feelings that was bound

 一晩ぐっすり寝て、普段よりは良い目覚めをした。ローさんと一緒に朝ご飯を食べて、一度部屋に戻って荷物をまとめてロビーに行くと、どうやら私が起きた時間に合わせて船に戻ることにしていたらしく、皆が準備を整えて待っていた。
「忘れ物はありませんかな? 夕方まで停泊しているのでしたら掃除ついでに見つければお届けいたしますが」
「あァ、もしあれば頼む」
 ローさんもペンギンさんもできるだけ迷惑をかけないように計らっているからか、宿の主人は随分と好意的に接してくれた。やっぱり地主はあまり快く思われていないらしく、掻い摘んで事情を話して、何かあってもハートの海賊団に脅されたと言ってしまえば矛先はこちらに向くはずだからと言えば、アベルくんを泊めることも了承してくれてとても助かった。一週間、とても良くしてもらったとペンギンさんも話していたし、そもそも問題を持ち込んだのは私たちだ。私たちは島での滞在期間を快適に過ごすことができたし、宿にはまとまったお金が入った上、主人が地主からの責めに帰されることもない。これまでの過程を考えれば、海賊である彼らにしては珍しく後腐れのないかたちで去ることができるのだろう。
「世話になったな」
 ローさんの言葉を皮切りに、クルーたちがロビーを後にする。ネリアさんは外でアベルくんの顔を見られると厄介だから、とベポちゃんに抱えられて適当な布を被っていた。
 まだ人も疎らな時間帯で、更に過疎している島の外側へ向かうから、鎖の音も気にしなくていい。朝のどことなく澄んだ空気には音がいやに響くような気がするから、少しだけ気が楽だ。
 滞在中、よく往復した道を辿り、海岸に出る。船は少しだけ移動していて、その辺りは他よりも比較的近くから青色が濃くなっている。潜水のしやすい深いところが近い方がいい、ということだろうか。
 出航の準備を何か手伝った方がいいのかと思い訊いてみると、今回はネリアさんの面倒を見つつ見学して歩いていろ、と言われた。
 ネリアさんは皆が出港の準備を始めると、私の手を引いて早速探検を始める。
「帆船のことはよくご存じなんですか?」
 きらきらとした笑顔を浮かべながら私が見慣れた通路にすら興味津々な視線を向けるネリアさんに、そう訊いてみる。
「えぇ! アベルが出かける時なんかにわたしもよく霊体のままついていったもの!」
「なるほど……」
 誰かに見えるわけでもない、存在が邪魔をするということもない。だけどできることもないから、こうして見て回ることを楽しんでいたのだろう。
 クルーたちが出港準備で忙しなく動き回る中、頼まれた力仕事は手伝いながらネリアさんの行くところへついていった。
 一通り見終えると、ネリアさんは満足したようで人の邪魔になることのない甲板に戻った。柵に手をかけ水平線を眺める、アベルくんと重なるネリアさんの横顔に視線を落とす。
「ネリアさん」
「なぁに?」
「これからのこと……、不安ではないですか?」
 ネリアさんは私の顔を見上げてきょとんとした後、にこりと笑んだ。
「あら、どうして?」
「あの地主が今後どういう行動に出るかわからない……。あの人は、どこか狂っている」
 "八年前"という単語だけで顔を青褪めさせて震え、アベルくんに、使用人たちに知られそうとなれば武器を取ることも厭わなかった。自分の手が、汚れることも。
「……わかりきっていたことよ。わたしはあの人に、まだ八年前の恨みは消えていないんだって伝えることができた。……けれど、なんだかあの人を見ていて、虚しくなってきたわ」
「復讐からは何も生まれない……というのは、よく聞く話です」
 ネリアさんは外見にそぐわない大人びた笑みを浮かべて、目を細めた。
「えぇ、その意味がよくわかる。本当にごめんなさい、わたしはあなたたちを巻き込んだだけだった」
「……気は、晴れましたか?」
「死んで思うのはね、まだ生きている人に、自分の気持ちを伝えたいということ。わたしは満足よ。アベルのことは心配だけれど、まだあの子を護らなくちゃならないけれど、それでもわたしはもう満足。……感謝しているわ、イオリさん」
「感謝なら、ローさんに。勝手なことをした私を怒らずに、付き合ってくださったんですから」
 私はただ捕まって、勝手なことをして、迷惑をかけて、助けてもらっただけ。ネリアさんに感謝されることなんて何一つない。記憶の中の私は、もっと上手く立ち回れていたというのに。
「そうね……、あとでちゃんとお礼を言っておくわ。でも、きっかけはイオリさんよ。あなたがわたしに協力してくれなかったら、きっと船長さんも協力してくれることはなかった。だから、……ありがとう」
 多分もう、こんな風に勝手に人助けなんてすることはないだろう。ローさんたちと自分の感情とを秤にかけて、見捨てることだって容易くできる。たとえ相手が、情けをかけるべき女子供であっても。
 けれどそれを今目の前にいるネリアさんに言う気には、なれなかった。
「……イオリさん、ひとつ聞いてもいい?」
「? 私で答えられることであれば」
 ネリアさんは私の方を向き直り、顔を見上げてくる。
「昨日の夜、どうしてシャチさんにあんなことをお願いしたの?」
「……どちらのことを言っているのですか?」
 理由が気になるようなお願いなんて、昨日の夜にひとつしかしていないことはわかりきっていたけれど。どうか最後にしたお願いのことでありますようにと、さして期待もせずに願いながら問い返す。
「"頭を撫でてほしい"って、お願いしたじゃない。昨日はお酒も飲んでないでしょ?」
 案の定、ネリアさんは私がして欲しくないと思った方の質問をした。けれど、誰かに聞いてほしかったのも本心だった。
「……はい。少し、気になることがあったんです。けれど、いきなり誰かに頭を撫でてほしいと言うのも、変な気がして」
「それであのタイミングだったのね……。何が気になっていたの?」
 周囲に視線を巡らせても、私たちの会話を気にしている人はいない。ベポちゃんも、ローさんやペンギンさんと真剣に航路の話をしているから、集中しているはず。それでもなんとなく聞かれたくはなくて、膝を折りしゃがんで、ネリアさんと目線の高さを合わせた。
「私……、ローさんに頭を撫でてもらえると、とても嬉しく感じるんです。なんだか胸がきゅーってされるみたいで、心地の良い苦しさがある……というのでしょうか。少しだけ……、他の人にされてもこんな風に苦しく思うのかが、気になったんです」
「……どうだったの?」
「嬉しかったけれど……、ローさんにされる時のようにはなりませんでした」
「それって……、!」
 なんとなく、ネリアさんが次に紡ぐ言葉がわかってしまったような気がしたから。人差し指を立てて、子ども特有の柔らかい唇に押しつけた。言わないで、とお願いを込めて。
「わからないんです。ローさんが私のたった一つの拠り所だから、そうされて嬉しいのか……、それとも違う理由があるのか」
 ネリアさんは口に当てられた私の手を小さな手で握り、そっと外した。そうして心配そうな表情を浮かべて、ぽつりと言う。
「イオリさんは……、自分の感情にとても鈍いわね」
 とても的確な表現だと思った。今の私には、自分のことすらよくわからない。
「そう思います。……酒場で馬鹿にされても、怒りも悲しみも、何も感じなかった。ローさんについた香水のにおいを嗅いだ時も、どうして自分が泣くのかわからなかった。だから今もわからないし……、それにもし、わかったとしても、"違う理由"なら、言葉にしたくないんです」
「……そう、ね。船長さんにも、あなたにも立場がある。今の関係を崩したくないのなら、イオリさんの中ではっきりとした言葉にはしないのが賢明」
 結論を出さずにいれば、自覚もせずに済む。ローさんの言葉を額面通りに受け止めて、彼の力になるために、彼の好意を受け取ることができる。"他の勢力に渡したくない"という考えと、カデットさんの依頼主の願いに同意してくれたことがローさんの優しさの理由なのだと思っていれば、余計なことを考えずに済む。
「……わかっていただけますか?」
「えぇ。なんとなくだけれど……。あなたがそう言うのなら、わたしもちゃんと心の中に仕舞っておくわ」
「ありがとうございます、ネリアさん」
 お互いに顔を見合わせて笑っていると、甲板に出てきていたらしいローさんが私を呼んだ。
「イオリ」
「!」
 内緒話をしていた手前、横からいきなり声をかけられて驚いてしまい、肩を跳ねさせてしまった。
「? ……どうした」
「な、なんでもないわ! ねぇ、イオリさん」
「はい……」
 取り繕おうとしているのが見え見えなネリアさんの態度に苦笑して答えると、ローさんは訝しげに眉を顰める。
「一体何をこそこそ……」
「もう! わからない人ね! 女の内緒話に首突っ込むものじゃないわよ! それで、用件はなに?」
 立ち上がって、半ば逆切れのように言うネリアさん。ローさんはハァ、と小さく溜め息を吐き、私に視線を向けた。
「そろそろ寝とかねェと、出航の時間に起きられねェぞ」
「あ……」
 宿で聞いた話なのだけれど、ローさんは毎日私が寝た時間と起きた時間を記録してくれているらしい。それを使ってここ最近の睡眠のパターンを分析してみたら、眠る時間が大凡決まっていたのだそうだ。記憶が戻るにつれてそれが少しずつ短くなってきているから、起きていられる時間が長くなったと思い込んでいたようで、そうとわかれば私が必要な時に起きられるように逆算することも簡単な話。ローさんは私がネリアさんとのお別れもちゃんとしたがっているのに気づいていて、伝えに来てくれたのだ。
「ネリア、お前はシャチでもからかって遊んでろ」
「わかったわ」
 またシャチさんは賭け事でもして、ネリアさんにからかわれるのかも。
 素直に頷いて船室に入っていったネリアさんと入れ違いに、ベポちゃんが出てくる。
「キャプテン、お待たせ!」
「あァ。イオリ、来い」
 差し出されたローさんの手を取り、立ち上がる。鎖がカシャン、と鳴って、クルーたちの賑やかな声に掻き消された。
 手を引かれるままについていくと、ベポちゃんは甲板のあまり邪魔にならないところに寝転がってお昼寝を始め、ローさんはそのお腹に寄りかかって座った。
「あの……」
「? どうした、昼寝はいいのか」
 刀を肩に載せながら、ローさんは立ち竦む私を不思議そうに見上げてくる。
 確かに、甲板で日に当たりながらお昼寝をするのも好きだけれど。皆が慌ただしく出航の準備をするそばで? ……なんだか、申し訳なさの方が先に立つ。
「いえ、でも、お部屋に……」
「数日潜ることになるんだ、今のうちに日に当たっておけ。ほら、これ以上起きてると後で困るのはお前だぞ」
 ローさんはすぐ横の床を手のひらで叩き、座るようにと私を促す。
 促されるままに座り込んだ床は太陽から注がれた熱でぽかぽかと温まっていて、寄りかかったベポちゃんの体温も合わさり、すぐに眠気がやってきた。
「……優しいですね、ローさんは」
 目を閉じて、ローさんの肩に頭を預ける。なんとなく、太刀を抱えている方の手でローさんが帽子を目を隠すように前にずらしたのがわかった。
「優しくなんかねェよ……、おれは。今回はお前にも思うところがあったとわかったから大目に見るが……。次からは、おれは何の躊躇もなく見捨てろと言うからな」
 ほら、やっぱり優しい。私の心を汲んで、ネリアさんに協力してくれた。そして、期待をさせないように"次はない"と忠告もしてくれる。
「はい。……やっぱり、優しいです」
 身じろぐと、音を立てる鎖。私のことを奴隷だと言ったのを気にしているネリアさんには言わなかった、私が結論を出さないもうひとつの理由。どれだけ皆が私をそう見ないようにしてくれていようと、客観的にわかる事実が私の足首には常にある。


 分不相応な望みなんて、抱えない方が私のためだ。
[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -