magic of liquor

「……キャプテン、何かした?」
 初めて会った時のように、感情から乖離した涙を流したイオリが出て行った後。ベポの一言で、食堂にいた全員の視線がおれに向いた。"ネリア"に至っては非難するような目だ。
「何もしてねェよ。今、見てただろ」
「だって、イオリいきなり泣いちゃったんだよ? キャプテンが帰ってくるまで普通だったのに」
「……おれが原因なのか?」
「今までの流れを見てたら船長さんに原因があるとしか思えないわよ」
 棘のある言い方をする"ネリア"を睨みつけるとふい、と視線を逸らされた。
 ベポが朝食はいるかと訊いてきたので頷くと、ついでに食器を下げてからおれの分を持ってきた。
「卵はイオリが焼いたんだって。こっちのスープは"おすいもの"って言って、イオリが作り方を教えてコックが作ったらしいよ」
 イオリが作ったという出汁巻き卵を食べてみる。出汁も利いているし、甘すぎず、米に合う。本人の言うことからあまり期待はしない方がいいのかもしれないと思っていたのだが、予想外に美味かった。イオリが作り方を教えたという吸い物も、コックが作ったというのもあるのだろうがおれの好みの味だった。
「……美味ェな」
「だよねー! イオリ、キャプテンが喜んでくれるかってずっと気にしてたよ」
「そうか……」
 ベポの話から察するに、今朝以前におれが何かしていたということもなさそうだ。
 あれで本気でやろうと思えば表情を隠すのは上手いから、本当は何か隠しているのかもしれない。
 食べ終えて箸を置くと、ベポがトレーを引き寄せながら予定を訊いてきた。
「キャプテン、今日はどうするの?」
「あァ……、香水の匂いが不快だからとっととシャワー浴びて昼寝でもする」
 結局昨夜はイオリを馬鹿にした女は買わなかった。口を開かなければいいものを、余計なことを言いまくる。"とにかく周りにあるものを蹴落としたい"という考えが見え見えで、気分が悪かった。同僚同士なら好きにやってくれて構わないが、クルーを馬鹿にしたとなれば話は別だ。おれは早々に酒場を出たから、あの女がどうしたのかは知らない。
 適当に買った女に相手をさせて、そのまま部屋に居ついたので寝首を掻かれるのを警戒して眠りが浅かったから、今日はとにかく眠りたかった。
「船長。もしかしてイオリ、香水の匂いが嫌だったんじゃないですか?」
 シャチが首を傾げながらそう言いだした。周囲も"あぁ、なるほど"などと言って納得している。
「何故おれだけなんだ」
 訊き返すと、シャチはにやにやと笑みを浮かべる。
「たまたま一番苦手な匂いだったとか? 嗅覚鋭いなら強すぎたとかもあるし。なァ、ペンギン」
「まァ……そうだな」
 ペンギンまでもがどこか意味ありげな笑みを浮かべている。"ネリア"に至ってはぼそりと"鈍いわね"、と呟いていた。
 釈然としないながらも、眠気が勝ったのでベポに片づけを任せて太刀を手に取り、席を立った。
「そうだ、買い出しはいいのか?」
「二日あれば十分らしいですよ。今日はイオリを休ませてやってください」
「あァ……。ペンギン、悪ィがブランデー買ってきといてくれ。夜に飲む」
「わかりました」
 部屋に戻ると、ベッドの上に白い饅頭が出来上がっていた。布団を少しめくるとやはりイオリが丸くなってすやすやと寝息を立てていた。眠っているのなら起こすこともないだろうと思い、シャワーを浴びた。
 香水の匂いがなくなると、幾分か気分もすっきりした。
 寝返りをあまり打たないため落ちる心配はなさそうだが、気になったので壁際にイオリを寄せていつものように抱き枕にした。これで起きた時に普通だったら、原因はおそらく香水の匂いだ。そう思いながら、昨晩の睡眠不足を解消しようと目を閉じた。
 結局起きたのは夕方頃。イオリは腕の中で相変わらずぐっすりと眠っていた。初日にベポと出かけて歩き回り、そのまま連れ去られて監禁され。帰ってきてからも通常の睡眠のみで買い出しに出ていたのだから、疲れに加えてストレスも大分溜め込んでいたのかもしれない。食習慣が戻ってしまうのは不本意だが、どうせ起きないだろう。不安定なイオリを部屋に一人置いておくのは憚られたが、夕飯だと呼ばれたので気にしつつも部屋を出た。
 食堂に行くとクルーたちが夕飯を食べていて、ベポと"ネリア"の座るテーブルに腰を下ろすと、ベポが食事を取りに行った。おれの前にトレーを置きながら、心配そうな表情でイオリの様子を尋ねてくる。
「キャプテン、イオリは?」
「まだ寝てる。結局原因もわからねェままだ」
「そっかぁ……」
 ふと、"ネリア"がちらちらとこちらに視線を送っているのに気がついた。
「なんだ?」
「! ……えと、あの……、お屋敷の方は、どうなったのかと思って」
「ガキのくせに気遣ってるつもりか?」
 からかうように言ってやると、バカにするなとでも言いたげな視線が向けられる。
「イオリさんのことを心配してるところに、自分の問題まで押しつけるほど子どもじゃないわよ」
「なら隠す努力ぐれェしてみろよ」
 笑いながら言うと、"ネリア"はむす、と頬を膨らませた。それから、躊躇いがちに口を開く。
「街の様子は普通だったんでしょう? おかしいじゃない……。あなたたちだって、賞金稼ぎに一度狙われたきりみたいだけれど……、それだけだなんてありえない」
「あの地主もいっそ憐みすら覚えるようなバカじゃなかったってことだ」
「……どういうこと?」
「情報が一切漏れてねェ。自分が嫌われてるのを自覚して、隙があることを隠してるんだろ。地主の家には住民も滅多に近づかねェようだしな……。報復をすれば何かあったと思われて、噂が広まればその真偽がどうであれ襲撃は確実に増えるだろうからな」
「なるほど……」
 仕返しのつもりで壊させただけだったのだが、それが報復を遅らせているのならこちらの得にもなった。
 理解はできたようだが、"ネリア"の表情は晴れない。
「頼みがあるなら聞いてやらないこともねェが?」
「……っ、お屋敷に連れて行って! どうなってるか知りたいから……っ」
 おれたちにもあの屋敷がどうなっているのかの情報は必要だ。おそらく昼間は壊したところを直しているだろうから、休んでいるであろう夜がいい。
「おい、誰か行けるか? 今から行けるんなら一番いい」
 食堂にいるクルーに声をかけると、少し考える様子を見せた後シャチが手を挙げる。
「おれ行きましょうか? バンダナも行こうぜ」
「まァ暇だからいいか……」
 シャチが声をかけると、付き合わされることになったバンダナが苦笑しながら席を立ち、"ネリア"を抱き上げた。
「こいつの父親の様子と、屋敷の修繕の進み具合を見てこい。万全の状態に戻れば報復に出てくるはずだからな……」
「アイアイ、キャプテン!」
 威勢よく返事をする二人にくれぐれも捕まるなとだけ告げて、三人を送り出した。
 他のクルーは食堂で酒盛りを始め、コックがつまみやベポ用の簡単な菓子を作り始める。
「ベポ、おれは部屋にいる。何かあったら部屋に来い」
「うん、わかった」
 ペンギンに頼んでおいたブランデーを受け取り、少し考えた後グラスを二つ手に取る。クルーたちはそれぞれのことに夢中なようで、言及はされなかった。
 賑やかな食堂を後にして部屋に戻ると、ベッドの上の布団は二つ折りにして足元に寄せられていて、シャワールームから水音がしていた。起きてから夜だとわかってシャワーでも浴びているのだろう。
 帽子を脱いで、太刀を手元に置きソファに腰を下ろす。酒を減らしながら待っていると、シャワーを浴び終え部屋に戻ってきたイオリが驚いたようにおれの名前を呼んだ。
 気まずそうに視線を逸らすイオリを手招き、隣に座らせる。何か言いたげにしながらも大人しく座りはしたが、居心地が悪そうに膝の上で拳を握って俯く。
「いつ起きた?」
「えっと……20分ほど前です……」
「体調は?」
「問題ありません。……あの、朝はその……すみませんでした」
 イオリは心底申し訳なさそうに謝るが、本人にも原因がわからないものを抑えろと言えるわけもない。
「別に気にしてねェよ」
 しっとりと濡れた髪を撫でながら言うと、イオリは安心したように小さく息を吐いた。
「あ、そういえば買い出し……っ」
「二日あれば十分間に合う。明日明後日きちんと働けばいい」
「それなら、良かった……」
「寝ちまうのは仕方ねェんだ、あまり自分を責めるなよ」
「……はい」
 どうやら、いつも起きていられた時間に眠ってしまったことで自責の念に駆られているらしい。誰の手によってもどうすることもできないことにすら責任を感じるのが、こいつの悪いところだ。
 そのことから少しでも気を逸らせればと思い、別の話題を出す。
「朝飯、美味かったぞ」
「! 良かったです、気に入っていただけるか不安でしたので……」
「お前があんまりにも謙遜するから覚悟してたが……、良い意味で外れた。もっと自信を持っていい」
 イオリは照れ臭そうに苦笑して、ありがとうございます、と呟くように言った。
 手元のグラスに視線が移るのを見て、飲むか、と訊いてみる。イオリは慌てて首を振った。
「たいして強いやつでもねェよ」
 ラベルを隠すようにビンを持ち、空いたグラスにブランデーを注ぐ。
 グラスを手渡せばさすがに観念したようで、おずおずとグラスに口をつけて傾けた。
「ローさん、これすごく強いです……」
 一口嚥下して、噎せ返りこそしなかったが顔を歪めながら不満げに言うイオリに、素知らぬ振りで"そうか?"と返す。残すわけにもいかないと思ったようで、イオリは少量しか注がなかったそれをちみちみと胃に流していった。
 次第に顔が赤くなり、ぼんやりとし始める。手元が危なっかしく見えたためグラスを取り上げてみたが、特に反応も見せなかった。しかしおれの肩……というよりは、身長差のせいか腕に頭を預け、擦り寄ってくる。
 前に言っていた、酔うと甘えたがるというのは本当だったのだな、とグラスを置きながら考えた。
 イオリにわざわざ嘘をついて強い酒を飲ませたのは、こうなるのを見越した上でのことだった。酔って自制が利かなくなると甘えだすというのは、"人に甘えていたい"という本音の表れのはずだ。そんな状態なら、隠していたとしても今朝泣いた理由をぽろっと吐き出すのではないか、そう思って飲ませた。
 されるがままになっていると、イオリはおれの片脚を跨いで抱きつき、首のあたりですん、とにおいを嗅ぐ仕草をした。鎖がじゃらじゃらと音を立てるが、イオリにそれを気にする様子はない。
「どうした?」
「やっぱりローさんは、薬品のにおいの方が落ち着きます……」
「なんだそれは」
 苦笑しながら、後頭部に手を回して髪を梳いてやると、嬉しそうに笑んでまた擦り寄ってくる。
「あの匂い、そんなに嫌いだったか?」
「いえ……、他にも同じ香水の匂いはしていましたから。でも、そうですね……」
 おれに寄りかかりながら俯いた顔は、今にも泣き出しそうだった。
「主人(マスター)にマーキングされるみたいな感覚は、確かに嫌いだわ……」
 ぎゅう、としがみつくように抱きつかれる。縋る場所を欲しているような仕草を見て、背中をあやすように叩いた。
「ククッ、主人(マスター)、ねェ……」
 イオリに忠誠を誓わせるというのは、結局は主従関係を結ぶことと変わりなかったのかもしれない。奴隷としての記憶ばかり思い出すイオリの中では、人に従うことが、即ち隷属することになるのだろう。
 初めは正しく認識できていたというのに、記憶が戻るにつれてそれが歪んでいく。
 服を握られる感覚に、ふっと意識がイオリの方に向いて。
「ローさんを支配していいのは、ローさんだけだから……」
「……!」
 ぽつり、とうっかりしていれば聞き逃しそうな呟きが続いた。ちらつくのは、桃色のコートを羽織った常に笑顔を浮かべる元上司。
「お前は何も……、知らねェはずなのにな……」
 イオリは意図していなかったのだろう、しかし核心を突いた言葉。発した本人はよくよく見ればとうに夢の中で、頬に赤みを残しながらすやすやと寝息を立てていた。
「ったく、こいつは……」
 グラスに残っていた酒を飲み干し、眠っているというのに甘えるように額を擦り寄せてくる小柄な体を抱きすくめた。


(あァ、確かにおれもこいつといると安心できる)
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