sweet poison

 昼食を食べ終えて、コックさんも今日予定していた買い物は全部終わったというので、船に荷物を運ぶことになった。
 買い出しの途中に一度襲われて以来、攻撃はされていないし、不穏な会話も聴こえない。卸売の市場でのことがその道の人たちに伝わったのか、あの人たちだけがローさんの言う"余程のバカ"だったのかはわからないけれど。何はともあれ、襲われないのならそれが一番好都合だった。
 街を出て、一昨日も歩いた道を辿ると黄色い潜水艦が見えてくる。見張りの人はこちらに気がつくと大きく手を振った。
「イオリ、お疲れさん! これで買い出しは終わりなのか?」
「一番大事なものを買ってねェんだなァ、これが」
 コックさんの言葉に、思わず笑いがこみあげる。確かに、彼らにとっては一番大切なものかもしれない。
「ふふ、そうですね。明日お酒を買う予定です」
「あァ、酒か! そりゃ大事だ! ……って、今日は船長が用心棒してたのか?」
「悪いか」
「いやァ、珍しいなとは思いますけど」
 今朝のシャチさんのような、どことなく意地の悪い笑みを浮かべるクルーの態度に首を傾げていると、ローさんは不機嫌そうな表情になった。
「イオリちゃん、中まで運べるかい?」
「あ、はい、大丈夫です」
 ほとんどの物は木箱に詰めてあるから、品数に対してそれほど運ぶ物は多くはない。終わったら呼びに来い、と言って船長室に行ったローさんを見送り、コックさんに言われるまま木箱を運んだ。扉や通路は広めに作ってあるので、そう時間をかけずに船に積むことができた。
 コックさんは足りないものがないかチェックするらしいので、積み込みが終わったことを伝えようと、段々と強くなった眠気を堪えながら船長室に向かった。
「ローさん?」
 ノックをしながら扉の向こうに向かって声をかけると、入っていい、と静かな声が返ってくる。
 部屋に入るとローさんはソファに座ったまま読んでいたらしい医学書に栞を挟んでいた。
「終わったのか?」
「はい。コックさんは買い忘れがないか確認していますが」
「そうか」
 手招かれて大人しく傍にいくと、ローさんの隣に座らされた。
「眠いのか?」
 ローさんは私が眠気に耐えているのに気がついたのか、そう問いかけてきた。
「はい……宿まで持ちそうにないです。すみません」
「気にするな。今日はペンギンがこっちにいるんだったか……」
 少しだけ考える素振りを見せたローさんは、傍に置いていた太刀を手に持って本をテーブルの上に置いた。
「コックのことを頼んでくる。なんなら寝てていいぞ」
「……そうします」
 ローさんが部屋を出ていくのを見送って、ソファの背凭れに背を預ける。無理矢理遠ざけていた眠気が待っていましたと言わんばかりに襲ってきて、重たくなる瞼に従って意識も沈めた。



「ん……」
 寝起き特有の体のだるさに逆らいながら、体を起こす。
 辺りを見回すと自分がいるのは滞在中宿泊している宿の部屋だとわかり、今は何時なのだろうと壁にかけられた時計を見た。10時を回ったあたり、だろうか。窓の外を見てみると、空は夜の帳を下ろしている。変な時間に起きてしまった。
 部屋にあるシャワールームからは、水の音が聴こえている。ローさんがシャワーを浴びているのだろう。
 いきなりいなくなってもローさんが困るかもしれないと思い、ベッドから下りてソファに腰を下ろした。
 しばらく待っていると、水音が止む。少し時間が経つと、ローさんが首にかけたタオルで短い髪の水分を拭いながら戻ってきた。
「起きたか」
「はい、つい先ほど」
 ローさんは私の隣に深く座って足を組み、背凭れに肘を載せた。
「いまいち規則性がわからねェな……。長く起きていられるようになったのかと思いきや、一度の睡眠時間は変わらねェようだし……」
「そうですね……」
「寝ようと思えば寝られそうか?」
「はい、起きても目が冴えているとまではいかないのはいつも通りです」
「そうか。……とりあえず、お前はシャワー浴びてこい。おれも少し飲みてェからな、ついでに夜食も作らせる」
 つまりはそれを夕飯代わりにしろ、ということだと理解して、頷いた。
 着替えとバスタオル、それからブラシを持って、脱衣所に引っ込む。耳を澄ませば部屋の外でローさんの足音がしていて、コックさんのところに行ったのだろうと簡単に想像ができた。
 温かいお湯を浴びて、シャンプーやボディソープの良い匂いを纏う。ここに置いてあるシャンプーの匂いは好きかも、なんて、そんなことを考えられる日が来るとは思わなかった。熱気の篭もったシャワールームから出て、髪の水分をしっかり取る。服を身に着けて、ブラシで軽く髪を梳いて部屋に戻った。
 ソファにはローさんが座ってくつろいでいて、テーブルには軽い食事と飲み物が並んでいた。軽食がサンドイッチということは、私のために用意されたものなのだろう。一緒に軽くつまめるものも置いてあるから、ローさんが食べるのは多分そちらだ。
「イオリ、座れ」
 ローさんは隣をぽんぽん、と手で叩く。断る理由もなく大人しく座ると、まだ乾ききっていない髪を撫でられた。最近よくこうして頭を撫でてくれるなぁ、などとぼんやり思いながらそれを受け入れる。
「酒とジュース、どっちがいい?」
「ジュースがいいです」
 見たところビンは二本しかない。一本はジュースだとすれば、残るのはどう考えてもローさんが飲んでいるもの。また強いお酒を飲まされるのは勘弁だ。
「フフ、そうか。残念だな」
 くつくつと笑いながら、ローさんは私の手に空のグラスを押しつけてジュースを注いでくれた。
「……本当にジュースですよね?」
「なんだ、疑うのか?」
 グラスの中身の匂いを嗅いでも、アルコール特有の僅かに鼻をつくような香りはしない。柑橘類の甘酸っぱい匂いがするだけだ。
「違うみたいですね……すみません」
「酒とジュースは匂いで判別できんのか。残念だな」
「残念って何がですか……!?」
 疑って悪いことをしてしまったと思ったのに、それを掻き消してしまうようなローさんの言葉。ローさんに与えられる飲み物は、今度からちゃんと匂いを確かめた方が良いのかもしれない。また酔って甘えて、次の日にローさんにからかわれるなんて耐えられない。
 ジュースを飲みながらローさんにじっとりと視線を向けると、気にもかけていないようでまた笑われた。
「冗談だ。もう騙してまで飲ませたりしねェよ」
 宥めるように頭を撫でられてしまえば、これ以上何か言うのも大人げない気がして黙った。ローさんは本当に私の扱いが上手だ。どこまでなら私が傷つかないかをしっかりわかっているというか。
「そういえば、明日の買い出しだが」
「お酒を買うんですよね?」
「あァ。それと、お前のつなぎの中に着るもんを買ってきてくれとシャチに頼まれた。ついでに買いに行く」
 確かに、中にワンピースを着るというのもおかしな話だ。暑い時には上を脱いで袖を腰に巻いて過ごしているのを見るからわかったことだけれど、皆も中にはタンクトップやシャツを着ているようだし。
「……ということは、明日もローさんが同行を?」
「不満か?」
「まさか。心強いです」
 ローさんは当然だとでも言いたげに笑い、ふと何かを思い出したかのように視線を斜め上に向けた。
「もしかしたらあのガキが一緒に行きたいだのと言いだすかもしれねェな……どうするか」
「確かに、誘拐された地主の子が街中を歩いていたらまずいですよね」
 コックさんが用意してくれたサンドイッチを手に取り、一口齧る。一切れしか食べられなさそう、と思いながらもローさんの話を聞こうと咀嚼していたものを嚥下して顔を上げた。
「それもあるんだが、あいつをどう返そうかと思ってな。今のところ、出航ぎりぎりの時間に屋敷のやつらを呼び出して、ガキを放って潜るつもりでいる。時間稼ぎにもなるからな」
「あとはネリアさん……というよりはアベルくんの立場の問題、ですか」
「あァ」
 正しい事情を知っている地主はともかくとして、屋敷の人たちにとってはアベルくんは誘拐された子どもであるはずだ。まさか自分の過ちを公表してまで細かく話すことはしないだろうし……。そうなると、アベルくんが私たちと一緒に街を歩いていると混乱も招きかねない。出航まで報復をさせないために"人質"として捕まえていると思わせておいた方が、どちらにとっても都合が良い。
「説得できそうですか?」
「話が通じねェならバラして動けねェようにしておく」
「そうならないといいです……」
 ネリアさんも発想が子どもじみているとはいえ、話はきちんと通じる子だ。きちんと説明してあげれば、納得して言うことを聞いてくれるとは思う。
「ベポにも言ってあるから、心配はねェと思うがな」
「……そうですね」
 サンドイッチを一切れ食べ終えると、やっぱりこれ以上は食べられなさそうだと感じる。
「もういらねェのか?」
「はい……」
 ローさんはグラスに残った少量のお酒を飲み干すと、空いたグラスを持ってくる時に使ったらしい丸いトレーに載せた。
「食堂に誰かしらいるはずだ。残ってるもんはそいつらに渡して、片づけて来い」
「はい、わかりました」
 私もグラスを空けて、ビンやお皿をトレーに載せる。それを持って食堂に行くと、ベポちゃんとネリアさん、それからバンダナさんとシャチさんが賑やかにトランプをしながらテーブルを囲んでいた。
「お、イオリじゃん。おはよ」
「おはようって時間帯じゃねェけどな」
「ふふ、そうですね……。あの、お酒はまだ飲みますか? ローさんももう寝るみたいですし、食べきれなくて」
「あァ、それならもらう」
 トランプをしながらお酒を飲んでいるようだったし、ローさんが飲んでいたとあって少し高いものらしく、シャチさんは喜んで受け取ってくれた。ジュースや軽食はベポちゃんが欲しがったので、何かが残るということもなかった。
 キッチンでグラスを洗っていると、テーブルからネリアさんがカウンター越しに声をかけてきた。
「イオリさん、傷はもういいの?」
「はい、すっかり治りました」
「そう……良かった。……ダウト!」
「あっ、こらネリア! くっそー……」
「シャチさんがわかりやすいのが悪いわ」
 どうやら四人はダウトをしているらしい。宿に篭もっていてもこうして楽しめているのなら、ネリアさんも文句は言わないだろう。
 洗い終わったグラスを干して、キッチンを出た。
「イオリ、寝るのか?」
「はい。明日も買い出しがありますし」
 私がそう答えると、ネリアさんがつまらなそうに相槌を打った。
「結局イオリさんとは遊べずじまいね……。残念」
「あー、明後日はもう船に戻るしな。明日の夜遊んでもらえよ。イオリはトランプできるか?」
 訊かれて、記憶の今まであまり気にしなかった部分を手繰り寄せる。神経衰弱とか、七並べとか、できていたのは視覚的にわかりやすいものぐらいだ。
「ルールが簡単なものなら……」
「難しいやつは船長に味方してもらえよ。あの人めちゃくちゃ強ェぞ。ネリアも今のところ勝率高ェからな。いい勝負するんじゃねェか?」
「わたし、トランプ勝負は得意なのよ。ちなみに今勝率一番低いのはシャチさんね」
「お前がおれにしかダウトって言わねェんじゃん!」
 確実にダウトと言えるのがシャチさんだから、という理由だろうけど……。多分シャチさんも迂闊に、というかムキになってダウトと言ってカードを全部引き受ける羽目になっているのだと思う。
「ふふ、付き合っていただけるといいですが」
「ベポと一緒に遊んでくれって頼みに行けばころっと落ちると思うぜ」
「船長はベポとイオリに甘いもんなァ」
 お酒の勢いもあるのか、今この場にローさんがいたら機嫌を損ねてしまいそうな発言をする二人。あまりに遅いからとローさんが迎えに来ないうちに、お部屋に戻った方がよさそうだ。
「ネリアさん、あまり夜更かししないようにしてくださいね」
「えぇ。この子の体に悪いものね。おやすみなさい、イオリさん」
「イオリ、おやすみー」
 まだまだトランプを続けるらしい四人に挨拶をして、部屋に戻った。
 ローさんは私を待ってくれていたのかソファに座っていた。私が部屋に入ると、こちらに顔を向ける。
「遅かったな」
「食堂にいた人と少しお話をしたので……」
「あァ、それでか。もう寝るか?」
「はい。明日の夜に起きていたら、トランプに付き合ってほしいと言われてるんです」
「なら、早く寝て明日も早めに行動して昼寝するべきだな」
 明かりを消してベッドに入ると、ローさんはいつものように私を抱き枕にする。それから、私の頭を優しく撫でてきた。
「ローさん」
「なんだ」
「最近よく……頭を撫でてくださいますね」
 手を止めたローさんは、嫌か、と問いかけてくる。
「いいえ。ただ……どうしてなのかな、と思って」
「お前が甘えたがりだからな」
 ローさんは喉の奥で笑いながら答えたけれど、口調にからかいは感じられない。また動き始めた手の、髪を撫でる動作もとても優しい。
 バンダナさんが言っていた、"ローさんが私にも甘い"というのは、本当だと思う。だというのにクルーの皆からは不満の目を向けられてるとも感じられないから、ついつい甘えてしまう。
 酔って甘えてしまうのも、アルコールで箍が外れて本音が漏れてしまうから。
「ふふ、そうやって甘やかされると、ローさんから離れられなくなりそうです……」
「それでいいだろ。お前はおれのためだけに力を使えばいいんだからな」
「……はい」
 私に居場所をくれて、生きる意味をくれる。縛られるのは同じなのに、嫌じゃない。とても魅力的な毒。
 目を閉じてローさんの胸に額をくっつけながら息をすると、薬品のにおいの混じる、嗅ぎ慣れた落ち着くにおいがした。頭に触れる手の優しさも相まって、昼間からあれほど寝たというのにまた瞼が重くなる。
 ……今日は、記憶と一緒にやってくる悪い夢を見ずに済みそうだ。
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