stray thought

 カデットさんに言われ、やっとあの海賊がトラファルガー・ローという人なのだとわかった。それから、お互いにもう一度自己紹介をしあって。
 今はカデットさんが案内してくれるというので、それに従っている。相変わらず涙は止まらなくて、タオルは手放せない。
「イオリの部屋はここな。ベッドもふかふかだぞー」
「はい」
 すん、と鼻を啜りながら頷く。別に生活に支障はないけど、やはりどこか不便だ。
 どうせ記憶を消されるのなら早く、とも思ったのだけれど、私がこれからどうするかを決めていない以上記憶を消して判断力のない状態にするわけにもいかないのだそう。当たり前といえば、当たり前。
 一通り案内してもらってからは、リビングでのんびりしていた。
 ローさんはこの家にある書庫から本を出してきて、それをテーブルに積み上げ順々に読んでいる。
 私にできることといえば食料の調達や、洗濯ぐらい。けれどそれはすべてカデットさんがやってくれていて、いいからのんびりしていろ、と怒られてしまった。
「……暇か?」
 ふと、ローさんが本から目を上げて問いかけてくる。
「確かに、することはないですが……」
 暇ではない。クロロさんも本をよく読んでいて、私はその傍で大人しくしているのが常だった。
 だから、どちらかといえば慣れてしまったというべきこういう時間は、嫌でもなんでもない。
「お前、本は読まねェのか?」
「字が読めないんです」
 知識として知ってはいる文字。けれど、意味は理解できない。母国語ですらそんな状態なのだから、この世界で使われている言語など読めるわけがない。
「だからあの書き置きは絵になってたんだな」
 ローさんは私が教育を受けていないのだと思ったようで、納得したようにそれだけ言って、それ以上は聞かなかった。
「夕飯できたぜー」
 ひょこりとカデットさんがキッチンから顔を覗かせて言う。昼間に何やら動物を捕まえておいたようだから、それを調理したのだろう。
「イオリは食べられそうか?」
 料理を運ぶのを手伝っていると、そう尋ねられる。
 ボリュームのある料理。見ただけで、お腹がいっぱいになってしまいそうだ。
「いえ、私はパンだけでいいです……」
「ま、そうなるよな。ほんとはもうちょっと食ってくれた方がいいんだけどな」
 食べないことに慣れすぎて、今はもうほんの少ししか胃に収まらない。それでも生きてはいられるのだから、対応できる人間の体というのはすごいと思う。
 夕飯の時間は、カデットさんが興味津々といった様子でローさんから今までの航海の話を聞いていて、私もそれを耳に入れながらゆっくりと少ない量の食事をとった。


 すっかり陽も沈みこんで、木々の葉の間から月明かりが漏れる時分。
 お風呂にもゆっくり浸からせてもらって、相変わらず気を緩めると溢れてしまう涙に多少困りながら、寝る時間になった。……の、だけれど。
「……眠れない」
 ごろん、とベッドの上で寝返りを打つ。
 カデットさんが言ったとおり、ベッドはふかふかでとても寝心地の良いものなのだろう。
 けれど、入り口付近の床で周囲に警戒しながら寝るのが当たり前だった今までの生活から一転、これは慣れるのに時間がかかりそう。……というか、到底落ち着けそうにない。
 なんだか目が冴えてしまって、けれども腫れぼったい目を擦らないようにと意識しながらリビングに向かう。
 水でも飲めば、少しは落ち着くだろうか。
 明かりも必要なく、少しだけ拡げた"円"で物や壁にぶつからないようにしながら難なく辿りついた。
 コップに冷たい水を汲んで、ソファに腰を下ろす。
 ゆっくりとコップの中の水を減らしていったけれど、到底眠気はやってきそうになかった。
 膝を抱えて、ぼんやりと何を考えるでもなく時間が経つのを待つ。待っても何も無いのはわかっているけれど、こうするしかない。ふと気がつくと耳に入っていた、リビングに近づいてくる足音。気配から、ローさんだとわかる。
「! ……イオリか」
 ランプを点けて、太刀を肩に担いだローさんは、私に気がついて少しだけ身じろいだようだった。
「眠れねェのか?」
「……ベッドが、落ち着かなくて」
 なんとはなしに、抱えた膝の先、足首に填まった枷から伸びる鎖を弄る。
 この足枷が示すとおりの身分、相応の待遇。周囲に気を巡らせながら、床で寝るのは当たり前だった。
「それに、疲れているはずなのに、眠れないんです。どうしても」
「……そうか」
 皆が今どうしているのか気になるし、私がこれからどうなるのかも不安でたまらない。
 多分、私にある選択肢は二つ。今までと同じように、誰かを護って戦いながら生きていくか、どこか人のいる島まで行って、普通の人と同じように、全うな職に就いて平穏に過ごすか。
 選択肢とはいっても、私に選べるのは前者だけだ。私は戦う以外の生き方を知らないし、平穏に過ごすことなんて、この足枷があるだけで不可能なのだと考えなくてもわかる。
 動きを縛るわけでもない、ただ"束縛"を示すだけのこの鎖で繋がれた足枷は、身分を示すのにうってつけなのだ。
 もちろん、行き場のない人に選択肢を与えた上でこの枷を与えるアメリア様を糾弾するつもりはない。彼女は奴隷商人とだけ言ってしまえば悪い人なのかもしれないけれど、確かにその行動には信念がある。一生外れない足枷を身につけて、保障される労働によって生きる力を得ることができるけれどどうする、と。籍もなくどうにもならなくなった人のところに現れては、そうして選ばせて、その手を取った人を富豪へ売り渡す。彼女の行動もビジネスといってしまえばそれまで。けれど確かに、彼女に感謝している人もいるのだ。
 私の足にあるものは、アメリア様が填めたものではない。どこから流出したのかたまたま旅団の手元にあった枷を、たまたま仕事の利害のぶつかり合いで捕まってしまいかなり反抗的だった私を大人しくさせるために、興味本位でクロロさんが填めたものだ。
 念能力で生み出されたこの枷は、ある意味烙印よりも消えにくい。何をしても壊れず、錆びず、外れない。
 自分の管理が甘かったから、とひたすら謝られたけれど、どうしようもないことを責めてもしかたがない。困ったことがあれば相談に乗ってほしいとだけ告げて、それっきりだった。
 他の人にもお別れを言えず、こんなに遠くまで来て。
 これからどう生きていけばいいのか、自分でわからない。
「……とにかく、寝ろ。また泣いてんだろ」
 ローさんは私と同じようにコップに水を汲んで持ってきて、私の隣に深く腰掛けた。
「でも、眠れなくて……」
「…………はァ」
 腕を引かれて、肩に寄りかからせられる。
「いつ寝てもいい。眠くなるまで、何でもいいから話せ」
「え……」
「何かあるだろ、不安でもなんでもいいから、話せ」
 彼は多分、話していれば眠くもなるだろうという意味で言っているのだろうけれど。
 どこまで事情を知っていて、どこからは隠さなければならないんだっけ? カデットさんにもっと細かく聞いておけば良かった。
 異世界から来た、ということを伏せてさえいえば大丈夫だろうと思い、ぼんやりとどこを見るでもなく視線を投げながら、考えもなく口を開いてみた。
「……カデットさんは多分、私がこれからどうするか、私に決めるよう言うと思います」
「あァ、だろうな。お前の生き方だ、お前が決めなきゃどうにもならねェ」
「だけど、私は今までしてきた生き方しか知らないし、きっと普通に暮らしていくなんてできない。……そもそも、ずっとあの人に仕えていくつもりだったから、だから突然放り出されても、どうしたらいいかわからないんです……」
「自分がどうしたい、とかはねェのか?」
「…………」
 そもそも始まりは、あの世界に突然飛ばされて、"生きたい"と思ったことだったと思う。多分、その願いに沿って、私のオーラは強化系の性質を持っているのだ。それから旅団に出会って、彼らに仕えるようになって。
 死にたくはない。だからその為なら修行だって堪えられた。今はもう日課となっている筋トレも、最初は上手くできずにいたけれど、ちゃんとできるようになった。
「……私、死にたくないのは、確かなんです。昼間は投げやりにもなったけれど、やっぱり、生きていたい。……でも、だからこそ、これから自分がどうなるのかわからない。…………怖い」
 ここにきてやっと口に出した、自分の正直な思い。
 私はこれから一人になっても生きていける? 制約で考えることは苦手だし、文字も読めない。こんな私が、誰の助けもなしに上手に生きていくのなんて不可能としか思えない。強いだけでは、何もできないのだから。
 ローさんは口を閉ざしたまま私の拙い言葉をただ聞いていた。
 とりあえず、と吐き出してみた言葉の続きが見当たらない。彼に答えを求めるのは間違っているし、だからといって私自身の中に答えがあるわけでもないから。
 口を閉ざすと、ローさんの手のひらが私の目を塞いできた。私より低い体温の手は、腫れた目にはひんやりと感じて気持ちがいい。
「考えてもどうしようもねェ。おれはお前に答えをくれてやることはできないし、お前が迷ってるんならどれだけ考えたって堂々巡りだ。……今は寝とけ」
 不思議と落ち着く声に、ゆっくりと意識が沈む。
 周りに意識を向けることも忘れて、気がつけば寝入ってしまっていた。
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