submerge

 穏やかな航海の続く中、今日も寝転がったベポをクッションにイオリと昼寝をしていた。甲板は組手をする者、釣りをする者と、天気がいいために人が多く賑やかだ。
 このところイオリは眠るより眩暈のすることの方が多いらしい。記憶もほとんどが戻ってきて、後は繋ぎ合わせられる部分を結びつけるだけなのだろう。どうやら昼寝から目は覚めていたらしく、うとうとと舟を漕ぎながら時折するらしい眩暈に顔を顰めていた。
「……あ」
 何かを目に留めたイオリが、小さく声を上げた。視線は釣りをするシャチのさらに向こうへ向いているが、おれの目には何も見えない。
「どうした?」
「島が……」
 イオリは視線を遣っていた方向を指差しながら、おれの問いに対しそれだけ返し立ち上がった。足元で鎖を鳴らしながら甲板の島に一番近いところへ行き、手摺りに触れながらよく見るためにそちらへ身を乗り出す。ぎょっとしたシャチが焦ったようにイオリの腕を掴み、落ちるなよ、と忠告した。
 ベポを揺り起こして、イオリの傍へ行った。目を凝らしても波の飛沫で霧のようになりぼやけた水平線が見えるだけで、イオリの言う島はてんで見えない。
「……何も見えねェな」
「双眼鏡で見える距離だと思いますよ」
「なら隣の航路じゃねェな……」
 磁場の弱い、小さな島だろう。
 のそのそと起き出してきたベポが傍へ寄ってきて、どうしたの、と声をかけてきた。
「ベポちゃん、向こうに島が見えるんです」
 イオリの指差す方向を見て、ベポがじっとそちらを見る。しかしおれ同様に島は見えないようで、困ったような顔をした。
「んー……、おれ、目はイオリほど良くないからわかんないや……。双眼鏡持ってくるね」
 一匹魚を釣り上げたシャチが、バケツにそれを放りながらからからと笑った。
「身投げでもしようとしたのかと思ったぜ。揺れるんだからあんまり身は乗り出すなよー」
「はい……すみません」
 船室に行っていたベポがペンギンを伴い戻ってきて、双眼鏡でイオリが言う方向を見た。すぐに見つかるものだったらしく、ベポはあっと声を上げる。
「ほんとだ! 島があるよキャプテン! 多分記録(ログ)の取れない磁場の弱い島だ! 行っても航路に影響はないと思うけど、どうする?」
「船長、行ってみましょうよ!」
「島!? 行きてェ!」
 甲板で話を耳に入れたクルーが集まってきて、代わる代わる双眼鏡で島を見ながら歓声を上げる。
「……まァいいか」
 ペンギンは苦笑して、進路を変えてきます、と言い船室へ戻っていった。
 ここ一帯は波飛沫が視界を悪くするらしく、思っていたよりも近くに島はあった。浜に船を着けて一通り島を探索すると、クルーたちは動物を探したり薪になるものを集めたりと、野宿を満喫する気らしく楽しそうに行動し始めた。
「イオリ、海入るかー? あったけェ……つーか暑ィし、この近辺は危険がねェから泳げるぞ」
 キャンプファイヤーをするなどと言い出し木を組み始めたクルーを手伝っていたイオリは、シャチのその言葉に少しだけ顔色を悪くした。
「……いえ、私はいいです」
 カシャ、と小さく鎖が鳴り、シャチはその音の発生源を見て"しまった"という顔をした。
「……わっ、わりィ!」

 "沈んでしまうので入ることはできませんが"

 洞窟を歩いている時に聞いた言葉が、思い起こされた。
 シャチの謝罪に対してイオリは寂しそうに笑い、ふるふると首を横に振った。
「イオリ、うきわ出してこようかー?」
 話を聞いていたらしいベポが、明るい声で尋ねる。しかしイオリはそれにも首を横に振った。
「いえ……、ごめんなさい、せっかくですが」
 イオリは顔を顰め、米神を押さえた。足枷のせいで足を思うように動かせず沈んでしまうこともだが、眩暈や眠気でうっかり水中に入ってしまうことも恐れているのだろう。
「無理に入れるこたァないだろ。イオリちゃん、ちょっと手伝ってくれるかい?」
「あ……はい」
 コックが朗らかに笑いながら、少しだけ沈んだ空気を取り払おうとイオリを連れ出していった。
 後には、やっちまった、と落ち込むシャチと慰めるように肩を叩くバンダナ、そしてベポとおれが残った。
 クルーが火を起こすそばで料理の下拵えをしていたコックは、イオリにナイフを持たせ野菜の皮むきを手伝わせていた。イオリの手元を見れば、するすると繋がった皮が綺麗に剥かれていた。落ち込んだ様子もない、別に気にしてはいないのだろう。
「シャチ、あまり気にしてやるな。お前もイオリの足のことなんかすっかり忘れて言っちまったんだろ。アイツもお前が思うほど気にしちゃいねェ」
 イオリが船に乗った頃は、クルーのほとんどがイオリの足を気にして腫れ物に触るような扱いをしていたのだ。確かにシャチがうっかりやらかしてしまったことではあるが、普通に遊ぶことを教えてやろうとしただけなのだから、ある意味イオリの望む扱い方はされたと言えるはずなのだ。イオリも誘われたというのに残念だとは思いながらもシャチの言葉を気にしてはいないはずだ。
「う……、でもなァ……」
「大丈夫だよシャチ! あとで浅いところで水の掛け合いっこしようよ!」
「そうだな、あとで誘ってやれ」
 食料の確保を終え海で遊び始めたクルーたちを眺めながら、楽しそうに昼食の準備をするコックとイオリの傍へ行き、太刀をすぐに手の届くところに置いて流木に腰を下ろした。
「あ、船長。シャチは大丈夫ですか?」
「あァ、気にするなと言っておいた。イオリも気にしてねェんだろ?」
 コックの言葉に返事をし、イオリへ視線を投げて問いかけると、イオリは戸惑ったような表情でこくりと頷いた。
「シャチさんに誘ってもらえたのは嬉しかったのですが……、やっぱり水の中で自由にできないのは怖いし、浮き輪があっても眩暈か何かで手を滑らせたらと思うと不安で……」
「それはおれにも分かる。気にするな」
「ローさんも?」
 きょとんとして見つめ返してくるイオリに、あァ、と肯き返してやる。コックはクルーが焚いた火にかけた鍋に材料を放り込みながら、からからと笑った。
「能力者は水に落ちたら沈んじまうからなァ。おまけに体の力も入らねェときてる。イオリちゃんと同じさ」
「あァ。だが落ちても引き上げてくれるヤツがいるからな、万が一の心配はしてねェよ」
「……そうですね」
 イオリは切り終えた野菜を鍋に追加しながら、ぽつりと相槌を打った。
「まだ眩暈もひでェんだ、今回は泳ぐのはやめとけ。怖ェなら不可抗力でもねェのに入る必要だってねェ」
「はい……そうします」
 クルーが遠泳をし出したので、"何かあればすぐに呼べ"と声をかけた。カトライヤの海域は潜っている間に海面で起こっていたような嵐が時折起こることを除けば、海獣もいない上に温暖で泳ぐには打ってつけだ。しかし海軍や他の海賊がこの島に来る可能性もある。クルーは手を上げて答え、また泳ぎだした。
「イオリちゃん、そこの浅瀬に網の中に突っ込んだ魚がいるから、持ってきてくれ。塩焼きにしてかぶりつくのがいいな! どうせ焚火してるし、木の枝拾ってくるか」
 イオリはコックの言葉に頷きかけたが、ふと表情を変えて森の方を見た。
「……待ってください、コックさん。私が枝を拾ってきます」
「どうしたんだい?」
「近くで獣の臭いがしています」
 "これ、借りますね"と一言断って今まで野菜を切るのに使っていたナイフを持ったイオリが、鎖を鳴らしながら悠然とした足取りで森へと近づいていった。
 コックはイオリの心配はさほどしていないらしく、座っていた流木から腰を上げ浅瀬で網に入れられて泳いでいた魚を引き上げ持ってきた。
「イオリちゃん、随分頼もしくなりましたねェ」
「逞しすぎて初めの頃のしおらしさが信じられなくなってくるな」
 コックは苦笑して、魚の鱗を取り内臓を取り除き始めた。
「ナイフはあるか? 手伝ってやる」
「え? ……いやっ、船長がやるこたァないでしょう!」
 本を読みたい気分でもないし、昼寝をするには暑い上、背凭れとなってくれるベポも今は他のクルーと賑やかに海で遊んでいる。しかし何かしていたい気分にもなっていたため言ったというのに、コックに萎縮されてしまった。
「安心しろ、内臓は綺麗に抜き取ってやるよ」
「船長が言うと解剖するって言ってるようにしか聴こえねェんですが!? っていうか鱗も剥いでくださいよちゃんと!」
 渋々と渡されたナイフを受け取り、コックの言うとおりに鱗も内臓も綺麗に取り除いてやる。コックはおれの手際を見て予想外だとでも言いたげな顔をしていたが、クルーが増えた頃に船に乗ったのだ、おれがこういったこともやっていたのを知らないのも当然だった。
 と、イオリが入っていった森の方から低い獣の呻き声が聴こえた。それから葉擦れの音がしたかと思うと、どす、と肉に刃物が突き刺さる鈍い音がした。なんだと思いながらそちらを見ていると、イオリが人の身の丈ほどはある豚のようなものを引き摺って持ち帰ってきた。空いた手にはきちんと魚を焼くのに向いた長い枝が握られていて、枝を拾い終えてさて戻ろうとしたところで襲われたのだと予想がつく。
「……どうした、それは」
「後ろから襲われたので驚いて、思わずナイフを投げてしまって。……これ、食べられますか?」
 よくよく見れば獣の額にはイオリが借りていったナイフが突き刺さっていた。
「あァ……食べられるよ。切り分けて冷凍してくるか……」
 コックは苦笑して、イオリに魚の下処理をしてくれと言い獣の肉を切り分け始めた。
 流木に座り直したイオリは、コックが使っていたナイフを持ち魚の下処理を引き継ぐ。やはり手慣れた様子だ。
「慣れてんのか?」
「はい、それなりに。釣りや狩猟が趣味の人もいましたから」
「なるほどな」
「……ローさんも、慣れてるんですか?」
 じっとおれの手元を見て尋ねてくるイオリに、よそ見して手を切るなよと注意してから答える。
「フフ、解剖と変わらねェからな」
 イオリが僅かに顔を引き攣らせたのがわかった。
「ってのは冗談で、単にクルーが少ない時にはおれもクルーと一緒になって色々やってたってだけだ」
「……最初の言葉も強ち嘘ではありませんよね?」
「くくっ、わかっちまったか?」
「オーラを見なくてもわかります……」
 イオリは苦笑して返しながら、下処理を終えた魚に木の枝を突き刺し、塩をふって熾火の上に行くように砂に枝を立てた。
「……イオリは少し機嫌がいいみてェだな」
「ふふ、わかってしまいましたか?」
 おれと同じように返してきたイオリに、オーラが見えなくても分かる、と返す。
 イオリはそんな言葉遊びに対して楽しそうに笑い、魚を焼きながら穏やかな口調で語った。
「私、本当にうれしかったんです。ずっと鎖の音はしてるのに、足枷のことを忘れて誘ってくださったことが。……応えることは、できませんでしたが」
 顔を上げ、クルーたちの泳いでいる海へ視線を向けるイオリ。どうやらペンギンも雑務を終えて加わっているようだ。おれとイオリとコックだけが、遊びもせず食事の準備をしていた。コックについてはそれが仕事なのだから仕方がないし、おれもイオリもクルーたちのように水に浸かると身の危険があるため混ざらないというのが正しいため、別に不満はない。だが午後ぐらいはコックにも羽を伸ばさせてやるかと、そうぼんやりと考えた。
「シャチはいらんことを言っちまったと気にしてたがな。嬉しかったってことぐれェは伝えてやれよ」
「はい、そうします」
 イオリは目を細めて穏やかに笑み、こくりと頷いた。
 笑いたければ笑えと言ってから、イオリは随分と素直に感情を表に出すようになった。前々から負の感情はすぐに出てしまっていたが、その反対の感情は中々出さずにいたのだ。そうした変化もあるし、相変わらず誰かの傍にいようとしてはいるが、視界に入っていれば問題はないらしく興味を持ったものがあるとふらふらとそちらへ行くようになった。先程のように手摺りから身を乗り出してクルーに掴まえられるというのも時折あることだ。イオリの興味が他に移っておれから離れていくというのが少し面白くない気もするが、クルーも"こらこら危ねェぞ"と窘めながらイオリが興味を持ったものに共感してやろうとするものだから、イオリにとって良い変化なのは確かで。満足すると子犬のように無邪気におれの傍へ戻ってきて落ち着くため、それでこちらもまぁいいか、という気分にさせられる。
「……イオリ、お前はそうやって笑っていてもいいんだからな」
 イオリが一瞬瞠目したように見えた。自分が戦う時に何が必要か、それをもう思い出してしまっているということだ。
「それでお役に立てなくなったら……意味がありません」
 目を伏せながら、自分に言い聞かせるようにして、イオリはゆっくりとその言葉を吐き出した。
「……普段と戦闘の時で"切り換え"ができるようになれ」
「切り換え……?」
 ぱちぱちと瞬きをしながら聞き返してくるイオリの目を見て、はっきりと頷き返した。
「あァ」
 カトライヤに滞在していた時から、考えてはいたことだ。普段は奴隷だなんだと気にすることなく、素直でいればいい。しかし戦闘時には必ず"感情を表に出さない"ことが必要になる。そのどちらも捨てずにいさせるには、何かしらの切欠で"切り換え"ができるようになればいいのではないかと考えていた。
「お前も記憶が戻ってるんならわかると思うが。過去に戦ったヤツの中に、何かしら決まりきった動作をするのはいなかったか? それをすると集中して臨める、って行動だ」
「対面したことはありませんが……、そういう話は聞いたことがあります」
「なら、わかるな。深呼吸でもなんでもいい、本当に必要になった時に上手く切り換えられるように何か考えろ」
「深呼吸……」
 イオリは手元に視線を遣りながらぽつりと復唱した。例として出したことが刷り込まれてしまったようだ。これぐらい簡単な方が、頻繁に戦闘が起こるような時にも使えるからいいのかもしれないが。
「まァ、それも全部思い出してから追々考えていけばいいだろ。焦る必要はねェよ」
「……はい、ありがとうございます」
 イオリの小さな礼に答えるかのように、ぱち、と熾火が跳ねた。
[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -