exalted kidnapper

「はー、この島の果物、すっごくおいしいね!」
「はいっ、とっても」
 この島では特産の果物を使ったスイーツが人気らしく、転々とそれを扱ったお店があった。ベポちゃんは大きな体に見合う量を食べていて、私はといえばそれを見るだけでお腹がいっぱいな気分で、クレープの後はジェラートを一口もらったきりだ。別にお腹も空かないし、まだまだお昼までは時間がある。ローさんにはできるだけ三食食べるようにしろと言われているので、これ以上食べてもその言いつけを破るだけだな、と止めておいた。
「結構歩いたね」
「そうですね」
「……うん?」
 不意に、ベポちゃんがすん、と鼻を動かした。
「どうかしましたか?」
「あ、もしかして。……イオリ、ちょっとそこに座って」
 ベポちゃんが指差したのは街のあちこちに置いてある休憩用のベンチだ。言われるまま、ベンチに腰を下ろす。
 私が腰を落ち着けると、ベポちゃんは私の正面にしゃがみこんで、足首をとって持ち上げた。それから、じっ、と私の足の裏を凝視して、ぷにぷにとした肉球で撫でる。くすぐったさに身を捩りたいのを我慢していると、ベポちゃんがあっと声を上げた。
「やっぱり! イオリ、足の裏切れちゃってるよ」
「えっ」
 自分の足の裏が見えるように膝を曲げて、傷を確認してみる。確かに、何かで切ったのだろう傷ができていて、薄らと血が滲んでいた。
「ほんの少しだけど血のにおいがしたから、どうしたのかなって思って。治せる?」
「……はい」
 耳にするのと同じように、意識を集中。少しだけ時間がかかるけれど、傷は綺麗に治った。
 ベポちゃんは他に傷がないか確認してくれて、何もないとわかると、よし、と言って立ち上がった。
「どこかに石か何かが落ちてたんだね」
「そうみたいですね……」
「大丈夫? おれ、イオリのこと抱っこして歩けるよ?」
「いえ、大丈夫です。宿に着く前にまた診てくれますか?」
「うん! じゃ、次行こ」
 どうやらベポちゃんにはまだまだ足りないらしい。
 すんすんと鼻を鳴らしながら歩くベポちゃんを微笑ましく思いながら、周囲に視線を走らせる。大丈夫、あの親子も、使用人らしき人もいない。
 比較的街の中央に寄ってきたから、少しだけ心配になったのだ。
 通りがかる親子連れがベポちゃんを見て着ぐるみか何かと勘違いして寄ってきたりというのはあったけれど、私もベポちゃんも問題を起こす気はないので、ベポちゃんが少しだけ遊び相手をするのを傍で見ていた。あとからつなぎにプリントされたジョリー・ロジャーに気づいて親が謝ってきたりもしたけれど、騒ぎを起こす気はないから、と言えばほっとしたような顔を見せた。
 いくら海賊に慣れているとはいっても、性質の悪い人たちも相手にしているから、そんな態度になってしまうのだろう。
「ベポちゃん、人気者ですね」
「うん、ここだとね。賑やかな街だし、海賊もたくさん来たりするから。人の少ない村とか町だと、皆びっくりしちゃうんだ……」
「なるほど……。山の近くだと熊は確かに驚かれそうですね」
「おれ、人間を襲ったりしないのに」
 人を見た目で判断するなとはいうけれど、そもそも人間が最初に得る情報は視覚からのものだ。だから、仕方がないといえば仕方がない。
「あ、そろそろ街の真ん中だ! シャチがね、この街の中央は噴水広場なんだって言ってたんだ!」
 耳を澄ませば、確かに水の音が聴こえてくる。ベポちゃんは行き交う人より身長が高いから、もう噴水が見えているのだろう。
「着いたら休憩しよっか。たくさん歩いたもんね!」
「はい」
 少し歩いて着いた噴水広場には、家族連れやカップル、ペットの散歩をしている人など、いろいろな人がいた。街の中央なのだから、これだけ賑わっているのも当然だ。
 近くを通り過ぎる人は私の足元を見てはぎょっとしたような表情をして、それから私を連れるベポちゃんのつなぎに描かれたジョリー・ロジャーを見ると、納得したように目を逸らして行く。お店の人はあまりそういったことを表に出さないけれど、そういった責任もない一般人はそれを隠さない。気にしないとは言ったものの、やはり少しだけ居心地が悪い。
「イオリ、あそこに座ろうよ」
「はい」
 ベポちゃんが真白な手で示したのは、広場の隅のベンチ。自然と避けていく人の間を通り抜けて、二人並んで座る。
 休んだ後はどうしようか、と二人相談していると、ふと聴こえてきた子どもの泣き声。それと一緒に、男の人たちがその子どもに罵声を浴びせる声も聴こえてきた。
 ベポちゃんにもそれが聴こえたらしく、お互いに顔を見合わせる。
「イオリ、今の聴こえた?」
「はい。……どうしますか?」
 優しいベポちゃんのことだから、助けたいと言うのだろう。
「おれ、助けてあげたい……」
 やっぱり。けれど私から目を離してはいけないという責任も感じて、迷っているのだと思う。
「私、ここで待ってますよ」
「でも……っ」
「一緒に行っても邪魔になってしまうでしょう? 音は私たちの後ろの路地から聴こえていますし、近いはずですから」
「ありがとう、イオリ! すぐ戻ってくるけど、何かあったらちゃんと呼んでね!」
「はい」
 ばたばたと駆けて行ったベポちゃんを見送り、ベンチに座ったまま待つ。
 少しして、背後に人が立つ気配がして。ベポちゃんではない、と思いつつ振り返る前に首を掴まれ、何かが首にぷすりと刺されたのがわかった。
「な、にを……!」
 ベンチから立ち上がり、首を掴む手を振り払う。体ごと振り返って確認すれば、そこにいたのは先程の貴族の護衛の一人。
 がく、と膝から力が抜けて、尻餅をついてしまった。
「……っ!?」
 たった今、首に刺されたものは注射だったのだろうか。だとすれば体に力が入らないのは、筋弛緩剤か何かを打たれたからだ。
「存外簡単に引っ掛かったな、あの海賊。君には、私と共に来てもらう」
「ベポちゃ……っ、ぐっ!」
 名前を呼ぶ前に、口を塞がれる。ベポちゃんが戦っているとすれば、今の声だけでは気づくわけがない。
 完全に油断した――!!
 おそらく子どもは何も知らない、一般人だろう。けれどその子を酷い目に遭わせているのは、彼らの仲間だというわけだ。
 周りにいる人たちは何事かとこちらを見るけれど、地主の部下だと分かっているからだろうか、そのまま足早に通り過ぎていく。
「坊ちゃんがどうにも諦めきれないと言うのでね。監視をつけて、別行動を取ったところを狙わせてもらったというわけだ」
「……っ」
 護衛の男は私の正面に片膝をついて屈み、そう言って私を肩に担ぎあげた。
「"死の外科医"トラファルガー・ロー率いるハートの海賊団が聞き込みに回るだろうが……、言えばどうなるか、わかっているな?」
 威圧的なその声に、周囲の人間が頷く気配。ここで情報源を断たれてしまったら、いくらローさんたちでも私を探すのが難しくなってしまう。
 ……その手間がもし、彼にとってメリットを上回るデメリットだったら。
 考えただけで、どうしようもなく不安になった。何か、彼らにわかるような足跡を……!
 足りない頭で考える間にも、私を担いだ男は足早に広場を抜けていく。咄嗟に、目に入ったブレスレットを腕から引き抜いて入った路地の入口に落とした。石畳と金属がぶつかって音を立てるけれど、彼にそれを気にする様子はない。次の曲がり角に、もうひとつを落として。力の入らない手でペンダントも外そうとしたけれど、そんな状態で、しかも仕組みもよくわかっていない金具を外すことなんて不可能で。
 ――ローさん、ごめんなさい……!
 細いチェーンをなんとか握り、むりやり引きちぎって目印にした。
 男が向かう方角は、これでなんとなくわかってもらえるはず。これ以上は落とせるものがないから、そこから先を考えても仕方がないのだけれど。
「……っく」
 襲ってくる眠気に、今はだめだと体を叱咤するのに、効果がない。今日は朝早くに起きたから、眠くなるのも早いのだ。
 重たくなる瞼に逆らえず、そこで意識がブラックアウトした。


 ぱしゃん。顔に水をかけられて、頭が一気に覚醒した。
「! ここは……っ」
 動くとがちゃがちゃと鳴る頭上の鎖。自分の手が頭上で縛り上げられているのだとすぐに理解した。私は壁に寄りかかるように座らされていて、足も一枚の木の板に二つ穴を空け、縁を鉄で強化したもので動けないように留められていた。
「やっと目が覚めた」
「……あなたは、朝の」
 私の正面にはコップを持った、朝の子どもが立っていて、つまらなそうに私を見下ろしていた。
「何度水をかけても起きなかったから、死んだのかと思った。せっかくお父様にお願いして持ってきてもらったんだから、それじゃ困るよ。ところで、おまえの名前は?」
「……今、何時ですか?」
 質問に質問を返すと、手に持っていたコップを投げつけられた。私の手首を纏める鎖に当たり、硝子の割れる甲高い音がして、破片が私に降り注いだ。頬やワンピースの裾から出る脚に破片が当たり、肉を裂く。何か所にも細い線が走って、赤い液体ががつぅと滲んできた。
「ぼくの質問に答えて。おまえの名前はなに?」
「…………」
 質問に答えることはせずに、周囲に視線を走らせた。私が背を預ける壁の対面に位置した鉄格子、そして壁を見ても窓がないところからして、ここは地下牢だろう。時間が分からないのも当然だった。いつも通りの間隔で寝ているのだとしたら、今は夕方四時ぐらいだろうか。
「答えて!」
 子どもは癇癪を起こしたかのように声を張り上げ、落ちている破片を拾って、顔に向かい投げつけてきた。
 痛くないから、気にもならない。また頬に傷が増えたけれど、つ、と垂れる血が顔についた水に溶け込むだけで、さして不快感も増えなかった。
「もうおまえの所有者はあいつじゃない、このぼくなんだ。命令だ、なまえを教えろ」
 "命令"。私がその言葉で言うことを聞く相手は、この子どもではない。
 今その言葉の使用権を持っているのが誰かはわからないけれど、この子どもに命令されても抗うことは容易いのだ、だから少なくともこの子どもは私の主人ではない。
 アメリア様の足枷は、主人に対する絶対服従を強制するもの。命令に抗おうとすれば体の力が抜けて、何もできなくなる。
「……あなたが主人? 笑わせないでください」
 その子どもを見ることもせずに吐き捨てるように言うと、また破片が飛んできた。
 今度は腕に当たって、また傷が増える。
「お父様!」
 子どもは踵を返して、鉄格子の向こうで様子を見ていた父親のところに駆けて行った。
「あの奴隷、奴隷のくせに言うことを聞かないんだ!」
「それは困ったな……。君、少し私を手伝いなさい」
 穏やかな笑みを浮かべた父親は、傍に控えていた部下に一言命じ、檻の中に入ってきた。
「殴りなさい」
 部下の男は、その言葉に反応して私に向かい拳を振るう。
「さて、君の名前は何かな」
 答えないままでいると、今度は剥き出しの脚を靴で踏みつけられた。
 質問に答えるまで、暴力をやめない。拷問のつもりだろうか。私は痛みを感じないから、全く意味がないというのに。まして、殴る蹴るといった打撃だけなら、硝子の破片で切りつけられるよりずっとましだ。
 傷は治さない方がいい。この父親もまた、権力者だ。権力者は自分の保身を第一に考える。もし私が護衛に向いた能力を持っていると知れば、この父親までもが私に執着し始めるだろう。
 ベポちゃんはもうとっくに私が居ないことに気づいているはず。ちゃんと、アクセサリーを落としたことにも気づいてくれただろうか。
 痛みならいくらだって我慢できる。食べないのだって平気。ローさんが来てくれるまでの間ぐらいなら、その程度何でもない。


 ――"何かあったとしてもお前が勝手に船を降りるわけもねェから、絶対に探し出してやる。万が一の時でも置いていかれるかも、なんて心配はするなよ"


 短い間であっても、偽りであっても、この人たちに対して心が折れるなんてことにはなりたくない。言うことを聞いてしまったら、自分を"奴隷だ"と認めることになってしまう。だから、昨日ローさんが穏やかな表情で言ってくれた言葉を信じて、私はただ待っていようと心に決めた。また殴られるけれど、衝撃が少し辛いだけ。心を閉ざすように目を閉じると、温かく受け入れてくれた皆の顔が瞼の裏に浮かぶ。閉じた目から溢れる雫が前髪から滴る水に混じり頬を滑り落ちていくのを感じながら、ただただ地上の音を拾おうと耳を傾けた。
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