flightless bird's determination

 酒場に行く途中、イオリに向けられた視線に心臓が跳ねた。
 すぐに船長が気がついてイオリに話しかけていたが、おれがイオリを心もちではあるが疑っているということに気づかれてしまったのだろう。船長が言うとおり、イオリは他人から向けられる感情に敏感だ。好意と悪意、どちらにしても素直に受け止めるから、ベポやネリアのように好かれればどこまでも仲良くなるし、おれや街を歩く人々のように負の感情を向けられれば落ち込む。どこかで誤解を解かなければならない。
 船長がイオリを乗せると言って連れてきた時は、足手まといにさえならなければいい、と考えていた。一概に強いと言っても、誰より強い、何ができる、そんな物差しはいくらでもある。このところ、午前と午後、それぞれ三、四時間ほどずつ起きていられるようになってきたイオリは、記憶もそれなりに戻ってきているらしく、今日その強さの片鱗を見せた。正確に相手の動きを見切り、重心の移動を利用して転ばせ、外見からは想像もつかない怪力で骨を砕く。ある意味で残酷ともいえるやり方が、少しだけ怖くなったのは事実だ。
 イオリが元々奴隷とほとんど変わらない扱いを受けていて、その環境から抜け出して船長しか頼りがいないのは分かっているが、それでもイオリがすべて思い出した時に、おれたちに害をなす行動を起こさせるような記憶も思い出すのではないかと、心配だった。あれ以上の強さで、ハートの海賊団に向かってきたら。船長ですら初対面の時に殺されかけたと言っていたのだから、そうなったら勝てるかわからない。
 けれど船長が言うには、おれのその懸念こそがイオリの今までの雇い主と同じ思考の下に生まれるものであり、一番イオリが嫌がることなのだそうだ。
 船長がイオリをクルーとして受け入れた以上は、おれもそうするべきであり、過ごしやすいようにしてやるのが一番だと、わかってはいるのだ。船長がイオリを甘やかすことにだって別に不満はないし、クルーからもそんな内容の愚痴は聞いていない。むしろ、一体あの船長がなぜイオリにあれほど甘いのかと、事の成り行きを楽しみながら見ている。そうして受け入れていれば、イオリもその居心地のいい場所を守りたいと思ってくれるのは、確かなのだろう。
 己と違うものを気味悪がる……、ベポを忌む一般人と同じ考えをしているな、と自嘲的になった。
 イオリが裏切るとは到底思えないし、強いのなら手離したくもない。ただ、そう……強者の機嫌を損ねて、そのたった一度のミスで食われてしまうことが、怖いのだ。本能的な恐怖と言っても良かった。そんな臆病な自分のことも伝えて、互いに信じられるようになるしかないのだ。何でもいい、切欠が欲しい。
 そんなことを考えているうちに酒場に着き、中に入ると店主がお待ちしてました、とにこにこと笑いクルーを席に案内した。クルーが収まる程度の小さな酒場を貸切にしたので、他の客もおらず、面倒な海賊といざこざが起きることもない。イオリも好奇や侮蔑の視線に晒されることなく、食事を楽しめるだろう。
 船長はソファの席に座り、すぐ横に太刀を置く。イオリもその傍に行くのかと思いきや、いつも船長ばかり独り占めしてずるいですというクルー達の声に流され、船長も何も言わないためシャチと同じテーブルについていた。
 おれは静かに飲みたいと思っていたので、船長の傍のソファに腰を下ろした。
「なァ、酒に弱いヤツでも飲めるのあるか?」
 シャチがイオリを指差し、店主に問いかける。
「それならこの島の特産のフルーツを醸造したものがありますよ」
「あ、それならベポちゃんと街を回った時に食べました。お酒にもなってるんですか?」
 興味津々に訊くイオリに、店主はにこやかに笑い答える。
「えぇ、甘口に作られているので、女性にも人気ですよ。カクテルにしてお出しすることもできますが」
「じゃあそれでいっか。こいつにだけそれくれ」
「わかりました。あまりお酒に強くないのでしたら、エッグ・ノッグでよろしいですか?」
「はいっ」
 嬉しそうに笑い頷くイオリに店主も気を良くしたようで、他の店員に給仕を任せて奥に引っ込んでいった。
「イオリ、あのさ……、エッグ・ノッグってなんだ? おれストレートでしか飲んだことないから知らないんだけど」
 シャチが知識のなさを少しだけ恥じながら問う。イオリは分かっていて頷いているようだったので、気になったのだろう。
 イオリは少ない記憶から知識を手繰り寄せるように視線を宙に彷徨わせ、たどたどしく言葉を紡いだ。
「えぇと、牛乳と卵と砂糖を使った飲み物です。お酒を入れずに単にそういう甘い飲み物として飲むことも多いんですけど……、カクテルの作り方としてもそう言われているみたいですよ」
「へぇー。んー……、なんかイオリに負けた感じが悔しいな……」
「その言い方はないです……」
 ずぅんとベポに負けず劣らずな落ち込み方をするイオリ。しかし会話自体は楽しんでいるようで、シャチが軽く謝るとすぐに笑顔を見せていた。イオリも、普通に冗談を言い合ったりしたいのだ。そう思えば、イオリの機嫌云々を考える自分の思考がとてつもなく馬鹿らしく思えてきた。
「ペンギン」
「! はい、なんですか船長」
「イオリには言葉にした方が早ェぞ」
 こちらに視線は向けずに、あくまでさり気なく言われた。同じテーブルを囲むクルーは首を傾げていて、しかし船長はそれを気にする様子もない。何にしろ、いつもべったりな船長でも、話すタイミングはくれるようだ。
 給仕が一通り食事と酒を並べ、イオリにもカクテルが出てきたところで、船長の音頭により乾杯をした。島に着いてから一度は酒場で飲むのが当たり前になっているが、今回はイオリの帰還祝いも兼ねている。
「そういや、前の島でイオリが見つけたとか言ってた財宝はどうだったんだ?」
「あァ、おれ換金に行ってきたけど、結構な額になったぞ! あ、ペンギン、金はお前の部屋に置いてきたから! 証書はこれな」
「明日あたり確認しておく、ありがとう」
「おー」
 受け取った証書は、一度目を通してからポケットに入れた。
 イオリはカクテルが気に入ったようで、食べているのは果物ぐらいだったが、いつもより食が進んでいるようだった。
 酒が入って、飲み比べや悪ふざけなどが増え始めた頃。酒場の入り口のウエスタンドアがぎぃ、と音を立てて開き、来客を知らせた。
 貸切にしたはずだし、それも表に表示がされていたと思うのだが、間違ってきてしまったのだろうか。船長はそちらを見て突然不快そうに顔を歪め、おれもその視線を辿り入り口を見る。
「チッ……」
 船長の露骨な舌打ちも、今は咎める気にならなかった。
 店に入ってきたのは、間違えてきた他の客ではなく、娼婦の集団だった。どうせ店員か何かがその手の店に連絡を入れたのだろうが……今はイオリがいるのだ、予め他のやつらにイオリの前で女は買うなと言った意味がない。
「ねぇ、本当に賞金首のトラファルガー・ローよ!」
「本当だわ! やっぱりかっこいい……!」
 クルーは困惑したような表情を見せるが、イオリはその娼婦たちに一度視線を向け、特に何の反応を見せるでもなくカクテルの入ったグラスにまた口をつけた。船長も黄色い声など聴こえなかったかのように、ジンを呷った。表情こそ違えど、二人とも似たような反応をするんだな、と少し面白おかしく思う。
 船長は娼婦たちが近づいてくると、太刀を引き寄せ背凭れに立てかけたそれに腕をかけた。
 密着して座られても、不機嫌そうな表情のままだ。話しかけられても、あァ、いや、と二文字の素っ気ない返事ばかり。しかし元々あまり外に良い噂の流れない船長であれば、それすらもかっこいいと言う理由になるようで、女たちも別段不快な様子は見せなかった。
「ふぁ……」
 媚を売るような声も混じった中、ぽやっとした可愛らしい欠伸の声が耳に入る。イオリが眠くなってきたようで、シャチに勧められて宿に戻ることにしたようだった。
 席を立って船長の傍に近づいたイオリは、ソファの後ろに立ち、背凭れに手を添えて喧騒の中でも聞こえるように身を屈めた。
「ローさん」
「あらぁ、なぁに、あなた? 私たちに船長さんを取られて不満なの? 貧相な体のくせして随分自信があるのねぇ」
 船長に返事をさせる間もなく、イオリの足元に視線をやり、見下すように笑う娼婦。性奴隷とでも勘違いしているのだろうか。
 その言葉を聞いていた近くのクルーは、一斉に黙り込んだ。次に誰がどんな行動に出るのかと、内心はらはらとしながらことの成り行きを見守る。
 しかし当のイオリは何の反応も見せることなく、女をちらりと一瞥しただけで言葉を続けた。
「私、そろそろ眠くなる時間だと思うのでもう宿に戻ります」
「もうおねむの時間なの? 子どもねぇ」
 そう言い、けらけらと笑いながら豊満な胸を自分の腕に押しつける女を船長は気にすることもなく、イオリの顔を見て少しだけ表情を和らげ返事をした。
「あァ、外した包帯はテーブルに置いとけよ。ベポが面倒見てくれるはずだ」
 自然に治るのを待つことにしたという腕と足には、今は包帯がぐるぐると巻かれている。曲げるのに支障がないようにと避けた肘や膝にも傷はあって、傷だらけなのが一目瞭然。女はまたそれに目をつけ嫌味を言うが、イオリはもうその女に視線を向けることすらせず、船長の言葉にひとつ頷いて、鎖を左手に巻き取って酒場を出て行った。
「せ、船長! おれ、心配なんで宿まで送ってきます!」
 大分重たくなった空気に居た堪れなくなったらしいシャチが立ち上がり、それだけ言って酒場を出ていく。
「おれも行ってきます」
 イオリには聞きたいことも言いたいこともある。船長は帽子で隠したおれの目を覗くような視線を向けてきた。しかし止めることもしない。それを都合よく許可ととり、急いでイオリとシャチの後を追った。
 酒場を出ると、すぐのところでシャチがイオリを捕まえていた。声をかけると、二人とも振り向いて目を瞬く。
「ペンギンも来たのか」
「少しイオリと話したくてな」
 そう言うと、シャチは頭の後ろを掻きながら苦笑した。
「あー……、うん、おれも」
「話……?」
 こて、と首を傾げたイオリに歩きながらでいいと告げ、宿に向かい歩きながら話を切り出す。
「なんであの場で反論しなかったんだ?」
「反論?」
「あれはどう考えてもイオリを馬鹿にしてただろ? 怒ってもよかったと思うぜ?」
 イオリは巻き取った鎖を指先で弄びながら、困ったように笑んだ。
「いえ、その……事実、ですし……。それに、空気を悪くしてしまったら、皆さんがお困りになるでしょう?」
「困る……って」
「その、男性にもいろいろあるのは、私にもわかりますので……」
 少女のような見た目のせいですっかり頭から抜け落ちていたが、イオリは船長と同じ年齢であり、記憶はなくとも知識はあるのだ。あの場に女が来たことの理由も、わかっていたのだろう。
「……すまない、言いづらいことを言わせてしまったな」
「いえ、大丈夫です。それに……怒れ、と言われても、どうしたらいいのかわかりませんので。別にどうとも思いませんでしたし……」
 どんな感情を抱けばいいのか、さっぱりわからないと首を傾げるイオリ。
「いやァ、女ならさ、やっぱり胸はデカい方がいい、とかあるんじゃねェの? 個人差があるそういうことバカにされたら悔しいと思うんだけど」
「おいシャチ、露骨過ぎだ」
 しかしイオリはその発言にも嫌悪感を出すことはなく、ただ苦笑した。
「確かに、酒場にいた女の人たちのスタイルは羨ましいな、とか思うことはありますけど……、でも別に、ああなりたいとか、そうは思わないんです。何かを手に入れるのには、どうしたって代償というものが必要ですし」
「急に哲学的な話になったなオイ……。それで、イオリにとってこれさえあればいいってものは何なんだ?」
 おれの疑問を、シャチがそのまま口にする。
「私……、まだ全部ではないし、戦うために一番必要なことも思い出せていませんが、それでも、自分が何を得意として、どんな風に戦い、どのような仕事をしていたのかは、思い出しました」
 イオリにとっては過酷な仕事であったはずなのに、それを語る表情はとても穏やかだ。
「記憶の中の私は……、銃弾を受けても、斬りつけられても平気でした。そんな丈夫な体だから、私は護衛の仕事を得意としていました。ローさんについていくと決めた時……、私はこの力をローさんのために、クルーの皆さんを護るために使うと、誓いました」
 自分で立てた誓いを確かめるかのように、イオリは胸の、心臓のあるあたりに手を当てる。
 それから少し俯き気味だった顔を上げ、にこ、と控えめに笑顔を浮かべた。


「だから、私は皆さんを守ることのできるこの身さえあれば、それでいいんです」


 ずきり、と胸の奥が痛むような感覚。知らなかったとはいえ、イオリの誓いを疑うようなことを考えていた自分。この痛みはきっと、罪悪感だ。
「イオリ……、おれは正直、今日お前を見て少し怖くなっていた。イオリの力の矛先が、何かの間違いでおれたちに向いたら……と」
 わかっていたとでも言うかのように、苦笑するイオリ。
「船長から、そういう考えがイオリを追い詰めるんだと聞いてもいるんだ」
「仕方のないことですよ。ローさんは多分……、面倒だから話さないのだと思いますが、皆さんにとってはよくわからない新参者でしかないですし」
「ペンギンはほんっと物事に慎重だよなァ! いいことだけどさ」
「ふふ、そうですね」
 シャチのからかうような、けれど空気を変えようと気を遣った言葉に、イオリも便乗して笑んだ。
「……気にしてないのか?」
「気にしていないわけではないですが……、でもきっと、これは時間が解決してくれることですから」
「そうか……、すまない、ありがとう」
 イオリはふわりと笑顔を浮かべて、安心させるように頷いてくれた。
 初めの頃ははっきりとした物言いもせず心配していたのだが、今のイオリには自我や望み、考えもちゃんとある。使い勝手のいい奴隷ではなく、頼もしい仲間になるべきなのだ。畏怖の感情がなくなるのには、イオリの不安定さが取り除かれるまでの時間が必要ではありそうだが。元々気の長い性質なのだろう、イオリ自身は話の後は酒場に行く途中に向けてきた視線をこちらに送ることはなくなった。あとはおれ次第、というわけだ。用心深いということは、裏返せば臆病だということでもある。そんな性格のために仲間を信頼できないのでは意味がない。
「ケンカでもしたのかと思ってひやひやしたぜ」
「おれとイオリでどうケンカするんだ」
「ん? んー……、船長をたぶらかしてんじゃない! とか?」
「アホか。イオリがそんなことするわけないだろ」
 イオリがおれたちの会話を聞いて、楽しそうに笑う。特異な能力を持ってはいるが、イオリもおれたちと変わらない人間。そう思えば、疑っていた自分の考えがひどくバカらしく思えて。イオリのことを信じるのも、案外簡単なことかもしれないと思えば、とても気が楽になった。
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