weird misunderstanding

 落ち着いた寝息を立てるイオリは、自分を守るかのように体を丸め目を閉じていた。疲れからなのか、それともいつもの記憶を取り戻すための睡眠なのか判断はつかなかったが、クルーが"手伝いが欲しい"と言いに来たために起こそうとしても起きなかったため、後者なのだろうと見当をつけた。
 イオリがいれば随分と楽になる作業だが、だからと言ってイオリがいなければできないというわけではない。イオリをそのまま寝かせることにして毛布を持ってこさせ、小柄な体を包んでやってからまたクルーたちの作業を見守った。野宿の度にキャンプファイヤーをやりたがるが、そんなに楽しいものなのか。生憎とおれにはわからないが、火を焚けばこの浜のすぐそばの森から来る獣も避けていくし、視界の悪いこの近辺ならばカトライヤから記録(ログ)を辿ってくる他の船もそうそうこちらを見つけられないため比較的安全だ。
「おい、シャチ」
「えっ」
 通りがかったシャチを呼び止めると、ぎくり、と身を固まらせられた。
「……なんだ」
「また理不尽なこと言われるんじゃないかと思ってですね……」
「八つ当たりは終了だ。悪かったよ」
「それ全然悪いと思ってませんよね……」
 イオリがシャワーを浴びに行っている間におれに対して文句を言いに来たシャチ。おれは気づかないうちにイオリと遊んでいるシャチを睨んでいたらしい。イオリも特にオーラを気にしていなかったためにシャチが動揺を隠すだけで事なきを得たのだが、勘弁してほしいと言いに来たのだ。
 ……確かに、イオリに対しておれがしてやれないことをシャチがやっていたことに不満はあったが。"子守の役目"を取られたようなものだと誤魔化して、シャチの文句を受け流した。そこへイオリが戻ってきたために、酒の準備でもしろと言いつけて話を無理矢理終えたのだ。イオリが寝始めて時間の経った今ならと何か言われるのではないかと思っていたらしいが、イオリが傍にいることでおれの気も大分晴れ、それについてはすっかり忘れていた。
「で、結局用事は何なんですか?」
「あァ、おれの部屋の隣はどうなったのか気になってな」
 イオリの服をしまっておくために空けろと言っておいた部屋だ。手の空いた者が掃除をしてくれていたらしいが、そろそろ荷物を入れても平気なのだろうか。
 シャチはおれが訊きたいことをすぐに理解したらしく、顔を明るくした。
「船大工がクローゼットやタンス作ってくれましたよ。島を出てすぐにイオリがぶっ倒れたもんだから、どうせ部屋を見せるのが長引くなら何か作ってやっとくかって言って」
「フフ、そうか」
 イオリはシャチが言いに来ていた"文句"を自分を乗せたことに対するものだと思っていたようだが、見当違いもいいところだった。最近はどうやら妹やら飼い猫やら、そんな風に可愛がる対象として見られ始めているらしい。
「で、つなぎの方はどうなってる?」
「そろそろ出来上がりますよ。あとはイオリに一回着てもらって細かいところ直して、次の島で予備も特注ってとこですかね」
「なら、ペンギンに言っておけ。財布を握ってるのはあいつだからな」
「アイアイ」
 この間海軍の艦隊を沈めて金品を奪ったのだし、金銭的に余裕はある。だがイオリが起きていれば申し訳なさそうな顔でもするのだろうと思い、黙っておくことにした。
「シャチ、イオリに金の話はするなよ」
「わかってます。イオリ、遠慮しちまいますもんね」
「あァ」
 空が紫色に染まり始め、寒くなってきたのかイオリは毛布を引き寄せてさらに体を丸めた。余っている部分をイオリの体に巻きつけてやると、寒さに少しだけ寄せられていた眉が緩む。
「にしても、イオリ起きないですね」
 シャチは膝を折ってしゃがみこみ、イオリの顔を覗き込んだ。
「あァ。起こそうとしても起きなかった。おそらく記憶を取り戻すための睡眠なんだろう」
「……そろそろ全部戻る、ってベポが言ってたんですが」
「なんだ、聞いてるのか。別に口止めしたワケでもねェからいいが」
 ベポには混乱しない程度に細かい事情を話し、イオリの情態も伝えるようにしている。この間も一緒に釣りをしていたのだ、魚がかかるまでの暇つぶしにでも話したのだろう。
「なんていうか……、戻らなくても良かったんじゃねェかなァって思うことも時々あるんですよね」
「どうしてだ?」
「時間が経つにつれて、少しずつイオリの態度が硬くなってきたような気がして。一緒にいるはずなのに、なんか距離が遠くなってくような気がするっつーか」
「……あァ。船に乗った時のイオリには何の記憶もなかった。だが、今は自分の足首についているものの意味も理解している。思い出すのも、この枷に見合った待遇だけだ。少しずつ、以前のコイツに戻っているかもな」
 毛布からはみ出ている足首に光る銀の足枷を指でなぞると、ちゃり、と小さく鎖が音を立てた。
 人として大切にされていた間の記憶は、ほとんどが旅団に関わるものばかりだ。だから、イオリはそんな冷遇しか思い出すことができない。きっとあまり変わることのない表情の裏に、戸惑いも隠しているだろう。
「……なんでイオリの記憶は消されたんですか?」
 シャチに"記憶を消す"という行為自体への驚きはない。そういう能力者がいるのだとでも思っているのだろう。
「その記憶があるとイオリが辛いだけだから、だそうだ」
 今となってはそれが正しかったのかどうかすらもわからない。どうせ生き延びられるのなら、イオリに無理矢理にでも言うことを聞かせて大人しくさせておけば良かったはずだ。それでも旅団は、イオリを自分たちから"逃がす"ことにした。イオリの身の安全というよりは、精神面を気遣っての決断だったのだと、今なら思う。イオリは初めは旅団からも冷たく当たられていた上、一度は足枷を残したまま無責任に放り出された。その後旅団の都合でまた連れ戻されしばらく行動を共にし、ヨークシンシティという場所で二人の人間を助けたことでやっと信頼を得た。しかし、その件の中で賞金首だった旅団の顔が割れ、つけ狙われることになり。そんな旅団を守るために縛りつけられ続けたイオリを"逃がそうとした"のだと、別段賢くもないやり方をしたことに対する疑問が解決した。
 これまでに少なくとも二度はイオリを危険な目に遭わせているし、それで旅団の希望に添えているのかはわからない。イオリの身の安全を考えるならば、記憶は取り戻してくれた方がいい。しかしシャチが言うように、イオリの精神面を考えれば、真っ新な状態から少しずつ日々を過ごす中で新しく記憶を増やしていけばよかったのだ。元々戦うための体はできているのだから、戦い方を教えてやればいい話だった。
「それは……イオリが望んだことなんですか?」
 シャチの言葉に、思考に回していた脳を引き戻す。
 あれだけ泣いて、絶望すら瞳に浮かべていたイオリがそれを望んでいたわけがない。
「……いや。元の主人が"イオリのため"だと望んだことを、イオリも仕方なしに受け入れただけだ」
「勝手過ぎんだろ、そんなの……。じゃあ、船長についてきたのも?」
 シャチは自分のことのように顔を歪め、そう問うてきた。
「それはコイツの意思だ。おれには、コイツの元の主人と似たところがあるらしい」
 海賊と、盗賊。"欲しいものは奪う"という言葉へのイオリの反応。イオリが少しでも"団長"と共通点のある人間について行きたがったのも仕方のないことだった。そのおかげで、もうじきハートの海賊団に強力な戦力が加わることになるのだが。
「結局、イオリはその"元の主人"ってやつに縛りつけられたままだったんですね」
「まァな。おれについてくると決めた後に記憶を消して、それからはお前も知っている通りだ」
「……まだ細かいことも伏せたまま話してますよね? イオリがあの無人島にいたこと自体おかしいんだし」
「あァ。だが、これ以上は詮索するな。必要だと思った時にまた話してやる」
「……わかりました」
 シャチは小さく溜め息を吐き、渋々と頷いた後立ち上がった。
「シャチ」
「なんですか?」
「お前はイオリを疎ましく思うか?」
 シャチはきょとんとした顔を作ったあと、まさか、と口をついて出たような勢いの言葉を発した。それから、歯を見せて笑う。
「イオリが気にしてんなら、後で言っときます」
「あァ、そうしてやれ。さっきのお前の文句を勘違いしていた」
「それ事の発端は船長じゃん!」
 シャチは"とんでもないとばっちりだ"とふてくされながら宴の準備に戻っていった。
 なんとなく手持無沙汰になり、すぐそばで眠るイオリの髪を撫でる。時折話をしに来るクルーに応えながらそれを続けていると、しばらくして指の先からイオリが身じろいだのが伝わった。
「……ローさん」
 ぼけっとした声で名前を呼ばれ、その声の主を見下ろす。目を覚ましたらしいイオリは眠たげな目でおれを見上げていた。
「起きたのか。もう陽が沈みきるぞ」
「! えっ……、あの、私そんなに……!?」
 慌てて身を起こし沈みかけた陽を見つけたイオリは、桔梗色に染まった空を見てしょんぼりと肩を落とした。
「すみません……」
「気にするな。何か思い出したか?」
 イオリは記憶の糸を手繰り寄せるように米神に掌を当て、少しの間目を伏せた。
「いつも思い出す通りの、過去の雇い主の一人です」
 哀しそうに笑いながらぽつりと呟いたイオリは、気を紛らわそうとでもしたのか立ち上がってコックの元へ行き、何か手伝えることはないかと訊いていた。コックはイオリの元気がないことに気がついたのだろう、いつもより明るく笑い何か仕事を言いつける。傍にきたシャチにも何か言われたらしいイオリは困ったように頷くと、とぼとぼと歩いて戻ってきた。
「どうした?」
「……ローさんの機嫌を直してきてくれ、と言われてしまって……」
「おい、それは言わない方が良かっただろ」
 イオリは一瞬きょとんとしたが、あ、と声を零し"しまった"という顔をする。もう遅い。
 それはともかく、コックにもおれの機嫌が悪かったのは感づかれていたらしい。しかし、別にもう気にしてなどいない。
「でも機嫌が悪いって……、何か良くないことが?」
「……いや」
 少し間を空けた返事に、イオリは曖昧に笑った。それからまた隣に座り、おれと共にクルーたちが忙しなく動く様子を見つめる。
「……ローさん」
「なんだ?」
 イオリの顔に視線を向けると、じっと見つめ返された。
「私、ローさんにはたくさんのことをしていただいています。……なので、ひとつくらい他のひとに任せて私の面倒を見ることを休んでも大丈夫ですよ」
「は……?」
「考えてみたら、私が船に乗ってからローさんはほとんど私につきっきりでしたし……。あまり気を遣っていただかなくても……」
「ちょっと待て、何を言ってる」
 イオリは首を傾げ、眉を八の字にして見せた。
「えっと……、ローさんは、私に気を遣って"役目を取られた"という言い方をしたのでは……」
「ちげェよ」
 人がせっかく誤魔化しておいたというのに、シャチのやつはわざわざイオリにおれが何を言ったのかばらしたのか。しかもイオリは、それがおれの本心というわけでもなく気を遣ってのものだと勘違いしている、と。
「ハァ……、イオリ」
「は、はいっ」
 ぴしっと背筋を伸ばしたイオリについ笑ってしまいそうになりながら、こつりと額を小突いた。
「おれが人に気を遣うようなタイプの人間だと思うか?」
「え、えーっと……、その、あまり……」
 視線を逸らし、濁しながら言われる。自覚しているので別に肯定されようとかまわないのだが、やはりイオリには言いにくいのだろう。
「なら、おれがお前に気を遣ってシャチに嘘を言うワケがねェとわかるだろ」
「……え、あ、はい……え?」
「おい、本当に理解したのか?」
 訊き返すと、イオリは首を捻りながらぽつりと零した。
「ローさんは……、私が海でうっかり溺れないようにするのも、できればやりたかった……?」
「……それでいい」
「えっと……、額面通りに……機嫌を悪くしていた、と……」
「……そういうことだ」
 ――余計なことをしてくれやがって。
 シャチに対してそう思いながら、イオリの言葉を肯定した。おそらくベポあたりに聞き耳を立てさせて、面白がっていることだろう。
 イオリは何を思ったか頬を緩め、安堵したように息を吐いた。
「私につきっきりなのが面倒になったのでないなら、良かったです……」
「別に、それを嫌だと思ったことはねェよ。お前の方が変な気を遣うな」
「……はい」
 苦笑しながら頷いたイオリは、またクルーたちへ目を向けた。その視線を追うようにして顔を上げ辺りを見回すと、案の定、少し離れたところでベポとシャチとコックが輪を作って蹲っているのが見えた。
「……聞き耳とは感心しねェな」
 おれの静かな言葉にイオリが首を傾げる一方、ベポがびくりと肩を跳ねさせ大きな体を揺らした。図星だったようだ。
「ローさん?」
 不思議そうに名前を呼ばれ、喉の奥で笑いながらシャチたちを指差してやると、イオリは合点がいった様子でまた苦笑した。
 ベポが気がつかれていることを伝えたらしく、シャチは顔を青くし、コックは苦笑いを浮かべている。
「船長、そろそろ火ィ点けますよー!」
 話しているうちにキャンプファイヤーの準備も整ったらしく、クルーの一人が声を上げた。
 二人と一匹はいそいそとそれぞれの持ち場に戻った。
「……シャチはあとで飲み比べといくか」
「えっ」
 おれが酒に強いことをよく知っているイオリはぎくりと身を固まらせ、シャチへ気の毒そうな視線を送った。
 いつまでも離れたところでシートに座っているのもなんだと、クルーたちに手招かれイオリと共に簡素な椅子となっている丸太に腰を下ろす。酒が全員に行き渡りイオリとベポには同じジュースが手渡されたところで、おれが音頭を取る。クルーたちがキャンプファイヤーに火を点け、燃えだした木を見ながら酒盛りを始めた。
「これ……沖の方から見えたりしないでしょうか。獣は寄ってこないでしょうが……」
「まァ、海の状況によるな。だがまァ、敵が来たらおれが派手にバラしてやるよ。今日は気分がいい」
 傍らに置いた鬼哭を握り口角を上げて見せると、イオリは苦笑混じりに問いを返してきた。
「……シャチさんいじめを控えているからですか?」
「それもある。今夜はお前ものんびり楽しんどけ」
「……はいっ」
 昼間と同じように、しかしイオリの気分に応じるかのように小気味良く、返事に合わせてキャンプファイヤーの燃えて炭となった木の欠片が跳ねた。
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