everything pamper the girl

「イオリ、そういや包帯はいいのか?」
 ロビーでそう尋ねると、イオリは思い出したように自分の腕を見た。起きてからおれが散々からかっていたため、すっかり頭からそのことが抜け落ちていたようだ。傷はもうほとんど残っておらず、ガラスの破片が深めに刺さったところがほんの数か所赤くなっている程度だ。イオリの気休めになるなら巻いてやってもいいか、という程度の考えでの提案だった。
 イオリは傷を見られることより、それによって周囲に不快感を与えることを嫌がっていたようだし、傷自体は気にならないのだろう、首を振った。
「いえ、この程度なら傍目に見てもわかりにくいでしょうし、平気です」
「そうか、ならいい」
 宿から出て、先導する形で歩き始めたコックの背に問いかける。
「コック、これからどうするんだ?」
「リヤカー借りて、店を梯子します。この間もそれで随分楽しましたし。イオリちゃん、今日も頼むな」
「はい、お任せください」
 イオリはコックの言葉ににこりと笑んで頷いた。
「まァ、やり方は任せる」
「アイアイ」
 鼻歌交じりに歩くコックの背を追う。朝早くはないためか、街に近づくにつれて喧騒が少しずつ大きくなってきた。イオリはすれ違う人間の視線は気にせず、手首に巻き取ってなお余る鎖を小さく鳴らしながら歩き、きょろきょろと周囲を見回していた。何度か出ているとはいっても、イオリにとっては目新しいものがたくさんあるのだろう。
「あ、ここです。ちょっと待っててくださいね」
 街へ行く途中でコックが指差して入っていったのは、運搬具のレンタル屋だ。海賊だけでなく、貿易をする人間も多くこの島に立ち寄るため、こうした商売も成り立っているのだろう。
 今日はおれもイオリも起きたのが遅かったため、もう市場は終わっている。コックがレンタル屋の主人に聞いたところ、街には日中にもやっている卸売の市場があるらしく、そこへ向かいましょう、と提案された。買い出しに関してはコックにすべて任せてあるため、口出しはせず印をつけられた地図を片手に歩き出すコックの後をついて行った。
 賑やかな市場につくと、コックは早速目についた店に行き大量に注文を始める。次の島まで比較的長期の航海を覚悟しなければならないとはいえ、膨大な量だ。イオリが怪力なのは知っていることではあるが、念能力を碌に使えない状態で運べるのかを疑問に思った。
「イオリ……本当に平気か?」
「大丈夫です。前回はお米と小麦粉と……あと大豆がメインでしたし」
 オーラを上手く扱えない状態でこれだ。筋トレも日課だったと言っているのに、筋肉がついた様子もない。纏だけなら体に染みついていれば無意識にでも行うことができるようになるらしいが、今もその状態なのだろうか。細い女が何食わぬ顔で重い荷物を曳いて歩く姿は、すれ違う人間には足枷以上に奇怪な光景に見えることだろう。
「……それならいいが」
「イオリちゃん! 荷物積んでくれー」
「あ、はい!」
 イオリは見るからに重そうな荷物をひょいと抱え上げ、コックが指示したとおりに積んでいく。できるだけ木箱に詰めさせているようで、量が増えても紐で括ればかなり安定するようだ。
 次、と歩き出すコックを追っていると、一瞬だけ表情を変えたイオリがちらとこちらに視線を向ける。
「どうした」
 問いかけると、イオリは周りの声に掻き消されない程度の声量で、視線を前に戻しながら口を開く。
「……少し後ろから、賞金稼ぎの話し声が聴こえます」
「!」
 市場の喧騒の中、よく聴こえたものだ。時々耳を傾けているのだろうが、それにしても察知が早い。
「なんて言ってる?」
「"トラファルガー本人が一緒だがどうする?"、"やつが離れたらもう一人の男か女を捕まえればいいだろう"。……やはり本人を相手にする気はないようです」
「フン、またお粗末な作戦だな」
 このままコックから離れないようにしてもいいが、延々と尾けられるのは気分が悪い。誘い出して潰した方が早そうだ。
「どうしますか?」
「コックから離れねェようにしてろ。おれが一旦離れて、敢えて隙を作ってやる」
「わかりました」
 機嫌よく品物を見定めるコックの傍にイオリがついたのを確認し、二人と距離を置く。イオリが言ったとおり、買い物に忙しない人混みの中に、殺気立ったやつらが数人いるのがわかった。おれが離れたと見るやいなや、一般人を突き飛ばしながらコックに一直線に向かう。
「イオリ」
 どうせ聞いているのだろうと名前を呼べば、イオリはすぐに顔を上げてコックとの間に立ちはだかり、向かってくる男たちを見据えた。
「……"ROOM"」
 静かに円(サークル)を展開し、二人と荷物を守れる範囲まで広げた。
 女だと油断したやつらがイオリの首に剣を突きつける。
「オイ、小娘!! 死にたくなきゃァ大人しくしな!!」
 その怒声で、周囲にいた一般人が異変に気づき悲鳴を上げながら逃げ惑い始めた。
 イオリは周囲の混乱にも突きつけられた刃にも動じることはなく、男を睨みつけ右足を高く振り相手の手首を蹴り上げた。手首に巻かれていた鎖は既に解かれており、伸ばされた足に引かれカシャン、と音を立てる。
「がっ……!」
 敵の武器は回転しながら一度真上に飛び、また落ちてくる。イオリは相手の胸倉を掴みながら剣の柄を難なく掴み、刃の部分を男の首筋にぴたりと押し当てた。
「死にたくなければ動かないでくださいね」
「!! ……ヒィッ! なんだこの女! 奴隷……!?」
 つい先ほどまでの威勢はどこへ行ったというのか、青褪めがたがたと震える男。イオリが押し当てた刃で、首の当てられた部分が薄く切れている。
 一般人も掃けたところで、太刀を抜き放ってその男に狙いをつけ真一文字に振るった。一瞬遅れ、スパンと男の胴が下半身から離れる。イオリはすぐに敵の胸倉を掴んでいた手を離し、おぉ、と歓声を上げるコックと荷物の傍まで下がった。
「う、ウワアアアアアッ!!」
「おいっ、大丈夫か!?」」
「体が切れたぞ!!」
「テメェらなァ……、意表を突きてェならもっと上手くやれ」
 慌てふためく賞金稼ぎたちに向けてそう言ってやると、今やっとおれが近くにいたことに気がついたのか驚愕の表情をいくつも向けられる。
「なっ、トラファルガー……!」
「おれが他のもんに気が向いて離れたとでも思ったか? 後ろで話してんのがこっちには丸聴こえなんだよ」
「……! くそっ!!」
 半ば投げやりにイオリに掴みかかっていくが、標的となった本人は表情を変えないまま伸びてきた手を掴む。しかし、次の瞬間には冷静に見えたその表情が崩れた。
「あ……っ、えっと」
「?」
 突然戸惑ったような表情を浮かべるイオリ。敵の手を掴んだはいいが、そこからどうしたらいいのかわからなくなったようだった。無駄のない動きをすると思って見ていたが、ほとんど無意識にやっていたのだろう。
 イオリの戸惑いに気づかれる前に、賞金稼ぎたちに狙いを定め一気に真っ二つにした。続けて二、三度太刀を振るってバラし、人差し指を立てる。イオリはほっとしたように息を吐きながら掴んでいた手を離した。
「タクト」
 バラしたパーツを適当にくっつけ、通りの真ん中に積み上げて小さな塔を作る。むさ苦しい男共の情けない悲鳴がいくつも重なるが、聞こえない振りをした。
 太刀を鞘に収め、展開していた円(サークル)も消す。コックはといえばもう買い出しに気が戻っているようで、これ金はどうしましょう、と呑気に尋ねてきた。
「適当に見積もって置いとけ。……イオリ、怪我はしてねェか?」
「はい……、すみません、急にどうすべきかわからなくなってしまって」
 イオリは米神に掌を当て、顔を歪める。
「体が覚えてたことを無意識にやっただけだろ。そこから先にどう動くかわからなくなるのも当然だ。フォローはしてやる」
「……ありがとうございます」
 困ったように、申し訳なさそうに笑いながら見上げてくるイオリの頭を撫でると、どこか空気が和らいで目が細められた。
「……猫みてェだな」
「え?」
 これ以上からかうと、いよいよイオリの機嫌を損ねそうだ。聴力も強化しておらず聞き取れなかったようなので、誤魔化した。
「いや、何でもねェ。コック、次行けるか?」
 コックは荷物の紐を結び直しながら頷いた。
「えぇ! ただ、この辺店主が皆逃げ出しちまったんで、少し先に行きましょう」
「あァ」
 作っておいてと言われそうだが気色の悪いオブジェに寄りつこうとするものはおらず、そろそろと出店者が戻ってきてもそのオブジェだけが孤立していた。おれの能力も多少知られてはいるし、見せしめにぐらいなるだろう。
 イオリは荷物が増えても相変わらず何食わぬ顔でリヤカーを引いており、人のいるあたりに来てぎょっとしたような視線を浴びても、特に気にしてはいないようだ。こいつは自分への視線にはとことんまでに無頓着だ。
「ねぇ……あれ」
「やだ、あんな細い女の子に荷物引かせてるの……? ひどい人たちだわ……」
 しかし、おれやコックに軽蔑の視線が向くと眉尻を下げて悲しそうな顔をする。ある意味当然ともいえる視線だが、イオリからすれば自分のせいで、という気になるのだろう。
「イオリちゃん、この島の果物買ってくか? 気に入ってるって言ってただろ」
 コックに声をかけられると、イオリは俯けていた顔を慌てて上げ答える。
「あ……っ、はい! あの、ケーキ、作れますか……?」
「お、食べたいのかい?」
 イオリがこく、と不安そうに頷くと、コックはからからと笑って任せとけ、と胸を張った。
 まだまだ人の顔色を窺う癖は抜けないようだが、自分の要望も言えるようにはなってきている、か。だが、また何か思い出せば、おそらくその度に覚えさせたことも歪んでいく。ここ最近で、イオリの言葉遣いにほんの少しではあるが堅苦しさが出てきたのもこの影響だろう。こればかりは直せとも言えないため、放置しているが。
 そんなやりとりを時折しながら、リヤカーも積むのが難しくなるほどになり、コックも満足げになったところで、昼食をとることになった。
 適当な食堂に入ると、案内されたのは壁際の四人掛けの席。コックとイオリを向かいに座らせ、太刀を横に置いて座る。イオリは店員が机に置いたメニュー表を見て眉根を寄せた。
「……む」
「あァ、そういや読めねェんだったな。パンと米とパスタがあるが、何が食いてェ」
「えっと……、パスタが食べたいです。カルボナーラってありますか?」
「ある。それでいいのか?」
「はい」
 どうせイオリは食べきれないだろうと、自分の分は量の少なそうなメニューを選ぶ。
 コックも食べたいものはすぐに決まったようで、すぐに店員を呼んで注文をした。パスタは少なめに、とは言ったが、それでもイオリには多いだろう。
「イオリちゃん、字が読めないなら教えてやろうか?」
「いえ……こればかりは教えていただいてもどうにもならないので……」
「?」
 とっくに新しい知識を吸収できる歳は過ぎてる、と誤魔化しても良かったが、コックにはイオリもかなり懐いている。細かい事情を知っているのがベポだけというのも、後々不便さが現れてくるだろう。だったら、初めから誤魔化さずに話しておけばいい。
「こいつの力は特殊でな、悪魔の実を食ったら泳げなくなるのと同じように、力を得る代わりにリスクも負わなければならねェんだ。字が読めねェのもその条件の一つだ」
「へェ……。ならしょうがないな」
 イオリはしょんぼりとして俯いていたが、コックが気にするな、と笑うといくらか元気を取り戻したようだった。
「実際、どんな風に見えてるのかがちょっと気になるな」
「どんなって……。こう……短い線が散らかっているだけというか……。あと、何度同じ字を見ても意味のあるものとして覚えられないんですよね……」
「それでよく見るのは図として覚えてるって言ってたのか」
「はい」
 今後一人にさせる気はないからいいが、やはりただの奴隷だった時には相当な不便を強いられてきたのだろう。撃ち込まれた記憶の中のイオリが外出を極端に嫌っていた理由がわかった気がした。そんな自由があったのは旅団と行動している時だったため迂闊に確認することはできないが、好奇心も比較的旺盛なイオリが嫌がるとしたらそれぐらいしか理由が考えられない。必要がないと思って捨てたものでも、後々大事だったと思うのはよくあることだ。そしてそれがまた、イオリの能力を強くしている。
「時計は?」
「見方は知っているので……。数字がなくても向きさえ合っていれば読むことはできるでしょう? あんな感じです」
「あァ、なるほど」
 興味津々に尋ねるコックに、イオリはすらすらと答えていく。言葉足らずは否めないが、会話は十分成り立っている。
 コックはいくつかの質問でイオリがどういう時にフォローを必要とするのか掴めたようだった。
「まァ、それぐらいならフォローするさ」
「……はい、ありがとうございます」
 申し訳なさそうに答えるイオリに、コックはまた気にするなと宥めるように笑った。
 料理が運ばれてきて、案の定少なめにしてもイオリには多いと言える量が皿には載っていた。
 食べ始めは嬉しそうに口に運んでいたが、次第に自分の腹の具合と残っている量を見てか困ったような表情をするようになった。
 表情の変化が面白いな、と思って見ていると、斜向かいからの強い視線。見ればコックが苦笑しておれを見ていて、"わかっているなら早く助け舟を出してやってくださいよ"とでも言いたげだった。
「……イオリ、食えねェならそれ寄越せ」
「えっ、あ、はい……っ?」
 ぴゃっと肩を跳ねさせるイオリをおかしく思いながら、空になった皿を避けてイオリの手からフォークを奪い、パスタの残った皿を引き寄せた。
「あ、あの、ありがとうございます……」
「お前も食えねェなら無理すんな」
「っ、はい……」
 いつもならベポが綺麗に平らげるためイオリも気にしないが、今日は同行していない。元々食事を残すことは嫌っているようだし、少なめにと頼んでもいたのだ、無理をしてでも食べる気だったのだろう。一瞬言葉に詰まったところから、簡単にそれが予想できた。
 他のクルーがそれを言えば"自分で頼んでおいて甘ったれんな"と無理にでも詰め込ませたのだろうが、イオリの胃が弱っていなくてもおれはそうはしないだろう。やはりおれは、イオリに甘い。
 食べ終わって暇そうなコックは、頬杖をつきながらにこにことおれたちのやり取りを眺めていた。他のクルーから不満の声が出ないのが、救いであり免罪符だ。
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