calm rest

 目を開けると、そこは冷たい石の床の上ではなく。真っ先に視界に入ったのは年季の入った温かみのある天井だった。
 眠る前のことを思い起こすと、ローさんが私の鎖や拘束具を外して、助けてくれたことがわかる。そう、確かその後、安心して眠ってしまったのだった。
 ベッドに寝かされていた体を起こそうと身じろぐと、ソファの方から落ち着いた低い声が飛んできた。
「……目が覚めたか」
「ロー、さん……」
 太刀をソファに立てかけたまま、ローさんは立ち上がって近づいてくる。
 起き上がろうと動くとそれを手伝ってくれて、ベッドに腰掛けて背中を支えてくれた。
「昨夜、お前を連れ帰った後ベポに体を拭かせて着替えさせた。あとでベポに礼を言っとけ」
「はい……」
 腕にはいくつも切り傷や打撲の痕があって、手を拘束していた鎖の痕がくっきりと残っている。切り傷の方は塞がりはしているらしく、なぞるとざらざらとした感触があった。埋め尽くさんばかりにできた傷のついた肌は、明るい場所で見ると自分のものだとわかっていても気持ちが悪い。
「……傷はだいぶ減ってるな」
「そう、なんですか?」
「あァ。昨日はもっと数が多かった。お前の能力の系統が、体を丈夫にするのが得意なものらしくてな。傷の治りも早いらしい」
 確かに、傷をよくよく見てみればほとんど治りかけているようなものもある。今以上に、傷があった……。ベポちゃんにはいやなものを見せてしまったな、と申し訳なく思った。
「そんなわけだ、小せェ切り傷はすぐに治るから、体力を消耗しねェためにも放っておいていい。治した方がいいのは打撲だ。ひとまず、内臓傷めた打撲がどれかわからねェから、腹の傷を片っ端から治せ」
 ローさんは一度バスルームに行き、バスタオルを持ってきて私の肩にかける。その上こちらを見ないように背を向けてくれることをありがたく思いながら、ワンピースの肩紐をずらしてお腹を出し、いくつもある殴打の痕をひとつひとつ治していった。ネリアさんに言われて、見えるようになったもの。これがなんなのか、ローさんにわかるだろうか。
「ローさん」
「なんだ?」
「私、ネリアさんに言われて体から出る……湯気のようなものが見えるようになったんです」
「あァ、それはお前のところでは"オーラ"というらしい。五感を鋭くする時や、傷を治す時にそこにオーラを集めてるはずだ」
「はい、確かにそうです」
「オーラはお前にとって戦う上で一番重要なものだ。記憶が戻ればきちんと扱えるはずだから、今は気にしなくていい」
 前の世界では当たり前だったものが、この世界では違う。その違いを知っているのも、今はローさんだけ。私はこの人から離れてしまったら生きてはいけないのだと、つくづく思う。
 オーラが見えなかった時よりは、上手く集中できているかどうかがわかりやすいから傷の治りが早い。お腹にあった痣が全部消えたので、ワンピースを着直して肩にかけられていたバスタオルを畳んだ。
「ローさん、お腹の痣は治しました」
「あァ。……あとは、足首か」
「……?」
 バスタオルを脇に置いて、伸ばしたままだった脚を曲げ、足首を見る。
「……あぁ」
 足枷の上の部分についた、拘束具の痕。オーラを集めるとすぐにそれは消えて、あとには何も残らない。きっとこの下にある足枷に隠された場所にも、痣はできているのだろう。一生外れないのだから、気にしてもしかたがないのはわかっている。
「イオリ?」
 少しだけぼーっとしていた頭が、名前を呼ばれることではっきりとする。
 ベッドから足を下ろしてローさんの隣に座るかたちになると、塞がった米神の傷を撫でられた。自分で頬に触れると、いくつも切り傷があるのがわかった。
「顔の傷も治すか?」
「あ、はい……」
 自分で触れた傷に、意識を集中させてみる。線状にざらざらしていたところが、元の状態に戻った。
「傷があるとわかれば、鏡も必要ねェんだな。まァ、戦闘の最中にそんな条件があるんじゃ不便すぎて使い物にならねェか」
「確かに……」
 手で触れてわかるところを治し終えると、ローさんが傷を見て場所を教えてくれた。
「腕と脚は包帯巻いて隠しとくか」
「でも……」
「傷を隠すだけだ、洗濯して消毒すれば再利用できる。待ってろ」
 私に何かを言わせる間もくれずに、部屋を出て行ってしまうローさん。私の言いたいこともわかって丸め込んでしまう勘の良さには、舌を巻くばかりだ。
 ローさんは短時間で紙袋を抱えて戻ってきて、私の腕を取ると包帯を巻き始めた。……今しか、ない。
「あ、あの……っ、すみませんでした……!」
「? ……何がだ」
 必死で切り出したのに、どこかきょとんとした顔で聞き返されてしまい、勢いが削がれる。
「あれほど、気をつけろと言われたのに……、結局、皆さんに迷惑をかけてしまいました……」
「あァ、そんなことか」
 なんてことないと言うかのような言葉に、思わずローさんの顔を見上げる。その顔は不機嫌でもなんでもなく、私が腕を曲げやすいように何度か巻き直すのに真剣だ。
「怒らないん、ですか……?」
「なんだ、怒られてェのか」
「ち、ちがいます!」
 からかうような笑みに、すぐさま反論した。怒られたいわけではない。……けれど、いっそ怒ってくれた方が良かったとさえ思った。
 ローさんは私の顔をじっと見て、それからまた私の腕に視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「……おれは、確かにお前を他の勢力に渡したくないと思ってる」
「!」
 ベポちゃんが、一昨日話したことをローさんに伝えたのだろうか。
 その先の言葉を、聞きたいけれど、聞きたくない。耳を塞いでしまいたいのを堪えて、続きに耳を傾ける。
「だがな、お前の面倒見ることを嫌だとか、面倒くせェとか、そんな風に考えたことは一度もねェよ。……お前を奴隷としてじゃなく、一人の人間として扱ってやりたいのも本心だ」
 望んでいた以上の言葉に、じんわりと胸の奥が温かくなる。ぽろ、と目から滴がこぼれた。
「おい、なんで泣く」
「すみません……。あの、悲しいわけではないので……」
「フフ、イオリは泣き虫だな」
 口調はからかう時のそれなのに、少しだけ歪んだ視界に映るローさんの表情はとても優しい。
 彼のことを少しでも疑った自分が、とても恥ずかしかった。
「……お前に他に行き場がないのはわかってる。お前の以前の雇い主のように、最低限の食事と寝床だけ与えてやっても良かったかもな。だが、おれはイオリをクルーとして受け入れたし、あいつらもそれを不満には思っていない。昨日だって、早朝から起き出してお前を探す準備をしていた。お前が心配で寝られねェっつってな」
「そう、だったんですか……」
「あァ。過去の経験もあるんだ、疑うのはしかたがねェ。だが、ゆっくりでいい。おれのこともあいつらのことも、信じられるようになれ。お前はハートの海賊団のクルーだ」
「……はい!」
 はっきりとした返事に、ローさんは満足げに頷く。
「腕は、この巻き方でいいか?」
 軽く腕を動かしてみるけれど、動きにくいということはない。頷くと、反対の腕にも同じように手早く巻いてくれた。
 脚の方も、ワンピースで隠せるあたりから足首にかけて、動きやすいように包帯を巻いて傷を隠される。
 遠慮はしたけれど、やっぱりこんなにもたくさんの傷がついた体を見られるのは、相手を不快にさせるかもしれないという点でも嫌だったから、安心する自分がいた。
 コンコン、とノックの音がして、扉の向こうからベポちゃんの声が聴こえた。
「キャプテン、コックがキッチン借りてお粥作ったって! イオリ起きてる?」
「あァ。入っていいぞ」
 ベポちゃんが扉を開けて、私の姿を見るなり慌てて駆け寄ってきて、ぎゅっと腕を回してきた。
「イオリー! 良かった、元気で……! ごめんね、おれが目を離したばっかりに、ごめんね!!」
「私は平気です。ベポちゃんは怒られませんでしたか……?」
「お前が連れ去られた時の状況は聞いてる。お人好しのベポには、無視する方が難しかっただろ。誰も怒っちゃいねェよ」
「うん、もちろんイオリのことも誰も怒ってないから、はやく皆のところに元気だよって教えにいこ!」
 許可を求めて視線を向けると、ローさんは立ち上がって太刀を手に持った。
「おれも腹が減ったからな。ベポ、行くぞ」
「アイアーイ!」
 ベポちゃんは私を抱き上げて、急ぎ足で食堂へと向かう。
「皆ーっ! イオリ起きたよ!」
 盛大な音と共に開け放たれた扉に視線が集まり、次に私へと移る。
「イオリっ!」
「おう! 元気そうだな! 良かった良かった」
 クルーの皆は顔を綻ばせて、おかえりと言ってくれた。
 ベポちゃんに降ろされて、少しだけふらつく体で席に誘導される。テーブルには、地主の息子に憑依したネリアさんがいた。
「あ、イオリさん!」
「……ネリアさん」
 私はネリアさんの正面に座らされて、隣にローさん、斜向かいにベポちゃんが腰を下ろした。
「良かったわ、元気そうで」
「元凶が何言ってやがる……」
 ネリアさんがにこにこと私に向けて言うと、ローさんが溜め息を吐きながら忌々しげに呟く。ネリアさんはそんなことを気にする様子もなく、笑ったままだ。
「どうしてネリアさんがここに?」
「こいつがガキ本人にバラされた父親を見せるわけにはいかねェって言うんでな」
「戻して差し上げればいいのでは……」
「仕返しの意味がなくなるだろ」
「そ、そうですか……」
 多分もう、何を言っても意味を成さない。ネリアさんには敵意はもうないようだし、このままでも大丈夫だろう。
 考えなしに協力してしまったけれど、ローさんたちには警戒はしつつも面倒そうな様子もない。ネリアさんも、根は悪い子というわけではなさそうだ。これからどうするのだろうかと頭の隅で考えながら、ベポちゃんと和やかに話すのを微笑ましく思いながら眺めた。
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