cautious or cowardice

「船長、戻りました!」
 ノックの音の直後、少し急ぎ気味に言うペンギンの声。
「入っていいぞ」
 読んでいた医学書に走らせていた視線を上げ、本をテーブルの上に伏せながら許可を出すと、ペンギンが眠い目をこするイオリの手を引いて部屋に入ってきた。
「イオリが眠そうなんで急いで連れてきたんですが……」
「あァ、ご苦労だったな」
 部屋に着いて限界がきたのか、ふら、と傾ぐイオリの体をソファから立ち上がり受け止める。ペンギンにソファに座るように言い、イオリを抱き上げてベッドまで運び寝かせた。
 イオリはベッドに落ち着くとすやすやと寝息を立て始めたので、顔色が悪くないかだけ確かめて問題はないと判断し、布団をかけてやってからペンギンの向かいに座る。
「どうだった、イオリは。少しは役に立ったか?」
 伏せて置いていた医学書に栞を挟みながら訊く。ペンギンは見えている口だけで嬉しそうな表情をした。
「少しどころか、大いに役に立ってくれましたよ。イオリがリヤカーを引いてくれて、おれとコックは崩れないように注意するだけで済みました」
「そうか」
「それと、最低限の自衛ができるぐらいには記憶が戻ったようでした」
「! ……詳しく聞かせろ」
 ペンギンはこくりと頷き、その時のことを思い起こすかのように顔を僅かに斜め上に向ける。
「荷物を船に運ぶ途中だったんですが……、賞金稼ぎに人質として狙われたんです。おれがほとんど倒したんですが、イオリも取りこぼしを倒してくれて。相手を転ばせて骨を折る、っていう戦い方をしてました」
 初対面の時の交戦、撃ち込まれた記憶からはあまり想像のつかない、もたもたとした戦い方だ。単に思い出した中でできる範囲のことをしたのだろう。
「なら、まだだ。あいつは本来の力の欠片も出せてねェ」
「な……、あれで……ですか?」
 ペンギンの驚いた表情に、自然と口角が上がる。
「碌に戦えねェイオリが、そんなに強かったか?」
「おれは……、イオリを頼もしいと思うと同時に、不安にもなりました」
 おれの問いに明確な答えは返さず、俯いて濁しながら懸念を吐き出すペンギン。
「矛先が自分たちに向いたらと思うと……か?」
「……はい」
 クルーからすれば、イオリはおれが無人島でいきなり乗せた新入りに過ぎない。言う必要もなかったので細かい事情は話していないが、ハートの海賊団の脅威になり得る力を持っているとなれば、話は別なのだろう。
「まァ……、確かにそうかもな。おれも初めて対峙した時は殺される寸前だった」
「は……っ!?」
 正直に言って、記憶を取り戻したイオリとは二度とぶつかりたくない。細いのに皮膚を突き破らんとした指、感情を映さない眼。傭兵として有能だったことに加えて悪魔の実の能力を無効にできる力があるのなら、海軍、海賊、賞金稼ぎ、ありとあらゆる立場の人間が欲しがるだろう。そしてその誰もが、おれと敵対することになる。
「それなら……」
「イオリを手離すか? それで行き場のねェあいつが他所へ行ってみろ……間違いなく敵対関係になるだろ」
「…………」
 苦虫を噛み潰したような表情をするペンギン。イオリの忠誠を知らず、用心深い性格をしているからこその心配なのだろう。
 その慎重さは評価できるが、今の状況においては昔からの権力者の愚考そのものだ。
「……今のお前は、金はあるが力と知恵のない人間と同じ考え方をしてるぞ」
「?」
「別に、お前の用心深さを否定するわけじゃねェ。だがな、ことイオリに関してはその考えを変えろ。あいつは力はあるが知恵がねェ。誰かの下でなきゃ世渡りできねェんだよ。ペンギン、お前が圧倒的な力を持っていて、だが誰かに知恵をもらわなきゃ生きていけねェ状況にあるとしたら、とことん搾取しようとするヤツと、居心地のいい場所を提供してくれるヤツ。どっちを守りてェと考える?」
「……船長は、そんな考えでイオリの面倒を見ているんですか」
 どこか苛立ちの含まれた声色。その考えもないわけではないが、イオリを一人の人間として、クルーとして航海について来させたいという思いの方が強い。
「あくまでお前の考えを変えさせるための例えだ。イオリを怯えさせて余計な疑心を生まねェほうが身のためだとわかっただろ?」
 ペンギンは小さく息を吐き出し、観念したように頷く。
「えぇ……まァ」
「イオリも随分そのことで悩んでいたようだったしな……。どうにもイオリが気に食わねェというんならまた考えるが、そういうわけじゃねェだろ」
「はい。懸念はあるし言わせてもらいますが、船長の判断に文句を言うつもりはありません。イオリの性格からは裏切るとも考えられない」
「なら、しばらく様子を見ていろ。あいつは敏感だから、気になるなら率直に聞いてみたっていい」
「……わかりました」
 ベポも同じような悩みを抱えているが、イオリも過去の雇い主に散々気味悪がられながら生きてきている。刃物も鈍器も銃器も効かない丈夫過ぎる体、傷を負ってもすぐに治る驚異的な治癒力。獣同然の、鋭い五感。人は己と違うものを嫌悪する。その力を欲しいと言いながら、同時に恐怖している。
「ペンギン、お前は地主の家の地下牢でイオリが傷を治すのを見たな。どう思った?」
「? どうって……、すごいなァ、と」
 不思議そうに、しかし純粋な感想だけを述べるペンギン。シャチもおそらくそんな感想しか抱いていないだろう。
「お前は万が一を考えていたんだろうが、そう思えてるんならイオリが裏切ることなんかまずねェよ」
 イオリは一度旅団に手放されてから、雇い主が自分に怯えながらも他所へやるまいと実力行使に出る度に、追われないように追っ手に二度と戦うことができないような怪我を負わせて逃げ回っていた。そうしてまた条件の合った雇い主が現れれば、そこでしばらく護衛の仕事をして同じことを繰り返す。その日々の末、旅団が仕事に必要だからと拾いに来たところで、イオリ自身の記憶は途切れている。
「力を畏怖するあまりに縛りつけようとするから、しっぺ返しを食らうんだよ」
「……そうですね。すみません」
「いや。そういやあのガキは?」
 落ち込む様子を見せるペンギンの気を紛らわせるため、話題を変える。
「ネリアなら、食堂でベポと本を読んだりおやつ食べたり、のんびりしてますよ」
 その姿が、容易に想像できた。
「呑気な上に自由だな、あいつ……」
 イオリも戻ってきたし、今日あたり酒場にでも行こうかと思っていたのだが。今回は海賊の滞在が多くベポみたいなのがいてもあまり気にされない。普段はだんまりを決め込んで太刀を抱えているベポも、楽しめるだろうと連れて行く気でいた。
「ペンギン、今夜は酒場に行くつもりなんだが、誰か留守番引き受けそうなヤツはいるか?」
「ベポが残ってくれるって言ってましたよ。ネリアに懐かれたのが嬉しかったみたいで。ネリアもイオリがいなければベポにくっついて回ってるんで、問題ないと思います」
「ならいいか」
 ベポが自分で残ってもいいと言ってくれているならそれでいい。
「イオリを連れて行くつもりだから、女ならイオリが帰ってから買えと伝えておけ」
「わかりました」
 ペンギンに金を用意しておくように言うと、了承して部屋を出て行った。
 読むのを中断していた医学書を開き、イオリが目覚めるまで時間を潰した。


 部屋の中が橙色に染まった頃、イオリがベッドの上でむくりと身を起こした。
「おはようございます、ローさん」
「あァ」
 文字を追っていた視線を上げ、医学書に栞を挟んでテーブルに置く。
 イオリはかけられていた布団を畳み、ベッドから降りてきておれの向かいのソファに腰を下ろした。寝起きでぼけっとはしているが、特に体調が悪いということもなさそうだ。
「イオリ、今夜酒場に行く。嫌なら無理に来いとは言わねェが、どうする?」
「いいんですか?」
「あァ。あいつらもお前を連れ戻したら宴がやりてェとか言ってたからな。単に酒が飲みたいだけだろうが」
 船に乗ったばかりの時の食堂でのことを思い出したのか、くすりと笑むイオリ。
「ふふ、それなら同行させてもらいます」
 つい今まで寝ていたため、身だしなみを整えてきたいと言うイオリにロビーで待っていると言い、部屋を出た。ロビーに行くとクルーが集まっていて、イオリが起きたばかりだということを伝える。
「キャプテン、おれとネリアが留守番になったよ」
「あァ、頼んだ。イオリが早めに帰ってくるだろうから、今のお前の部屋で一緒に寝てもいいぞ」
「ほんと!? ネリアも一緒にいい?」
「好きにしていい」
 もう"ネリア"に害があるとは思っていない。初めは監視の為にペンギンやベポの傍に置いていたのだが、今はそれよりも地主の息子という外見に釣られ現れそうな人攫いへの対策の方が強い。イオリに憑依しようなどとはもう思っていないようだし、一緒にいさせても問題ない。
 ロビーと二階を繋ぐ階段からカシャカシャと鎖の鳴る音がし、そちらを見るとイオリが慌て気味に階段を降りてきていた。
「すみません、お待たせしました」
「これで全員揃ったな。行くか」
 ベポと"ネリア"の見送りを受け、貸切にした酒場へ向かう。
「イオリ、今日は酒飲むのか?」
「強いのは飲みません……」
「はは、だよなァ! 無理に飲ませんなよお前らー」
「わかってるよ、シャチじゃあるまいし!」
「おれだって飲ませねェよ!!」
 鎖の音は賑やかな会話や夜の街の喧騒に紛れ、街を歩く人間の視線は悪い噂の流れる賞金首のおれの顔に向く。イオリもそれに安心しているようで、クルーとの会話を楽しんでいた。
 ふと、イオリがちら、とペンギンに視線を向けた。
「……!」
 たとえ眠っていたとしても、イオリの傍で会話をしたのがまずかったのかもしれない。今思えば、イオリがおれの気遣いに戸惑うような表情を見せ始めたのも、寝ているイオリの傍でベポと会話した後からだったような気がする。記憶を失う前の感覚は残っているのか、周囲の音で眠りが浅くなってしまったのだろう。
「イオリ、どうかしたか?」
 ペンギンに向かっていた意識を逸らすために、問いかけてみる。イオリははっとしたように顔をこちらに向け、首を横に振った。
「いえ……、なんでもありません」
 少しだけ困惑を含んだ、誤魔化すような微笑。
 問い詰めたところで、イオリは何も言わないだろう。信じられるようになれと、おれから言ったばかりなのだから。
「……無理には聞かねェが、おれに頼りてェんなら遠慮はするなよ」
「はい、……ありがとうございます」
 イオリの表情は晴れない。おそらく切欠がなければどうにもならないのだろうと、その切欠をどう作るか頭の隅で考えながら、着いた酒場の入り口を潜った。
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