doubt heart

 シャチさんが言っていた宿はさほど大きいものでもなく、海賊団がひとつ泊まるとなれば大半の部屋が埋まり一般客の足も遠のくため貸し切り状態になった。けれど一週間ここを拠点にする、と言っても店主は嫌な顔をしなかったので、慣れているのだろう。ペンギンさんも迷惑料だからと言って、提示された額に上乗せして前払いしたようだ。
 割り振られた部屋に荷物を置いてから、一度ロビーに集まるようにと言われた。一室一室に料金がかかるわけでもなくなったから流石に別の部屋にされるだろうか、と思っていたのだけれど、一人にすると床で寝そうだから、とローさんと同じ部屋にされた。ベポちゃんが"キャプテンばっかりずるい!"と言って少し揉めたけれど、"むさ苦しい男共の部屋に女一人放り込めるか"、と一蹴されていた。確かに部屋割りは四人だし、子どもではないのだからそういった節度は持つべきなのもわかっている。けれど流石のローさんもベポちゃんには甘いらしく、他のクルーと折り合いがつけられたら私を泊まりに行かせてもいい、と言っていた。当人なのに蚊帳の外だとペンギンさんに笑われたけれど、ベポちゃんと一緒に寝られるのも嬉しいからかまわないと返しておいた。
 来る時にはベポちゃんが持ってくれていた小さな荷物を引き取り、ローさんの後について部屋に荷物を置きに行く。案内された部屋は多分この宿の中で一番良いものだ。
「ベッドが大きい……」
「悪かったな、シングルベッドに窮屈に寝かせて」
「え……、あ、あの、そういう意味では……!」
「ククッ、わかってるよ。お前がからかい甲斐のある反応するからだ」
 ローさんは意地悪く笑ってそう言った。
「ひどいです……」
「悪かったよ」
 愉しげな笑みを隠しきれないまま謝られても、額面通りには受け取れない。それでも優しく髪を撫でられてしまうとどうしてかそんな小さな不満も昇華されていく気がして、結局は少し自分の機嫌が上向いたと自覚し、少しだけ悔しさを覚えた。
 部屋の隅に荷物を置き、先に部屋を出たローさんを追いかける。
 ロビーには荷物を置いたクルーが既に集まっていて、早く街に出たい、と言わんばかりのきらきらした視線でローさんの言葉を待っていた。
「さて、ここからは好きにしていいが……、自由行動っつっても補給の仕事はサボるんじゃねェぞ」
「アイアイ、キャプテン!」
 元気よく返事をし、換金や燃料の調達に行く人が手伝いを集めながら出て行くのを見送る。
「あ、イオリちゃん。ちょっといいかい?」
 声をかけられてそちらを見ると、コックさんがいた。
「はい、どうしました?」
「今回は滞在が長いから、食糧の調達は後半に行こうと思ってるんだが。良ければ一緒に行ってくれないかい?」
 食糧の調達、ということは、買った物を運ぶために人がいるのか。今の私にもそれぐらいはできる。頷くと、コックさんは笑顔を浮かべる。
「助かるよ。あとは……ペンギンかシャチあたりにも声かけとくか。おれは戦闘がからっきしだからなぁ」
「そうなんですか?」
「おれは料理を船長に気に入られて船に乗ってるんだ。そんなやつもいるから、まァ、イオリちゃんも今は戦えないかもしれないが、気にしなくても大丈夫だ」
 コックさんには、出かけるのをためらっているのがわかってしまったのだろうか。
「……ありがとうございます」
 私が意図を汲めたとわかったのか、コックさんは一度深く頷いて、ぽんと私の肩に手を置いた。
「ベポが一緒なら大丈夫さ! めいっぱい楽しんでこいよ」
「はいっ」
 ペンギンさんとシャチさんは特にすることもないから、とグラープ・マールに行くローさんについていくようだ。
 ローさんはもう少し島の情報が欲しいようで、ロビーに置かれたソファに腰を下ろし昨晩情報収集に行っていたシャチさんに質問を始めた。
「シャチ、この島の構造は?」
「あ、そっか。まだ詳しく説明してませんでしたね。島の中で人の手が入った所は円形になっていて、中心から三段階に階級が分かれてるんです。中央にあるのがこれから行くグラープ・マールの本社のある地域。その周りを囲うように複数の貴族が地主として暮らしていて、更にその周りに一般人が地代を払って生活してます。今いるのはその一番外側ですね。街っていう単位は地主で分かれてて、間には農地とかもあるんですが、道は石畳で全部舗装されてるので馬車で簡単に行き来できるそうですよ」
「なるほどな……。ここからグラープ・マールへは行けんのか? 地主の家の庭突っ切ってかなきゃならねェとかじゃねェだろうな」
「まさか、大丈夫ですよ! 地主が揉めないように、境界線として公道って言っていい道があります」
「それを使うのか」
「えぇ。ただ、ここもまだ外側の外側だし、馬車使った方がいいですね」
 途中から思考がついていかなくなって、言葉は頭に入れつつもまったく理解できていない。とりあえず、先程私が想像したとおりの構造になっていると思っていいのだろう。
「おい、イオリ。理解できてるか?」
「な、なんとなく……」
 ローさんは私の返答を聞いて一度苦笑したけれど、次の瞬間には真剣な顔つきになった。
「おれたちが島の中央に行っている間、お前とベポは一番外側にいることになる。何かあったとしてもすぐには助けに行けねェってことだ。あのガキが気になるからな……、ベポもだが、十分用心しろよ」
「アイアイ、キャプテン!」
「わかりました」
 ベポちゃんがペンギンさんからお財布を預かり、宿の前で三人と別れて、手を繋いで街へ向かう。長い鎖をずるずると引き摺るのはなんだか嫌だったので、空いた手首に巻きつけて、外れないように握った。
「イオリのその鎖って、しょっちゅう引き摺ってるのに全然汚れないよね」
「え? あ、そういえば……」
 砂がつく様子もないし、水についてもシャワーを浴びた後なんかに気にしたことがない。ふと見ればつやつやと金属特有の光沢を放っているだけだったから、便利だとは思っていたけれど。そういえば、金属特有のにおいもしない。
「あっ、ごめん! イヤな話だったよね!」
「いえ、大丈夫ですよ。……思い出している分だと、"こういうものだ"と認識していたみたいです」
 血もつかないとなれば、結構便利だ。鎖がそうした液体に落ちても、液体は跳ねない。通り抜けてしまうような感じなのだろうな、とぼんやり思った。
「ふぅーん、ふしぎ」
「そうですね。……でも多分、そのうち思い出します」
「うん、イオリがイヤじゃなかったら、どうしてなのか教えてね」
「はい」
 そんな話をしているうちに、賑やかなエリアが近くなってくる。
「おれたち二人だと、なんかすっごくヘンな組み合わせだね……」
 しょんぼりと眉を下げるベポちゃん。白熊と奴隷の女、目立つ組み合わせではある。
「ふふ、確かに」
「何にもないといいんだけど……」
「そう……ですね」
 あの貴族の親子も、おそらくこのエリアにいる。そう考えると、少し歩いてでも隣の街に行くべきなのではないか、と思ってしまった。けれどそれはベポちゃんを信頼していないということにもなってしまうような気がする。ベポちゃんが強いのはこの間立ち回り方を見てわかっているから、いざとなっても心配する必要はないのだろうけれど……。
「おれ、本当にイヤな予感がするんだ……。キャプテンも心配してたし」
「そういえば、シャチさんの言葉を否定しませんでしたね」
「うん、なんかヘンだったもん、あの子ども。もし万が一のことがあっても、イオリは心配しなくていいからね。絶対助けに行くから!」
「はい……」
 そういえば、ローさんにもそう言ってもらった。宿に行く途中にも、その話を聞いていたはずもないクルーが何かあっても助けてくれる、と言ってくれた。
「皆さん、優しいんですね」
「イオリはもう仲間だからね! 最近はイオリ、力仕事も手伝うようになったでしょ? 本当に強いんだろうな、って皆納得してるよ。だからイオリはゆっくり、忘れちゃったことを思い出していけばいいよ」
 にこにこと笑って言ってくれるベポちゃんに、こちらもつられて笑う。
「あ、おれクレープ食べたい!」
「じゃあ、お店を探しましょうか」
「うんっ」
 ベポちゃんは多分、お店巡りを始める気なのだろう。こうしてのんびり歩くのが楽しいから、それが嫌ということはない。
 においですぐにお店を見つけると、ベポちゃんは私の手を引いてクレープを売る屋台に近づいた。
「イオリ、どれがいい?」
「私が選んでいいんですか?」
「だって、少ししか食べられないでしょ? おれは他にもたくさん食べるから、イオリが食べるのはイオリが選んで!」
 屋台の人が気を利かせて渡してくれたメニュー表に目を通す。やっぱりというべきか、読めない。ローさんには、これも能力を使うための"不利な条件"のひとつなのだと言われた。読めない、と伝えようと顔を見上げたけれど、その前にベポちゃんが口を開いた。
「イチゴとかバナナとか定番のやつもあるし、あ、これはこの島の特産の果物だって! イオリ、気になるのある?」
 ベポちゃんは丁寧にメニューを指差しながら、掻い摘んで読んでくれた。
「……あ、えっと……、この島の特産って……?」
 屋台の店主は人のいい笑みを浮かべて、丁寧に説明してくれた。
「あぁ、オレンジに近いんだが、甘みが強いんだよ。クリームにほんの少しだけ酸味が加わるのが絶妙でいいって、結構評判だ」
「じゃあ、折角だからこれを」
「毎度! 250ベリーだよ。お嬢さんと白くまくん、かわいいからフルーツをサービスしてあげよう」
「ありがとう!」
 お金を渡してクレープを受け取ったベポちゃんは、少し歩いた先にあった広場のベンチを選んで落ち着いた。
「はい、イオリ!」
「いただきます」
 差し出されたそれを受け取って、一口齧る。屋台の人が言っていたとおり、クリームにほんのり混じった酸味が甘ったるさを感じさせない。クレープ生地ももちっとしていて、とてもおいしい。
「……おいしいです」
 ベポちゃんにクレープを返すと、かぷ、と私が齧った大きさとは比べ物にならない量を口に含む。
 むぐむぐと少し口を動かした後、ベポちゃんはぱぁっと顔を明るくした。
「ほんとだっ! これすっごくおいしい!」
 そのまま食べ進めるベポちゃんに、そういえば、と話を切り出す。口元にクリームが付いているのを指摘して、それをいそいそと拭うのを待った。
「えっと、どうしたの?」
「ベポちゃん、私が字を読めないのを知っていたんですか?」
「え? あ、うん! キャプテンから聞いたよ。字が読めない人も珍しくはないけど、ばかにされちゃうから……。あれで良かった?」
「はい、とても助かりました」
「えへへ、良かった」
 また、ローさんの気遣いを知った。嬉しく思う反面、やっぱり思い浮かぶのは微睡みながら聞いたあの言葉。
「ベポちゃん、変なことを訊いてもいいですか?」
「うん、なぁに?」
「ローさんは……、どうして私にこんなに良くしてくれるんでしょうか」
 ベポちゃんは少し考えて、言葉を選ぶようにして言葉を紡いだ。
「……あのね、キャプテン、確かにイオリの力は絶対他のやつらに渡したくないって言ってた。もちろん、他の勢力に渡ったら不利になるだろうから、っていうのもあるんだと思う。でもね、キャプテンはイオリに優しいよ。イオリを同じ部屋にしてるのも、すっごく心配してなんだと思う。そういう感じがする」
 あぁ、確かに私はこちらの世界に来た時、もう死んでしまった方がいいような気さえする、と考えていた。その理由はどうしてもわからないけれど、考えれば眠くなってしまうけれど、確かにそんな考えが残っていたら心配もさせてしまう。その後、ちゃんと"生きたい"と思っていることは、彼もわかっているはずなのだけれど、それでもやっぱり、心配させてしまう何かが私にはあるのだと思う。
「……そう、なんですか」
「うんっ。キャプテンね、イオリが何か気にしてることがあると、全部おれに話すんだ。傷を治せるのが気持ち悪いんじゃないかって不安がってるとか、イオリの強さを他に渡したくなくて殺そうとしたやつがいた、とか。キャプテンがそこまで深く心配しておれに手を回したりするの、珍しいよ」
 ローさんをよく知るベポちゃんにそう言われれば、わだかまっていた不安も随分と消えた気がした。
「……すみません、本当に変なことを訊いてしまいました」
「ううん! イオリの不安が消えるんなら、なんでもどーんと来いだ!」
「ありがとう、ベポちゃん」
 クルーがこんなにいい人たちなのだし、ローさんもやっぱり根は優しいのだ。そうでなければ、あんなに気の良い人たちが心底尊敬して彼に命を預けるわけがないのだから。
 心に沈んでいた鉛のようなものがなくなって、すっきりした。
「じゃあ、そろそろ次行こう! イオリは食べたい時にちゃんと言うんだぞ!」
「はいっ」
 ベポちゃんは、私が力を利用されて殺されかけたのを知って、ローさんに対しても疑心暗鬼になってしまったのだと気がついたのだろう。だからちゃんと教えてくれた。彼が利得を考えて私を乗せたことはわかっているし、それを嫌だというつもりもない。ただ、彼の優しさが嘘なのだったら、いっそのこと奴隷として扱ってくれた方が良かったとさえ思ってしまうだけ。居心地の良さを覚えてしまったら、それはもうきっと抜けないだろうから。
 できればこのまま何もないまま、皆に迷惑をかけることなく宿まで帰り着きたいと思ってはいるのだけれど。心の片隅にどことなく嫌な予感を抱えたまま、揚々と歩き出すベポちゃんの手を離さないようにしっかり握って隣に並んだ。
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