、受け止めた。先程石を投げたのと同じ要領で潰す気らしい。ただ、二人目以降はナイフを使うようなので怪我の程度は比べ物にならないだろう。敵なので知ったことではないが。
「あァ、やってみろ」
 次に飛んできた砲弾をおれが捌くと、イオリはその合間めがけてナイフを投げた。刃を持って投げられたそれは、切っ先を標的に向けて飛んでいく。投擲に適した形状をした代物でもないというのに、イオリは難なく敵に悲鳴をあげさせた。
「イオリ、すごいね! おれも負けてらんないやッ」
 ベポの歓声を受けながら、イオリは続けて違う方向へ攻撃する。またしても狙撃手らしい男の野太い叫びが聞こえ、これで敵ができるのはおれが処理できる攻撃のみとなった。イオリにはまだ狙撃に警戒するよう言い、ようやく姿を見せた能力者らしき男と向き直った。
「お前がトラファルガー・ローか!」
「あァ、その通り」
 敵が持つ武器は、フレイル型のモーニングスター。鉄球をこちらへ放った後大きさを変えるつもりか。
「ローさん、あのひとも賞金首ですよね……?」
「ん? あァ、3000万だったか……、いや、今朝の新聞に挟まってたならもう少し上がってるはずだ」
 呑気な会話に相手も痺れを切らしたのか、おれとイオリの足元へ鉄球を振り下ろしてきた。
 二人ともが甲板を蹴り鉄球を避けると、敵はすぐさま鉄球を引き寄せ今度はおれへ狙いを定めて横殴りに追撃を仕掛けてくる。
「甲板が……」
 イオリがへこんだ甲板を見て困ったように呟き、襲い掛かる別の敵を転ばせて手首を踏みつけた。通常ならばありえない方向へ曲がった手。イオリはかまいもせずに、そいつの手の届く範囲から出た。
「――ッ、イオリ!」
 おれを狙った鉄球は、おれが避けると遠心力に任せイオリに襲い掛かった。また別の敵の相手をしていたイオリは一瞬反応が遅れ、その上敵は鉄球を巨大化させる。棘が甲板を削り、その威力を見せつけてきた。もともとこの船は潜水艦であるため帆船よりは丈夫だが、居住区画から何からすべて内部に収容しているため、船殻のみで守っているのだ。へこみどころではなくなったため、潜水はもう不可能だろう。
「チッ……、シャンブルズ」
 突っ伏している敵のクルーの一人と、イオリの位置を入れ替える。すぐさま気がついた敵は鉄球の大きさを戻し、クルーに当てることだけは避けた。
「おい、その女を討ち取ってもテメェの名は上がらねェぞ!!」
 どうも敵のクルーも、この目の前の船長らしき能力者も、イオリばかり狙っている気がする。フォローに回ろうとするベポの邪魔をしつつ、おれを狙うと見せかけという、連携の良さも感心できるほどだ。
「わかってるさ、そんなこたァ! だが、能力の分析も狙撃手潰しも全部その小娘がやってるだろう!」
「……なるほど、ただのバカじゃねェらしいな」
 つまり、サポートに長けたイオリを潰してからおれを倒そうという魂胆なワケだ。
 少しイオリを働かせすぎたかと思いながら、太刀を振るい襲い来る鉄球を真っ二つにした。そうして攻撃手段を封じたことに安堵した直後、敵は懐に手を入れ小石を取り出した。
 しまった、と思った時には既に遅く。投げられた小石は一直線にイオリに向かい、またその大きさを変えられていた。
「……っ!」
 近距離から迫る岩に、イオリは瞠目して跳び退るがそれで間に合うわけもない。余裕もなく咄嗟にやったのだろう、片膝をついて体勢を低くしたまま、なんとか岩を押し留めていた。
「イオリッ! 〜〜っ、じゃまするな!!」
 角度の問題か一連の動作が見えなかったらしく、イオリが潰されたのではないかと心配し駆け寄ろうとするベポだが、敵に行く手を阻まれてしまう。見せた方が手っ取り早いか、と敵も太刀筋に入れて岩を細切れにした。敵の悲鳴を聞きながらタクトで甲板を傷つけるのだけは防ぎ、岩を海へ捨てる。勢いを殺しきれなかったらしく、イオリの腕には擦り切れたような傷ができてしまっていた。
「……びっくりしました」
 まったくそうは見えない表情と声色で言いながら、イオリは腕を治した。
 船長が倒されたとあって、敵のクルーに動揺が奔る。急降下した士気を感じ取ったこちらのクルーは一気に畳み掛け、重傷者は出さずに戦闘を終えることができた。
 食料には余裕があったため、金品だけを奪うように指示する。やることが少なければ必然的に作業も早く終わり、クルーたちは戦利品を手に船の中に戻っていく。
 おれの太刀を抱えて船室へ向かい歩いていたベポが海を見て、焦ったような顔をした。
「あ……っ! もうこんなところまで来てた!! 皆、早く船の中に戻って!!」
 ベポの言葉に、クルーたちが互いに声を掛け合い船の中へ足早に入っていく。
「ベポ、一体何が――、!!」
 尋ねかけたところで船が突き上げられたように揺れ、高い波が甲板を覆った。近くにいた敵船からも船員の悲鳴が聞こえる。咄嗟に手摺りに掴まったが、クルーが慌てて入り口に板を立てるほどの波の高さ。能力者であったことが仇となり、膝まで水に浸かってしまったことで全身の力が抜ける。
「く……っ」
 このまま手を離せば揺れで船から投げ出されることは間違いない。クルーが不安の声をあげるのを聞きながら、力の入らない手で手摺りを握りしめる。厳しいな、と思い始めたところで、いつの間に傍に来ていたのか、イオリがおれの腕を掴んだ。
「イオリ……!」
 おれの手を掴んでいる方と反対の手には、手摺りをしっかりと握っていた。この揺れの中、水が張られた状態で移動して来られたのか。揺れにやられて偶然おれの傍に来たというわけではなさそうだった。
「ベポちゃん、何が起こっているんですか……!?」
 イオリの問いに、ベポが声を張り上げて答える。
「あのね、ここは幅の広い海流がぶつかり合ってる場所で……ッ、その流れもものすごく強いから、突き上げるみたいな波が起こるんだ!! でも今のは運よく弱かっただけ! 次はもっと高いのが来るかも……って言ってるそばから!!」
 ベポに指差された方向を見れば、ちょうどおれたちが掴まる手摺りの側から迫る、潜水艦を飲み込まんばかりの高さの波。
 既に船室にいるクルーたちも、揺れのせいで仕切り板があまり役目を果たさず水に濡れている。このまま水が流れ込めば、船が沈む。
「イオリ」
 水のせいで声を張れない。しかしイオリは気がついて、どうしました、と問いかけてきた。
「今から戻るんじゃ間に合わねェ……。扉を閉めさせろ」
「……私たちはどうするのですか?」
 イオリの問いは、あくまで確認をするためのもののようだった。あれほど死ぬのが怖いだの水は苦しいから嫌だのと言っていた割に、その表情にはまったく動揺が見られない。
「フフ……、わかってるだろ? イオリ、お前がおれを捕まえたまま船にしがみついてりゃいい」
 イオリは穏やかに笑い、こくりと頷いた。
「……わかりました。――ベポちゃん、扉を閉めてください!」
「っ、うん、わかった!!」
 おれたちの会話は聴こえていたのだろう、ベポはしっかりと頷き扉を閉めにかかる。しかし、他のクルーは違ったようで、シャチがそれぞれの言葉をまとめて代弁するかのように声を張り上げた。
「ちょっと待てよベポ、船長とイオリはどうすんだよッ!?」
「私たちは大丈夫ですっ。それよりも船内に水が入り込むことの方が問題です……!」
 イオリの言葉を受けてもなお食い下がるシャチに、ベポが声をかけた。
「シャチ、キャプテンたちの言う通りにして! 大丈夫だから!」
「……ッ、くそっ!!」
 扉が閉まり、いよいよ波も近くまで来て甲板に影を落としていた。
「ローさん、手摺りに寄りかかって座ってください」
 イオリは落ち着き払った様子で高波に備え始める。言うとおりにすると、失礼します、と断りを入れ、おれの両脇の手摺りの間に脚を入れ、おれに抱きつくようにして座った。そしておれの首と手摺りに腕を回し、しっかりと手摺りを握りしめる。
「すみません……、これしか思い浮かばなくて」
「いや、それはいいが……。下手すりゃお前の脚がもげるぞ」
 イオリが取った手は、自分を杭におれを手摺りに磔にするというもの。これならイオリが気を失って腕の力が緩んでも確かにおれのことは守れるだろうが、イオリにかかる負担が大きすぎる。
「そうなっても足枷だけは壊れませんから。ローさんのことは繋ぎ止めてくれるはずです」
 伝わりきらないか。イオリのことだ、痛くもないから平気だなどと思っているのだろう。死を恐れるくせに、死に至るかもしれない怪我についてはとことん無頓着だ。
「ったく……、まァ、最悪もげても繋いでやる」
「ふふ、そうしていただけると助かります」
 イオリは嬉しそうに一頻り笑うと、おれの背後から迫る波を見ながらゆっくりと深呼吸をし始めた。
 いつも寝る時に抱き枕にしているから、この体の細さは知っている。小さな体に頼らなければ自分はここで海の藻屑になってしまうのか、とやりきれなく思うが、意地を張ってもいいことはないのだろう。イオリに言い聞かせたとおり、今のおれは狡猾になってでも生き残るための手段を取らなければならない。まだ、あの時のイオリには敵わない。
 イオリが大きく息を吸い込みぴたりと呼吸をやめたのに合わせ、無意味に息を止めてみた。
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