innocent ignorance

 窓から差し込む光に瞼越しに刺激され、鬱陶しく思いながら目を開けた。数時間の間暗闇の中にあった瞳には刺さるもので、思わず目を細める。
 腕の中ではイオリがすやすやと寝息を立てていて、おれの服を握りぴったりとくっついていた。普段よりも寝顔が穏やかに見える。昨夜はどこか気分も良さそうだった。記憶が戻る時に見てしまう夢があまりひどくはなかったのだろう。
 髪を撫でてやると、もっと撫でろと言わんばかりに擦り寄ってくる。普段の一度の睡眠時間と昨日寝た時間から考えると、起きるまではもう少しかかるだろう。甘えられて悪い気はせず、そのまま寝顔を眺めていると予想していた時間にイオリが目を覚ました。
「ローさん……?」
「夢見は悪くなかったようだな、イオリ」
「……はい」
 微笑を浮かべ穏やかに返事をするイオリに"先に顔を洗ってこい"と言い、身を起こした。
 イオリは眠い目を擦りながら洗面所に行き、短時間で身だしなみを整え戻ってきた。眠気も多少飛んだようで、先程までの甘えたがりはなりを潜め、ぼけっとはしているが無表情に近い。夢見は良かったようだが、相変わらず昔のことは思い出しているのだろう。
 冷たい水で眠気を飛ばし、イオリと共に食堂に行く。クルーのほとんどは既に朝食を終え思い思いに過ごしているようで、宿の主人が行っている片づけをコックが手伝っていた。宿の主人にも掃除だなんだと仕事はあるため、衛生管理がしっかりできるとわかると快くコックの手伝いを受け入れてくれていた。
 おれとイオリが起きたことに気がついたコックが、すぐに給仕に切り替える。
「おはようございます、船長。イオリちゃんも」
「あァ」
「おはようございます」
 カウンターに朝食を受け取りに行ったイオリを横目に、適当なテーブルにつき太刀を置いて帽子を柄に引っかける。
 イオリが朝食が載ったトレーを二つ持ち戻ってきて、ひとつをおれの前に置くと、正面に座った。イオリの朝食はバターロールに切り込みを入れて間にサラダを挟んだもので、相変わらずイオリが食べやすいようにと工夫されている。イオリはおれが食べ始めるのを見てから、それを手に取り小さく齧った。
「船長、それ食べ終わったら出られますか?」
「あァ。イオリもいいな?」
 問いかけると、イオリは小さな一口分を飲み込み、はい、と返事をしながら頷く。
 イオリの顔色を見ながら朝食を食べ進めていると、ベポと"ネリア"が食堂にやってきた。
「キャプテン、イオリ! おはよう!」
「おはよう、船長さん、イオリさん。二人ともお寝坊さんね」
 元気よく挨拶をしながらおれの隣に座るベポと、くすくすと笑いながらイオリの隣に落ち着く"ネリア"。
 イオリも嬉しそうに挨拶を返し、どうしたのですか、と食堂に来た理由を尋ねた。
「ベポくんが、船長さんたちが起きたみたいって言うから。夜に遊んでもらう約束を取りつけに来たのよ」
「は?」
 昨夜、イオリはトランプをする約束をしたというようなことを言っていた。イオリが起きてさえいれば反故にすることもなし、わざわざ約束を取りつけに来た意味が分からない。
 首を傾げていると、それに気がついたベポが付け足すように言葉を発した。
「イオリ、ルールがむずかしいとわからないんでしょ? キャプテンにフォローしてもらったらいいよって話してたんだ! ネリアもトランプ強いから楽しいよ!」
 約束を取りつけに来たのはおれに対してだったか。明日船に戻るとはいえ、記録(ログ)が貯まるのも夕刻。夜に遊ぶぐらいは別にかまわない。おれが巻き込まれるのは不本意だったが、イオリの静かな期待の篭もった目、ベポの無邪気な視線に負け、"ネリア"の挑発的な視線に耐えかね、結局了承した。
「……あァ、わかった」
 おれの言葉を聞いた途端、顔を輝かせるベポと"ネリア"。正面で黙々と朝食を減らすイオリも、少しだけ頬が緩んだようだった。
「やったぁ! これでイオリも一緒にいろいろできるね!」
「えぇ!」
「他のやつらに頼むことはしねェのか?」
 ごく当たり前のことを疑問に思い訊いたのだが、"ネリア"が腹の立つ溜め息を大袈裟に吐いた。
「考えてもみて、船長さん。シャチさん辺りに任せてもイオリさんが理解して臨めるゲームにはならないわ。むしろ手の内をシャチさんの表情が明かしてしまう。昨日もその話になって、やっぱり頭のいい人に任せるのがいいって話になったのよ」
 言いたいことは理解できなくもないが、一体こいつはシャチに何の恨みがあるというのか。
「おれを持ち上げているようでシャチを貶めてるが」
「シャチ、昨日ネリアに散々カモにされてたよ。ダウトとかネリアにばればれだったし」
「うふふ、今日の夜の船長さんのお酒はちょっぴりお高いもののはずよ」
 いたずらっ子のように笑う"ネリア"。今の一言でわかった。こいつは別にシャチに恨みがあるのではなく、完全にシャチをからかいの対象として見ているのだ。おれが怒りを覚えるようなことでもない上、おそらく乗り気になって賭け事を持ちかけたのはシャチ本人だ。それで負けたのなら本人の自業自得。
 発想がガキのそれである割に賢いネリアに乗せられたような気がしないでもないが、自分が甘やかしていると自覚のある一人と一匹が喜ぶならまぁいい、と思ってしまうのも本音だ。
「遊ぶのはいいが、イオリが夕飯食ってシャワーを浴びてからにしろよ。いつ寝てもいいようにな」
「アイアーイ! あ、イオリ。もう食べないの?」
 いつの間にか食べる手を止めていたイオリに気がついたベポが問いかけると、イオリは厨房にいるコックに気を遣ってか申し訳なさそうにこくりと頷いた。皿には三つ載っていたのだが、二つはきれいに平らげている。初めの頃はパンひとつで腹一杯だと訴えていたことを考えれば、イオリにしては大きな進歩だ。
「イオリ、ちゃんと食べる量増えたから良かったよ。じゃあ、それ食べるね」
 ベポはイオリの目の前にある皿から残ったひとつを取り、丸ごと口へ放り込んだ。
 おれも朝食を食べ終え、イオリに片づけを任せる。コックが出かける準備をしてくるのを待ちながら、ネリアに外出をしないようにと念を押した。
「ネリア、今日も外には出るなよ」
「それで船長さんたちの迷惑にならないのなら、そうするわ。ベポくんもいるし、他の人も構ってくれるから退屈はしないしね。……わたしを"ネリア"として見て接してもらえたのは、久しぶりだわ」
「当然と言えば当然だがな」
 アベルという器を借りて"ネリア"として存在しているが、元々こいつ自身は実体のない霊。イオリにはアベルの器から離れても見えているだとか言っていたが、それも"凝"とやらを使ってオーラを見るのと同じ、存在しないものが見えるというだけのことなのだろう。
「でも、誰にもわたしをわたしと認めてもらえずにいるのは寂しかった……。だからアベルとは別のわたしを見つけて、髪と目の色が同じねって言ってくれて、本当はとても嬉しかった。イオリさんのためになるなら、少しの我慢ぐらい安いものよ。船長さんたちにも、いろいろお世話になってるしね」
「聞き分けられるならいい。……話が通じねェようならそのガキの父親と同じ状態にして放置するつもりだったからな」
「そこまでバカじゃないわよ」
 ぷい、と顔を背けられる。こいつはおれにも世話になっていると感謝する素振りを見せながら、なんだかんだとつっかかってくる。一番ひどかったのは、一昨日の朝だったか。
「キャプテンとネリア、仲良しだね!」
 話を黙って聞いていたベポが、満面の笑顔でそう発言した。
「ベポくん……、それには同意しかねるわ」
「おれも仲良しになった覚えはねェな」
 二人して否定を返すと、ベポが"ほら!"と更に返してくる。一体どこを見れば"ほら"などと言えるのか。
「ベポちゃん、同族嫌悪という言葉もありますから……」
 出かける準備ができたのか、片づけを終えたコックと共にテーブルに戻ってきたイオリがそう言いながら苦笑する。こいつまでおれとネリアが似ているとでも言いたいのか。
「うーん。二人ともイオリのこと大好きだし、仲良しだと思うけどな」
「はっはっは! そこは二人とも同じだな!」
「おい……ベポ、コック。誤解を生む言い方はやめろ」
 ベポは意味が分からず首を傾げたが、コックはすぐに理解し軽く謝ってきた。いくら甘やかすことにクルーが文句を言わないといっても、そんな浮いた話までされればまた別だ。
 ひとまず出かけられるならさっさと出て用事を済ませてきた方がいい。帽子を被り立ち上がり、刀を担ぐ。
「そうだ、ネリア。今日の昼間にペンギンのところに行け。明日のことを説明するよう言ってある」
「! えぇ、わかったわ」
 明日は出航の日。明日の指定した時間におれたちが船を泊めている海岸に来るように、という手紙はシャチに届けさせているし、補給も問題ないと報告が来ているため出航についての心配はしていない。こいつにも単に縄で縛られて大人しくしてもらうだけだ、あの地主が息子を溺愛している限り、失敗することはない。宿の主人にも"脅迫された"とでも言っておけばいいと伝え、迷惑がかからないようにはしてある。地主たちには追えない海中に逃げ、ネリアがガキへの憑依をやめれば、屋敷の内情以外は何事もなかったかのように回っていくはずだ。
 昨日と同じようにして買い出しに出たが、街の様子はやはり変わってはいなかった。
 街への通り道にレンタル屋があるため先にリヤカーを借りてきたが、大荷物を抱えたまま服を見るというのも面倒だ。通りがかったクルーにコックと空のリヤカーの用心棒を言いつけ、酒屋で落ち合うことにしてイオリと共に服屋へ向かった。
 クルーが着ているのは作業用と言っていいタンクトップやTシャツだが、イオリにそれを着せるとシャチあたりから文句が出そうだ。そう思い、女物の服を扱う店が多い通りに来た。きょろきょろと辺りを見回すイオリに、小さく笑いが漏れる。
「物珍しいか?」
「はいっ。こういうところに来たのは初めてです」
「……そうか」
 顔にはあまり出ていないが明らかにはしゃいでいる。旅団にも女はいたようだが、あまり出かけたりもしなかった……というよりは、イオリが出かけたがらなかったのだろう。
 今いる場所では背も高く賞金首で顔を知られているおれの方が視線を集めているため、イオリも鎖を手に巻き取り引っかけないようにしながら、楽しそうに店を眺めていた。通りにいる若い女が着ているような派手なものは黒と指定したつなぎには合わないだろうし、そもそもイオリも見るのは良いとしても好んで着たりはしないだろう。
 シンプルなデザインを取り扱う店を見つけ、イオリもそこが目についたようだったので立ち寄る。店員はおれの顔とイオリの足元を見てぎょっとしたような表情を見せたが、ごく普通の客と同じように店内を物色し始めると、気はこちらに向けながらも自分の仕事に戻っていた。
「中に着るとしたらこういうのでしょうか?」
 イオリが手に取ったのはシンプルなキャミソールだ。無難なものを選ぶならその辺りが妥当だろう。
「そうだな……Tシャツでもいいけどな。お前が動きやすければ何でもいい」
「わかりました」
 店内を見渡せば、イオリの好みに合いそうな服がちらほらと窺える。
「イオリ、服のサイズは?」
「え? えっと……」
 知らずに選びかけていたのか。
 やはりこいつはどこか抜けていると思いながら、イオリの背中に手をやる。
「大人しくしてろよ」
「?」
 着ているワンピースの後ろの襟に、案の定タグがありサイズが書いてあった。商船で選んでもらったものだ、間違いはない。
 イオリが目星をつけている中から同じサイズのものを探し、これと同じサイズのものを選べ、と伝える。字は読めなくともそれぐらいの見分けならつくと言っていたし、疑わしければ後で見てやればいい。
「他に何着か見繕ってやる」
「え? でも……」
「あって困るもんじゃねェだろ」
「それはそうですが……。お部屋の隅も片づいていませんし」
 イオリは戸惑ったような声を出し、目を伏せた。
 元々部屋の隅に寄せてあるイオリの荷物も片そうと考えていて、それについてはイオリがまだ寝てばかりの頃に、次の島でそれができるようにしろと見張り番になったクルーに言ってある。船長室の隣、医務室の反対側にほとんど使っていない小さな倉庫があるのだ。いらない物をおれが適当に放り込んでいるような部屋なので、掃除すれば使えるし、そこをイオリの私物のために充てても問題はない。
「……そのうち片づくから気にするな」
「?」
「あまり遅くなるとコックを待たせることになるぞ」
「は、はいっ。そうですね……っ」
 おれが問題ないと言えばそれでいいのだろう、イオリはコックを待たせてはいけないと慌てて選び始めた。
 目についていた服を数着手に取り、ついでに寒い島に着いた時のことも考えて羽織る物も選び、寄ってきた店員に預ける。
 イオリも優柔不断というわけでもなく、つなぎの中に着るだけならいいかといった風ですぐに選び終えたので、長居することもないと早々に会計を終え、落ち合う約束をした酒屋に向かった。
 荷物を大切そうに抱えるイオリの口元はどことなく緩んでいる。
「嬉しそうだな」
「!」
 イオリははっとして緩んでいた口元を引き結んだが、咎めたわけではないのだ。
「喜ぶのが悪いとは言ってねェ。笑いたきゃ笑え」
 身長差のあるおれの顔を見上げ言葉を聞いていたイオリは、進行方向へ視線を戻しながら眉を下げて切なげに笑んだ。
 今はこう言ってやれるが、イオリが"制約と誓約"のことを思い出せばどうなるか。こちらに来て間もない頃の、記憶を消す前の状態ですらかなり表情が乏しかったのだ。おそらくまたイオリの認識が歪んで、噛み合わなくなっていく。クルーに対しては前の環境も思い出した所為だろうと言えばそれで誤魔化しは利くが、イオリ本人の為の解決にはならない。何か能力に合わせた矯正が必要か……。
「ローさん? 何かありましたか?」
 難しい顔をしているのに気がついたのか、イオリがそう尋ねてきた。
「……いや、何でもねェ。近くに敵はいねェな?」
「えっと……、はい。特に不穏な会話は聴こえません」
 約束した酒屋の前にコックと用心棒のクルーが既に大量の酒を積んだリヤカーの傍で待ち構えていて、あとは潜水艦に運ぶだけだと笑った。
「お待たせしてすみません……」
「いや、平気だ。気に入ったのはあったかい?」
「はいっ。新しい服も買っていただきました」
「良かったな! 女の子はめいっぱいお洒落するといいさ」
 どことなく親子のような雰囲気を見せる二人を、顔には出さないが微笑ましく思いながら眺める。
 用心棒を引き受けてくれたクルーと別れ、増えた懸念の解決の方法を考えながら和気藹々と話す二人の後を追って帰路についた。
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