words melt impatience

 食堂まで攻めてきた海兵をシャチさんとベポちゃんと一緒に甲板まで連れてくると、ローさんが扉の横の壁に凭れかかってクルーの作業を眺めているのが視界に入った。
「ローさん」
「! ……あァ、イオリか」
 どこか気怠そうにしていて、そんなに戦闘が大変だったのだろうかと首を傾げる。
「……お疲れですか?」
「少しな」
 溜め息を吐きながら答えるローさんを見るに見兼ねたのか、シャチさんが代わりにその理由を教えてくれた。
「船長の能力、酷使すると体力持ってかれちまうんだよ。移動中の海軍と遭遇したから結構な数でさァ……」
「……悪魔の実は、海に嫌われるだけが代償ではないのですか?」
「便利すぎてそれだけだと軽いんじゃねェの?」
「なるほど……」
 私の能力についても便利さ相応の制約があるのと同じようなものなのだろうか。
「キャプテン、部屋に戻ってたら? 援軍は呼ばれてないよ」
 ベポちゃんの言葉に、ローさんは頷いて緩慢な動作で壁に預けていた背を伸ばす。
「あァ、そうする。イオリ、後で朝飯を部屋に持ってこい。お前が食い終わってからでいい」
「わかりました」
 ローさんを見送ってから、相手の軍艦に海兵を放る。私が盾にした海兵は、処置さえすれば助かるだろう。
 距離を置くと、慌てたように医療班が出てきてその海兵を担いで中へ戻っていった。クルーたちはお金だけを奪い、早々に船に引き返していた。食料は奪ってもまだまだ豊富だから駄目にしてしまう可能性があるためだろう。
「こんだけの軍艦潰したし、船長の懸賞金上がるかもな!」
 つい忘れてしまうけれど、こちらでは海賊にとって懸賞金の額がステータスなのだ。私のいた世界での顔や能力を知られることを良しとしない常識は、通用しない。
 くら、と少しだけ眩暈がして、米神を押さえて堪えた。前を歩いてるベポちゃんとシャチさんには気づかれずに済んだようで、シャチさんは楽しそうに言葉を続けた。
「上がったら宴だな!」
「皆またお酒飲むのー? おれも飲めたらいいのに……」
 ベポちゃんがしょんぼりとして、軍艦から潜水艦の低い甲板へと飛び降りる。それから私へ向けて両腕を伸ばしてくれたので、素直にその腕の中へ飛び込んだ。
「イオリは飲むか?」
 あとから下りてきたシャチさんが、楽しそうに笑いながら尋ねてきた。
「絶対に飲みません……!」
 お酒を飲んだりしたら、きっとまた翌朝ローさんにからかわれてしまう。シャチさんにだってそれがローさんを通じて伝わってからかわれたのだ。
「必死だな。ますます飲ませたくなるぜ!」
「私、アルコールの匂いでわかりますからね」
「ちぇっ、つまんねェの」
 食中毒が怖いからと徹底されている手洗いを済ませて食堂に行くと、掃除はすっかり終わっていた。
 仕事を終えたクルーたちが朝ご飯を食べ始めていて、ペンギンさんも食べ終えてのんびりとコーヒーを飲んでいるところだった。私たちに気がついたペンギンさんは、軽く右手を上げる。
「あァ、イオリ。お疲れさん。広がらないようにしてくれたおかげで、掃除はすぐ終わったぞ」
「そうですか……。簡単に済んだのなら良かったです」
 ペンギンさんはこくりと頷いて、ベポちゃんへと顔を向けた。
「ベポ、おれはこれ飲んだら部屋で休む。気候の変化への対応は頼んだぞ」
「アイアーイ! 任せて!」
 ペンギンさんは潜水中はあまり休めなかったらしく、少し疲れているようだった。ベポちゃんも彼のことを気遣って休むように勧めていた。私ばかりが休んでしまっていたのだと思うと申し訳なく思うけれど、だからといって私にできることもない。私には"偉大なる航路(グランドライン)"を進むための知識も不足しているし、元々戦うためだけの能力しか持っていないのだ。
「イオリ、ご飯もらいに行こうよ。おれお腹すいちゃった」
 ベポちゃんにくい、と手を引っ張られた。
「あ、はい。……ペンギンさん、ゆっくり休んでくださいね」
「あァ、ありがとな」
 カウンターに行き、コックさんに後でローさんの食事を用意してもらえるようにお願いして、シャチさんとベポちゃんと、三人で食事を摂った。
「今日は朝から散々だったなァ……。浮上したら冷えるわ、早朝から海軍と鉢合わせるわ」
 シャチさんはため息混じりにそう言い、サンドイッチに齧りつく。
「そうですね……」
「アイー……、キャプテンもペンギンも疲れてるもんね」
 ベポちゃんもご飯は口に運びつつもしょんぼりとしていた。
「けど数週間に一度の嵐も耐えたし、数日はカトライヤの海域だろ? あとは敵に遭遇しなけりゃ二人もゆっくり休めるよな」
「うん!」
「おれは今日はどうするかなァ。船長焼き魚好きだし、釣りでもするか」
「あ、おれもおれも! キャプテンのために魚釣る!」
「ついでにおれたちの夕飯も豪華にしてくれよ二人とも!」
「任せとけ!」
 会話を聞いていたクルーの言葉にシャチさんが自信満々に答え、食べ終えたお皿を戻して"先に準備してるな"と言って食堂を出ていった。
「イオリ、もうお腹いっぱい?」
 私が食事の手を止めていたことに気がついたベポちゃんが、そう尋ねてくる。
 食べきれないことを申し訳なく思うけれど、無理して食べても後で体調を崩すだけだし、と素直に頷いた。
「……はい、十分いただきました」
「そっか。病み上がりだし、ちゃんと食べた方だと思うよ!」
 いい子いい子、と頭を撫でられて、ぷにぷにした肉球が当たるのが気持ちいい。ベポちゃんは一頻り私を撫でると満足したらしく、私が残してしまったものをぺろりと平らげた。
 すっかり空になった食器の載ったトレーを、残してしまったものを食べてくれたお礼にとベポちゃんの分も合わせて返しに行く。コックさんは温かい食事の載ったトレーを代わりにくれて、シャチさんと一緒に釣りをするというベポちゃんと別れ、手にあるものが冷めないうちにと鎖を鳴らしながら少しだけ早足に船長室へ向かった。
 船長室の扉を開けて部屋の中を見てみると、ローさんはソファに横になって、帽子を取って胸の上に載せ、それを手で軽く押さえながら目を閉じていた。太刀はいつものように、彼が手を伸ばせばすぐ届くところに置かれている。
 疲れているのはわかるけれど、回復するには食事も大事。せっかく温かいものがあるのだから、冷めさせてしまうのももったいない。テーブルにトレーを置き、ソファの傍に膝をついてローさんの体を軽く揺する。
「ローさん、朝食を持ってきました。温かいうちに食べた方がいいですよ」
 体を揺すられたことに不快そうに眉を寄せたローさんだけれど、薄らと目が私の姿を捉えると、それがふっと和らいだ。
「あァ……悪ィ」
 気怠そうに身を起こしたローさんは、帽子を横に置いてソファに載せていた長い脚を下ろす。
 ローさんの前にテーブルの端に置いていたトレーを引き寄せた。
「座れ」
 隣を手のひらで軽く叩きながら言われ、ついていた膝を上げてソファに腰を落ち着ける。また感じた眩暈は、座っていたために辛くはなかった。……今日は、少しだけおかしい。けれど、どこか記憶が繋がっているような感覚がするから、きっと戻った記憶が多くなったためにその端々を繋ぎ直しているだけで、私の体調不良ではないのだろう。
 食欲はあるようで、ローさんは湯気の立つ料理をしばらく黙々と口に運んでいた。
「……そういや」
 ローさんは食事の手を止めて、私の顔をじっと見てきた。
「?」
「何か、いいことでもあったか?」
「……わかりますか?」
「あァ。どことなくお前の纏う空気が変わるからな」
 隠しているわけではないとはいえ、私の表情の変化はかなりわかりにくいらしい。だというのに、ちゃんとわかってくれる。
 私の気分がいい理由も、別に隠しておきたいようなものでもなかった。
「……さっき、私もペンギンさんと一緒に戦ったんです。ペンギンさん、もう私のことを怖いとは思わないって……、"頼りにしてる"って、言ってくださったんです」
「そうか。……良かったな」
 ローさんは目を細め、柔らかい口調でそう言ってくれた。
「はいっ」
 カトライヤでペンギンさんの不安は聞いたけれど、あの場では保留のような形になった。それが今朝、なんとなく気になって尋ねてみたことで解決したのだ。少しだけ注意していたペンギンさんのオーラからも、恐怖や疑心のようなものは感じなかった。
 信じてもらえたということは嬉しいし、何より彼に不安がなくなったということが大切だった。私が皆を護らなければならないのに、私が皆に恐怖心を与えているのでは意味がない。
 ローさんが朝食を食べ終わり、食器を返しに行こうと来た時より軽くなったトレーを持ち立つと、ローさんに名前を呼ばれた。
「なんでしょうか」
 見下ろす形になってしまい少しだけまずい、と思ったけれど、彼に気にする様子はない。
「それ返した後、何かすることはあるか?」
 甲板のシャチさんたちの釣果を見に行ったり、お昼の仕込みをするコックさんを手伝ったり――とは言ってもできることは材料の皮むき程度なのだけれど――できることはいろいろある。けれど、特に何かをしようと決めてはいなかった。
「いえ」
「なら、戻ってこい。午前中は寝ることにしたから、付き合え」
「はい、わかりました」
 食堂へ行き、奥の厨房で洗い物をするコックさんにトレーごと食器を返す。
「あァ、ありがとうイオリちゃん」
「いえ」
「これから暇かい?」
「えっと……、すみません。食器を返したら戻ってこいとローさんに言われていて……」
 何か手伝えることがあったのだろうか。申し訳なく思いながら正直に話すと、コックさんはからからと笑った。
「謝ることじゃないさ。船長の昼寝に付き合ってあげてくれ。あの人、ベポを枕にするのも好きだが、イオリちゃんを抱き枕にして寝るのも嫌いじゃないようだからな。早朝から起こされて戦って疲れてるだろうし、快眠できるならそれがいい」
「……はい、そうします」
 この三日、体調を崩して眠っていることの方が多かったから、いつもより早いペースで記憶が戻った。どの記憶も今とは違い休む暇のない仕事尽くめの生活の一部で、こんなにものんびりしていていいのだろうかと、焦りがある。
 船長室に戻ると、ローさんはベッドの上でごろごろしていた。
「戻ってきたか。ご苦労だったな」
 手招きされて、いつも夜に寝る時のようにローさんが作ってくれているスペースにそっと体を潜り込ませる。
 甘やかすように髪を撫でてくれる手に、やっぱり覚えるのは焦燥感。
「あの、ローさん」
「ん、どうした」
「疲れているところ申し訳ないですが……、少しだけ、相談をしてもいいですか?」
「あァ、別にかまわねェ。どうした?」
 どうにもまとまらない拙い言葉で、記憶が戻ってきてから抱えている悩みを打ち明けた。前の生活と、今の生活の違い。本当はもっと働いた方がいいのではないかという、そんな燻るような焦り。
 ローさんは一通り私のちぐはぐな説明を聞くと、少しだけ考える素振りを見せた。
「……お前の一番大事な仕事はこの船を護ることだろう。それまでおれはお前が役に立たなくとも待ってやると言ったし、あいつらも初めは戸惑っていたが今はそのおれのやり方を受け入れている。まだ万全の戦いはできてねェが、今のお前にできることで随分楽になったこともある。今のままでも、誰もお前を疎ましく思ったりしねェよ。疲れねェ程度に、お前ができることだけやればいい」
 彼の言葉は、私の胸にすとんと落ちて染みこんだ。ローさんは、私が欲しい言葉を見透かしているかのように、不安を溶かしてしまう。
 そんなことを思っていると、ローさんは突然何かを思いついたような、口角の端だけを上げた少しだけ悪い笑顔を浮かべて、私の髪を撫でていた手を背中に回した。
「朝っぱらからの戦闘で能力を使い過ぎて疲れてるおれが休めるようにこうして抱き枕になることも、お前の仕事のひとつだ。どうしても手が必要ならコックがきちんと頼みにくる。そうでなければ、船長であるおれの命令を優先しとけ」
「……はい」
 結局のところ、彼は仕事と称して私にのんびりしろと言っている。
「起きてからいつもより頻繁に眩暈がしてただろ」
「! ……気がついていたんですか」
「あァ。どうせおれの抱き枕になってる間は動けねェんだ、寝ちまえよ。……おれももう寝る」
 ローさんは目を閉じて、すぅ、と静かに寝息を立て始めてしまった。朝の戦闘は比較的長い時間がかかったらしいし、やっぱり疲れていたのだろう。
「……ありがとうございます」
 疲れているのに相談に乗ってくれたこと、私の欲しい言葉をくれたこと、体調を気遣ってくれたこと。起こさないように、ゆっくり、静かに。呟くようにお礼を言うと、ローさんが小さく息を吐いたのを感じた。それから、今度こそ安定した寝息が聴こえてきた。
 耳を澄ませば、厨房からはコックさんが暇そうなクルーを捕まえてきて昼食の準備を手伝ってもらっている音、甲板からはシャチさんの悔しそうな声や、ベポちゃんの嬉しそうにはしゃぐ声が聴こえてくる。きっとシャチさんは魚を逃がしてしまい、ベポちゃんはちゃんと釣ることができたのだろう。大笑いする甲板のクルー、それに反論するシャチさんの声。……とても、穏やかだ。
 ひとり急いていることがなんだかおかしく思えてきて、今は"船長命令"と称された休息の時間をめいっぱい使わせてもらおうと考え、ローさんの胸に額を摺り寄せて目を閉じた。
 ……未だにできずにいる"覚悟"のことは、考えないようにして。
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