tender seducer

 酒宴が段々と賑やかになってきて、皆上機嫌になり始めた。隣に座るローさんも気分が良いようで、笑みを浮かべながらお酒を呷り、話しかけてくるクルーに答えている。
 私もジュースを飲みながら、ローさんの傍で宴の盛り上がりを眺めていた。
「シャチ、お前こっちこい」
「んー、なんですかー?」
 ローさんがシャチさんを呼び寄せ、向かい合うようにして丸太に座らせる。
「飲み比べでもしようかと思ってな」
「勝ち目ねェ! てか、おれもう結構飲んでるんですけど!」
「問題ねェ」
「大ありでしょ!! イオリ! イオリからも何か言って!」
 周りで話を聞いていたクルーもお酒が入っているせいか喜んで囃し立て始め、シャチさんは最後の頼みの綱だと言わんばかりに私に助けを求めてきた。
 強い視線を感じてそちらを見ると、ローさんは"わかっているな"と言いたげな視線を送ってきていた。……どちらの言葉を優先するかは、私の中で決まりきっている。
「……ローさんが楽しいならいいです」
「ベポと同じこと言いやがったァ!」
「イオリの助けも期待できねェなら、やるしかねェよな?」
「あーもう! わかりました、やりますよ!!」
 シャチさんはそう言うと、ジョッキの中のお酒を一気に呷った。
 ローさんもそれに合わせるようにしてグラスを空にし、傍にいるクルーに注がせる。
「まったく……どうせシャチが余計なことを言ったんだろう」
 ペンギンさんが傍に来て、飲み比べの場から少し離れた場所へ私を連れ出し、地面に腰を下ろし丸太に寄りかかった。手で座るようにと促されて、丸太に腰を下ろす。
「えっと……、私とローさんの会話をベポちゃんに聞いてもらっていたらしくて……」
「しかも船長にとってあまり聞かれたくなかった内容、か」
「多分……」
 ペンギンさんは苦笑して、蒸留酒の入っているのであろうグラスを傾けた。
「イオリ、グラス出せ」
「?」
 言われるままに既に空になっていたグラスをペンギンさんの前に出すと、ペンギンさんはグラスを持っていなかった方の手に持っていたらしいビンの中身を注いだ。
「甘口のワインだ。これならイオリにも飲みやすいんじゃないか?」
「……いただきます」
 注がれた液体は白色で、渋みの少ない白ブドウを使ったものなのだろう。せっかくペンギンさんが持ってきてくれたのだし、と口をつけた。こちらの世界に来て初めて飲んだお酒より、ずっと飲みやすい。
「この間赤ワインは渋くて苦手だって言ってたからな。どうだ? 店主にも聞いて一番飲みやすそうなのを選んできたんだが」
「おいしいです……! でも、どうしてわざわざ?」
 尋ねると、ペンギンさんは苦笑いを浮かべて頭の後ろを帽子の上から掻いた。
「なんていうかな……、カトライヤで疑うようなこと言った詫びだ」
「私は気にしてないですよ?」
「あァ。でもおれは気にしてた。おれから渡してやれる機会がなかなかなくて、今日になってしまったが……」
「いえ、こういう場で一緒にお酒を飲めるのはうれしいですから。良かったです」
「そう言ってもらえるとおれも買ってきた甲斐がある」
 ペンギンさんとのんびり話している間にも、二人の飲み比べは進んでいく。
「ローさん、一応お医者さんですよね……?」
 シャチさんを酔い潰すようなことをしていいのだろうか。
「ん? あァ、飲み比べって言っても中毒になるまではしないさ。そもそもあの程度じゃ水と変わらない。飲んでるのは弱いやつばかりだ」
「そういえば、そうですよね……」
「?」
「いえ、なんでもないです」
 そもそも、私が生まれ育った国のひとたちは遺伝的にアルコールへの耐性が低いのだ。その私の基準で考えても仕方がない。船に乗ったばかりの時より随分とはっきりしている思考は、過ごしてきたはずの環境をひどく客観的に捉えて知識として引き出す。それがどことなく不思議な感覚で、少しだけぼんやりとしてしまった。
「イオリ?」
 ペンギンさんに呼ばれて、はっとして肩を揺らしてしまう。
「あっ……はい、なんでしょうか」
「……大丈夫か?」
 訝しげな顔で問いかけられ、曖昧に笑い返す。
「すみません、少し考え事をしてしまって」
「なら、いいけどな。具合が悪いとかならすぐに言うようにな」
「はい」
 酔い潰れるまではいかないまでもシャチさんが"もう限界だ"と言ったところで、ローさんが鼻で笑いながらグラスを置いた。
「まァ、シャチが勝てるワケねェよな」
 ペンギンさんは空になった私の手の中のグラスにもう一度ワインを注ぐと、ビンを置いて苦笑しながら立ち上がり、眠り始めたシャチさんをシートの上に寝かせるためにその傍へ歩いていった。
 入れ替わるようにしてローさんがやってきて、太刀を置いて空けた手で私の足元にある中身の残ったビンを拾い上げる。ラベルを読むと、どこかつまらなそうに息を吐いた。
「なんだ、ワインか。ペンギンが飲んでたんじゃねェのか?」
「私が飲みやすいものをって、選んでくれたらしいです」
「……あァ、あの時か」
 ペンギンさんが注いでくれたものを一口飲み、気になった言葉を復唱してみる。
「あの時?」
「カトライヤでペンギンに酒を買いに行かせた時があってな」
 ついでに買ったんだろ、と。そう言いながら、ローさんは私の隣に腰を下ろした。
「これは気に入ったか?」
「はいっ。飲みやすかったです」
「そうか」
 アルコールを摂ったせいか、体がぽかぽかと温かい。
 少しだけ眠気を感じてうとうとしていると、手の中にあったグラスを取り上げられた。
「落とすぞ」
 ローさんはくつりと笑い、グラスの中の白ワインを飲み干した。
「すみません……」
「寝るなら船に戻れよ」
「うぅ……」
 砂浜はこんなにも賑やかなのに、ひとりだけ船に戻るというのも寂しい。
 ローさんは聞き分けの悪い私の態度に首を傾げると、何かに思い当たったらしく突然愉しげに口角を上げた。
「なんだ、一人じゃ寂しいのか?」
 あとでからかわれることは目に見えていたけれど、今はなんだかそれがどうでもよく思えた。素直に頷くと、ローさんは少しだけ驚いたようにふかふかの帽子の影で目を見開く。
「……ローさんはまだ寝ないのですか?」
 続けて問いを投げかけると、今度はくしゃりと髪を撫でられた。
 ローさんは空いた手でワインのビンを持ち、直接口をつけて中身を胃に収めた。
「チッ……、水同然だな。しかも甘ェ」
 不機嫌そうに言うと、太刀を担ぎ、私の手を引いて立ち上がる。眠気と熱でふらふらする頭を押さえながらついて行くと、ローさんはクルーに太刀を担ぐ手に持っていたワインの空きビンを預け、代わりに開けられていないウイスキーのビンを受け取って船へと歩き始めた。身の丈ほどもある太刀を抱えながらグラスとビンを持つのも大変だろうに、彼は私の手を離すことも私に何かを持たせることもしない。今の私に重い太刀や割れ物を持たせるのは心配なのだろう。自分で思っているよりお酒に弱いことを自覚して、少しだけ落ち込む。
「あれ、キャプテン。もう寝るのー?」
 先程私が殺した獣の肉をコックさんが焼いてくれたのだろう、それをむしゃむしゃと頬張りながら、ベポちゃんがローさんへ向けて喧騒の中声を張り上げた。
「あァ。イオリがそろそろ眠いらしくてな。何かあったら遠慮なく呼びに来いよ」
「うん! おやすみキャプテン、イオリ」
「おやすみなさい……」
 眠い目を擦りながら答えると、ベポちゃんからは苦笑が返ってきた。
 船の中に入ると、やはり賑やかな宴の場から離れたせいかとても静かで。ローさんの革靴の足音と、私の足首から垂れている鎖の音が廊下で反響した。
「お前、思っていたよりだいぶ酒に弱ェな」
「……私もそう思っていたところです」
 ローさんは喉の奥で笑いながら、船長室の扉を開けて私を中に入れた。太刀の鞘の先で床を擦り私の足から伸びる鎖を部屋の中に引き摺り入れると、扉を閉める。私をソファに座らせて手に持っていたものと帽子をテーブルに置き、太刀をソファの背凭れに立てかけると、またくしゃりと髪を撫でてきた。
「シャワーを浴びてくる。お前はさっき浴びたから、もういいだろ?」
「はい……」
「なら、大人しく待ってろよ」
 子どもに言い聞かせるような口調の言葉も、普段なら気になるのに今はどうとも思わない。ローさんがシャワールームの扉を閉めたところで、膝を抱えて座り、膝頭に額をつけた。
 しばらくそうして待っていると、ローさんは手早く済ませてきてくれたのか、いつもより短い時間で戻ってきた。まだ飲み足りなかったらしく、ソファで丸まって座る私の隣に腰を落ち着けると、先程クルーからもらってきたウイスキーを開け、グラスに注ぐ。
「飲むか?」
「飲みません……」
 今もう既に酔ってしまっているというのに、これ以上飲ませてどうする気だろうか。少しだけ不満を混ぜて断ると、ローさんはまた笑って私の髪を撫でた。
「……ローさん」
「なんだ?」
 沈んだ私の声に、ローさんは怪訝そうな声色で返事をする。こんなにも気分の浮き沈みが激しいのは、きっとアルコールのせいだ。
「もし……この船の情報を欲しがる人に捕まったとして。そうしたら、私はどうするべきですか」
 足がつかないほどに深い水は、嫌いだ。私は浮かび上がることができないし、痛みを無視できても苦しさを無視できないこの身体には、数少ない効果的な手段。今日は傍に、シャチさんやベポちゃんがいてくれた。だから水の中でも安心して遊ぶことができた。けれど、もし傍に誰も居なくて、目の前にある水が拷問の為のものだったら。私は、情報を吐き出さずにいられるだろうか? きっと吐き出したところで殺されるのだろうけれど、それでも苦しむ時間が短いならその方がいい。
「――速やかに、死ぬべきですか?」
 前の世界で、ハンターが恐れていること。それは死ぬことではなく、武器となる情報を持っている場合にそれを吐き出させるためにありとあらゆる手段で危害を加えられること。目的を同じくする人がいれば、その人が動きやすいように情報を漏らす前に自らを殺す。そうでなくとも、死ぬことも許されない状況に陥る前に、逃れてしまった方が楽なことだって多い。カトライヤでは、目的は私だった。けれど、これからは? 目的が私ではなくハートの海賊団だったら、その敵が私に苦痛を与える効果的な方法に辿り着いてしまったら。時折それを考えては、気分が沈むのを感じていた。けれど、誰かに訊ける話でもなかった。
 ローさんは溜め息を吐き、私の名前を呼んだ。"こっちを向け"と言われ、素直に俯けていた顔を上げてローさんの冬の空のような重たい色の瞳を見る。彼もまた私の心の中まで射抜くようにまっすぐと私の瞳を見ていて、私が育った島国の人間の性だろうか、どうしようもなく逸らしたくなった。
 けれどローさんは"目を逸らすな"と心を読んだかのようなタイミングで言う。命じられた通りにすると、ゆっくりと、言い聞かせるように言葉が発せられた。


「――生きろ。絶対にだ」


 ローさんたちだって、情報が一番の武器になることは知っている。それでもなお"生きろ"と言うのは、やはり覚悟の違いがあるから、なのだろうか。
 きっと前の世界でなら、愚問だと言わんばかりに吐き捨てるように返されただろう。"情報を漏らすぐらいなら死ね"、と。
「何度も言っただろ。何かあれば助けてやると。情報を吐こうが吐くまいが、その前に死なれたんじゃ助けに行く意味がねェ。……いいか、この世界で美学なんざ語れるのは強ェヤツだけだ。そうやって自分を縛ってなお強者で居られる……そういうヤツだけだ。それ以外はな、どんなに無様な醜態晒そうが、必死でできることにしがみついて生き抜くしかねェ。そうやって、図太く狡猾に立ち回ってでも、最後に居るべき場所に居たヤツが勝者だ」
 お酒のせいで靄のかかる頭でも、ローさんが何を言わんとしているのかはわかった。強者と勝者は、ちがう。強者になることと、勝者になることの条件も然り。
「お前もおれについてくると決めたんだろう。記憶がある時に、自分の意思で。――いい加減、"生き抜く覚悟"を決めろ。お前のその"死ぬ覚悟"じゃあ、この航海にはついてこられねェ」
 それは命令でもあり、戒告だった。何の覚悟も持たないまま、船に乗った私への。
「リミットは、前半の海を抜けるまでだ。……そこから先は、今のお前が生きたいなら船を降りるしかねェ世界だ」
 ローさんの言う期限まで、長いのか短いのかはわからないけれど。それでも彼はまだ、私に猶予をくれた。
 きっと彼は、私が船を降りることはないと確信した上で言っている。今この場で確認を取ってしまった今、私には覚悟を決めるしか道が残されていない。そしてこの言葉も、私が望んだからこそローさんがくれたもののはずだ。
「は、い……。ありがとうございます、確認しないまま進むのは、いやでしたから……」
「……なら、いい。お前はまた……、今日は不安定だな」
 ローさんは一度目を伏せ、合っていた視線を逸らす。それからグラスを口元へ持って行き傾けて、中身を喉の奥へと流し込んだ。
「そうかもしれませんね……。だけど、水が……怖かったから。傍に皆がいない時に放り込まれたら、私はどうなるんだろうって……そう思ったから」
 死にたくはない、けれど死ぬより辛い目にも遭いたくない。だから死を避けるのは当然だけれど、いざとなれば進んでそこへ逃げる。それが私の中での当たり前だった。その当たり前が通用しない世界に、私は身を置いたのだ。
「これも、何度も言ったな」
 言葉と共に、ソファに深く座るローさんの腿へと頭を載せられた。そして、普段より体温の高い手のひらで目元を覆われる。
「おれは船長で、お前は守るべきクルーだ。必要なら、いくらでも守ってやる。これはあいつらにも言えることだがな。……覚悟は無理矢理にでもさせる。おれは選んだやつをみすみす手放す気はねェ」
 あぁ、だからこの船にいる皆は、彼を信じて命を預けているのか。誰かに必要とされたいと言う本性を触発する言葉と、それを裏付ける実力。私もきっと、彼の言葉に捕まった。現に今、リミットまでには覚悟を決めなければ、と。苦しい道から逃れる方法なんて考えようともせずに、ただ彼の言葉を実行しようとしているのだ。
 ――今は、失くしたものを全部取り戻すことだけ考えてろ。
 ローさんは私の思考を止めるようなその言葉を最後に、私がすっかり眠りに落ちるまで――きっと落ちてからも、だったのだろうけれど――口を開かなかった。
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