crazy boy

「イオリ、島に降りる上で絶対に守ることは覚えてるな?」
「はい。一人にならない、離れるなら必ず誰かの視界に入るところにいる」
「よし。ベポが目を離さねェとは思うが、しっかり守れよ」
 頷くと、ローさんは一度ぽんと私の頭に軽く手を置いて、太刀を担ぎ直しくるりと踵を返して船を降り始めた。
 シャチさんたちが集めてきた情報によると、この島――カトライヤ島――には現在海軍は滞在しておらず、海賊の方にはこちらを脅かすような強さを持った集団はいないから、こちらから喧嘩を売るでもしない限り騒ぎにはならない。そして、この海岸から少し歩いたところに海賊の落とすお金で成り立っている街がひとつあるらしい。街と街とを繋ぐ道路は整備されていて、比較的歩きやすいとのこと。記録(ログ)が貯まるのには一週間必要で、宿や酒場、財宝の換金にも困ることはない。お店もたくさんあるし、さほど大きくはないけれど賭博場もある。なかなかの好条件だな、と皆楽しそうに話していた。
 ひとまず、船番を残して宿に移るらしい。そこからはお小遣いをもらって自由行動とのことだ。海賊という物騒な職業ながら、お小遣い制というところがかわいいな、と思ってしまったのは誰にも秘密だ。
 責任感溢れるベポちゃんに手を繋がれ、空いた手で鎖を持って歩く。鎖は動きこそ縛らないけれど、集団で行動している時には後ろを歩く人に踏まれそうになるのが難点だ。仕事の時には音をさせずに動くこともできていたみたいなのだけれど、あれは果たしてどうやっていたのか。こればかりは私自身が思い出さなければならないのだろうな、とぼんやり思った。
 今日は買い出しの時に自分で選んだワンピースを着て、ローさんが宴の日に選んでくれたアクセサリーを身に着けている。銀色のそれは足枷とも釣り合いが取れていて、気に入っているのだ。着け方がわからずどうすべきか迷っていたら、ローさんがあの日と同じようにペンダントを着けてくれた。急所とも呼べる首を曝け出すことには少しだけ抵抗を感じたのだけれど、彼がそんなことをするはずがない、と過去の習慣を無理矢理掻き消した。
「そういえば船長、商船で頼まれたことはどうするんですか?」
 ペンギンさんが、ローさんの少し後ろを歩きながら尋ねる。商船で頼まれたこと。グラープ・マールの社長に話をしに行く、ということか。
「永久指針(エターナルポース)がタダで手に入ったし、イオリのおかげでもあるとはいえ資金に余裕ができたからな。筋は通す」
「イオリはどうする?」
「私ですか? えーっと……」
 仮にグラープ・マールの社長に何かを訊かれたとしても、上手く答えられる自信がない。客観的な事実は思い出しているけれど、自分がそれをどうやっていたのか、なんてものはまったくといっていいほど覚えていないのだから。
「……私が答えられるのは、ローさんにも答えられることだと思います。いえ、むしろ……ローさんの方がわかりやすく説明できるかと」
 ローさんはそれもそうだな、と口元に手をやって少し考える素振りを見せた。
「なら、ベポと一緒に街を見て回ればいい。甘いもん食うんだろ?」
「キャプテン、いいの?」
「あァ。お前ら二人なら騒ぎを起こすこともないだろ」
「確かにな……」
 妙に納得した様子のペンギンさん。彼に視線を向けられたシャチさんは、なんだよ、と不満そうに口を尖らせていた。
 しばらく歩くと道が舗装されているのが目立ってきて、ちらほらと建物も見え始めた。街の中心部に目を向けると、賑やかな外側と、豪奢な造りで白が目立つ大きなお屋敷のような建物が転々と建つ内側に分かれているのがわかる。内側の人間が所有する土地を、外側の人間が地代を払って利用している、といったところだろうか。
「船長、宿はこの人数受け入れてくれるってトコ聞いてあるんで、そっち行きませんか?」
「そうだな。シャチ、案内しろ」
「了解!」
 街に入ると、行きかう人の視線がハートの海賊団に集まった。けれど、あぁ海賊か、と慣れたことのように自分の生活に戻るのを見て、こういうところは海賊相手の商売で成り立つ街特有の雰囲気なのだろうな、と思った。必要最低限の緊張感はあるけれど、かといって息苦しい感じもしない。
「……?」
 ふと、強い視線を感じてそちらを見てみれば、井戸端会議でもしていたのであろう女性たちが私を見ていた。正確には私の足元を、だ。含まれているのは軽蔑、哀れみの感情。けれど、きっとこれからも関わりは持たないであろうその人たちの視線はまったく気にならなくて、ふい、と視線をまた進行方向へ戻した。
「イオリ、イオリ」
「?」
 隣を歩くベポちゃんに名前を呼ばれて顔を見上げると、不安そうな表情を浮かべていた。
「皆イオリのこと見てる……。大丈夫?」
「えぇ、平気ですよ。慣れているし……、それに、最初にも話したでしょう?」
「! うんっ。それならいいんだ」
 ローさんがこちらに一瞬だけ視線を向けたけれど、すぐに前を向き直していた。
 シャチさんの先導で宿に向かう途中、賑やかだった街から外れて、夜に開店するようなお店や、宿が多く並ぶエリアに入る。この辺りはそれほど喧騒はなくて、仕込みをするお店の人が表に出て談笑していたり、若い人が買い出しの帰りなのか大荷物を持って忙しなく行き来しているぐらいだ。建ち並ぶ建物には、夜にこそ華やかになるのだろうとわかるイルミネーションのための電飾が施されていた。
 道の脇に良い身なりをした親子と、その二人を守るように立つ数人の服装が統一された男性の集団がいるのが見えた。旅人しか来ないような場所に地主が何の用なのだろう、と不思議に思いつつ足を進める。
 ちょうどその横を通りがかった時、ぐ、と鎖を握っていた手に触れられ、力が込められた。
「え……?」
 驚いて見てみれば、私の手を掴んでいるのはその貴族らしき子どもで。私の声に気がついたベポちゃんが足を止め、他の皆もなんだなんだと足を止めてこちらに視線を集める中、その子どもは屈託ない笑顔でとんでもないことを言い放った。


「お父様! ぼく誕生日プレゼントはこの奴隷がいい!」


 子どもの言葉に、クルーたちがざわついた。皆、できるだけ触れないようにとしていたことだろうから、無理もないとは思う。
 それにしても、まだこんな子どもでありながら、人をモノ扱いできるなんて。随分と歪んだ育ち方をしてしまっている、とどこか状況を楽観視した考えすら浮かんでしまった。
 それでも、しっかり答えなくちゃいけない。
「……私は自分の意思でこの海賊団にいますので、それはできません」
 自分の顔から、表情が消えたのがなんとなくわかった。
 加減を知らない子どもの力とは案外強いもので、ぎゅうぎゅうとやたら圧迫されていると感じる。手を離す様子は、ない。
 終始笑顔で事の成り行きを見ていた父親らしき人が、一歩進み出てきた。
「まァまァ、それは貴女の意思でしょう? 所有者はどなたですかな」
「……この海賊団の船長はおれだが」
 ローさんが溜め息交じりにどことなく答えになっていない言葉を返すと、父親はにこりと貼り付けたような笑みを浮かべる。
「おぉ、やはり手配書で見たことがある顔だ! どうですかな、この奴隷を私に売ってくれませんかね。息子の誕生日なので、プレゼントを買いに街に出る途中だったのですよ。どうやらそれ以上に欲しい物ができたようで」
 お金ならばいくらでも、私の身の回りの物が不要になるならそれも買い取る、と。つらつらと言葉を並べる父親を、ローさんは汚いものを見るかのような目で見ていた。
 楽観視した考えが浮かんでしまうのは、この人が守ってくれるという安心感があるからだ。
 ローさんはシャチさんに太刀を預けつつ、終始無言であることに父親が疑問を持ち黙るのを待って、私の手を掴む子どもの手を掴み軽く捻り上げた。
「ひとつ勘違いしているようだが」
 子どもの手が離れると、空いた手を私を庇うように伸ばす。ベポちゃんが後ろから私の体に腕を回して、ぎゅ、と抱きついてきた。
「こいつは奴隷じゃねェ、ウチのクルーだ。こいつが自分の意思でウチにいる以上、船長であるおれには"クルーを守る義務"ってもんがあるんでな。どうしてもというなら、他のやつらも黙っちゃいねェが……」
 ローさんの言葉に、クルーたちの間に緊張が走った。シャチさんやペンギンさんはどこか殺気立った様子で、ベポちゃんも私に触れる手は優しいけれど、見上げた顔に浮かべられているのは険しい表情だ。
「どうする? おれたちを相手にして命を危険に晒してでも、こいつを奪うか?」
 こちらに背を向ける彼の顔は見えないけれど、対面する人たちの様子から察するに、いつもの人の悪い笑みを浮かべているのだろう。
 ……ただ、一人だけが状況をよく分かっていないようだった。
「お父様……、ぼくこの奴隷がいいよ、この奴隷じゃなきゃいやだ!」
 一体ここまで私に執着する理由はなんなのか。足枷で"奴隷だ"と分かるのが常識である以上、人身売買もどこかではごく普通に行われているものなのだと思う。だから、私が珍しいとか、そういう理由ではないはずなのだ。
 まさか、この人たちに私が異世界から来たことなどわかるはずもないし。
「シャチ、刀寄越せ!」
「はい!」
 ローさんはシャチさんから受け取った太刀をすらりと抜くと、父親の首に刃を向け、紙一重のところで止める。護衛の人たちは動揺を露わにしていて、刀を向けられた本人も顔を青褪めさせた。
「……わかりました。引きます、だから命だけは……!」
「フフ……そうか、物分かりのいいやつで良かったよ……」
 太刀を納めると、ローさんはそれを肩に担ぎ笑う。
 ベポちゃんが私を抱き上げて、子どもの手が届かない高さにしてくれた。
 子どもを宥めながら貴族とその護衛が立ち去るのを見送り、ローさんが肩に担いでいた太刀をシャチさんに預けると、他の皆がふぅ、と息を吐いて緊張を解いてまた歩き始める。
「面倒くせェのに絡まれたな……」
「す、すみません……」
 顔を顰めるローさんの威圧感が少しだけ怖くて、思わず謝る。シャチさんが振り返りこちらを見上げてにかっと笑い、代わりのように答えた。
「気にすんなって! しっかし、やな感じの子どもでしたね! 奴隷はモノ同然、みたいな感じで」
「それが普通だと思いますけど……」
「ん? まぁ人によっては……な。けどさ、あんな子どもがだぜ?」
 やっぱりシャチさんも、私と同じことを思ったのか。ローさんはといえばその言葉を聞いて、くだらないと言わんばかりに鼻で笑った。
「あの家の"教育方針"ってやつだろ。"一般市民は見下してよし、奴隷は人と思うな"ってな」
「そうなんでしょうけど……。なんか執着の度合いがおかしかったような……」
「子どもって思い通りにならないことほど執着するものじゃないか?」
「んー……、それもあるけど」
 ペンギンさんが諭すように言っても煮え切らない態度を取るシャチさんに、バンダナさんが気にしすぎだろ、とからかうような笑みを浮かべて言う。
 けれどローさんはその言葉には頷かないし、ベポちゃんもどこか表情が硬い。
「あの、何か……気になることでも?」
 ローさんは私の言葉に明確な答えは返さなかった。
「杞憂に終わればいいがな……。ベポ、気をつけてろよ」
「うん、おれも嫌な感じがしたもん……!」
 ベポちゃんに抱かれたまま、後ろを見て目に意識を集中させる。視力を上げれば、十分に見える距離だった。
「……っ!!」
 体を固くしたことに気がついたベポちゃんが、不思議そうに"どうかした?"と訊いてきた。
「あの子……、諦めてないと、思います……」
 振り返って見た子どもは、父親に背を押されながらこちらを振り返っていた。私の視力だからわかる、執念のこもった目で。それだけなら良かったのだけれど……、見えるわけがないのに、目が合ったとはっきり感じてしまった。
「街中で強硬手段に出るかもな。なんせあいつは地主だ、街の連中を黙らせることなんか容易いだろう」
「げっ、どこ行ってもイオリ安全じゃないじゃん!」
「そういうことだ。だからベポに気をつけろと言ったんだ」
「うん、おれ気をつける!」
 狂気にすら思えるあの執着。ただの子どもの欲なのか、それとも別の理由があるのか……。
「ま、なんかあればおれら総出で助けるし!」
「だな! 安心しろよ、嬢ちゃん」
「……ありがとうございます」
 今はただの足手纏いでも、ローさんの言葉を信じて受け入れてくれる皆。これ以上お荷物にはなりたくはない、とは思うけれど、あの狂気のような無邪気さを前にしては、どうしてもそれが叶わないような気がした。
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